「病院と信念 Ⅱ」
「私の後に着いて来てください。部屋までご案内しますわ」
そう言った九音の後について、殺風景な廊下を進んでいく。先ほどの時田さんの話をみんなに伝えた瞬間は、みんな緊張感を張りつめていたが、体感で五分ほどたった今では警戒する必要の薄さを認めて、和やかな雰囲気で歩いている。危険性が薄いどうこうの話ではなく、ただみんな疲れているだけの話かもしれないけど。歩き続けた(途中から歩いてないとか言ってくれるな)足は笑うどころの話ではなく、隙を見せたら襲い掛かる睡魔は、僕達の精神力を蝕んだ。
「なあ、チビ」
「……僕?」
「んあ? 他に誰がいんだよ」
「みんな司よりチビだよ」
「……そうか。今はそうだな」
だから無駄な話をして、完全に安心できる場所までお互いを励まし続けた。そこに内容は求められておらず、本当にどうでもいい会話が先ほどから繰り広げられている。
「女の娘にチビなんて失礼よ」
「あ? 何だよさっきまでずっと黙ってたくせによ」
「私だっていつまでも落ち込んでられないから……。もう、ここは密林でもないんだし」
そうそう、ここに来て香苗さんが少しだけ元気を取り戻している。塔に来たばかりほどではないが、あの時の面影を取り戻しつつある。どっちが本当の香苗さんなんだろう。ふとそんな疑問が頭に浮かんだ。
「そんなことはいいの。ちゃんと名前で呼んだらどうなの?」
「名前……、あー、そーいわれてもな……」
「司、アリスと雪姫さんの名前しか覚えてないでしょ」
「え、マジ? あんた頭悪いんじゃないの?」
「お前に言われたくねーよギャル」
以前密林で話した時に名前を呼んでいたのが、確かその二人だったはず。アリスのことはよく門番って呼ぶけど。しかし真綾さんではないけど、そんなに名前を覚えられないものかな。まあでも、雪姫さんの名前が憶えやすいのは納得だ。
「はぁ? 誰がギャルよ」
「おめーしかいねーだろーよ」
「なによ、バカにしてんの?」
「最初にしたのはそっちだろ」
「病院内で喧嘩はやめてくださいね。患者様がいらっしゃいますので」
真綾さんと司の喧嘩アゲインかと思ったが、すんでの所で九音に止められた。雪姫さんの敬語よりも慇懃無礼な感じがプンプンしている九音の話し方は、零の仲間と言うことが十二分に感じられるほど縁起臭い。
「そう言えば愛莉ちゃん。もう体の方は大丈夫ですか?」
「あ、はい。お陰様で」
「それならいいのですが……。せっかく病院に着いたんですから時田さんに相談してもいいかもしれませんね」
「体調を崩されているのですか?」
「え、あ、はい」
「なら少しお休みになった後、診察をお受けになった方がいいと思いますわ。先生にはわたくしが取り次いでおきますので」
「ありがとうございます……」
こんなに敬語で話しかけられると恐縮してしまうものだ。死神には一切の敬意を払わないことを誓っていた僕であったが、これだけ丁寧に話されると僕までつられてしまう。何か悔しい。
「君は本当に死神を何だと思ってるんだろうねぇ」
「死神だと思ってるよ」
「……君にも少し余裕ができたみたいで安心したよ」
皮肉を言った僕に対して、零が苦笑いを浮かべた。その表情はいつものよりものも人間らしくて、好感が持てる。九音がいることによって少し喜んでいるのだろうか。そう言う所は人間と似ているのかもしれない。
「こちらが皆様のお部屋になっております。右手側が女性の部屋、左手側が男性の部屋になっておりますので。室内にトイレとお風呂はありますからご自由にお使いくださいませ」
無駄話をしている間に部屋の前に着いたようで、九音が張り付いた笑顔のまま機械的に説明してくれた。
そして突然、ここで一つの大きな問題が発生する。
僕は、どっちへ行けば?
体は女性である。それは確かだ。否定してしまうのは愛莉にあまりにも失礼だろう。だからそれを否定する気は毛頭ない。
だが、僕は僕だ。
僕は長峰 優である。名前だけ聞けば「え、女じゃね?」という意見がでてくるのも当然のことだと思うが、僕は正真正銘男だ。「初めて知った」と言う意見をお持ちの方は是非過去を振り返ろう。過去を振り返ることを怠るのはよくない。
話が逸れた。元に戻そう。
精神が男で、体が女である僕は、一体どちらの部屋に入れと言うのだろう。他の人たちは九音の指示に従って各々体に見合った部屋に入っていく。それならば僕も真綾さんや雪姫さんに続くべきなのだろうが、何となくそれは僕が、この僕が許せない。食事と言う概念がないこの世界で、トイレに入る必要がないことだけが僕にとっての唯一の救いであったというのに、まさかこんな所でその選択を迫られるとは思いもしなかった。
「どうかされましたか?」
呆然と立ち尽くす僕のことを不審に思ったのか、九音が顔を覗きこみながら首を傾げる。どうかしたかと聞かれるとどうかしているけど、応えてもどうにもならないので沈黙を決め込む。
沈黙を決め込んだところで、どうせ君にはわかっているんだろうし。
「言葉を口に出すということは、人間にとってはとても大切なコミュニケーション手段だと思いますわ」
どうせ君は人間じゃないだろ。そう激しく言い立てたいが無駄だ。本当に僕は死神と言うものが苦手であるとつくづく実感した一瞬である。
「愛莉ちゃん、早く入りましょう」
廊下の真ん中で悶々としていた僕の手を、冷たい手が握り、部屋の中に引っ張って行った。意地悪く笑っていた零が、少しだけ目を丸くする。九音はあまり気にしていないのか、回れ右をして歩き出した。
僕の手を引っ張った冷たい手の正体は見なくても分かっている。この温かい冷たさには覚えがあるし、この場で敬語を使う人は九音以外には彼女しかいない。
「雪姫さん……、あの、ちょ」
何と説明したらいいかわからずうろたえる僕を、雪姫さんは優しい笑顔で見守っている。先に部屋に入っていた真綾さんや香苗さんは、すでに部屋に置かれた簡素なベットでくつろいでいて、僕のことは気にしていないようだ。我ながらとても不自然であるから、突っ込みが入ってもいいはずだけれども。
「あー……、マジで無理……」
「あんた、よく密林であんなに元気でいられたわね」
「落ち込んでても仕方ないじゃない。来たんだから生き残るしかないし」
「随分胆の据わったギャルね」
「はぁ? 誰がギャルよ」
……二人とも元気そうで何よりだ。二人とも靴を脱いでベッドで仰向けにこそなっているものの、言葉が絶えていない。確かに香苗さんはこんな人だったなと思うと同時に、真綾さんは根性が座って、香苗さんに似てきたなぁとか足をさすりながらしみじみしていると、雪姫さんが後ろから僕の肩をたたいてきた。振り返ると、彼女の満面の笑みが目に入る。
……何故だか死神の匂いがするのは何故だろう。
「愛莉ちゃん、一緒にお風呂に入りましょう」
あ、なるほど。
不吉なことを、言うからか。
□ ■ □ ■ □
「先ほど見たんですけど、かなり広いお風呂でしたよ」
「い、いえ広さの問題ではなく……」
「病院と言うだけあって、かなり清潔でしたし」
「そうなんですか……」
「九音さんがいれてくれたのか、お風呂も沸いていることですし」
「……」
「密林で疲れも溜まっていますし、汗もかなりかきましたから」
「……」
「だから、お風呂に入りましょ?」
まさか雪姫さんがここまで執拗にせめてくると思わなかった。真綾さんも香苗さんもいつの間にか寝てしまったために助けを求めることもできず、すでに部屋の中にあった入り口以外の扉から、脱衣所に移動させられている。女性専用の部屋の脱衣所にいることは、僕にとってはとても耐えられないことであるので、部屋の隅に体操座りしているというのが現在の状況だ。雪姫さんが服を脱いでいるかどうかは定かではないが、そんなことを確かめる勇気と男らしさは僕は持ち合わせていない。この男らしさの意味は若干違うと思うが。
女性の部屋に入ることさえもかなりの抵抗があったのに、雪姫さんと一緒にお風呂に入ることなんて信じられない。理解ができません。雪姫さんに申し訳ないというより、愛莉の裸を見てしまったという罪悪感のほうが半端じゃない。会った時に顔向けができなくなる。
だから僕は、
「入りません!」
雪姫さんには申し訳ないが、ここは断るしか選択肢がない。
「……愛莉ちゃん」
何故か少しだけ間をおいて、雪姫さんが僕の名前を呼んだ。何故だか少しさっきまでの口調と違うことに違和感を感じたが、そんなことを気にしていられる精神状態ではない。今すぐ逃げたしたいぐらいだ。
「愛莉ちゃん、分かってますよ」
「……え?」
雪姫さんが僕の耳に横にそっと顔を近づけて、微笑んだ。
その笑みは、先ほどの死神たちの物とは違う。ただ、ただ、その笑みは、
何故か、死の匂いがした。
「愛莉ちゃん、本当は男の子ですよね?」
□ ■ □ ■ □
「え……、あ、え、何で……?」
突如として事実を当てられて、あからさまに戸惑ってしまう。別に頑なに隠していたわけではないけど、こう改めて言われるとびっくりする。
「何で、と言われますと、たくさん理由がありますよ」
しかもたくさん理由があるらしい。今まであまり隠す気は無かったので、女性としておかしい行動はとっていたと思うが、あまりばれていないのではないかと言う気持ちはあった。僕自身かなり女々しいところはあるし、一人称が僕だし。
「まあ、その話はお風呂に入りながらするとしましょう。さあ、ちょっと目を瞑ってください」
何故僕が男と知っていてまだ僕をお風呂に誘うのかは分からないが、素直に言葉に従うことにする。すると、閉じた瞼の上に何かがかけられた。それは頭の後ろに回されて、固定される。すぐにそれが何かは理解できなかったが、状況とセリフから判断して、それが目隠しであるということがわかった。脱衣所に置いてあったタオルを利用したのだろう。
「さすがに髪を洗うときは取らせていただきますが、それまでは我慢してくださいね。お風呂を拒んでいるのも、それが理由ですよね?」
「……はい」
「よし、では失礼しますね」
密林では脱いでいたが、病院に入って少し寒くなったので羽織っていたカーディガンを脱がされる。あ、え、失礼するってそういうこと? 心の準備がまだできていないし描写していいのかどうかわかんないんだけど!?(ここからは音声のみでお送りします)
「すみません、強引にこんなことしてしまって」
「い……いえ」
「でも、女の娘の体を借りているわけですから、清潔にしておかないといけないと思います。だから愛莉ちゃんが暴れようが拒もうがお風呂には入っていただきますよ」
「……」
「立っていただけますか?」
「あ、はい」
「失礼しますね」
「……え、いや、でもやっぱり」
「お風呂には入ってもらいますからね」
「いや、その、だっ」
「入ってもらいますから」
「……はい」
「あ、そろそろお話ししましょうか」
「え……、何をですか?」
「愛莉ちゃんが男だと気づいた理由です」
「あ、はいお願いします」
「まず全ての行動に違和感がありましたし、部屋に入る前の行動もおかしかったですしね」
「……」
「行動を全て説明すると長くなるので説明しませんが、あ、歩きますから気を付けてくださいね」
「あ、お、うぇ?」
「お風呂場に移動しますよ」
「あ、はい……」
「行動以外では……、そうですね。こんなに綺麗に髪を伸ばした娘が、全く髪を気にする素振りを見せなかったからですかね」
「……そうですか」
「ええ。体の持ち主さんは相当手入れしていたようですよ」
「……」
「彼女さんですか?」
「…………はい」
「あなたのこと、本当に好きだったんだと思いますよ」
「え?」
「私は恋をしたことがないのでわかりませんが、女の娘とはみんなそういう生き物です。好きな人のために髪を手入れして、相手に自分のことを好きになってもらおうとする。とても可愛らしい生き物です」
「……愛莉は」
「はい?」
「愛莉は、こんな僕のこと、まだ、好きで、いて、くれますかね?」
「あなたの本当の名前はなんですか?」
「優……、優です」
「勇君が生前に何をしたかはわかりませんが、愛莉ちゃんは優さんのことをまだ好きだと思いますよ」
「……なぜ、です、か?」
「優君が、ここにいるからですよ」
「……え?」
「優君が愛莉ちゃんのために、この塔に来ているからです」
「……それは、どういう?」
「自分の命を賭してまで自分を助けてくれるほど愛してくれる人を、嫌いになる人なんていませんよ」
「……」
「だからもう、泣かないでください。密林での様子は諏訪さんか聞きました。確かに悲嘆にくれる気持ちはわかりますが、悲嘆だけでは人間は強くなれません。そんなことじゃ、愛莉ちゃんを助けることはできませんよ?」
「…………はい」
「でも、辛いのもわかります。だから、辛い時は、せめて私にだけでも言ってください。私は他の方達よりあなたのことをわかっています。励ますことぐらい、私にだってできますから」
「………………はい!」
「よし、それならいいのです。じゃあ、髪を洗いますからタオル外しますね」
「お願い、します」
「早速泣かないでください……。何だか悪いことした気になります……。まあ、でも、愛莉ちゃん」
「……」
「あなたですよ」
「あ、はい」
「私のように、なってはいけませんよ?」
「え?」
「髪洗いますね」
「は……、はぁ」
□ ■ □ ■ □
雪姫さんには苦笑いされたが、髪を洗われながら涙が止まらなかった。最近泣きすぎて、本当に涙が枯れ果ててしまいそうだが、案外人間の涙とは枯れないもののようだ。雪姫さんに何度もなだめられて先ほどようやく止まったところである。
しかしまさかあのタイミングで雪姫さんに励まされるとは思わなかった。最後にとんでもないほどの意味深な言葉を残されたが、それ以外は正直とてもありがたい。自分の中で折り合いをつけたつもりではあるが、それでも精神はいつ崩れてしまうかわからない。実際、さっきの話をしただけで泣いてしまったのだ。人間の心とは脆くて弱い。
あれからお風呂を出て服を着せてもらった後部屋に戻ると、あとの二人はすでに爆睡していた。もしかして会話を聞かれていた危険性もあったのだが杞憂だったようである。
そして、今の僕の状況はと言うと。
「あの……、雪姫さん。狭くないですか?」
「私は大丈夫ですよ?」
「……そうですか」
雪姫さんに抱きかかえられて、ベットの上で横になっているのだ。男性諸君にとって羨ましい出来事のように聞こえたかもしれないが、残念ながら僕にそのような気持ちは一切ない。それに愛莉の体であるために、傍から見たら完全に姉妹の構図である。
僕は大丈夫だと言ったのだが、雪姫さんが心配だと言って僕を解放してくれなかったのだ。本当である、嘘ではない。決して嘘などではないのだ。
「そう言えば、アリスはどうしたんですかね?」
「アリスちゃんは司君と一緒に病院を一周してくると言って、部屋の前で別れましたよ。気付かなかったんですか?」
「……色々ありまして」
「そうですね、色々ありましたね」
笑われてしまった。むむ……、まあ自分の中でもちょっとした笑い話なので責めるつもりはないけど。
「それにしても……、少し遅いかもしれませんね」
「探した方がいいんじゃないですか?」
「駄目です。愛莉ちゃん戦力になりませんから」
「……ごめんなさい」
僕の本名を知った後でも、どうやら雪姫さんは「愛莉」と呼ぶことにしたらしい。ぶっちゃけどっちでもよかったのだが、みんなを混乱させないようにと言う雪姫さんなりの配慮だろうと思う。確かに急に名前でもなんでもないような名前で呼ばれていたら焦るだろうから。
「もうしばらくしたら電話するとしましょう。まずは愛莉ちゃんを寝かしつけないといけませんから」
「……子ども扱いしないでください」
僕の首を抱く腕が少し揺れる。笑っているのだろうか。振り返ろうとするが、ベットが狭くてうまくいかない。
「冗談です。少し意地悪したくなっただけですよ」
振り返らなくても雪姫さんの笑顔が頭に浮かんできたので、きっとそんな顔をしているのだろうと思って断念した。
その笑みはちょっと前と同じもののはずなのに、何故か全く違う様な気がする。
「……雪姫さん」
「何でしょうか?」
「僕、雪姫さんみたいなお姉ちゃんが欲しかったです」
心の底から、そう思ったからだろうか。理由はよく分からないけど、何だかとても安心するのだ。
「あら、それは嬉しいことを言ってくれますね」
雪姫さんは体を数回揺らした後、もう一度口を開いた。
「ただ、そうなったら激しく後悔をするかもしれませんがね?」
……なんで、
何でこの人はいつも何かを匂わせてくるのだろうか。
でも、今はそんなことどうでもいいような気がしてならない。
「……しないと、思いますよ」
今、雪姫さんは、優しい人だ。
ただ、それだけでいい。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「……こりゃ、退屈しなさそーだな」
「そうだネー」
アリスが何度かその場でステップを踏んだ。どうやら気持ちが高ぶっているらしい。別に俺には殺人願望やらがあるわけではないので、楽しいとは感じないが、気持ちの高ぶりは感じる。
俺は退屈と刀祢が嫌いだ。
「でも、どうやってこんなことやったんだろーな」
「わかんないネー。とっても力持ちなのカナー?」
だから退屈しそうにない今の状況を、恐怖を覚えるとともに多少の興奮を持って受け止める。
目の前にある、胸に大きな穴のあいた死体は、俺に奇妙な感情を感じさせた。
「……アリス、一回部屋に戻るぞ」
「うん、そうだネー。でも、無理かもヨー?」
「あ? 何でだよ」
アリスは何度か首を横に振って、辺りを見渡した。そして口を開く。
「道、わかんなくなっちゃったからカナー?」
「……あー、なるほどな。こりゃほんとに」
退屈しなさそうで、
「面倒だが、面白くなって来たな」
楽しいことには、なりそうにないけどな。