とある傭兵と恋の自覚
「そろそろ危ないとは思っていたが、覚悟をきめたのか?」
「はっ! 今ここであんたと殺り合ってもいいんだぜ?『蓬髪のガイウス』さんよ」
まったくもって勝てる気はしないが、戦って勝つしか道はないというのであれば俺はやる。
ヒフィゼ家の奴らは揃いも揃ってヤバい奴らばかりだが、『蓬髪のガイウス』はとびきりヤバい奴の一人だ。
獲物は鎖鎌で俺のジャマダハルとの相性は最悪だったが、男には引くに引けない時があるってもんだ……まさか自分が所属する傭兵ギルドの管理官長を相手にする日が来ようとは。
人生、何があるかわからないもんだぜ。
「……やめておこう。オレも『穿孔のリュディガー』の実力ぐらいは知っているからな。部屋を壊して怒られたくはない」
そう言うとヒフィゼ ギルド管理官長は俺に背を向け「それに今は真姫奈の前以外では髪をほどきたくなくてね」などと盛大に惚気た。
まったくヤル気のないヒフィゼ ギルド管理官長の姿に俺も一気にやる気を削がれる。
誰もあんたの夜の生活なんざ聞いちゃいねえよ!!
「だったら俺が執念深いことも知ってるだろう……今の俺にはヒフィゼ家すら恐くはないぜ」
「だろうな。今のお前はどこから見ても立派な恋狂いのグーレラーシャの男だよ。他人事じゃないから厄介だな……」
ギルド管理官長はどこか疲れたように降参のポーズを決め、分厚い紙束を差し出した。
「何だこれ?」
訳もわからず受け取ったものの、一体何なのか見当もつかない。
「レン・アリシナの住む国の資料だ。あの国は色々面倒みたいでな……なんでも武器を所持しているだけで捕まるらしい」
「なっ、これが『ニホン』の資料なのか?」
俺は受け取ったばかりのずしりと重たい資料に目を落とし、それからヒフィゼ ギルド管理官長の顔を真っ直ぐに見た。
「まだあるが、それは基本的なことをまとめたものだ。探しに行く前に叩き込んでおかなければあんたを飛ばせない」
「そうか!! 恩に着るぜ、ヒフィゼの若坊!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
かくして俺は『ニホン』という国がある世界に飛ぶことになったのだが、まあ、こうなってしまった経緯を話せば長くなる。
簡単に言えば『ニホン』から『いい男』を捕まえにきたレン・アリシナという女に俺が惚れちまったことが発端であるが、週末ごとにグーレラーシャに遊びに来ていたレンがここ一ヶ月くらい姿を見せていないのだ。
レンがグーレラーシャに飛ばされてきたその日、ヒフィゼ ギルド管理官長からレンの面倒を見るように言い渡された俺はとりあえず3日間は滞在するというレンに王都の観光地を案内してやった。
「うーん、眼福眼福。傭兵学校ってなんだか警察学校に似てるわね……懐かしいわ」
王都立傭兵学校は歴史ある建物なのでその荘厳な造りの門は有名な観光スポットの一つなのだが、レンが興味を示したのは門ではなくその中身だった。
傭兵の卵たちが汗水垂らして訓練している姿を見つけたレンは学校の柵をにすがりつくようにしてその光景……レンが言うには肉体美とやらを堪能している。
よだれを垂らさんばかりの勢いに他人のふりをしたい心境になりながらも俺はレンの側を離れなかった。
監視をしているわけではないが、傭兵学校を巡回している警備係に怪しまれでもしたら面倒だ。
「只者じゃないことはわかっていたが、あんた相当の手練れだな。間合いの取り方といい隙のない身のこなしといい……あんたならいい傭兵になれるぜ」
食らいつきそうな眼差しで若い半裸の男たちの姿を目で追ってるというのに、意識の半分くらいを背後に向けている。
さすがはケイサツカンといったところか。
こちらでは王都を護る警務官に相当するケイサツカンという職業についているとは本人談であるが、嘘はついていないようだ。
「あらそうかしら……警察辞めてこっちに来るのもありね」
「もう少し慎重に考えろよ。昨日来たばかりだろうが」
失くすと組織から処分がくだるというので昨日の紺色の服を着ているレンの背中を眺めながら俺は何度目かわからない大きな溜め息を吐いた。
背後から見ると俺たち傭兵の服にも見えなくはないその制服はレンによく似合っていた。
なんでもケイサツカンの制服らしく、左手上腕には紺地に金の複雑なエンブレムがついている。
「ほら、それくらいにしておけよ。あんまり見てると怪しまれるぞ」
先ほどから門の警備担当の学生がチラチラとこちらを伺っていたので俺は慌ててレンを柵から引き剥がした。
「やん、リューさんのケチ。あー、私の発展途上の身体たちが」
「何が私の、だ……変態。そんなに見たいんなら俺のでも見てろ。あんまり変態的な行動してっといい男も尻まくって逃げ出すぜ?」
「それは困るわね。でもリューさんの身体をただで見れるなら仕方がないわ」
そう言うとレンは柵から手を離し、俺の方を向いて上から下までゆっくりと舐め回すように視線を這わせた。
それから小さく「うん、いい筋肉」と呟いたのだが、妙齢の女が男に対して面と向かって言う言葉ではないと思った俺はもう一度深々と溜め息を吐いた。
変態という言葉は否定はしないのかよ……。
どうやらこいつの優先順位は筋肉が一番らしい。
思考回路がいまいちわからないが「背筋に触らせて」だの、「その素敵に太い腕にぶら下がってもいい?」なんて無邪気に聞いてくるレンを俺は少々持て余していた。
『ニホン』って国の女は皆レンのように積極的なのだろうか。
気になった俺はレンに尋ねてみたのだが、レン曰く「私の国では肉食系の男は絶滅危惧種なのよ……だからこっちから捕まえるしかないじゃない」ということらしく、結局俺にはよくわからなかった。
その日の夜は昨日とは別の酒場に行くことにした。
独身の男女が出会いを求めて集まる店で、いわゆる合コンと近い役割りを果たす酒場だ。
入り口で身分を登録して名前と職業を書いた名札を付け、食事をしながら目ぼしい異性を探すシステムにレンはかなり張り切っている。
最初レンは『在科 蓮』と名前を書いたのだがグーレラーシャ人には読めなかったので書き直してやった。
明正和次元人と仕事をしたことがあり、ある程度なら漢字を知っている俺もよくわからない文字だったが、レン曰く『ニホン』でもまともに読んでくれる人はいないらしい。
新たにグーレラーシャの文字でレン・アリシナと書いている俺を覗き込んだレンは興味深々だ。
「リューさんって達筆ね。やっぱりいい男だわ」
達筆なのがレンの言う『いい男』の条件だとしたら世の中かなりの数の『いい男』が溢れかえっていることになるが、褒められて悪い気はしない。
「そうかよ、なら俺にしておけ」
俺は思わずボソッと呟いたが、幸いなことにレンには聞こえていなかったようだ。
どうしちまったんだリュディガー?
レンに出会ってから調子が狂いっぱなしだぜ……。
この店のシステム上俺も名札を付けて店に入ると、中は出会いを求める男女で溢れかえっていた。
あちこちに見た顔があるので正直帰りたい気分だがレンの世話を放棄する訳にはいかない。
俺の姿に気が付いた何人かが驚いた顔でこちらを見ていたが、完全無視を決め込む。
言いたいことはわかるが今は放っておいてくれ。
俺は既に数人の男たちに囲まれていたレンを救うべく、人混みをかき分けていく。
最近のグーレラーシャの男どもには頭にくる……真剣に相手を探す気などないのだろうか。
この軽薄そうな若い奴らも、求愛の相手さえできれば一途になるのだろうか。
時代は変わったな……。
俺ももう若くはないが、まだ124歳だ。
しかし50歳か60歳くらいのさらに若い奴らのことがわからなくなってくる世代だった。
「あいつも駄目だ。あんたも会ってすぐ抱き上げようとする奴にほいほい着いて行くな!」
2日目の夜も俺たちは昨日と同じ店に来ていた。
色んな奴がいるから『いい男』を見つけるために効率がいいとはレンの言い分だ。
俺はこういった場所はあまり好きではない。
別に女を探す必要がなかったので傭兵仲間に誘われてもその都度断わっていたはずの場所に、俺は一人ではなく女と一緒に居る。
しかもその女は男に対する警戒心が備わっていないのか、さっきから見るからに身体目当てで近付いてくるグーレラーシャ人の風上にも置けない男どもに片っ端から引っかかっていた。
「でも、話してみないとわからないじゃないの。これでも男を見る目はあるのよ? 犯罪者限定だけど」
「なんだって?! じゃあ、あんたの選んだ男どもはみんな犯罪者か犯罪者予備軍なのか?」
「これが違法薬物なら、そうなのかも」
ニコニコと笑みを崩さないレンを俺は信じられないようなものを見る目で凝視した。
レンの手にはいつの間にか怪しげな白い粉の入った包紙がある。
何やってるんだこいつは……。
目を離さないようにしていて正解だったが、これは並の男では手に負えない跳ねっ返りのじゃじゃ馬だ。
「あんた、それが何かわかってんのか?」
「これを服用したらとんでもない快感が手に入るついでにもれなく人間を辞めれる特典が付いてくるはずなんだけど。治外法権だから手出しはできないし、でも可愛い女の子が巻き込まれそうになっているのを黙って見過ごせないし……あれ? リューさんどこ行くの?」
なんでもないような顔をしながらひらひらと白い粉の入った包みを振り、とんでもないことを言ってのけたレンの手から包みを奪い取ると、俺はその手を引いて席を立った。
証拠品に余計な指紋が……とのレンのぼやきはとりあえず無視だ。
「帰るんだ。警務官に詳しい話をしないとな……それがあんたの本職なんだろう?」
なんだかんだ言っても自分の仕事に誇りを持っているらしいレンは俺の言葉に飛びついてきた。
なんでそんなに嬉しそうなのか。
不可抗力でレンの腰に手を回す羽目になった俺は、ふいに沸き上がってきた下腹部の熱を鎮める為にとっさに傭兵ギルドの掟を諳んじてやり過ごす。
「さっすがリューさん、男前! 私、どこまでもついて行くわ!」
俺の腕に何か柔らかい膨らみが当たるがこれは役得だ。
文字通り本当に俺に飛びついてきたレンの肩をさりげなく抱き寄せた俺はカップルを装ってそのまま店を出ると警務官の詰所まで歩き始めた。
レンに不埒な行為をしようとした男どもの顔はすべて記憶している。
よからぬことを企んだ報いは受けてもらおう。
レンの言う通り、白い粉の包みの正体は麻薬であり不埒な男どもは麻薬の売人であることが判明した為、結局3日目は警務官に協力するはめになってしまった。
レンはケイサツカンの中でも違法薬物の捜査官だったらしく、薬物の鑑定結果を見て「この世界にも似たようなくだらない奴らがはびこってるのね」と剣呑とした眼つきで溜め息を吐く。
警務官から手続きに関する説明を受けながら、麻薬を入手した経緯を報告書にまとめたり、売人とおぼしき男たちの似顔絵を作成したりと色々面倒な事後処理をする為に詰所に篭りっきりだった。
「こんなところに来てまで仕事なんて。あーん、私の休日がぁ……」
そんな言葉とは裏腹に報告書を読み上げるレンは生き生きとしている。
レンはこの世界の文字は書けないようで、一度レンが書き上げた報告書を読み、警務官が書き写すという少々面倒な作業の真っ最中だ。
手慣れたもので、レンは迷うことなく報告書をまとめ上げた。
もう疑ったりはしていないが、『ニホン』のケイサツカンであるレンはどうやら優秀な捜査官であるようだ。
「こんな可愛い方が異世界の犯罪取締組織の人だなんて驚きですよ。『ニホン』とは聞かない国ですが、ギルドが新しく契約したんですか?」
「仮だが、そんなもんだ。なんたってヒフィゼ家お墨付きだからな、優秀だろう?」
「ヒフィゼ家お墨付き……そりゃあ頼もしい!! 正式に契約したら是非ともご協力いただきたいですね」
嘘も方便だが、この際仕方がない。
ヒフィゼ ギルド管理官長には一応通してあるので大丈夫だろう。
作業を進めるレンの横顔を見た俺はレンであればこのグーレラーシャでも立派にやっていけると本気で思った。
ケイサツカンの仕事は好きなようなのでそのまま警務官にでもなればいい。
破天荒な女だが一緒にいて退屈しない稀有な存在だ。
もしレンが明正和次元の者だったらヒフィゼ ギルド管理官長に進言したって構わないとまで考えたが、残念ながらレンは明正和次元出身ではなく、謎の『アーリィ様』から飛ばされてきた別次元の者なので干渉はできない。
そして今夜、レンは元の世界に帰るという。
また来る気はあるのだろうか。
俺はそればかりが気になり、いつしかレンが書類を読む声すら耳に入らなくなっていた。
「ひーさん、真姫奈ちゃん、お世話になりました。リューさんも付き合ってくれてありがとう」
警務官の詰所で一仕事お終えグーレラーシャの空に今宵も月が昇る頃、レンが突然帰ると言い出した。
俺にはわからなかったが、例の『アーリィ様』からレンに直接連絡があったそうだ。
傭兵ギルドに戻った俺たちはまたもやヒフィゼ ギルド管理官長とマキナ嬢の邪魔をしてしまったらしい。
すんげぇ眼つきで睨んでくるヒフィゼ ギルド管理官長にびくびくしながらも要件を告げると、マキナ嬢が助け船をだしてくれた。
「もう帰っちゃうんですか?」
「そうなのよ。明日からまた仕事だし……残念だけど」
「また来れますか? 何ならうちの空間管理師に頼みますよ?」
「真姫奈、明正和次元やこことは別の力が働いている次元に干渉するのはよくないぞ。ましてや時空を渡れるという知識すら一般的でないところを行き来するのは至難の技じゃないのか?『アーリィ様』はオレたちとはすべてが違う存在だからレン殿を飛ばすことができるんだ」
ヒフィゼ ギルド管理官長がまともな意見を述べるがそれは最もなことだ。
空間管理師にもできないことがあるらしい。
大概どこにでも出没し、時空を渡り歩く守護戦士たちも万能ではないということなのか。
「アーリィ様に交渉したら大丈夫かもしれません。お茶目で話のわかるお方ですから、そこらへんはちょちょいと」
いたずらっぽく笑うレンにヒフィゼ ギルド管理官長もマキナ嬢も脱力する。
何がちょちょいとだよ。
こんな適当な奴でも優秀なケイサツカンだと思うとなんだか複雑な気分だ。
そうこうしている内にどうやら本当に時間になったらしい。
にこにこと笑うレンの周りに僅かな歪みが現れた。
「アーリィ様? あ、はい。楽しかったですよー。ええ、それはもうたっぷりガン見してきましたから……うーん、まだ駄目みたいです。決定打がないっていうか、意外とシャイ? ……あ、それじゃあ今週末、いえ、土日ごとに送ってくださいますか? はい、ありがとうございます」
誰と会話をしているのか、レンは何もない空間に向かって身振り手振りで話している。
その内容から『アーリィ様』だとは見当がついたが、俺はレンが何を話しているのか無茶苦茶気になった。
「あ、ひーさん。これからしばらくの間、週末ごとにお世話になっても大丈夫ですか? アーリィ様は大丈夫だって言われているんですが……」
「そういうことなら歓迎しよう。レン殿の犯罪捜査能力には世話になったからな。ファウルシュティヒ高等剣士も異論はないな」
既にお目付役として認識されてしまった俺は無言でヒフィゼ ギルド管理官長を見る。
勝手に決め付けないでほしいんですがね、ヒフィゼ ギルド管理官長。
まあ、確かに異論はない、と言えばないのだが。
「それじゃあ、週末ごとにレンさんに会えるんですね!!」
「そうみたい。真姫奈ちゃんにお土産を持ってこれるかしら。美味しいチョコレートがあるのよー」
「本当ですか? ガイウス、甘いものですって! 乙女の必需品のチョコレートですよ!!」
マキナ嬢が嬉しそうにヒフィゼ ギルド管理官長を見上げると、チョコレートとかより甘そうな色気ある笑みでマキナ嬢を見つめていた。
うげーっ、こっちは独り身だぜ?
甘いもんは大好物だけどよ、あんたらの甘さはいらねえって。
目の毒だから少しは遠慮してくれよ……。
そんな2人から目を逸らし、だんだん姿がぼやけてきたレンを見るとレンは何故か物欲しそうに俺を見ていた。
「な、なんだよ」
「いいえー。リューさんってホント、シャイなのね……」
「はあっ?! 俺のどこがシャイだって言うんだ。こう見えてもなかなかモテるんだぜ? 戦場での俺の姿を見せてやりてぇよ」
これは嘘ではない。
傭兵として世界中を巡ってきたが、他所の国では結構女どもにモテたのは確かだ。
グーレラーシャの傭兵はがたいが良くて男らしいと評判はよく、引く手数多だったりするのだ。
「はいはい、また今度ね。それじゃあ本当にありがとうございました。また週末を楽しみにしています」
そんな俺をさらりとかわし、何を考えているのかわからない謎めいた表情をしたレンはヒフィゼ ギルド管理官長とマキナ嬢にぺこりと頭を下げてから俺に向き直る。
「お、おう。仕事じゃなかったら相手してやるよ」
慌ててそう答えた俺に「おやすみなさい」と言い残したレンはそのまま呆気なく姿を消してしまった。
別れ際にジメジメするのは嫌いだが、こんなんでよかったのだろうか。
しかしまた週末に来ると言っていたので気にしないでおこう。
「よし、これで要件は終わりだな? 帰っていいぞ」
今すぐ帰れと言わんばかりのヒフィゼ ギルド管理官長を見ると、抱き上げられていたマキナ嬢が手を合わせて口パクで「ごめんなさい」と言っていた。
へーへー、お邪魔しましたね。
言われなくても帰りますよ。
俺は「失礼します」とだけ言って管理官長室を後にする。
時間外だったのは謝るが、何も管理官長室でいちゃつかなくともいいじゃないかと思う。
いつだったか王宮警護官のアポロニュウスが「どうして王族ってことあるごとにいちゃいちゃしたがるんだよ」とぼやいていたことを思い出した俺は、奴も苦労していたんだと改めて思った。
寝ぐらへの帰り道は四六時中一緒にいたレンが側にいないだけで静かなものだった。
あの裏路地で出会ったんだよな……。
月明かりの下突然現れたレン・アリシナという女は俺の中の何かを引っかき回し、嵐のように去っていった。
また週末にその嵐がやってくるのを楽しみにしている自分に口角が自然と釣り上がる。
「さて、どうしたもんかね」
また週末レンが来る。
その事実が俺の気分をいつになく高揚させている。
ああ、今宵も月が綺麗だ。
夜空を見上げた俺は人生で初めて月を愛でた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それから本当にレンは毎週末の2日か3日をグーレラーシャで過ごしている。
仕事の都合とやらで1日になったり2週間くらい空いたりしたが、ほぼ毎週末やってきては余暇を楽しむレンの相手をするのは決まって俺だ。
ヒフィゼ ギルド管理官長の命令でもあるのだが、俺はレンの為に遠出しなければならない仕事は断わった。
身入りがよかろうとそうでなかろうと王都からあまり離れない範囲での仕事を請け負いはじめた俺に周りの者は訝しみ、様々な噂をしているようだが気にする必要はない。
レンといると楽しい。
職業病なのか、様々な犯罪の種を見つけては潰していくというへんな癖に振り回されはするもののそのお陰で特別報酬は増えていく一方だ。
そのほとんどがレンの取り分だというのにレンは滞在費に使う以外をすべて迷惑料だといって俺に押し付けてくる。
その報酬を使うことなく俺はこっそり貯めているが、いつかレンが必要とする時に渡してやろうと思う。
いつか、なんて知らねえよ。
だが、もしもレンが本気でグーレラーシャに根を下ろすというのなら、俺は……。
そんな生活を続けてからもう3ヶ月以上経った頃、レンはいきなり週末に来なくなった。
最初は仕事が忙しいのだろうと思っていたが、2週間を過ぎ、3週間を過ぎると流石の俺も心配になってくる。
「ヒフィゼ ギルド管理官長……レンから何か連絡はないんですか?」
『アーリィ様』を知っているくらいだからレンと連絡を取ることくらい朝飯前だろうと俺はヒフィゼ ギルド管理官長の元に通ったのだが、返事はいつも「ない」の一言だった。
しかし1ヶ月も過ぎようとする頃にはヒフィゼ ギルド管理官長やマキナ嬢も心配を隠せなくなったようだ。
裏で何やら画策しているような素振りはあるものの最高機密とやらで俺はいつも蚊帳の外にあり、何だか酷くもどかしい。
いや、もどかしいなんてもんじゃない。
イライラが最高潮に達しそうで、久々に血が見たくなる。
グーレラーシャの傭兵の本質であるから仕方がないが、血煙の撒き散らされた血生臭い戦場が懐かしくてたまらない。
何があった、レン。
俺にはそっちの世界で何があってるのかわからねえんだぜ?
連絡くらい入れろよ、でないと攫いに行っちまうぞ?
レン、レン……ああ、会いてえなあ……。
さっさと俺んとこに来いよ。
そしたらあんたを抱き上げて、離してやんねえからな。
もう駄目だ、元になんか戻れねえ。
俺にもグーレラーシャの血が色濃くながれているんだ……惚れた女を抱き上げられなくてどうする。
レンがこっちに来られないってんなら、時空なんざ俺が超えてやる……。
待ってろ、レン。
あんたを迎えに『ニホン』とやらに飛んでやるぜ!!
出会いこそ怪しいものだったが、今ではレン・アリシナという女にすっかり骨抜きになってしまっていると自覚した俺は、俺にとっての至高の存在をこの腕に抱き上げる為に行動に移ることにした。
レンに繋がる唯一の場所、すなわち傭兵ギルドの管理官長室に殴り込みに出掛けたのだ。
俺に隠していることがあるくらいお見通しだ、知っている情報を全て吐き出させてやるぜ!
俺は管理官長室の扉を蹴破ると、呆気に取られたヒフィゼ ギルド管理官長に向けてジャマダハルを構える。
普段なら懲罰もんだが今は関係ない。
そんな俺から目を離さないまま、ヒフィゼ ギルド管理官長が執務机から腰をあげた。
いついかなる時も応戦できるように腰には鎖鎌が下がっている。
「そろそろ危ないとは思っていたが、覚悟をきめたのか?」
「はっ! 今ここであんたと殺り合ってもいいんだぜ?『蓬髪のガイウス』さんよ」
まあ、あれだ。
勢い余ってヒフィゼ ギルド管理官長に喧嘩を吹っかけちまったのはご愛嬌だ。
簡単に言えば俺の限界を察知していたヒフィゼ ギルド管理官長の方が一枚上手だったってことだ。
『ニホン』のことを調べてくれたヒフィゼ ギルド管理官長にはこれから一生足を向けて寝られねえが、甘んじて受け入れることにしよう。
俺が一人でやきもきしていた間にヒフィゼ家をもってしても『アーリィ様』と交信できなかったが、特別に『ニホン』へと空間を開けてもらえることになっていたのだ。
それにはレンが犯罪捜査能力を活かしてグーレラーシャの平和の為に貢献していたことが大きな後押しとなった。
お偉方の魂胆としては優秀な人材の確保……いや捕獲をしておきたいといったところだろう。
知らなかったのは俺だけだったということにイラっとしたが、そこは大人な対応として不問としておいてやることにする。
かくして、俺はレンを迎えに行く為に高等剣士の資格試験以来となる勉強に励むことになった。
久しぶりに頭を使ったが、こんなもの屁でもねぇぜ。
よし、再会の日は近いぞ、待ってろよ、レン!!
さらに1週間後、膨大な量の知識を詰め込んで準備を整えた俺は、明正和次元の空間管理師の力を借りて傭兵ギルドから『ニホン』へと飛んだ。
「ギルド管理官長、レンさんが来ました」
「何、本当か?」
無事旅立ったリュディガーを見送ったヒフィゼ ギルド管理官長が一息ついているところに受付のジィアから連絡が入った。
管理官長室の空間がいきなり歪み出し、次の瞬間に1ヶ月ぶりに見るレン・アリシナが現れたというのだ。
今しがたリュディガーを『ニホン』へと送り届けたばかりだというのに、いくらなんでも早過ぎる。
駆けつけたヒフィゼ ギルド管理官長が部屋のドアを開けると、そこには間違いなくレン・アリシナの姿があった。
「特捜終わってやっと休みをもぎ取れたの!! リューさん? あ、あら、何故ひーさんが。久しぶりで……す?」
「レ、レンさん? レンさん!! ガイウス、本当にレンさんだよ!」
夫の後から一緒に着いてきたヒフィゼ ギルド管理官長の愛妻である真姫奈が大きな目をこぼれ落ちんばかりに見開き、レンに飛びついてペタペタと身体中を触って確認する。
「真姫奈ちゃんどうしたの? 何でひーさんがそんな顔をしているの? リューさ……」
わけもわからないレンは真姫奈のされるがままになっていたが、ふと目が合ったヒフィゼ ギルド管理官長が疲れたような顔をしていたので口を噤む。
こちらに来られなかった間に何かまずいことでもあったのだろうか。
端正な顔を盛大に歪めて眉間の皺に手を当てたヒフィゼ ギルド管理官長はレンの視線を受けながらたっぷりと間を置いて苦々しく呟いた。
「………………タイミングが悪い。『アーリィ様』はわざとやってるのか?」
「えっと、よくわからないんですけど、せっかく特捜が終わって1週間のお休みをもらったのに……リューさんはいないのかしら?」
アーリィ様から座標をリュディガーにして飛ばしてもらったはずが、その本人がいないとは。
真姫奈はあはは、と苦笑いをしているだけでチラチラと夫の顔色をうかがい、その理由を知っていそうなヒフィゼ ギルド管理官長はだんまりだ。
結局、ヒフィゼ ギルド管理官長が重たい口を開くまでレンは微妙な空気の中に取り残されていたのだった。
レンを迎えに『ニホン』に旅立った直後、レンがグーレラーシャに飛んで来たことをその時のリュディガーは知る由もない。
「レン、すぐに見つけてやるからな!!」
「ええーっ!! リューさんがニホンに行っちゃった? 私を迎えに?!」
何の因果か行き違いになってしまった二人が無事再会のを果たすのは少し先のことである。