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「狭間の塔」  作者: 春秋 一五
「一階」
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「武器庫と門番 Ⅰ」

「よぉ、司」


 不意に投げかけられた言葉に、目を覚ます。せっかく授業と授業の間の短い時間を有効利用して寝ていたというのに……、俺は乱暴に頭を掻きながら声のした方を向いた。


「……刀祢」


「久しぶりだな」


 俺の目線より遥か高くから、声が降り注いでくる。昼間だというのに、やけに活発なその声に、俺は顔をしかめた。寝起きの耳に、これは辛い。


「何の用だ? 用がないなら自分のクラスに戻れ。俺は眠たいんだ」


「そんなつれねーこと言うなよなー、仲間だろ?」


 刀祢は、今は誰も座っていない俺の前の席に腰かけて、こちらにぐっと顔を寄せてきた。人懐っこい笑顔が、すぐ目の前まで迫ってくる。正直、思いっきり拳を固めてぶん殴りたいところではあるのだが、傷害事件となると、面倒なのでやめておこう。


「……何の用だ」


「……部活の、ことだよ」


 やっぱりか。


 俺は心の中でため息をつく。遅かれ早かれ、誰かに言われるとは思っていたが、まさかこいつが言いに来るとは思ってもみなかった。一番来てほしくない奴だったのに。これならまだ、鬼教師で有名な顧問が直々に説教をしに来る方が数倍気分がいい。怒鳴られるだけで、すむのだから。


「お前、辞めちまうのかよ?」


「……辞めたんだよ、もう」


 本当のことを言えば今から辞めに行くんだが、それを言うと、机の中に入れている退部届をやぶられかねないので、そう言った。俺の机の横に、昨日までかかっていた部活道具は、今はもうない。決別のために、昨日燃やしてしまった。炎に包まれたエナメルバックの匂いは、臭かった。


「何で辞めちまうんだよ?」


「いいだろう、そんなの、どうでも」


 別に理由を言っても構わないが、こいつにだけは言いたくない。俺は適当に誤魔化しながら、俺は目を窓の外に向けた。外では、ちらほらと雪が舞っている。暖かいこの地域には、珍しいことだ。


「いいや、よくない。お前が何か悩みを持っているなら、聞いてやるのが仲間ってもんだろ」


「……俺は、仲間なんかじゃねぇ」


 それは、ずっと前から、入部した当初からずっと思っていたことだ。こいつがずっと「仲間」だ「友達」だと言っているのを、ずっと心の中で否定していた。俺は刀祢のことを、一度も仲間だなんて思ったことはない。


「一緒に、ここまで頑張ってきただろう? お前、あんなにサッカーが好きだったじゃねぇか……」


 刀祢の瞳が悲しげに揺らぐ。こいつがこんな顔をするのは少し意外だったが、それ以外には何も思わない。そのありきたりなセリフに、俺は今度は実際にため息をついた。そのため息に、刀祢も少し顔をしかめた。


「好きじゃ、なかったのかよ」


「そうかも、しれないな」


 急に声のトーンを低くした刀祢の質問に、俺は曖昧に返事をする。サッカーが嫌い? 何を馬鹿なことを。俺は自分の発言に、心の中で嘲笑した。そんなはずが、ないだろう。何なら、今から何時間でもサッカーをし続けてもいい。例え雪の中だとしても、俺はサッカーを楽しむことができる。


「でも……」


 刀祢が何か言いかけたところで、ちょうど休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。それを聞いて安堵している俺とは対照的に、刀祢は舌打ちをしながら席を立ち、そのまま廊下へと大股で向かっていく。その背中からは、滅多に見ない刀祢の怒りがにじみ出ていた。


「司、放課後また話に来るからな! 逃げるんじゃねぇぞ!」


 そう叫んで、刀祢は廊下に飛び出していく。その最中、うちのクラスの女子の肩にぶつかったが、それを全く悪びれる様子はない。刀祢のことを知っているであろうその女子は、普段の刀祢とはかけはなれたその態度に、目を丸くしていた。


 話とは、どうせ俺がサッカー部に急に行かなくなり、突然辞めてしまうことの理由を聞きたいんだろ?


 離れていく背中に、そう心の中で悪態をついた。


 授業開始の時間だが、教師が教室に来ないのをいいことに、クラスメートたちはわいわいと盛り上がっている。いつもなら俺もそうしているところなのだが、気分が乗らずに、肘をついて誰もいなくなった廊下を見つめていた。理由なんて、なんならすぐに叫んでやってもよかったのだが、それをしなかっただけ、気を遣っているのだと思ってほしい。何で気を遣っているかだって? そんなの叫ぶ内容を聞いたらわかる。俺は、刀祢に、こう叫びたかったんだよ。


 お前のせいだ、と。


 その言葉を飲み込んで、俺はまた外を見つめた。


 舞い散る雪は、見ているだけで、寒い。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


「君たちのように、穴に落ちて死んでしまった人とは別に、普通に死んでしまった人は、最初から適当な階に飛ばされるんだよ」


 誰も聞いていないのに、零が何故か得意げにそんなことを言い出した。みんな話を聞いているのか、それとも単に興味がないのか黙っている。僕も同じく、口を開かなかった。


「そこからエレベーターを見つけて、のぼるような人もいるけど、大抵はそこを『天国』か『地獄』と判断して暮らすからねぇ」


 そういえばさっきもそんなこと言ってたなぁ。僕はぼんやりとさっきの話を思い返した。その話は嬉しいこともあったが、聞いて不明な点も多々あって、結局よくわからなかっていない。とりあえず、僕は愛莉に出会えたら、それでいいんだ。そうしたら、愛莉を生き返すことができるんだから。


「あぁ、言い忘れてたけどねぇ。半分の体には、寿命はないんだ。老人が半分の体になってしまって、すぐに寿命何て、面白くないからね」


 面白い面白くないの問題なのかな。僕は断じて違うと思うんだが。で、何でさっきからこの子はずっと話し続けているわけよ。誰も興味ないんだってば、そんなことはさ。何かもう、気分が盛り上がるような話しようよ。


「でもね、半分の体は殺すことが可能なんだ。その死んだ死んでいないの基準は普通に生きている時と同じなんだよ。だから、君たちが死ぬのは、何かに殺された時だけなんだよ。わかるかい?」


 何で僕がそんなことを思っているかわかるかな。分からないよね。だって、見た感じ零がずっと話し続けているだけの話だもんね、今のところ。そりゃぁ、わかるはずがないよ。


「……ところで君たちは、何でさっきからずっと黙っているんだい?」


「…………長いからよ、馬鹿」


 ギャル……、いや、真綾さんが渋い顔をしながら答えた。そう、その通りなのである。


 この塔、次の一階までの間隔がかなり長い。もう一時間ほど経っていると思うのだが、全然一階に着く気配がない。一階のぼるだけならすぐに着くだろうと思っていたのだが。


 そう真綾さんに言われて零は少し思案顔になり、やがて何か思いついたのか、手を打ち鳴らした。随分とわかりやすいひらめき方だ。


「自己紹介でも、したらどうだい? 少しは気が紛れるはずだよ?」


「……それも、そうかもしれんな。名前ぐらい知らないと、不便なこともあるだろう」


 賛同したのは、オタク改め卯月さんだ。久しぶりに声を出すためか、少し声がしゃがれている。一度咳払いをして声の調子を整え、卯月さんはもう一度口を開いた。


「俺は、卯月 光弥だ。何と呼んでくれても構わない」


 と、思ったら自己紹介が簡潔すぎて、少し驚いてしまう。人見知りが激しいのかな? いや、そんなわけないか。人見知りだったら、あんなにすごいこと言うはずないよね。


「私は真中 真綾よ。できれば下の名前で呼んでくれると嬉しいわ」


 それに習って、真綾さんも自己紹介した。習っちゃいけなかったと思うんだけど。誰も自己紹介の後、何も言おうとしないし。


「…………牧田 司」


 小さい声が、エレベーターの隅から聞こえてきた。かなり小さな声だったが、狭いエレベーターの中なので、恐らく全員に伝わっただろう。エレベーターの中にいた全員が、声のした方を向いた。


「……なんだよ、あんまり見んじゃねぇよ」


 そこには、腕を組んだ背の高い男子高校生が立っていた。身長は190センチあるかないかぐらいで、髪の毛を少し伸ばしているようだ。男の僕が言っても説得力がないかもしれないが、顔も整っていて、すごいかっこいい。しかしその外見とは正反対の、とげのある言葉が高校生の口から飛び出してきたので、全員少し戸惑っていた。もちろん、僕も含めて。


「本当は、陰湿な顔なんでしょうね……」


「あぁ? なんだと?」


 吐き捨てるように呟いた真綾さんに、男子高校生が大股で歩み寄ってきた。いくら大きいエレベーターとはいっても、所詮はエレベーター、たかが知れている。大柄な高校生は、すぐに真綾さんの目の前にたどり着き、その胸ぐらを掴んだ。真綾さんも女子にしては身長が高い方だが、それでも30センチほど負けている。鍛え上げられたたくましい腕に、真綾さんの体は簡単に持ち上げられてしまった。


「もう一度言ってみろ、ブスが」


「くっ……あ、っが」


 高校生(司とか言ってたっけな)は真綾さんの首をさらに締め上げる。それに何かを言い返そうとした真綾さんであったが、息ができないのか、顔が苦しそうに歪んだ。足が地面から浮かび、全体重が胸ぐらをつかんでいる司の手にかかる。だが、相当に鍛えられた腕は、震えることもなく軽々と真綾さんの体を持ち上げた。


「それぐらいで、止めておけ」


 それを見かねた卯月さんが、司の前に手を出して、制止する。しかし司は、オタクごときには負けないとでも思っているのか、首を絞めることをやめない。苦しそうな声を上げていた真綾さんも、ついに息ができなくなったのか、白目をむいてただ口をぱくぱくさせるだけとなってしまった。これは、いよいよまずい。


「天狗になっているのか知らんが、この人数が一斉にお前に飛び掛かったら、どうなると思う?」


「……」


「こっちだって一緒に行動するからには、危険なやつを放っておくわけにはいかない」


 司は周りを見渡し、全員の視線が自分に向けられていることに気付く。そして、居心地が悪そうに顔を歪めた後、真綾さんを解放し、床に乱暴に突き放した。意識を失っているのか、真綾さんは受け身も取らぬまま床に倒れる。その姿は、糸の切れたマリオネットを彷彿とさせた。


 その後司は元いた場所に戻って、また腕を組み、目を閉じた。どうやら卯月さんの言葉とみんなの視線に、気圧されたらしい。真綾さんの言うとおり、中身は大した人じゃないのかもしれない。


「大丈夫ですか?」


 後ろに控えていた女子高生が真綾さんに歩み寄って、肩を揺すりながら声をかける。やはり、返事は返ってこない。生きているかも、定かではなかった。僕も傍に歩み寄って、頬を真綾さんの顔に当てる。確か呼吸の確認は、こうやってやるはずだ。


「……息は、ありますね」


「そうみたいですねぇ」


 女子高生は真綾さんの脈を確認して、まったりと答えた。あまり動揺しているような様子はない。どうやら先ほどの司のことを、怖いとは思っていないようだ。普通、怖いと思うはずなんだけど……。実際、僕の肩は今、小刻みに揺れている。すごく、怖かったんだもの。


「あの……」


「あ、自己紹介がまだでしたね」


 怖くないんですか? という僕の質問は、おっとりとした声にかき消される。え、今? それ思うの今? 確かに自己紹介をする流れになってたけど、それ今なの?


「私の名前は、安東 雪姫ゆきひめ。気軽に雪姫、とでもお呼びください」


 雪姫? ってなんだか変な名前だな。とか思いながら、差し出された手を握る。名前のイメージからか、柔らかいその手が、恐ろしく冷たく感じられた。そう思ったことを悟られたのか、雪姫さんは「あっ」と声を上げ、もう片方の手で口を押さえる。失礼、だっただろうか。


「私、冷え性なんですよぉ。ごめんなさいね、冷たかったでしょ?」


「いえ、そんなこと、ないです」


 謝られて、逆にこっちが戸惑ってしまう。そんな僕の様子を見て、雪姫さんはくすりと笑う。何ともつかみ所のない人だ。


 真綾さんを雪姫さんに預けて、立ち上がる、すると、背広を着たオネェと、化粧が濃いめのお姉さんと目が合った。今まで話したことのない二人だ。そして、あんまり話したくもない二人だ。おっと失礼。


「……何よ、その嫌そうな顔は」


「ほんと、失礼よねぇ」


 もう文だけ見たらどっちがどっちだかわかったもんじゃない。ちなみに最初がオネェだ。こっちのが、見た目と中身のギャップがやばい。どうしよう、目を当てるのもあれだ。


「こっち、見なさいよ」


「はひ、ふひまへん……」


 失礼なことばかり考えていたら、頬を両手で圧迫されて、顔を間近まで寄せられる。汗ばんだ、顔に脂肪が纏わりついている顔が眼前まで迫って、非常に不快だ。


「私の名前は諏訪 美奈子。決してオネェじゃないんですからね? わかった!?」


「はひ」


 涎が顔に飛び掛かってくる。非常にふかi……、いや、もういいだろう。僕の気持ちは十二分に伝わったはずだ。この人だって、魂と体は違うんだよ。きっと、名前の通り魂は女性なんだ。この、ちょっと頭の薄くなりつつある小太りの背広のおっちゃんじゃないんだよ。うん。そう言い聞かせるしか、このどうしようもない嫌悪感は振り払えないんだよ。


「……私は、目代。目代 香苗よ」


「あ、はひ」


 ついでにお姉さんにも自己紹介をされた。丈がありえないほど短いミニスカートを履いていて、それにハイヒールというかなり挑発的な恰好で、これもう健全な男子高校生がみたら発情期のゴリラのごとき反応を見せるだろう。残念(?)だが僕は、そこまで健全ではない。


「もうやめてあげたら、美奈子さん。その子のほっぺた、真っ赤よ?」


「……そうね」


 お姉さんの助け舟により、やっと諏訪さんの拘束から解放される。頬がじわじわと、熱を発したように痛む。その頬をそっと、雪姫さんの冷たい手が包んだ。冷却シートのようにそれは、とても心地よい。


「ほんと、可愛いわねぇ、愛莉ちゃんは」


「ですよねー」


 急にそんなことを言って、香苗さんが僕の頭をぐしゃぐしゃと少し乱暴に撫でる。「うえ、ちょ、えっ?」何だかそれを、どういう感じで受け取ればいいのかわからない。しかも雪姫さんに賛同されて、余計どうすればいいのかわからなくなってしまう。僕が褒められているわけでもないし、けど、今は僕だし。うむぅ……、複雑だ。


「……君たち、仲良く遊ぶのも、喧嘩するのもいいけどねぇ」


 ずっと黙っていた零が、眠たそうに声をあげた。目を擦ったところを見ると、本当に寝ていたらしい。こんなにうるさいのに、よく眠れたもんだ。


「そろそろ、一階に着くよ?」


「ずいぶんとまぁ、長くかかったな」


 少し呆れたような声で、卯月さんが呟く。その声を聞いてからかだどうかはしらないが、零が満面の笑みを浮かべ、こちらに体を向けた。金色の粒子が、宙に舞う。


「一階は、準備を整えるため場所。ここに魂何て、まずは来ない」


 その口調はやはり演技じみていて、何となく聞いていてイラッとくる。しかしそれは一階の説明をしているようであったので、いきり立つ拳を、涙を呑んで抑えた。


「でも、ここを通るか通らないかで、その体の安全性は大分違うよね」


 零は再び笑みを強める。限界まで歯をむき出しにしたその笑顔は、最早猟奇的でさえあった。最初に見たときと同じ恐怖が、僕を襲う。まだ、慣れるには時間が早い。


「さぁ、一階の『武器庫』に到着だよ。どうか、お忘れ物のないように」


 エレベーターの動きが止まり、扉が開きだす。扉の向こうの方がエレベーターの中より明るいようで、眩しい光が扉の隙間から入ってきて、目を開けるのもつらい状況となっている。そして、扉を背にしていた零に後光が差しているような構図となった。まるで、童話に出てくる天使のような立ち姿だ。


「体とか、ね?」


 でも、……こんな不吉なことをいう天使ならいらない。


 僕は心底そう思いながら、眩しい光の中で、拳を握りしめた。


 これから何が起こっても生き抜いてみせるという、決意を固めるために。


   ○ ● ○ ● ○


「……誰か、来たー?」


 遠くから聞こえた、わずかな話し声に、少女は目を開いて体を起こした。途端に眩しい光に目を細める。


「久しぶりに、戦えるカナー?」


 目を右手で覆いながら、そう小さく呟いた。その声は、よく透き通っている。


 少女は、床に手を着いて立ち上がった。その時に、床に落ちている二つの長細い物体を、ショートパンツのベルトに強引に押し込み、軽くその場でジャンプした。重そうな二つの物体が揺れているにも関わらず、少女の身のこなしはとても軽やかで、まるで、猫のようだ。


「少しは、強いと、いいけどナー」


 少女は、笑う。


 やけに赤い床が、周りの明るさに、よく映えていた。



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