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「狭間の塔」  作者: 春秋 一五
「間章 Ⅱ」
17/26

「仕事と私事」

「私、生き別れのお姉ちゃんが居るらしいの」


 ……えーと、どう反応すればいいんだろう。何の冗談かと思ったが目の前の聖奈がいたって真面目な顔をしているために、笑うに笑えない。真面目な顔をしていなくても、笑えない内容ではあるが。


 秋が深まってむしろ冬に近いこの季節にテラスで昼飯を食うのは間違いだった、と後悔していた矢先にそんなことを言われたので、本当に反応に困ってしまう。何も言えずにジュースのストローを口にくわえたままの俺を見て、何を思ったのか聖奈は顔を綻ばせた。え、何でだよ。


「反応に困ってるでしょー」


「……そりゃな」


 わかっててやってたのかよと心の中で悪態をついたが、口には出さないでおく。言ってても辞めないことぐらい知っているから。仮にも聖奈の彼氏である俺を舐めないでほしい。


「私も反応に困ってるの。朝いきなりお母さんがそんなこと言うから」


「へー……。なかなか壮絶な朝だったんだな」


「ほんとにね。そりゃ遅刻もしちゃうよ」


「……関係ないだろ」


 朝一の講義を半分ほど遅刻してやってきた聖奈は、何故かすがすがしい顔をしている。手に持っているティーカップから香る匂いは、どうやらアップルのフレーバーティーらしい。仄かなリンゴの香りが、対面に座っている俺の所まで届いてきた。知識こそあるものも、俺はあまり紅茶が好きではないので、自販機で買った紙パック入りのオレンジジュースを啜った。人工甘味料の甘みが、少しだけ鼻につく。


「で……、その生き別れの姉が何なんだよ」


 単なるいたという報告だけかもしれないが、一応気にはなるので聞いてみた。もしかしたらゆくゆくは姉になるかもしれない存在だから……、いや、なんでもない。言ってみただけだ。


「何かそのお姉ちゃんと連絡がとれたみたいで、今度会いに来るんだって。颯馬も会いに来る?」


「え、何で俺が」


「将来颯馬のお姉ちゃんになるかもだから!」


「……うっせーつーの」


 何だか心が読まれたような気がして、気まずくなったので飲み終えた紙パックを握りつぶした。その様子を見た聖奈はにやにやと笑っている。少し腹が立ったので、残っているサンドイッチも全部一気に食った。にやにやの止まらない聖奈も、残っていたアップルティーを飲み干す。


「ねえ、颯馬」


「なんだよ」


「大好きだよ」


「……」


 ここで素直に返事できないのが俺の悪いところだ。わざとらしく顔を逸らした俺を、満足げな顔をした聖奈が見つめている。そんな俺達も、付き合い始めて五年になった。まだ高校生だった俺達も、すでに大学四年生である。先ほどは冗談気に言ったが、け、結婚も、少しは考えていい時期だ。


 俺にそれを言う度胸があるかどうかは別として、だけど。


「プロポーズは私からするから」


「……何でだよおい」


 そのセリフも何でだよだし、心を読んだかのように話すのも何でだよだ。横目で睨んでいると、聖奈はますます調子づいたのか、長い艶やかな黒髪を揺らしながら口を開く。


「颯馬がわかりやすいんだよ」


 とても大人しそうな見た目とは違い、聖奈はかなりの肉食系だ。


「……午後の講義遅れるぞ」


「あ、誤魔化してる。このまま二人でサボっちゃおうか」


「朝もサボったやつが何を言っているか。講義何てほとんどねーんだからあんまりサボんじゃねーよ」


「はーい」


 本当にサボる気は無かったのか、案外あっさり諦めた聖奈が俺と同じタイミングで立ち上がる。そして何の抵抗もなく俺の手を握った。秋風で冷えた聖奈の手は、俺の手よりもはるかに冷たくてあまり生気が感じられない。


「あ、ごめん冷たいよね」


 そう言って聖奈は申し訳なさそうに手を離そうとする。そのらしくない聖奈の行動に、俺は手を握りしめることで抗った。それを受けて聖奈は少し驚いた顔を見せる。いつまでもやられっぱなしだと思うな。


「……少しでも温めておけ。冷え症が」


「……うん」


 それに応じるように、聖奈も俺の手を強く握りしめた。雪のように冷たいその手だが、何だかこっちの体温まで少し上がったような気がする。それの原因はなんとなく分かっているけれど、あまり考えないことにした。俺の体温だけ上がっても仕方ない。


「あ、颯馬照れてやんのー。柄にもないことするから」


「……うっせーっていってんだよ」


 たまにはかっこつけさせろよ。


 考えないようにしてたのに言葉にされたことによって嫌が応にも意識してしまい、さらに俺の体温が上昇する。それをその冷たい手で感じ取っているのか、聖奈はさらに俺との距離をつめた。


 天気のいい青空は、そんな俺たちのことを無言で見下ろしている。秋晴れ、とはまさにこういう帆のことを言うんだろうな、と誤魔化すために考えながら午後の講義へと向かうために歩く。


 時間は永遠じゃないと分かっているけど、


 こんな日々が永遠に続けばいい。


 何だか、ふと、そんなことを思って、


 寒い風の中、温かい気持ちで笑顔を漏らした。


   □ ■ □ ■ □


「……はい、もしもし」


「おいおい、まさか今起きたのか?」


「はい。昨日も夜遅くまで仕事だったので」


「それは仕事熱心なことで何より」


 けたたましい電話のベルで起こされるのは、非常に不快だ。ただ仕事の依頼となるとそれはまた別の話。この声は私に仕事を与えてくれる声。


「それで、今回の依頼は何でしょう」


 昨日の夜の山登りを思い返して、思わず欠伸が出てしまう。山登り自体はとても好きだし、仕事なので文句はないが、こう睡眠不足が続くと健康によくないなぁ。そんなこと気にする性格でもないけれど。


「無理心中のお手伝いだとさ。そんなの勝手にやってくれって言う話なんだけどよ」


「あら、それはまたハードなお仕事ですね」


「全く心がこもってないが?」


「そんなことないですよ」


 昨日も苦労したし。女だから色々なことで苦労をかせられる。身体面では特にだ。心はすたれてぼろぼろなので何とも言えないけど。むしろそっちの方が楽なので私は感謝しているが。


「とりあえず依頼主、っつーかまあ目標でもあるんだけど。写真、パソコンに送っといたから。見といてくれ」


「了解です。報酬はいつ受け取ればいいですか?」


「依頼主を殺害するときに受け取れとのことだ」


「それはまた斬新ですね」


「だろ?」


 肩と耳の間に電話の子機を挟んで、ごみに埋もれたパソコンを掘り出して、開く。いつから着いていたのか、電源がつけっぱなしだった。コンセントが繋がっていたために、ずっと活動し続けていたらしい。それがなんとなく自分と重なったが、鼻で笑って吹き飛ばしておく。


 私には仕事があればいい。


 休みなどいらない。


 依頼のためなら、


 それが人のためと言うのなら、


 私は命をも支払おう。


 それが人の物か自分の物かは別として。


 ですけどね。


「えーと……、あ、はいいただきました。……あ、れ。これは」


 送られてきたその写真。それにはとても見覚えがあって、一度見ただけで覚えてしまった。覚えたというか、何と言うか。これは非常に、


「面白いだろ?」


「指名したのはあなたですよね?」


「ああ、だって面白いだろ」


 私は特に仕事に娯楽は求めていない。何故なら仕事だけが私の生きがいであり、私の娯楽であるから。


 そんな私でも、


「はい、とても面白いですね」


 そう、感じるほどに。


「まー、お前ならやるんだろ?」


「もちろんです」


 それが私が生きるということ。


「んじゃー、頼むぜ、姫さんよ」


「はい、必ず成功させて見せます」


 私は床に転がった一つの金属質の物体を拾い上げた。


 これは、私。


 私、そのものだ。


「姫の、名にかけて」


 銀色のナイフは冷たく輝く。


 それは、姫の名にふさわしいものだ。


 冷たく、鋭い、孤高の存在。


 私は誰かのためなら、ナイフにさえなろう。


   □ ■ □ ■ □


「……あいつ、今日も遅刻か?」


 週に一度しかない講義に何故遅れる。それがはたして謎ではあるが、高校時代からそうなのでもうそれを問いただそうという元気はなかった。ただ、一人で受ける講義はもの寂しい。何か連絡が入っていないかと、机の下でスマートフォンを起動させた。無機質な画面が、俺を出迎える。スマートフォンに変えたのはいいが、いまいち使いきれない気がしてならない。


 お、メールが来てる。


『生き別れのお姉ちゃんに会うので遅れるー。寂しいだろうけど我慢してね☆』


 ……なんだ、どっから突っ込めばいいんだろう。


 まず前代未聞の遅刻理由を突っ込むべきだろうか。生き別れのお姉ちゃんとは、数日前に言ってたあれだろう。……そんなすぐに会えるものなのだろうか。まあ、生き別れの姉に会った経験がないので分からないけど。


 あと、寂しいことを的確に突っ込まれて心がとても苦しい。全てお見通しと言うわけか。聖奈は何だかそう言うやつなので納得はするけど、何か知らの能力でも働かせてるんではないだろうかと疑問には思う。慣れとかで分かってくるものなのだろうか。俺には全然なんだけどな。


 しかし……、生き別れの姉、ねぇ。


 先ほども言ったが、そんなにすぐに会えるものなのか。それは話が出来過ぎではないだろうか。何だか変な胸騒ぎがして、落ち着かなくなってくる。講義の内容が全く頭に入ってこない。


 どうにも嫌な気分がするので、俺は席を立ちあがって講義から抜け出した。あまりにも堂々と抜け出したために、講義の流れを断ち切ったような音が聞こえたが今はそれどころではない。


 思い違いかもしれない。その可能性は十分にある。ただの俺の憶測なのだ。今頃、生き別れの姉と二人で仲良く紅茶を飲んでいるのかもしれない。それならそれでいい。


 だが、万が一、億が一、良からぬことが起こってしまう可能性もある。


 そうなってしまってからは、後悔しかできない。


 どこにいるかもわからない聖奈を探して、俺は速足で歩きまわった。


 あの笑顔を探して。


   □ ■ □ ■ □


「聖奈、聖奈!」


 さっきから何度も電話をかけているが、聖奈は全く電話に出る気配がない。元からあまり携帯を見ないやつではあるけれども、さすがにおかしい。気にしすぎかもしれないが、さっきより大きな不安が俺の上にのしかかる。


「ちくしょう……! どこいんだよ!」


 いつも隣にいるやつがいないことが、こんなに不安なことだったとは思いもしなかった。この心境は、何かに追われているような心境に似ている。


 聖奈がいそうな場所はほとんど探したが、未だ見つけられていない。今はもう一度キャンパス内に戻って探しているところだ。今度はあまり人がいない場所を探している。


「あれ……、颯馬?」


「聖奈!」


 俺が叫んでいることに気付いたらしい聖奈が、植込みの向こうから俺の名前を呼んだ。そこはキャンパス内に置かれている何でもない椅子の前で、なんで今までここにいることに気付かなかったのだろうと自分でも驚くほど、何でもない場所である。


「どうしたの、そんな大声で私の名前呼んで。そんなに恋しかった?」


 その様子はいつもと何ら変わりなくて、その笑顔も何もいつも通りで、


 だからこそ、また不安が増した。


「ああ、そうだよ!」


「え、あ、そうなの? それはそれで照れるなぁ」


 いつもとは違う聖奈の笑みは、照れているようで、頬に赤みがさしていた。あまり見ない表情だが、今はそれどころではない。特に聖奈に何かが起きているようには見受けられないが、俺の気持ちがまだ落ち着かない。ただこの植込みは飛び越えられそうないので、少し遠回りをしないといけない。それに苛立ちを覚えながら、聖奈の所に行くために走り始める。


「どうしたの、いつもはそんなんじゃないのに?」


「うっせー好きなんだよ!」


「え、ほんとどうしたの?」


 あまりにも俺の発言がいつもと違うので、聖奈の様子もいつもの余裕がなくなってきている。はにかむようなその笑みも、普段のにやけ顔と違って、それもまた可愛かった。


 だからこそ、速くその隣に立ちたい。


 その隣に立って、冷たい手を握りたい。


 そして、抱きしめたかった


「私も大好きだよ」


 聖奈は走って近づいて行く俺を出迎えるために、大きく手を広げた。


「聖奈!」


 聖奈の体を抱きしめる。心配していたのが馬鹿馬鹿しいほどに、いつも通り冷たく、柔らかい。何故あんなに胸騒ぎがしたのだろう。やっと焦っていた気持ちが落ち着いて、逆に涙が出そうになった。


「そんなに寂しかったの?」


「……ああ」


「ちゃんと連絡したのに」


「なんか……、胸騒ぎがしたんだよ」


「そっか。心配してくれてありがとね」


「……なあ、聖奈」


「何?」


「もう、俺の傍からいなくならないでくれ」


「え……、それって」


「そういうことだ。聖奈」


 聖奈を抱きしめる腕に力を込める。プロポーズは聖奈からすると言われていたが、まあ、いいだろう。男として、ここは本気を見せる所だ。さっきまで焦っていたせいか、恥ずかしさはあまりない。だから、言うなら今の内だ。


「俺と、結婚しよう」


「……颯馬。ありがとう、嬉しい」


 聖奈も俺の体を抱きしめる腕に力を込めた。冷たい体が、少しだけ暖かくなっていくのを感じる。


「私からプロポーズするって、言ったのに」


「……いいじゃないか。で、答えはどうなんだよ」


「えー、恥ずかしいなー」


「いいから答えろよ。恥ずかしいじゃないか」


 そう俺が言った瞬間に、さらに体が熱くなった。


 しかし、その瞬間に俺はとてつもない違和感を感じた。聖奈の顔がある、俺の胸の部分だけが温かくなっているのだ。そこで俺は先ほどの胸騒ぎ思い出す。


 そして、聖奈の返事が返ってこない。そのことがさらに俺を焦らせた。


「聖奈……?」


 ……違う、これは、聖奈の体が熱くなっているのではない。


 俺の胸に触れている部分以外の聖奈の体は、いつも通り、冷え切っている。


 じゃあ、この、温かさは……?


「昔、昔、あるところに」


 突然聖奈の声がした。


 でも、それは聖奈のものではない。


 じゃあ、誰の声だ?


「可哀想な姉妹がいました」


 聖奈の体から力が抜けた。その体は、俺の体からするりと落ちる。


 そして、俺の目の前に、


「恵まれた妹と、恵まれなかった姉」


 聖奈が、いた。


「本当に可哀想なのは、どちらでしょうね」


 その手に握られたナイフ。


 それは、俺に、真実を伝えていた。


   □ ■ □ ■ □


 運命とは時に残酷であるが、それはとても面白い。


 人間の知らない場所で動き続ける運命。


 それは不幸と幸福をも、簡単にひっくり返す。


「聖奈……、聖奈ぁ!」


 目の前で叫び続ける青年は、恐らく数秒前まで幸福だった。


 それが今、一瞬で不幸に追い込まれている。


 それもまた、私と妹が生まれたときから決められた運命。


 私たちが双子だったことも。


 家計の問題から、私だけが捨てられたことも。


 そして私が殺人をも引き受ける何でも屋に拾われたことも。


 実の父が事業に成功し、家計が持ち直したことも。


 そして妹が、無事に成長して、彼氏と幸せに過ごしていたことも。


 そして、


 実の両親が今更になって、私への罪悪感から無理心中を決めたことも。


「全て、運命なんです」


 その依頼が、姉の私である私に舞い込んできたことも。


「……お前が、聖奈を殺したのか」


 妹の彼氏が、私に殺意の籠った視線を向ける。彼が植込みを回り込もうと判断しなければ、植込みの中に隠れていた私が妹をナイフで刺すことは困難だっただろう。何かを感づいていたようにキャンパス内で走り回っていた彼。


 彼は今、不幸以外の何を感じているのだろう。


「そうですよ」


「お前……、聖奈の姉なんだろ?」


 地面に倒れ伏した妹の亡骸を抱きかかえ、妹の彼氏は睨んだまま私に問うた。私は妹を刺したナイフを太腿に巻きつけているホルダーに収めながらその問いに答える。


「そうですね」


「何で、実の妹に、そんなことを……」


 激情を必死に抑えながら、妹の彼氏は投げやりに言葉を口にした。襲い掛かってきたらこの人も殺すしかないが、激情に駆られた男とまともに戦うのはさすがに分が悪いので、私としては助かっている。


「ご両親からの依頼なので」


「依頼……だと?」


 あまり仕事に関して人に語る趣味はないけれども、このままでは妹の彼氏があまりにも可哀想なので、真相を教えることにする。それを教えることによって私が捕まることもないだろう。


「はい。無理心中を手伝えとのことでした。だからこれはご両親の意志です」


「お前は……、何者なんだよ」


 それはごもっともな質問だ。捨てられていた私に、明確な戸籍はない。自己紹介をしたところで、それは何の証拠にもならないから、これもちゃんと答えよう。


「安藤 雪姫。聖奈の生き別れの姉。今は何でも屋をやっています」


 いつも私は仕事に感情をもたず取り組んできた。


 犬の散歩、ベビーシッター、誘拐、殺人に至るまで。自らの過去により半分になった私の心は、どんな時でも一定の状態を保ち続けた。


 しかし、今回の依頼はそうではなかった。


 仕事の中に、私事が、少しだけ混じっていた。


 自分を捨てた両親。


 彼らに選ばれた妹。


 両親を殺害した時の私の気持ちは、とても平穏であるとは言えなかった。


 私に依頼を持ち込んだ男が面白いと言った気持ちもよく分かる。


 運命の巡りあわせは、残酷で、しかし面白く、


 私に、生まれて初めての気持ちをもたらした。


 笑いと涙の止まらない、不思議な感覚を。


「何でも、屋……」


「はい。お望みとあらば、どんな依頼もお受けしましょう」


 死ね、とか言われたらそれはどうしようもないけど。その時は彼を殺すしかない。冗談のようにそう言った私に、彼は涙を流しながら一つの依頼を口にした。


 それも、また私にとっては面白く、


 初めて聞くような依頼だった。


「じゃあ、聖奈を生き返してくれよ……。何でも、ひきうけんだろ……?」


 そんなことができてたまるのか。しかし私の中にその依頼をひきうけないという選択肢は生まれなかった。不可能である、そう頭では判断しているが、自分でも笑顔が止められない。


 本当に仕事とは面白いものだ。


 だから私は仕事に命をかける。


 それが安藤 雪姫の存在理由だ。


「わかりました。報酬はいりません。その依頼、ひきうけましょう。姫の名にかけて」


 彼女を殺した人物に、彼女を生き返すことを望む。


 それは、常人がおこす沙汰ではない。


「俺は……待ち続ける……からな。聖奈が、俺の隣に戻って、くるまで」


 返事をしない妹に、彼は言葉をかけ続けた。もう私のことは気にしていないらしい。ここで私がたちされば、真っ先に疑われるのはあなただというのに。そんなことを気にする様子もない。


「……私は、どうしましょうか」


 一度ひきうけた依頼だ。達成しないわけにはいかない。ただ、人を生き返す術を私は知らない。


 とすっ


 その時、背後で何かが落ちる音がした。


   ○ ● ○ ● ○


「……さて、ここはどこでしょう」


 通話の主が言った通り穴に落ちてみると、辿り着いた場所はどこかのエントランスホールのようであった。現実にそういうことはありえないが、通話の内容から現実はあまり役に立たないと判断しているので気にしないことにする。自分の体が聖奈の体と入れ替わっていることも、どうしようもないことだ。


 これで、聖奈は、生き返ったのだろうか?


「おい、安藤 雪姫」


 後ろで私を呼ぶ声がした。


「お前に、依頼がある」


 それは、私自身を肯定する言葉だ。


 だから、私は笑顔でそれに答えよう。


「わかりました。その依頼、ひきうけましょう」


 例えそれが、人を殺めるような依頼でも。


 それが、私の命にかかわる依頼でも。


 絶対に私は仕事をやり遂げよう。


「姫の名にかけて」


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