「七人と一人 Ⅰ」
「何で、黙って死んじゃうのよ……」
私の目の前で、由美の体が揺れている。力なく垂れ下がった四肢は、冷たい。苦しみに歪んだ顔は、生前のものとは比べ物にならないほど、歪だ。
「うっ……」
私の隣にいた美奈が吐き気を催したのか、口を押えてその場にうずくまった。友達の死体を目の前にして吐き気を催すとは、失礼なこと極まりない。所詮、美奈も由美のことをその程度の仲だと思っていたわけだ。
「彼氏にフラれたからって……、なんなのよ」
でも、私は違う。私は由美のことを、本当に大切に思っていた。由美の死体に、気持ち悪さなんて感じない。なんなら、この状態の由美とだって普通に話すことができるだろう。
だからこそ、だからこそ。
私は由美に、激しい怒りを感じていた。
「何で私に何も言わずに逝っちゃうのよ! ねぇ! 返事しなさいよ!」
返事なんか返ってこない。分かっている。私だって、死人と話せるなんて思っていない。だけど私は由美が許せなくて、首つり死体を何度も何度も殴った。固くなった死体はギシギシと音をたてながら揺れるだけで、やはり返事は返ってこない。
「何で一言相談してくれなかったのよ……」
私はその場に膝から崩れ落ちた。立ち上がる元気もない。
由美が死を選んだ理由が知りたかった。もう一度だけ、会話がしたかった。
じゃないと、私は―――、
『真中 真綾』
不意に私を呼ぶ声が聞こえた。美奈の方を向いたが、どうやら美奈ではないようで、首を小刻みに横に振っている。
じゃあ、一体、誰?
『こっちだよ、こっち』
由美? ……のポケット?
声がしたのは、由美のポケットの中。何だろうか。分からないので、声がした由美のポケットを探って、中にあるものを取り出す。
それは黒色のスマートフォンで、裏に髑髏のマークが描かれているものだ。悪趣味、その一言に尽きる。声が出ているのは、これのようだ。由美にこんな趣味があるとは知らなかった。まさか死んでしまってから、気付くことになるとは。
「……誰よ、あんた」
『そんなことは、どうでもいいじゃないか』
私の名前を知っている時点で、怪しいと思うんだけど。
『それよりだね、真中 真綾。君は今、死人と話すことを望んだね?』
「…………何で、知ってるの?」
『こっちに来れば、それを叶えてあげよう。場所は、それに書いてあるはずさ』
私の話を無視して、電話の相手は話を続ける。私はそれに対して言い返そうと思ったが、電話の相手は、言葉をまた発する。
『君に、そんな勇気があるとは思えないけどね』
そこで電話は断ち切られる。結局、何だったんだろうか。
でも、こいつ、今私に勇気がないとか言ってたわよね……?
携帯を耳から離して、画面を見る。そこには私の自宅近くの、川辺の地図が記されていて、その一か所にバツ印が描かれてあった。
「いいわ……、行ってやろうじゃないの」
目の前では由美の死体が虚しく揺れ動いている。それにもう一度触れて、私は口を開いた。
「……待っててよ、由美」
さっきの得体の知れない電話の相手が本当のことを言ったかどうかはわかんないけど、もしも本当のことを言ったとするなら、私はもう一度だけ、あんたと話すことができる。
だから、首を洗って待ってなさいよ。
私は涙を勢いよく拭って、歩き出す。
美奈がそんな私を呆然と見上げていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「………………ん」
どうやら、僕は生きているようで、目が覚めた。何だろう、いやに体が軽い。普通は、重くなるものだと思うのだが、まぁ、いいだろう。
とりあえず、生きているなら話が聞ける。
愛莉を生き返らせることができるという、手掛かりを。
「おい、起きろ。死んでるのか?」
不意に、声が降りかかってきた。僕は重たい目を開いて、その姿を見る。話し方からして、若い男の人……、おっとぉ?
目を覚ますと、
そこにオタクがいた。
何これ、悪夢? そして口調と見た目のギャップ。どうにかしてよ。もう声出したの違う人かと思ったじゃんかよ。ってか違う人なんじゃね? そうだよね? そうだよね?
「生きていたか、立ち上がれ。あとはお前だけだ」
世の中にはダンディなオタクもいるか。それは、仕方ないな。切り替えよう。僕は差し出された手を掴んで立ち上がる。相手の汗ばんだ手に、少し顔が歪んでいるのが自分でもわかった。相手に失礼かとは思ったが、気にしていないようで、違う方を向いている。
そういえば、あとはお前だけって……?
他にも、誰かいるってことかな? ってかここはどこかな? 何か、ホテルのエントランスホールのようにも見えるけど……。
「これで、全員?」
「そうみたい、ですね」
女の人二人の声が聞こえた。片方は大人の女性の声と言った感じで、もう片方は、僕と同じくらいの年の女子の声だ。声のした方を向くと、確かに二人の女性が立っている。
「しかし、ここは、どこなんだろうな……?」
「私の姿、何で……?」
次は、男二人の声が聞こえた。最初は男子高校生の声で、もう片方は、何だろう、オネェ? 声は完全におっさんなんだけど、話し方は女性だ。今度は女性二人がいた方と逆を見ると、確かに学ランを着た男子高校生と、背広を着たおじさんがいた。オネェは、背広のおじさんか。いや、決めつけるのもあれだけどさ。
「ここにいるのは……、七人か」
オタクがそう呟く。相変わらず話し方がダンディだ。いや、それはいいとして。
ここにいるのは、今確認した、おっさん、男子高校生、お姉さん、女子高生、オタク、それに、僕の六人のはずなんだけど……?
「何で私がこんなところにいるのよ!? それに何で私が由美になってるわけ!? マジわけわかんないんですけど!」
……あぁ、いた。ギャルがいた。茶髪の、長髪の、僕の学校のものとは違う制服を着たギャルが。何か、わけのわからないことを一人で叫んでいる。それに近づこうとする者は、誰もいない。
確かに、何もなくただ広いだけのエントランスホールのような場所に、七人の男女が集まっている。みんなあの山の穴から落ちてきたのかな? それとしたら、なんのために?
誰かを、生き返すために?
『やぁやぁ、集まったようだね』
急に、握っているスマートフォンから声が聞こえた。僕のもの以外にも、同じ声が散らばっている七人の元から聞こえてくる。どうやら、ここにいる全員が、同じものを持っているようだ。
「ここにいるんだろ? でてきたらどうだ」
オタクがスマートフォンに語りかけた。その声も、スマートフォンから聞こえてくる。一体どういう仕組みで動いてるんだろう。スマートフォンの裏を見ると、リンゴの絵ではなく、デフォルメされた髑髏の絵が描かれていることに、今更気付いた。悪趣味なことこの上ない。黒い機体には、僕のしかめっ面が映って、映って……、うつ、え?
……今、気付いたこともう一個あるんだけど。言っていいかな? いや、僕は駄目だと思うけど。いや、でも言わないとなー……。
『いやいや、それにはまだ早いね。それより、自分の姿は確認したかい? 面白いことになっていると思わないかい?』
今確認してるところだようるさいな! 叫びそうになるのを必死で堪えて、僕は自分の姿を必死で確認する。スマートフォンの、黒いボディに映った自分の顔を、何度も目を擦りながら確認した。
長い黒髪。大きな、少し吊り目の瞳。細い鼻。……見たことある顔だぞ、どっからどう見ても。よし……、他にも確認してみるか。
細く白い腕。綺麗に整えられた爪がついている指。何故かブーツを履いている足。んで、ひらひらしてるのはこれあれだよね、スカートだよね。そして、申し訳程度に膨らんだ胸。白い長そでのカーディガンを羽織った姿。
やっぱり、違う。
これは、僕の体じゃない。
「あ、いり?」
僕の口から出た声も、もちろん僕のものではない。明らかに男子のものにしては高く、透き通っている。完全に女子の声だ。それに、この声に僕は聞き覚えがあるし、顔も見覚えがあるし、この服も見たことがある。
それは、僕がこの一か月間。ずっと探し続けてきたもの。
そう、これは、この姿は、
死ぬ前の、愛莉だ。
「なん、で?」
僕は自分の、いや、愛莉の顔を確かめるようにペタペタと触った。ちょっと状況が掴めなさ過ぎて、変な笑いが口から洩れる。
一か月間ずっと追い求めて、届かずに、諦めていた愛莉が、
今、ここにいる。
さっきの電話の相手が言っていた愛莉を生き返すとは、こういうことだろうか。でも、これは生き返すというより、なんだろう。いい言葉は思いつかないんだけど、違うような気が……。
『そうだ、その通りだよ。これじゃあまだ生き返したとは言えないねぇ』
再び、スマートフォンから声が聞こえる。今気づいたが、声が出るたびに後ろの髑髏の目が赤く光る仕様のようだ。そんなこと、どうでもいい。今は、相手の話がとにかく聞きたかった。僕の体が愛莉になってしまったことも、今はどうでもいい。
とにかく僕は、愛莉を生き返したいんだ。
「じゃあ……、どうやって生き返すって言うんだ!」
スマートフォンに向かって叫ぶ。返事の代わりに、乾いた笑いが返ってきた。子供の様な声だが、残酷さがにじみ出ていた。色々な感情というか、イメージがその声から伝わってくる。小さい子供と思えばそうだし、年老いた老人だと思えばそうだ。
『「それは、簡単な話だよ」』
声が、だぶって聞こえてきた。ホールの中にいた全員が声のした方を向く。
「やぁやぁ、僕が電話の主だよ」
スマートフォンからの声が止まり、肉声だけが聞こえてくる。声を発した相手は、にこやかに笑った。
その背丈は愛莉の体となっている今でも、その足ぐらいしかなく、顔はまだ性別もわからないほどに幼い。キラキラに輝く金髪は、その足の付け根ほどまで伸びていた。頭にはアニメに出てくる魔法使いのような帽子をかぶっている。紫の下地に星の絵柄が、目立っている。初めて電話がかかってきたときに浮かんできた顔を、全く同じ顔だ。
「こっちの方が、電話より説得力があるかな、ってね?」
電話で聞いた時より話し方が幼いような気もする。僕は何も言わないまま、ただじっと少年を見つめる。僕と同じように、ホールの中にいる誰もが声を発さない。
そんな僕に向かって、少年はにこっと笑いかける。何故か僕はその笑顔に、怖気を感じ、身を縮める。隣にいたオタクが、僕のことを心配そうに見つめていた。
「さぁさぁ、どうやって生き返らせるか、だったよね?」
少年はそんな僕を無視して、両手を広げて話を続ける。まるで舞台役者のような話し方だった。
「君たちが、この塔を登ればいいのさ」
その整った顔を、笑顔が埋め尽くす。
どこまでも芝居じみた少年は、見た目は綺麗で、可愛らしい。
だけどその笑顔は、吐き気がするほどに恐怖を感じるものだった。