「七人と一人 Ⅱ」
「……この、塔だと?」
オタクが相変わらずダンディな話し方で少年に聞いた。確かにどこにも塔のようなものはない。そんなオタクを、少年は怪訝そうな顔で見ている。不思議に思っているのはこちらの方なの、だが。一体何がおかしいというのか。
「そうだよ、ここはもう、塔の0階さ」
「俺は穴に落ちてここまで来たはずだ。それが、何故塔の一階なんぞにつながるものか」
僕は、塔にいることよりも、オタクの話し方が不思議で不思議で仕方がない。この気持ち、誰かわかってくれないかな。他にいる人に聞いてみたい。どうしても聞きたいが、そんな雰囲気じゃないので、ここはぐっと我慢する。
「そりゃ、そうだろうねぇ」
少年はくるりとその場で回る。綺麗な金髪から溢れ出た金色の粒子が、辺りに霧散して、やがて消えていく。幻想的なその風景は、映画のようだ。
「ここは、あの穴の最下層、なわけじゃないんだからねぇ」
少年は再びこちらに笑みを浮かべる。やはり、不気味なそれから目を逸らし、僕はオタクの方を向いた。今のところ、頼れそうなのはオタクしかいないんだもん。他の人たちは他の人たちで混乱しているみたいだし。
「そんなこと、見ればわかる」
オタクは薄汚れたジーンズのポケットに手を突っ込んで、にやりと笑った。その笑みも、少年のものほどではないが、凶悪な色を表している。
「俺が聞きたいのは、そんなことじゃない」
「……君は冷静だねぇ。いいだろう、ちゃんと一から全部話してやろうじゃないか」
少年は静かに話を始める。
その、あまりの現実離れした内容に。僕を含めてみんなが動揺して、叫びをあげたり、涙を流したり色々していた。少年はそれを気にせずに話し続ける。
ただオタクだけが、何故か嬉しそうに話を聞いていた。
その話を、待ってましたと、言わんばかりに。
○ ● ○ ● ○
まずねぇ、君たちを穴に落とした意味なんかないんだよ。
君たちが死んでくれさえくれば、それでよかったんだ。
あぁ、言ってしまったねぇ。
君たちはもう、とっくに死んでいるんだよ。
……何だい、うるさいねぇ。少し黙ってくれないか。
あんな高さの穴から落ちたんだ、そりゃぁ死ぬに決まってる。
わかんなかったのかい?
あんな高さ、人間が耐えられるはずないじゃないか。
真中 真綾、うるさいよ、本当に。
なんなら地獄に落としてあげようか?
……まぁ、いいだろう。
説明するよ。
人間はねぇ、産まれたときに、『一』の体を授かるんだ。
君たちの言葉でいう、『天国』からねぇ。
そして、死んでしまったら『一』の体から半分を失うんだ。
残りの半分は、どうなるかって?
それこそが答えだよ。
人間は死んだら、この塔に堕ちてくるんだ。
そこで、もう半分の体で過ごすことになる。
だから、ここで死んでしまうと、完全に死んだってことになって、『地獄』に堕とされる。
『天国』と『地獄』の狭間にあるこの塔のことを『狭間の塔』そう名付けたやつが昔いてねぇ。
あいつは、面白かったよ。
いや、話が逸れたね。すまない。
でもね、半分になった体をもう一度『一』にすることによって、人間は生き返ることができるんだ。
つまり、生き返すには半分の体になっている本人に、もう半分の体を渡せばいい、ってとこかな。
だけど、普通に死んでしまった人間は、このことは教えられない。
ここを『天国』または『地獄』だと思って過ごすんだ。
自分が生き返ることができるっていうのも、気付かずにねぇ。
でも、僕が招待した君たちは違う。
君たちの体は、全部僕の手の中にあるんだよ。
『一』丸ごと全部ね。
だけど、君たちにはその代わりに、生き返したい人の半分の体を与えた。
……もう、意味は分かるよね。
君たちが、その体本来の持ち主に会って、体を渡しさえすればいいのさ。
君たちはそこで体が『0』になってしまうけど、安心して。
君たちの体の半分を、渡すからさ。
そこで誰かが生き返してくれるのを待つのもいいし、さっさと『地獄』に堕ちてくれても構わない。
……まぁ、無事に会えたらの話だけどね。
こっちもねぇ、そう易々と生き返させるわけにはいかないんだよ。
この塔は、現実ではありえないほどの面積と高さがある。
中身も、もちろん現実離れしたものさ。
君たちが死んでくれるように、ね。
詳しい説明は、のぼりながらにでもしようか。
僕は君たちの案内役を任されているんだ。
これからもよろしく、
ネ?
○ ● ○ ● ○
少年は子供がやるそれのように首を傾げる。可愛げなんてものは、一切ない。しかし、これ以上話さないところを見ると、話は終わったようだ。内容は、全然頭に入ってこなかったけど。
みんなきっとわからなかったことを聞きたいはずだ。でも、誰もがこの雰囲気の中話し出したくなさそうで、誰かが口を開くのを待っている。
「……塔には、どうやってのぼるのよ?」
そんな中でまず一番最初に口を開いたのは、ギャルだった。さっきの話の途中で名前を呼ばれていたような気もするが、全然覚えていない。何か、「ま」ばっかりで呼びづらい名前だったような気がする。
「君たちの後ろに、エレベーターがあるだろう。それでのぼればいい」
少年が指さす方を向くと、なるほど確かに大きめのエレベーターが存在していた。大きさ以外には特におかしな場所はなく、普通のエレベーターのようである。
「聖奈が……、いえ、この体の持ち主がいる場所は、どうやって特定するのでしょうか?」
今度は、もう一人の女子高生が口を開く。この人は、先ほどのギャルと違って、日本人らしい黒い綺麗な長髪で、話し方もおとなしそうだ。
「それはねぇ、その人がいる階をエレベーターで通り過ぎるまで、わかんないんだよ」
少年は小走りで女子高生の方に歩み寄り、その手に持っているスマートフォンを指さして、もう片方の手を女子高生に伸ばす。どうやら、渡せということらしい。女子高生は少しためらいながらも、少年にスマートフォンを差し出した。
「その人がいる階を通り過ぎれば、これがすさまじい音で君たちに知らせてくれる。もう、通り過ぎたんだよ、ってね」
それだけを言うと、携帯を女子高生に返して、元の位置、部屋の中心部に戻っていく。何だか、無駄な時間だった気がする。
「なるほど。その携帯が鳴ったら、引き返せばいいってわけだな」
オタクが問う。さっきまでにやついていたが、今はもう真顔だ。本当に、何で笑ってたんだろう気持ちわ……、いやなんでもない。そんなこと言わないでおこう。
「いや、そういうわけにはいかないよ」
少年はあっけらかんとして、そう答えた。その答えに、オタクはゆっくりと目を丸くする。少し遠くで女子高生の息をのむ声が聞こえた。かく言う僕も、意味が分からずに頭の上にいくつもクエスチョンマークを作っている。
「あのエレベーターは、どこまでものぼることができる。でも、くだることはできないんだ」
「……じゃあ、俺たちは一階一階調べて、探すしかないわけか」
「そうそう、そういうことー」
少年は投げやりに答える。いつのまにか、僕たちが持っているものと同じデザインの、白色のスマートフォンを手に握っている。一体、どこから取り出してきたんだろうか。
「僕のこれを使えば、全員の位置が把握できるんだけどね、渡すわけにはいかないよ」
僕たちに見せびらかせた後、少年はそれを一度投げ上げる。
次の瞬間には、それは消えていた。
「中には、想像を絶するような階もあるさ。でも、ねぇ。もしかしたら、そこに君たちの大切な人がいるかも、知れないしねぇ」
少年はくすくすと笑う。まるで何が起こるか、すでに知っているようだ。それは、そうか。この少年がどうやらここの、管理人? みたいな人のようだし。
「……私たちは、帰れないの?」
背広を着たオネェが口を開いた。しゃがれた声にその話し方は、かなり不気味だ。下手すれば少年より全然怖い。あ……、あの人も中身はあのおじさんじゃないということか。今までの話を聞くと、そういうことになる。じゃあ……、オネェじゃないのか、あの人。それはそれでだとしても何かいやだ。嫌悪感が半端じゃない。
「元の姿じゃ、帰すわけにはいかないね。なんたって、君たちはもう死んでしまっているんだから。半分の体しか渡すことはできない。そうしたら、君たちが生き返そうとしている人たちの体は、僕がもらう。それでもう二度と、その体はだれにも渡さない。生き返すことは、不可能になる」
つまり、行くしかないというわけか。退路は断たれてしまったわけだ。
でも、どちらにせよ、
「……いいよ、そのために、来たんだからさ。僕は」
少年が話し始めてから初めて僕が話したので、ホールの中にいる人が一斉にこちらを向いた。驚いた目が多数あったが、その中で何故か嬉しそうに視線を向けてくるものもいた。
オタクだ。
「……いいじゃないか、少女。俺も同意見だ」
その顔を、不敵な笑みが埋め尽くした。何だろう、友好的なそれに対する嫌悪感が半端ない。体を悪寒が走った。失礼か、さっきから失礼すぎるか。
「俺の名前は……、そうだな。卯月 光弥だ。そう、光弥だ」
何で一度ためらったのかはわからないが、オタクはそう自己紹介して、手を差し伸べてきた。握るのに少しこっちもためらったが、その手を握って、僕も自己紹介をしようとする。
「僕は、ながみ……、あぁ」
ここでオタクがさっきためらった理由が分かった。
確かに僕の名前は長峰 優であるのだが、今、僕の体はそうじゃない。僕はこんな今、何て名乗ればいいんだろうか。この体で、長峰 優とは、名乗れない。かといって、愛莉の名前も名乗るのも……、
「どうした、少女?」
オタクが怪訝そうな顔をする。手を握ったまま固まる僕は、確かに異常だ。でも、さっきあんたもやってたじゃないかぁ……。くそ。
こうなったら、僕の名前でも、愛莉の名前でもないような名前にしてやろう。って言っても、思い浮かばねーや。くそ、僕のネーミングセンスの無さときたら。
「長峰……愛莉、です」
「……そうか、よろしくな、愛莉」
お互いに握手を交わす。結果的に、何か結婚したみたいな名前になってしまった。愛莉に聞かれたら、ひかれるかもしれない。それを聞いて、愛莉が呆れながら僕を説教する。そんな絵が、頭に浮かんだ。
「愛莉、それじゃあ、行くか」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ!」
そのままエレベーターの方に歩き出したオタクを、僕は全力で止める。何でこんなに人数がいて、僕たち二人で行かなきゃいけないわけ!? 絶対に人数たくさんいたほうがいいよね!? みなさんそう思いますよね!?
「なんだ? 忘れ物か?」
「五人ぐらい忘れてますよ!?」
そして言うのを忘れていたが、忘れ物ってなんだよ。忘れるものなんて、何一つ持ってないだろう。あるとしたらスマートフォンぐらいだけど。いや、これ忘れるって。相当ドジだわ。
「……あぁ、でも、行く気がなさそうだったからな」
オタクは周りを見渡して、そう言う。僕もそれにならって辺りを見渡すと、他の五人は周りの人と話していたり、床にうずくまっていたり、誰も行こうという意思がないように見えた。確かにこれは、おいていきたくなるような光景だ。
「あんなやる気のないやつら、一緒に行っても足手まといになるだけだ」
そう言って、また歩き出す。うーん……、確かに、そうなんだよなぁ……。僕はためらいつつも、オタクの後ろを小走りで着いて行く。ブーツを履いているので、走るスピードは極端に遅い。オタクの背中に、全く迷いはない。
「ちょっと待ちなさいよぉ!」
甲高い叫びが後ろから聞こえてきた。オタクは振り向いて、声のした方を見る。僕も、それに続いた。
そこには、こっちを鋭い眼光で睨んでいるギャルが立っていた。固く握られたこぶしは、今にもこちらに歩みだし、殴りつけてきそうだ。その威圧に、今までダンディな話し方だったオタクまでもが目を丸くしている。
「私も、私も行くわよ!」
「……確か、真中 真綾とか言ったな。お前に、その勇気はあるのか?」
そうだ、真中 真綾だ。やっぱり呼び辛いと思う。親は何でまを二個もつけようと思ったんだろうか。それは、わからないけど。
僕も、あのギャルにはそんな勇気はないと思う。この中で一番、行きたがらなさそうだったのに。ギャルってそういうもんだという固定概念があるのは僕だけだろうか。
「あるわよ……、やってやるわよ……! 私は由美と、話をしなくちゃいけないのよぉ!」
「……そうか、なら、着いてくるがいい」
オタクはそれだけ言うと、また歩き出した。あの人は本当に、怖いといっていいほど遠慮がない。大股で僕のわきを通り抜けて、オタクの後ろを着いて行く。僕も遅れまいとその後ろを追って、
「なら、俺も行く」
「じゃあ、私も……」
「……私も、行きます」
「え、残ったの私だけじゃない。なら、私も行くわよ」
って追わせろぃ。さっきから何回僕を引き留めるんだ。もう行ったり来たりして、何かもう変な感じになっちゃってるからね? 何かそろそろ同じような文章を書くのもいやなんでもない。
結果的に、留まっていた四人全員が、僕たちの後を追いかけていた。いつの間にか金髪の少年も、着いて来ている。かなり後ろにいたはずなのに、僕の前を楽しそうにスキップしているんだけど、この子は何なんだろうか。人間では、ないようだけど……。そこのところの説明がないからなぁ。
「……僕が、何か気になっているかい? 長峰 ゆ……、いや、愛莉」
少年は僕の本当の名前を知っているはずではあるのだが、敢えて僕がさっきとっさに名乗った名前を呼んできた。口だけで作られたその笑顔が、何とも憎たらしい。まるで僕のネーミングセンスのなさを嘲笑っているかのようだ。……考えすぎかな?
「僕は、零。ただ、それだけだよ」
名前……かな? あんまり聞いたことのないような名前だけれども、そんなことより、僕が聞きたかったこととは微妙に答えがずれているような気がする。っていうか、全然違うような気がする。
「いや、質問には答えたはずだよ?」
質問も何も、僕は口を開いてさえないんだけど……?
やっぱり、この少年、零がただの少年には見えなくなってきた。最初から普通だとは思っていないけど。他の誰も不思議に思ってないのかな? さっきからみんな無言でオタクの後を追ってて、口を開きさえしない。
「みんな、僕なんか気にする余裕がないんだよ」
零はこちらを見ることなく口を開いた。表情はわからないが、声色からとても嬉々としているのが聞いて取れる。まるで、今から遠足にでも行く子供のようだった。
「なんたって、自分の命と、もう一人の命。二人分を背負ってるんだからねぇ」
そう言って、零はこちらを向いてきた。やはりその表情は、嬉しそうに歪んでいる。笑う、というには、あまりにも残酷な表情だ。その体躯を見る限り、本当に五、六歳の子供にしか見えないのだが、僕の知っている五、六歳はこんな顔しない。こんな顔する子供がいる幼稚園なんて、地獄絵図もいいところだ。
「それは、いいすぎだと思うけどねぇ」
零が苦笑いして、こちらを見た。何だか、初めて人間らしい表情を見た気がする。とか言いながらも、やっぱりその顔は怖い。
「お前ら、行くなら早く来い。もう行くぞ」
一足先にエレベーターに乗り込んだオタクがため息をつきながら、僕たちが到着するのを待っている。僕は愛莉の体になってしまったこともあるし、零と話していたこともあって、一番最後にそのエレベーターに乗り込む。かなり大きなエレベーターの中は、八人入っていても、まだかなり余裕があった。
「……何であんなに偉そうなのよ」
「何か言ったか?」
「いーえ、何でも」
悪態をついたギャルは、壁に寄り掛かってため息をついた。この娘は、何か普通にこの体の本当の持ち主だと思うのは、また僕だけだろう。きっと、本当はもっとおとなしい
「何よ小娘? 私に何か文句あるっての?」
「……いえ」
そうでもないよね。絶対元の体もこんな感じなんだろうね。髪の色を茶髪に染めて、制服を着崩して、明らかにこの世界に反発してますよーな恰好なんだろうね、うん。もう、それは心の中にとどめておくよ。だって小娘なんて呼ばれたの生まれて初めてだよ? まぁ、娘じゃなかったってのもあるけど、そんな、ねぇ、使わないよ普通は。
「……何だか楽しそうだね、長峰 愛莉」
僕の顔を見て、零は首を傾げる。
「そりゃ、楽しいよ」
僕はそれに、さらに笑顔を強めて返事をした。さっきから心が躍っていることは、事実であるのだ。何だろうか。修学旅行とか行く前の日の夜の、あのドキドキした感じね。僕はしなかったけど。分かりやすく説明するならそれね。
「何でだい?」
そんなの、聞かずともわかるんじゃないかな? 今までも、心を読んでいるかのような話し方をしてたし、これまでの人間離れした行動を見ると、それぐらいできても全然不思議じゃないからね。
まぁ、それでも、答えてあげよう。
今はこの気持ちを、誰かに話したくてしょうがないんだ。
「愛莉を助けるために、僕は死ねるんだ」
それは、あの日、あの、事故の日。僕が願っていたけれど、実行しなかったことだ。それを後悔し続けてきたこの一か月間、僕はもちろん笑ってなどいない。何度も自分で死ぬとして、愛莉の最後の言葉を思い出して、思いとどまった。それほどまでに、最悪な一か月間だったんだ。
だけど、今なら心の底から笑うことができる。
それを実行できる日が、奇跡的にめぐってきたんだから。
そう、だから僕はそれを一言に収めて、
口を開いた。
「こんなに嬉しいことは、ないじゃないか」