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「狭間の塔」  作者: 春秋 一五
「三階」
20/26

「病院と信念 Ⅲ」

「……ん」


「おはようございます、愛莉ちゃん」


「あ……おはようございます」


 病院に着いてから一夜が明けた、みたいだ。密林のように太陽が見えるなら一日が過ぎたことはなんとなく理解できるが、窓の一つもないこの場所では正確な時間どころか朝か夜かさえも分からない。よって雪姫さんの挨拶が正しい物かどうかもわからないのだ。


 体を起こすと寝る前よりはそれなりに楽で、汗臭さも感じない。やはり雪姫さんの言う通り、お風呂に入ってよかったと思う。臭いは自分も不快になるし、他人に迷惑もかけてしまうものだ。今更ながら拒んでいたのが申し訳なくなってくる。


「しかし……、あいつら戻って来ないわね」


 僕より先に起きていた真綾さんが、タオルで髪を乱暴に吹きながら言葉を吐き捨てた。その目線の先には一つだけ綺麗に整えられたベットがある。


 それはアリスが寝るはずだったもの。


 そう、アリスと司はまだ帰ってきていない。


「そろそろ心配になってきましたね……。電話をかけましょうか?」


「そうね。あのバカにかけてみるわ」


 真綾さんがベットの中からスマートフォンを取り出して操作を始める。何だか自分の部屋で暮らしているような仕草だ。まだ寝ている香苗さんが、不機嫌そうに小さな唸り声を上げる。


 真綾さんが電話に耳を当てている間は何か話をすることも憚られたので、黙ってその結末を待つ。同じベットに座っている雪姫さんが好きなように僕の髪を弄っているが、気にしないことにした。どうやら整えてくれているらしいし。


「……駄目ね、出る気配がない」


「おい、入るぞ」


 扉がノックされた音とほぼ同時に、部屋の扉が開けられる。それは果たしてノックの意味があったのだろうか。


「牧田の携帯なんだが、廊下に落ちてたからかけても無駄だぞ」


「ありえない……。じゃあアリスに」


「あいつのもここにある」


 卯月さんが無表情でポケットからもう一台同じ型のスマートフォンを取り出す。それがアリスの物かどうかは判断できないが、そんなところで嘘をつく必要もないのでまあそうなんだろう。あの二人にはありえそうなことだし。


 しかし、アリスと司がいないというのはまずいことになった。もちろん心配ということもあるが、あの二人がいないと僕達の戦力の完全低下に繋がってくる。僕と真綾さんが行方不明とは話が違うんだ。真綾さんには失礼だけど。二人がいないと、この中で何かに襲われたときに戦えるのは卯月さんぐらいだ。雪姫さんも無理ではないような気がするが、それでも二人だけである。これは相当まずい。


「……二人を探しに行きますか?」


 小さな声で提案してみたが、返事は返ってこない。僕自身もその提案の愚かさには気付いているが、そうせざるを得なかった。


 無言でいるだけでは、事は進まないのだ。


「探しに行って、見つかる確証はない。むしろ見つからない可能性の方が高いだろう」


 満場一致の意見を卯月さんが口にした。もちろん誰も否定するものなどいない。こういった事象において、最も恐れるべきなのはすれ違いだ。それは結局お互いが別方向に進むことになり、さらなる混乱を呼び込んでしまう。なので、相手方がこちらに戻ってくるという意思があれば、いつかたどり着けるということを仮定して待ち続けた方がいいというのは正論であろう。


「あいつら、密林の時みたいに目印かつけてないわけ?」


「さっき廊下を見渡してみたが、その類は見当たらなかったな。気が緩んでいたのかもしれん。まあそれは……」


 卯月さんが頭に手をやり、息をつく。その顔にはくっきりと後悔の念が見て取れた。


「俺達も、だがな」


 その言葉に、誰も返答はしなかった。痛いところを突かれるとはまさにこのことを言うのだろう。かく言う僕も変な悩みで二人が離脱したことに気付かなかったわけだし、みんなが引き留めることをしなかった結果だからだ。これがあの危険感がにじみ出ているような密林だったらそうはいかなかっただろう。見た目の先入観と言うものは恐ろしい。


「……とりあえず今俺たちはあいつらのためにどうすることもできない。俺たちは俺たちのするべきことをしよう」


「そうね。私たちはここに休むために来たわけじゃないんだから」


 香苗さんがベットから飛び降りて、体を伸ばす。密林の時の様子を見るに無理をしているようにしか見えないが、言及しても仕方ない。野暮と言うものだ。


「ここの場所を見失わないようにしながら、周りを探索してみましょう。もしかしたらどこかに体の持ち主や、司さんたちがいるかもしれませんから」


 僕の髪を整え終えたらしい雪姫さんも、ベットから降りて立ち上がる。僕達がかなり動揺している中で、雪姫さんらしい冷静な立ち振る舞いでいられることは本当にすごいことだと思う。まあ、雪姫さんのいつもはよくわからないけど。


「あー……、マジあいつらは何やってんのよ」


 真綾さんはベットにもう一度仰向けになって寝た後、覚悟を決めたかのように反動をつけて立ち上がった。その動きには香苗さんが飛び降りた時と違い若々しさを感じる。決して香苗さんがおばさんとかそう言うわけじゃなく、真綾さんの体が若いということだ。……同じことか。


 それにしても……、大変なことになった。


 僕もベットから降りて、履きなれない靴を履く。生きている間では決して体験できないことの連続で、何だかもう心がすたれてしまいそうだ。愛莉に会う前に僕の精神がぶっ壊れてしまうかもしれない。


 ……ただ、今は卯月さんの言う通り、するべきことをするしかない。心が云々言ってる場合ではないのだ。司とアリスは心配だが……、あの二人なら僕達よりも強いんだから大丈夫だろう。今は信じるしかない。


「……愛莉ちゃん」


「え、なんでしょう?」


「ブーツ、履けないんですか?」


 ……誤魔化すために、心の中で長話してたわけじゃないんだからな。


   □ ■ □ ■ □


「……あーん? 歩いても歩いても同じような道だな、ったく」


「疲れたノー?」


「もう何時間歩いたと思ってんだよ」


「わかんナイー」


 延々と白塗りの廊下と薄暗い照明が続いているだけなので、そろそろ気が狂ってしまいそうだ。身体上の都合でバットを持ち変えることもできないから、肩が痛くてしょうがない。


 まさか携帯を無くしていると思わず、その時はかなり焦っていたが、今は不思議と落ち着いている。何でだろう、自分でもわからない感情だ。一緒に居るのがチビではなく、アリスだからだろうか。あまりにもチビに失礼か? まあいいだろ、どーせいねーんだし。


 今はとりあえず歩いて部屋に戻りアイツらと合流するのが一番だが、そう簡単に行くような広さじゃないような気がするので、歩くと言っても手当たり次第だ。部屋も全部開けているときりがないので、見たことあるような部屋しか開けないようにしている。もしかしたらもう部屋の中にいねー可能性だってあるし。


 困ったもんだ。


「ねーねー、あそこ開けて見ようヨー?」


「あ? あぁ、そうだな」


 何でアリスはこんな元気なんだろうと疑問に思いながら、指さされた扉を開ける。ノックとかしてないけど、まあいいだろう。減るもんじゃないんだし。


「……おーっと?」


 今まで開けてきた部屋はどれも同じような内装で、いかにも病室という名前が似合う、ベットと机がただ規則的に並べられた部屋であったが、今開けた部屋は全く違う内装だ。


「んー……、何のお部屋だろうネー?」


「あー……、事務室、的な?」


 今見ている部屋にはベットがなく、その代わりに数個のデスクとチェア、それと書類が入っているラックが置かれている。まさに事務室、って感じの部屋だ。まあ、病院なんだし、事務室があってもおかしいことではないから、その通りなんだろうが。


「じゃあ地図があるかもしれないヨー?」


「お、それはいい話だな。失礼するか」


 今まで廊下から覗いて様子を見ていたが、あまり危険ではないと判断したので、扉を開けきり部屋の中に入っていく。アリスも一度後ろを振り返って俺の後に続いた。


 部屋は出入り口の他に扉もなく、もちろん窓もあるわけがないので、かなりこじんまりとしている。人の気配もざっと見渡したところ感じられないので、無人だろうと判断して、金属バットを持つ手の力を緩めた。いつまでも力をいれてたら、肝心な時に役に立たなくなる。それはスポーツでも同じだ。


 ま、スポーツと喧嘩を同じもんとするわけではねーけど。


 ……いやしかし、片手ってのは不便なものだ。金属バットを持っている限り、俺は他に何もすることができない。しかし金属バットを置いてしまったら、いざと言う時に対処するまでにそれなりの時間がかかってしまう。どちらをとるか、と言う話になってくるわけだ。


「……ごめんネー?」


「あ……? 何がだよ」


「腕、切っちゃっテ」


「あ、何だよ、急に謝るから何かと思ったぞ」


「んー、不便だろーナー、って」


 どうやらアリスにも多少の罪悪感と言う観念があるらしい。別にバカにしているわけじゃねーけど、謝ってくるようなキャラじゃないなという意識があったから、少し驚いてしまった。まあ俺も人のこと言えたたちじゃねーけど。


「まあ、あん時はお互い敵だったんだからしゃーねーよ。気にすんなって。だからその分アリスが働いてくれ」


「……うん!」


 ……こいつはやけに素直だ。気にすんなって言った瞬間に笑顔になって駆け出して行ってしまった。言って子供なんだな、と何だかかなり歳を取ってしまったような気持ちになってしまう。


「あー……」


 しかし、何でだろうな。あんなに執着していた刀祢の体を半ば手に入れたというのに、今はその腕を一本失ったところで何とも思っていない自分がいる。一体それはどういう心境の変化が起きたのだろうか。自分でも不思議なところだ。


 人間ってのは手に入れたいと思ったものへの執着は強いが、一度手に入れてしまうとその執着は消えてしまうものだという話は聞いたことがあるが、そういうことなのだろうか。そういうことなら話が早くていいんだが。これはもう少ししないとわかってこない問題だろう。だから今は考えないでおく。頭わりー俺が何考えようと時間の無駄だからな。


「ネーネー、おにーちゃん。地図じゃないけど、何か見つけたヨー?」


「お、待ってろよ」


 金属バットを持って、少し離れたアリスの所に向かった。アリスの周りにはよくわからないことが書かれたカルテのような書類がまき散らかされていたが、それを片付ける気にはなれないので素直にアリスの持っている書類を覗き込む。それは他のカルテとは違う、数文字だけ文字の書かれた手記だった。


「……『完璧な、人間を、見たい』。何だこれ」


「よくわかんないネー」


 ただそう書かれただけの紙は明らかに場違いながらも、カルテと同じ場所に収められていた。探していた地図ではないが、なかなか面白そうなものを見つけてしまったものである。『完璧な人間』ね。


 面白いことを言うがくだらねぇ。


「んー……」


「あ? どうした?」


 アリスが首を横に傾げて、何かを考えているような素振りを見せる。こいつのことだから本当に考えているかどうかはわかんねーけど。


「これ書いた人、左利きカナー?」


「……は? 何でだよ」


「文字がすーって伸びてるカラー」


 ……確かに言われてみれば。鉛筆かなんかで書かれた文字が、右方向に少しだけ滲んで伸びていた。焦って書いた、って感じではないが、強く握りながら書いたってとこかな。


 まあでも、


「だからなんだよ、って話にはなるな」


「そうだネー」


 書いたやつが左利きだろうが右利きだろうが、地図じゃない限り今の俺たちには全く必要がない。地図を見たところで元の場所に戻れるかもわかんねーけどな。


「……この部屋、もう少し探してくか?」


「そうだネー」


 今の所収穫は訳の分からない紙一枚のみであるが、まだ調べてないところはたくさんある。これをバカが二人で探すとなると骨が折れるが、何も知らないまま歩き回るよりはマシだろう。


 俺は金属バットを床に置いて、近くの書類に手を伸ばした。


 訳の分からない髪は、一応ズボンのポケットに入れておいて。


   □ ■ □ ■ □


「みなさん体調はいかがですか?」


 カバンに入っていた果実を少し食べていたところで、九音が部屋を訪れた。ちなみにさっきはあんなに「部屋を出て探索をしよう!」というムードであったが、真綾さんのお腹が空いた発言があったので未だうだうだしている。僕もお腹はかなり減っていたので、助かっているところだ。


「お腹が空くことと目がないことと疲れが酷いことを除いてはすこぶる元気よ」


 真綾さんがすかさず皮肉を口にする。そういえば彼女は前の階で片目を負傷しているが、さほど執着は見せていない。その人自身を生き返すことを目的とはしていないのだろうか。


「そうでございますか。でしたらお食事を準備いたしましょうか?」


「え、何ここ食事出るわけ?」


「はい。粗末なものでよろしければありますわ」


 部屋にいた僕、香苗さん、雪姫さん、真綾さん、卯月さんの五人で目を合わせる。まさか前の階で苦労して食物を集めたというのに、こんなに容易く食事を手に入れることができるとは思いもしなかった。


「……じゃあ、よろしく」


「かしこまりました」


 九音が無表情で扉を閉めて出ていく。若干の怪しさは残るものの、もらえるものはもらっておこうというのが今のみんなの決断である。いない二人には申し訳ないが、運が悪かったということで許していただきたい。


 ブーツの履き方も教えてもらったし、もうこの部屋では特にやることが無いので、各々適当に時間を潰す。雪姫さんがずっと僕の髪を手入れしているので、僕は身動きが取れないが、卯月さんはさっきからずっと腕立て伏せをしている。本当はどんな姿だったかは検討もつかないが、今は相当の自堕落ボディをお持ちであるので、満足のいかない部分があるのかもしれない。いつも動きづらそうだし。


「お待たせいたしました。お食事でございます」


 そうこうしていると、九音が扉をノックして部屋に入ってきた。廊下には、病院でよく使われている食事運搬用のあれが置かれている。僕にはあれの正式名称が分からん。


 運ばれてきた何枚かの皿の上には、半分に切られたパンと少量の野菜、色の薄いスープと四分の一に切られたオレンジが置かれていた。言っては何だかかなり質素である。文句が言えるような立場ではないけど。


「食器はそのままにしておいてくださいませ。それでは失礼いたします」


 相変わらずの慇懃無礼っぷりを見せつけてから、九音は再び部屋を出て行った。先ほど文句を心の中で言ったものの実際目の前に食事を出されると、どんなものでもよだれものである。ここに来て少ししか経っていないというのに、パンとかすごい久しぶりに見る気がしてならない。


 よし、これ以上冷静に描写するのは限界だ。


 パンを手にしてそれを口に「ちょっと待って愛莉ちゃん」え。


「……いただきます?」


「いや、挨拶してないじゃないとか言うわけじゃないのよ。私そんないいとこの生まれじゃないから」


 香苗さんが突如として静止してきたので、礼儀作法の問題かなとか思ってみたけどどうやら違うらしい。他のみんなも、その行動に少し驚いたらしく食べようとした手を止めていた。


「あ、何かごめんなさいね。食べたいだろうけどちょっと話聞いて」


「何よ、くだらないことだとぶっ飛ばすわよ」


 真綾さんの血の気がやばい。お腹が空いているという強い意志を感じる。


「くだらないことではないんだけど……。まあ、とりあえず食べない方がいいわよ」


「どうしてだ?」


 卯月さんが興味ありげに問う。確かに食べないことには少し反対なので、是非とも理由を聞きたいところだ。


「どうしてだって……、そりゃ」


 香苗さんが皿に乗っていたパンを手に取り、一度宙に放り投げた。そしてそれを再度手に取り、顔の近くに寄せた。しかしそれを口にすることなく、もう一度さらに戻す。何だかあまり香苗さんらしくない仕草だ。


「これ、毒が入ってるから」


「……え?」


 突然の発言に、頭の上には大きなはてなとびっくりマークが浮かんでいる。だって毒が入ってるって……、どうやったらわかるというのだろう。密林の時みたいにスマートフォンを使ったようにも見えないし。


「んー……、即効人が死ぬ、っていう毒ではないけど。量によっては体が麻痺したりするような毒ね。体中に回っちゃうとかなりまずいことになるから、食べないことをお勧めするわ」


 僕が悩みを抱えている間に、香苗さんはどんどん毒の説明を進めている。毒が入っていると言われた時点で誰も食べないと思うのだけど、食べないことを強制するわけではないらしい。毒よりも食事をとる人がいるかも、ということだろうか。そんな人いないと思うけど。


「……あんた、何もんよ」


 真綾さんが訝しげな顔で質問する。その手には未練がましくパンが握られていたが、もう食べる気は無いらしく、乱暴に皿に戻された。


「え、私? 大学で少し医療関係をかじっただけよ。その時毒のことも教授に教えてもらったの。凄い少量だとか、科学製品的な毒だとわかんないけど、植物系の毒だと何となく匂いで分かるのよ。本当に何となくだけどね」


 ……香苗さんってすごい人なんだな、と心の底から思いながら、押し寄せてくる空腹感を胃の中に押し戻した。お前は少し黙っていろ。


 ……ああ、司とアリス。


 運が良かったのは、本当は君たちかもしれないね。

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