「飴玉と銃弾」
「もしかして、駄目、なのカナー?」
アリスは剣の柄に手を添えながら、小首を傾げた。何だ、その無言の脅迫は! と叫びたくもなる気持ちを落ち着けながら、僕は銃を構えなおす。剣を収めたからと言って、油断してはいけない。アリスの実力は、先ほどの司との戦いで明白だ。
「おい、門番」
「なーにー、おじ、さん?」
卯月さんの声に反応したアリスは、その容姿を見て今度は大きく首を傾げた。確かに、卯月さんの年齢は見た目からは判断しづらい。しかし、声は若い。アリスは大いに困惑していることだろう。僕もその気持ちはわからなくない。少し同情の念まで湧いてくる。言いすぎか。
「お前は、何のために共に来る?」
それを聞いたアリスの動きが止まった。卯月さんの容姿に驚いたままの表情で、時間が停止したかのようにぴくりとも動かない。驚いて、いるのだろうか。
「私、は――」
機械のように口が動き、言葉が発せられた。
「アイリが、気に入ったからだヨー?」
「……そうか」
何を納得したのか、卯月さんは神妙に頷いた。それが答えになっているとは、僕は決して思えないんだけどね? 怖気と寒気しか感じないよ? 銃を構える手の鳥肌が総立ちになる。みんなスタンディングオベーションだ。拍手喝采である。何言ってんだか。
「ねー、駄目、なの?」
再びその目は僕に向けられる。無理やり銃をそちらに構えなおして、僕は無言でその様子を伺う。誰かに何かの疑問をぶつけるときに、剣から手を離しなさいと習わなかったのだろうか、この娘は。
「……う、卯月さん」
僕一人では決めかねるので、僕は頼りになりそうな卯月さんの名前を呼んだ。先ほど、何かしら納得した様子ではあったが、それは言及しないとして。何だか、答えが、怖いよ。
「……お前の好きにしろ。愛莉」
「えー……丸投げー……」
それはないよ……。ほかにも目を向けてみるが、誰も返事をしようとしない。悲しいぐらいに目を逸らせてくる。雪姫さんだけ、こっちを見て困ったように微笑んでいるが、それが何の解決になるというのだ。つまり、みんな、丸投げー。いやいや……、マジでー……。今まで友達いなかったから、こういうの慣れてはいるけど、今回は仲間がいるんだけどな……。やばい、涙が出そう……。
「悩んでいるんだろう? 愛莉?」
「……見れば、わかるよね?」
当たり前のことを聞いてくる零を思わず睨んでしまう。その間も、アリスは怖い笑みを浮かべたまま、剣に手をやっている。最初の状態から微動だにしていない。く、くっそー……。本当に少女なのかあいつはー……って、自分のことを棚に上げて何を言っているんだ僕は。履いているスカートを見て、思わず苦笑が漏れる。
「屈強な体を手に入れた司と互角以上に戦う狂気と共にこれから塔を上るという恐怖、か」
「今ここで、司と同じ様に大事な体の一部を失う恐怖、か」
「どちらを選んだにしろ、恐怖しか待ち受けていないんだけどねー?」
最初と最後の零の言葉の間は、ちなみにいうと卯月さんだ。いらないところで口を挟まないでいいから、アドバイスの一つでもしてくれればいいのに。そろそろ拳銃を構える腕が疲れてきたよ。
「ねー、どーするのカナー?」
アリスが待ちきれないといった風に僕の言葉を急かす。ここで答えを出さなければ、誰かの腕が吹っ飛ぶだろう。いや、まぁ、間違いなく僕のなんだけどさー。
それに、僕にはもう、
それを止める術を、持っていない。
「僕、は――」
そして、いや、だから僕は、答えを出した。
……ここまで丸投げしてきたんだから。
誰も文句、言わないでよ?
○ ● ○ ● ○
「結構長居しちゃったね、武器庫」
「うん、そうだね……」
「魂はないって言ったのになー」
「別に、魂探してたわけじゃないけど……?」
「まぁ、この体に寿命はないから、大丈夫さ。あぁ、そういえば言い忘れてたよ。その体は、空腹にはなるけど、食事をとる必要はないよ。餓死はしない、ってことさ。まぁ、空腹の不快感はあるだろうけどね」
「ふーん、そう……、確かに、お腹は空いたかな……」
「で、長峰 愛莉?」
「……なーに?」
「何でそんなに不機嫌なんだい?」
別に不機嫌ってわけじゃないんだけど……。誰か、代わりに零の相手をしてくれないものだろうか。これ、武器庫に向かう時もこんな感じだったよね……。ただでさえ僕、人と話すの苦手なんだから、止めてほしいところだ。
「私が、いるからカナー?」
「……」
それも一理ある。いや、結構大部分占めてはいるけどね。いや、だから、剣の柄に手を添えるなこら。
アリスは、当惑する僕の姿を見てにこにこと笑っている。つまり、僕が先ほど出した答えは、そういうことだった。自分の判断が正しかったのか、心配になってきた。
まぁでも、最初から決まっていたような答えだ。僕は、あの場でアリスが暴れだしても、もう止めることはできない。もしかしたら、拳銃に驚いて、引いてくれるかな……、とか思ってたけど。アリスは、そんなやわじゃなかった、ということだ。その時点で僕の負けは決定していたんだよ。
「ねー、アイリー、拳銃かしてー?」
「え……、あ、はい」
嬉しそうに手を伸ばすアリスに、僕は黒々とした、重量感のある物体を手渡した。その瞬間に、近くから怒号が飛んできた。
「ちょ、愛莉ちゃんなにやってんのよ!? 何でそんな危険なもの渡しちゃうの!?」
それは、香苗さんのものだった。金切り声に近い声が、エレベーターの中に響き渡る。密室空間なので、それは唸りを生じて耳に返ってきた。やたら教室で叫び声をあげていた同級生たちが思い出されたが、残念ながら顔までは思い出せない。自分の友好関係の薄さに、乾いた笑いが漏れた。
「あー、いや、もー、いーんですよ、香苗さん……、だって、あれは」
「弾なんか、入ってないんだよネー?」
カチッ
アリスが自分の頭に銃口を向けて、引き金を引いた。だが、先ほどの様な轟音はなることなく、おもちゃのような馬鹿げた音が微かに鳴るだけである。それは、弾が入っていないことを知っていないと、できない所業だ。
と、いうことは。
「……知ってたんだ、アリス」
「なんとなく、ネー」
あっさりと応えて、僕に拳銃を返してきた。もうすでにただのお荷物でしかないそれを、僕にどうしろというのかは知らないが、一応スカートのポケットに収めておく。今後、脅しぐらいにはなるかもしれない。
そう、僕が手に入れた拳銃には、弾が一発しかこめられてなかった。その一発を威嚇射撃に使ってしまったのだから、あの場面でアリスを止めることなんてできかったのだ。だから、選ぶ答えは最初から一つだった、ということなのである。
それに、僕にアリスを撃ち抜く度胸なんて、ない。
だから、一発持ってても仕方ないのだ。あそこで、使って良かったと、僕は思う。今後どんな場面に出くわしたとしても、僕には人は撃てない。それは、確信のように思えるのだ。そうでありたいと、僕は願うよ。うん。
「そういえば、さっきのお話なんですけど……」
話が一段落したところで、雪姫さんが口を開いた。相変わらずおっとりとした口調で、聞いていると落ち着く。でも、この人、さっきの現場を見てたような人なんだよな……。と思うと何も信じれなくなるので、それは忘れることにしよう。雪姫さんは、おっとりとした、良い人。それでいいじゃないか。うん、そうだ、それがいい。
「何だか、お腹が、空きましたね?」
ほら、今だって、こんなに呑気なことを言っている。この雰囲気の中で、逆にすごいと思う。しばらく誰も返事をしなかったが、その後、ため息交じりに諏訪さんが返事をした。疲労感がにじみ出る声は、やはり見た目に忠実な、男の声である。
「そうね……、何だか小腹が空いたわね……」
「私もお腹空いた―」
「何か食べるものは、ないのかしらね?」
それに、アリスと香苗さんが同意する。真綾さんもかくかくと激しく首を上下させているから、お腹が空いているのだろう。司は気絶して床に仰向けに倒れているので、返事のしようがない。ぴくりとも動く様子を、見せなかった。切断された腕に乱雑に巻かれた布は、自身の学生服を引き裂いて、真綾さんが巻いたものだ。その布には、もう、血は滲んでいない。
止血してあげるよ!
と零が行ったときには、司は殺されるのではないか? と少し不安になった。だって、零だもん。その笑顔が、最早狂気だよ。まぁ、ただ一瞬で腕の断面から血が出なくなったときは、その心配も杞憂に終わった。それまで夥しい量の出血をしていたので、さすがに気を失っているものの、失血死の心配はもうないだろう。しかし、腕の断面はそのままなので、ルックス的な理由で布を巻いているのだ。止血はして、何故その断面をどうにかできないのか、甚だ疑問に思うところである。
「私、飴玉なら、持ってるんですけど、どうでしょう? 食べますか?」
ハンドバックから、いくつかの飴玉を取り出しながら、雪姫さんは微笑んだ。その手には、色とりどりの宝石のような飴玉が、安っぽい透明なビニールに包まれている。武器庫にあったものが、それなんだね……。雪姫さんの武器の正体が分かったけど、まさか飴とは。鞭の方ならわかるけど、飴とは。武器に含んでよい物なのだろうか。
「僕イチゴ味がいー」
「はい、どうぞ」
一番に飛びついたのは、まさかの零だった。いや違うだろ。何を間違っても零じゃないだろ。確かに飴玉が食料に含まれるかどうかはいささか不安ではあるが、それでも唯一口に運べるものを、人間でない零に渡すというのは。どういう了見だろうか。
雪姫さんから、ピンク色の飴玉が零に手渡される。包み紙をぴりぴりと開けて、零はそれを口に運ぶ。白い頬に、球状のふくらみができる。何だか、指先でつついてみたい謎の衝動に襲われたが、それはきっと頭が少し混乱しているだけなので、やめておこう。愛莉の体に順応しすぎているのかもしれない。思考と口調が、女っぽくなってきつつある。気をつけないと。オネェキャラは、諏訪さんで間に合っている。
「私、オレンジがいー」
「どうぞ、アリスちゃん」
そんな変な想像をしている間に、頭おかしい組に飴が配られていく。飴をもらって喜ぶアリスの姿は、無邪気でとても微笑ましいのだが、その腰に携えてある剣がその発想を爆散させる。無残に灰になったそのほのぼのとした想像は、狭いエレベーターの中に霧散して、みんなの肺に吸い込まれていく。誰か、この気持ちに共感してもらえないものだろうか。
その後、真綾さん、香苗さん、諏訪さんの順に飴玉が配られていく。緑、赤、黄色、と色とりどりの飴玉たちが手渡されて、口の中に消えていく。卯月さんは、興味なさげにその様子を眺めていて、司は床と睨めっこしたままだ。かく言う僕も、何だかやるせなさに襲われて、それどころじゃない。アリスが床に放り投げた空の銃口がこちらにむいて、さらにその感情を助長させる。
僕は、本当に、愛莉を生き返すことができるのだろうか。
剣を持っただけの少女一人、止められなかったこの僕が。例えアリスが狂暴な感情を持っていたとはいえ、この塔にはこの先どんな危険があるとも限らない。それなのに、唯一持っていた銃弾も使い果たして、アリスに従うしかなかったこの僕が、無事にアリスにこの体を返すことができるのだろうか。その自分に対する問いは、答えがずっと返ってこないまま、心の中をいったりきたりして、かき乱していく。何も入っていないはずの胃が痙攣して、吐き気にすら襲われる。
「……愛莉、ちゃん?」
そんな僕の様子を見て心配したのか、雪姫さんが歩み寄ってきてハンドバックの中をあさっている。今は、飴をなめる様な気分じゃない。そう言って、その善意を遮ろうとした、時。
一足早く雪姫さんがハンドバックから取り出したのは、飴玉、色とりどりに輝く、宝石のような飴玉、
では、なく。
黒々とした、宝石とは全くかけ離れたもの。
殺意と、狂気の塊。
銃弾だった。
「……え?」
「これ、飴じゃないんですけど……、いりますか?」
何度目を擦っても、その手に置かれているのは数個の銃弾だった。視認する限りでは、どうやら、六個ほどその銃弾はあるらしい。さっき僕が使用した銃弾の一人合わせると、武器庫に共に入った零を除く人数と一致した。それは、偶然なのだろうか。はたまた、って
いや、
ちょっと待てよ。
「雪姫さん、なんで、この、タイミングなんですかぁぁぁぁ……」
「あ、え、何で、泣いちゃうんですか?」
何冷静に数数えてんだ僕は……。ってか、飴じゃないですけどじゃないだろ。それ、飴の後に出すもんでも、エレベーターに乗ってから出すものでもないだろ。タイミングが、明らかにおかしいだろ……。心の中で、瞬時に思いついた突っ込みは、声にならないまま、涙となってエレベーターの床に落ちた。
「この銃弾があれば、私を止めれたのに、ネー?」
アリスは核心をあっさりと一突きしてから、雪姫さんの手から一つの銃弾をつまみあげ、嬉しそうにそれを軽く噛んだ。スポーツ選手とかがメダルをもらった時にやる、あれみたいだな、と心の中に虚しい表現が思いつく。いつまでも飄々としている自分の心が、何となく嫌になってきた。
「……どうやら、愛莉の銃にマッチした銃弾のようだな」
勝手に他の五発を取り上げた卯月さんが、床に落ちた銃のマガジンにそれを込めながら、呟いた。空だった銃に、再び殺意を持った黒い塊が込められる。おもちゃでしかなかった銃は、あっさりとその姿を凶器へと変貌させた。
「ほら、お前のもかしてみろ、門番」
「はーい」
素直に従ったアリスから最後の一発を受け取り、卯月さんはそれをまたマガジンに込めた。そして、それを銃に収める。本来の形に戻った銃は、卯月さんの手から、再び僕へと手渡された。その一連の動作を、眺めていただけの僕は、急にやってきた黒々とした重みに、目を白黒させる。別にうまいこと言ってやろうとか、思っているわけじゃない。
「……こ、れ」
それをポケットに片付けようとして、一つ僕の中に疑問が生まれる。疑問ばっかりで、処理能力がそろそろ追いつかなくなってきているので、素直にみんなに聞いてみることにした。
「僕が持ってて、良いんですかね?」
アリスすら撃てなかった、僕がこれを持っていることに、何に意味があるのか。その言葉には、その意味も込められていた。汲み取られるか、どうかは、まぁ、別として。
「……まぁ、私たちより、あんたが持ってた方がいいんじゃないかしら。ちびだし」
一番に問いに応えた真綾さんは、そういって自分の武器を一瞥する。「……ほんとは、交換してほしいところではあるけど」と、小さく呟いたのが狭いエレベーターの中だから聞こえるのなんのって。まぁ、確かにその手に握られている高そうな釣竿は、真綾さんには決して似合わない。交換してほしい気持ちは、十二分に伝わってくるというものだ。
「お前に撃つ覚悟が、なくとも。いざとなれば、俺が撃ってやろう。だから、お前が持っておくがいい」
見事言葉の真意をくみ取った卯月さんが、欲しかった答えを導きだし、僕に応えてくれる。
「……ありがとう、ございます」
だから、僕はその言葉に感謝して、それをスカートのポケットにしまった。確かな重みが、体にのしかかってくる。それは決して物理的な重さからだけではないだろう。
これは、愛莉を生き返すために必要なものだ。ただのおもちゃになるところだったのだが、飴玉と銃弾を持っていた雪姫さんのおかげで、再びこれは戦力になることができた。
なら、持っておくほか、ないだろう。
そう、自分に言い聞かせて、僕はその重さに立ち向かう。今は、他人を傷つけてしまうかもしれないという心配より、愛莉を生き返そうという覚悟の方が、僕の中では完全に勝っていた。心の中で一つ区切りをつけて、僕は気合を入れなおす。
「……あぁ、そろそろ着くころだよ。愛莉の武器も、完成したようだしね」
それを待っていたかのように零は口を開いた。もうその頬に先ほどのふくらみはない。どうやら、飴は溶けきったようだ。
「二階からは、魂がばらばらに散らばって存在している。だから、ここからが本番ということになるね」
芝居がかった口調は、相変わらずだ。くるりとその場で一回転してから、零は続ける。
「次に向かう二階は、密林。現世だったら、決して人を寄せ付けないだろう、鬱蒼とした木々と、獰猛な獣たちが潜む、未開の土地」
エレベーターが動きを止めた。そして、零の背後の扉がゆっくりと開いていく。差し込む光は、武器庫の様な人工的な光ではなく、自然な太陽光であるような気がする。
そんなはずが、ないというのに。
「そして住まうは、」
最後に、零は楽しそうに腕を突き上げる。
その手には、血にまみれた包丁が握られていた。
「刃を持った、暗殺者」
包丁は、一瞬で消えてなくなる。そこに残ったのは零の、笑顔だけだった。
「ではではみなさん、ここからが本番というところで、どうか、悔いのない旅を」
完全に扉が開ききり、緑の匂いと動物の鳴き声に包まれる。それは、確かな、感覚だった。
一礼した零は、最後に口を開いた。その顔には、珍しく笑顔はない。代わりに、そこにははりついたような真顔が、存在している。そこから言葉は放たれた。
「君たちに残る悔いは、現世のものだけで十分だろう?」