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「狭間の塔」  作者: 春秋 一五
「二階」
16/26

「密林と満月 Ⅷ」

「こんなもんか?」


「そうみたいだな。……ほんとに食うのか?」


「食べれるものは食べておきたいですね。皮をはいだら食べれそうですし」


「……言いながらいきなり行動しないでよ」


 司、アリス、卯月さんの戦闘組が一通り蛇を倒し終えた後、僕の目の前ではカオスな会話が繰り広げられていた。そして雪姫さんは剣の獣からはぎとったナイフで、いそいそと蛇の毒々しい革を切り裂き、剥き始めている。緑と黒の毒々しいストライプの皮の中から、妙に生々しいピンク色の肉が現れ、大きな葉っぱの上に置かれた。思わずしかめ面になってしまったが、そんな僕のことは気にせずに雪姫さんが次の蛇に手を伸ばす。


「いや、ちょっと待て雪姫おい」


「何でしょうか?」


「何でお前そんな手際が……、いや、そうじゃなくて。どうやって食うんだよ」


「できれば焼いて食べたいですね」


「……焼く道具がないな」


「え、それなら百円ライターが……」


 そう真綾さんが言いかけたが、何かに気付いたように口を噤んだ。みんなの間を、気まずい空気が流れる。僕も何も言えずに、黙ることしかできない。


 一階の武器庫でもらった百円ライターは、諏訪さんと一緒に燃えてしまった。


 僕達を、守るために。


 諏訪さんは、自分の体と共に……、


「ライターがないなら、火をおこせばいい」


 卯月さんが沈黙を破るように口を開く。何を思っているのかはわからないが、その声はいつもより低いように感じられた。誰もそれに返事をしないが、気にしていないのかその辺に落ちている枝を拾い始める。横にいたアリスも、困惑したような顔だがそれを手伝った。何だかアリスの元気がないように見えるが、それはアリスに限ったことではないだろう。みんなの顔に疲労は浮かんでいる。涼しげな顔をしているのは、雪姫さんぐらいだ。


 僕達が眺めている間にも、卯月さんは黙々と作業を続けた。少し呆気にとられていた様子の雪姫さんもまたいそいそと蛇の皮を剥き始める。気味悪そうな目で真綾さんに見られているが、全く視界に入っていないらしく、気にする素振りもない。ただ蛇の皮を剥くことに集中している。


「そんなんで火がおこせるものなのか?」


 尖った木の棒と、少し太い木の枝を選んで擦り合わせ始めた卯月さんを見て、司がしかめ面を浮かべる。確かによく見る火のつけ方ではあるけど、何となく心もとない。ちゃんとした道具ならまだしも、その辺で拾ってきたものだ。火がつく保証なんて、どこにもなかった。


「おこせるかわからんが、やってみるしかないだろう。おい、案内人」


「何だい?」


「ここに油を大量に含む植物はあるか?」


 零は卯月さんの質問を受け、少し思案顔になる。ここに着いたときにも言っていたが、あまり密林の細部まで把握し切れていないらしく、すぐには応えられないらしい。


「んー……、ひまわりみたいなものはあるけど。それで、機械も薬品もないのにどうやって油を抽出しようというんだい?」


「そういう常識で聞いているんじゃない。油が樹液のように出る木なんてものがあるのかと聞いているんだ」


 一切零の方を見ずに、卯月さんは質問を続けた。常識を捨てきったその質問に、零は一瞬驚いたが、すぐに口元を歪ませる。今度は一切考えることなく、その質問に応えた。


「ないよ。そんな都合のいいものは」


「……やはりか。おい、お前ら。暇ならどんな木の物でもいい。樹液を取って来てくれ」


「あ? 油はでないんじゃなかったのか?」


「樹液には火がつくものも多い。ここには木や葉が多くあるからいいが、全くない階層に着いてしまった時に困る。そのために油代わりに持っておいた方がいい。それにもしかしたら食用の物も見つかるかもしれないしな」


 ……へー、それは知らなかった。


 心の中で素直に感心する。どうやら、樹液には火をつけたら燃えるものもあるらしい。僕にはその原理はよく分からないが、それなら確かにいくらか採取した方がいいだろう。


 いや、でも、だね。


「また……、入れるものないですね」


「……そうだな。案内人」


「はいはい、分かってるよ」


 零がまるで予想していたかのように返事をして、スマートフォンを操作する。すると、僕達の目の前に一つずつ何かが落下してきた。


「水筒?」


「そう。まーこれから長い旅になりそうだからね。それぐらいサービスしておくよ」


 零にしては珍しく、これはただでくれるらしい。ただほど怖い物はないとはよく聞く話ではあるが、なるほど確かに怖い。警戒してしまうのもしかたないというものだろう。僕だけがそうなのではなく、他のみんなも水筒を手に取ったはいいが、ふたを開けたりしようとする者はいなかった。


「みんな疑い深いねぇ。せっかく喉が渇いたと思って準備してたのに」


 わざとらしく残念がった零が、そんなことを呟いた。そんなことを言うものだから、今まで全く意識していなかった喉の渇きが急激に襲ってくる。思い返してみれば、この塔に来て以来食べ物はおろか、飲み物すら口にしていないのだ。それは喉も乾くし、お腹もすく。今までみんな我慢していた方が不思議なくらいだ。いくら餓死で死ぬことはないと言え、体への苦痛は激しい物。水も早急に手に入れる必要があった。


「あー……、じゃあわかったよ。俺とチビとギャルで水と樹液探してくるから。おまえ等水筒よこせ」


 司が自分の分の水筒のひもをベルトに巻きつけて、少し諦めを含んだようにそう言った。面倒な気持ちが大きいようだが、どこか不安な様子も見て取れる。確かにここにある水や樹液が完全に安心とは言い切れないから、僕も不安だ。でも、司がそんな様子を見せるとは、なかなかに意外だ。


「ちょっと待ちなさいよ、なんで私がついて行かないといけないわけ?」


「俺は金属バット握ると腕がふさがっちまうからな。俺が守るから、お前らがその間に水と樹液を集めろ。おい、誰かの分樹液入れるぞ」


「俺のを使うと言い」


「わかった。……ほら、行くぞお前ら」


 周りのみんなが次々と真綾さんに水筒を手渡していく。真綾さんはいちいちそれにしかめ面で応答しながらも、それを受け取った。自分の分しか持っていない僕を一瞬睨んだが、諦めたのかいくらかの水筒を抱えようとする。


「……いや、無理よ」


「手伝いますよ」


「……悪いわね」


 いや、当然のような気もするけど。真綾さんから二つの水筒を受け取って、腕にかける。水筒のひもをかけた腕は、確かにみんな遠慮するのも納得できるほどに細い。僕も人のことを言えるほどの体型ではなかったが、さすがに愛莉の腕は細すぎる。


 だからこそ、僕が守らなければならなかったのに。


 ……やめよう、これ以上は心が壊れるだけだ。


「どうした? 行くぞチビ」


「あ、はい」


 金属バットを肩に担いだ司に促されて、その背中を追う。先に歩き出していた真綾さんに睨まれたので、愛想笑いを返しておいた。司と同じく、ここに来た時よりもトゲが無くなった真綾さんは何も言わずに横に並んで歩きはじめる。


 歩きながらふと、密林に来て大分長い時間を過ごしたような気がするが、まだ二日しかたっていないということに気付く。と、言うことはこの塔に来てまだそれぐらいの時間しかたっていないということだ。それなのに、みんなの表情には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。


 これから先、一体どんなエリアがあるかはわからないが、まだ二階なのにこの調子では先行きが不安だ。一番戦力にならないような僕が言うのもどうかとは思うが、愛莉の体を傷つけたくはない。


 ……僕達はこれから、どうなるのだろう。


 一抹の不安を抱えながら、僕は司の背中を追いかける。


 僕には、そうすることしかできないから。


   □ ■ □ ■ □


「……ついたわね」


「ああ」


 水筒に入った水を飲みながら、真綾さんはエレベーターの扉の前に座り込んだ。水筒の水は少しだけ異臭はするが、飲めないわけではない。本当に水が見つかってよかったと思う。


「蛇の肉って、案外食えるもんなんだな」


「ええ、少し量は足りない気はしますが」


 僕達が水や樹液を探し終えて戻ると、火をつけることに成功したらしく、蛇の丸焼きが大量に重ねられているというなかなかカオスな状況に出会ったのは、あれから数時間ほどたった今でも思い返される。僕も十何年間生きてきたが、あそこまでカオスな光景に出くわしたことは今までなかった。


 ……食べてみると結構おいしかったから、あまり文句は言えないんだけど。


「疲れたヨー」


「でも無事にここまで戻ってこれて、良かったですよね」


「そーだな。獣もあれ以来襲ってこなかったし」


 蛇を食べ終えた後、数時間ほど歩いたのだがその最中に獣に襲われることはなかった。それどころか、合間合間で食べれる果実が見つかり、むしろ順風満帆な道中だったと言える。


「で……、大丈夫ですか、愛莉ちゃん」


「……はい、ありがとうございます卯月さん」


「もういいのか?」


「はい、さすがに立てるようになりました」


「そうか」


 卯月さんは、短い返事をして僕を地面におろす。


 そう、僕、というか愛莉の体力がなさ過ぎて、僕は途中で歩けなくなってしまったのだ。


 ……いや、自慢することじゃないけどね。


「あんた体力なさすぎ」


「……ごめんなさい」


「え……、何かすごい罪悪感」


 背中にリュックを背負った卯月さんが僕をお姫様抱っこしてくれたために、僕は置いて行かれずにここまで来ることができた。ここに来て、色々人生で初めての体験をしたが、お姫様抱っこも初めてだった。あまり体験したくない出来事だったけど。


 ……というか、人生ではないのか。僕自身もう死んでいるし。でもそうなると表現がややこしいことになるので、皮肉っぽくはなるが人生と言うことにしよう。


 一応、まだ自分の体は残っているのだから。


「何か、思ったより人も獣もいなかったな。虫とかはわりと見たけど、目立ってたのはナイフの奴と、蛇と、ヒマワリくれーのもんじゃねーか?」


「くれーのもんとは言うが、それだけでも十分危険だと思うぞ」


「……まーそーだけどもよ」


 ここに来ていきなり襲われたことや、諏訪さんのことを思い出したのか、司が苦笑いを浮かべる。確かに、人にも獣にもここまで思ったより出くわさなかったが、もう僕は十分だ。お腹いっぱいである。僕自身戦わずに守られてばかりだったので何とも言いようがないが、十二分に身の危険は感じさせていただいた。


 そこでふと、僕は今歩いてきた道の方が振り返った。そこは、アリスが道に迷わないためにと切り裂いて行ったために、他の場所よりも草が短い。当たり前だが舗装された道路などはないので、その草が切り裂かれた部分だけが、僕達の道だった。この辺りは意図的なのか開けた場所になっているので草木が生えていないが、一歩このエリアから外に出るとまさに獣道と呼んでも足りないほどの道が続いているのだ。先ほど食べ物を探す際に立ち止まったところや、小屋があったところなど、多少休める場所もあったが、いつ足元から獣に襲われてもおかしくない、危険な旅路。それがもうすでに遠い昔のように思われた。


 背後の木々が風に揺れ、ざわざわと鳴いているのを背中で聞きながら、僕は目を瞑る。立っているのもつらいほどに足は疲弊しているが、湿った地面を踏みしめて、そこに立ち続けた。


 それは生き延びれた感謝の気持ちを示す物であり、


 同時に、諏訪さんに捧げる黙とうでもある。


「おい、何してんだチビ、置いてくぞ?」


「……あ、ごめん」


 そんな僕のことなど全く知らない司が、エレベータの前で僕を急かす。少しぐらい感傷に浸らせてくれてもいいのに、と心の中で悪態をつきながら、小走りでそちらの方に向かった。心地よい風が、汗ばんだ体を冷やしていく。ここに来た時は生ぬるく鬱陶しかった風も、木々に囲まれた中歩き続けた今となっては非常にありがたい。人間の慣れとは、不思議な物だ。


 そんなことを思っている時、僕はみんなの表情の変化に気付いた。エレベーターの前で僕のことを待っていたみんなの顔が、驚いたような、怒っているような表情に変わっている。あれ、どうしたのだろう。そんなに長い間待たせてしまったのかな。


 そう呑気に考えていると、


「チビ! よけろおおおおおおおおおお!」


 そう司が叫びながら、金属バットを投げてきた。


「どういうことおおおおおお!?」


 完全に僕の方に向かって飛んできた金属バットを、その場でしゃがんで避ける。


 そうすると、金属バットが通り過ぎる前に何かが僕の頭の上で空を切り、


 そして、金属バットが、僕の真後ろにいた何かに当たる音がした。


「え……、えー、と?」


 一体何が起こっているのか分からない。後ろも怖くて振り返れず、どうすることもできない僕の横を誰かが過ぎ去り、僕の真後ろにいた何かに飛び掛かった。もしかしたら、僕の背後に獣が居たのかもしれない。それなら確かに司の行動も納得がいった。


 でも、今微かに聞こえた声は。


「いっ……!」


 完全に、人の物であった気がしたけど。


「おとなしくしてください。何故あなたがそんな行動に至ったのか、話を聞きます」


 背後で雪姫さんが話す声が聞こえて後ろを振り返ると、ぼろぼろの服を着た男性が、その場に倒れこんでいた。そして、その上に鉄パイプを持った卯月さんが馬乗りになり、太い木の枝を持っている右腕に雪姫さんがナイフで突き刺し、暴れる左腕を司が抑え込んでいる。唯一自由な足だけが、その場でばたばたと暴れた。その姿は、釣り上げられたばかりの魚を連想させる。どちらが襲撃されたか、全く分からない状況だ。


 ……というか雪姫さんってそう言う人だっけ。色々匂わせてくる人ではあったけど。


「ふっざけんなぁぁ! 離せぇぇええ! 何しやがんだお前らぁぁああああああああ!」


「何をしてくれてるんだと聞きたいのはこちらの方です。何故愛莉ちゃんを襲ったのか簡潔に述べてください」


 錯乱した風の男性を、雪姫さんが冷静に問い詰める。そこにいつもの雪姫さんの面影はなかった。いつもの微笑みはどこかに消え、冷酷な目で男性を睨んでいる。二面性があるでは収拾がつかないような豹変っぷりである。


 やっと状況が掴めてきたけど、僕はこの……、二十代後半ぐらいの男性に後ろから太い木の枝で襲われそうになっていたらしい。そこでそれに気づいた司が金属バットで応戦したと、どうやらそういうことのようだ。


「なんだよぉ! 襲っちゃ悪いのかよおぉぉおお!」


「いいという道理がどこの世界にあるというのですか?」


「ないけどよおおおぉおおお!」


 錯乱した風から錯乱したに昇格した男性が、わけのわからないことを喚き散らしながら暴れまわるので、ナイフに突き刺されている腕を動かす度に血が溢れて、自前の金髪を自前の血で染めている。だがそれを気にする様子もなく、男性は暴れ続ける。その姿は、ここに来たばっかりの司の姿を彷彿とさせた。今でこそ大分おとなしくなり、頼りになるようになったけど、武器庫の時の司は最早ただの狂犬だったからなぁ。少しだけ昔を振り返ってみている間に、体力が尽きたのか段々男性はおとなしくなってきた。その間に、アリスたちも近くに寄ってくる。


「さて……、落ち着いたようですし、そろそろ理由を聞かせてください」


「……ナイフを、抜けよ。いてぇんだよ」


「そうですね。もう抵抗もできないでしょうし」


 いてぇんだよで済むレベルなのかなぁ。そこが少し疑問には思ったけど、司も腕を切り裂かれたが今はぴんぴんしているので、人間の感性は人それぞれだと理解しているから、突っ込まない。僕だったら瞬間で気絶している。泣きわめいているよ。


 雪姫さんが、何故かナイフを一度深く突き刺した後引き抜いた。それを見た卯月さんと司も、拘束を解放する。それに対して顔を歪めた男性だったが、勝てないと判断したのか抵抗せずにその場に座り込んだ。交わしたまま地面にしゃがみ込んでいる僕も含めて、みんなが円を描くようにその男性を取り囲む形になる。


「おい、止血してやれ」


「えー、僕の乱用はよくないことだよ」


 卯月さんが零に横目で指示を出すと、零は文句を言いながらも白いスマートフォンを操作しながら、男性の出血している腕に軽く触れた。すると、それまで止まる気配もなく溢れ出していた血液が一瞬で止まる。男性はそれに驚きの表情を見せたが、雪姫さんの持っているナイフを一瞥して、質問に応えるのかあぐらをかいて話を始めた。


「……バイクで事故って、目が覚めたらここにいた」


「だからなんですか?」


「腹減ったから、一番襲いやすそうだったこいつを人質にして、食いもん奪おうと思った」


 単純な動物的欲求からの行動だったらしい。まずここに来た戸惑いだったり、それに似た感情よりも先に腹が減ったと思うこの男性の根性に僕は感動したけど、それでもその行動力は評価されたものではない。確かに僕は襲いやすそうな体型をしているけれども、僕達を襲うよりその辺にたくさんある木の実でも食べた方が確実にお腹は膨らむだろうに。僕達と数と意識と武器の点において完全に劣っているのだから。負け戦をするより、地道に採集をする方が確実だ。


 ……まあ、木の実に毒があるとかは別としてね。お腹は膨らむから。


「事故が起きて、目覚めたら密林。何かおかしいと思わなかったんですか?」


「しらねーよ。腹が減ってそれどころじゃなかったんだよ。腹が減るってことは死んでねーんだろうからな」


 バイクで事故をして生きたまま密林に吹っ飛ばされるという常識がこの人の頭の中にもなかったようだけど、だからってもう少し考えてもいいだろうに。よくもまあ正気でいられたものだ。本当に根性だけは座っている人のようだけど、いかんせん判断力にかけている気がする。それは褒められたものだろうか。


「で、いーから早くなんか食わせろよ。持ってんだろ、食料」


 悪びれる態度も見せずに、男性は僕達にそう言い放った。すぐ近くに武器を持った何人もいるのに、臆する様子の欠片も見せない。ああ、ここでようやくわかった。この人はただの馬鹿だ。


 この塔に来て、四人目となる僕たち以外の人。それはどうしようもないほど自分に素直な馬鹿だった。


 ……ただでさえずっと不安な気持ちで密林を歩いていたというのに、たった四人しか出会えず、しかもこんな人に出会うなんて。これはとても先が思いやられる出会いだ。


「この食料は渡すわけにはいかんな」


「は? 何でだよぶっ殺すぞ」


「殺せるもんなら、なっとぉ!」


 しびれを切らしたのか、ずっと黙っていた司が金属バットで男性の左腕を殴りつける。僕達でさえ予想していなかったその打撃により、男性は素っ頓狂な声を上げながら茂みの方に転がって行った。とても暴虐非道な行為ではあるけれど、相手が相手だけに誰も咎めようとはしない。


「……まあ、先に攻撃してきたのはあっちだし。自業自得よ」


「そうですね。時間ももったいないですし、早く行きましょう」


「おい、お前らちょっと待てよ! ここで一人でいろってんのかよ、あぁ?」


 未だに強気な気持ちでいるのはさすがと言ったところだけど、生憎僕達にはそんなに時間はない。あの人に出会って、ここがこの世とあの世の狭間であるということを知らないままに来た人が正気を保てるかどうか、考えさせられることになったので余計にだ。あんまり考えたくないことだが、愛莉も人を襲うようなことになってしまっているかもしれないし。あまり悠長にしてはいられない。


 僕達は男性の方に一瞥もよこすことなく、少し遠ざかってしまったエレベーターの方に歩き出す。男性が後ろで何か叫んでいるようだが、どうでもいいことだ。


 あの人は僕達の大切な人ではない。


 僕達は慈善行為をしにここまで来たわけじゃないから、全くの他人を助けるほどの余裕はないのだ。


 僕達が命を懸けて守りあっていることさえ、奇跡だというのに。


「おい!! 待てっつって……、あ?」


 ずっと僕達に罵声を浴びせていた男性の声が止まる。諦めたのだろうか、と一瞬思ったが、様子がおかしいので少し気になった。そう感じたのは僕だけではないらしく、雪姫さんや、卯月さんもその場に立ち止まる。何も聞いてなさそうなアリスや真綾さんは、どんどんエレベーターの方に突き進んでいるが。


「あ、お、な、なんなんだよこれ……、おい、や、ちかづ、がっ」


 がぁあああああぁああああああああぁっぁ!


 突如男性が咆哮をあげた。それは決して僕らの注意をひこうとかいう意図は見られぬ、純粋な悲鳴。そして、その後には液体が飛び散るような音がして、男性の声は掻き消えた。


 ……なんだか、ものすごく、とてつもなく振り返りたくないけど。


 振り返るしか道はないので、卯月さん、雪姫さん、司と一緒に後ろを振り返る。ポケットに入れている銃に手を伸ばしながら。


 振り返った僕らの視線の先にあったのは、


 それこそまさに、


 惨劇、と言う言葉が似合う光景。


「おい……、お前らまずいぞ……」


 顔に口だけしかない、赤色の化け物が、男性を、


 男性を、食っていた。


 二足歩行のそれは、人間のなりそこないのような姿をしていて、人間のように二本はえている腕で、男性を掴み、頭から喰らっている。男性の周りには、男性から飛び散った血液が血だまりを作っていた。男性よりもはるかに大きいその体は、四メートル近くありそうだ。


 惨劇なのは、それだけじゃない。


 それだけども、十分惨たらしい光景ではあるけれども、それだけじゃないんだ。


「……なんで、あんないんだよ……」


 それと同じ化け物が、その後ろに五体がこちらに向かって歩き始めている。次に血だまりを作るのは僕達なのだと、その足音は物語っていた。


「逃げるぞ!」


 卯月さんの一括で目が覚めて、踵を返してエレベーターに走り初める。すでに近くまで来ていたので、あまり遠い距離ではないが、それでもあの大きな歩幅から逃げきれる確証はなかった。愛莉のリュックが背中で激しく揺れて、僕が走ることを妨げるが、そんなこと気にしている場合ではない。


 あんなもの、最初に出会った剣の化け物よりも相当たちが悪い。


 金属バットや剣なんかでかなうような相手ではなかった。


 先を言っていた真綾さんとアリスと零、香苗さんはすでにエレベーターの中に入っており、僕と雪姫さんと司と卯月さんに向かって、走るように大声で叫んでいる。そんなこと言われなくてもわかってるけど、危険を察知した側が、危険に気付かなかった人たちよりも危険に脅かされるという、皮肉な結果になっていることに、僕の足は悲鳴を上げた。ふとした拍子に口からも出てしまいそうだが、悲鳴なんか上げてしまえば僕の体力はたちまちなくなってしまう。今は知れていることさえ、卯月さんのおかげだから。


 後ろを振り返る余裕なんてなく、エレベーターに着いた瞬間に転がり込むようにしてその中に入った。僕よりも少し先に入っていた司が、僕の体を受け止める。そのおかげもあって、あまり体勢を崩さずにエレベーターの中に入ることが出来た。そして、すぐに僕は扉の方に振り返る。


 ぶわぉぉあおぉぉおぉぉぉぉ!!!!


 すぐ近くまで化け物が迫っていることに、気付いているから。


「扉が間に合わねぇ……!」


 群れの中の一匹が、手を伸ばせば僕達に届きそうな距離まで詰め寄ってきている。僕を乗せて閉まり始めた扉は、その厚く太い赤色の手が僕達をとらえるよりも早く閉まり切る見込みはなかった。このままでは、扉は中途半端な位置で止められ、僕達の内一人をとらえてしまうだろう。そして、この狭い空間では逃げることもできないし、金属バットや剣で抵抗するのもあまりにも危険だ。だから、誰も手を出せずに扉が早く閉まるのを願うしかない。


 だから僕は、後ろを振り向いた。


 剣や、金属バットを振り回せないなら。


「銃で、撃ち抜いてやればいい」


 僕の心を読んだかのような零の発言と重なるように、僕は手に持った銃の引き金を引いた。今まで二回しか使ったことのない僕でも、さすがにこの距離ならあてられる。あまりにも的が大きすぎるのだ。


 ぶうぉぉおぉぉぉぉ!!!


 化け物は耳を塞ぎたくなるような咆哮をあげながら、こちらに伸ばしていた手を引っ込めた。その体に致命傷を与えれるとは思っていないが、その痛覚に訴えることぐらいはできるだろう。そうなれば、仮にも生きているだろう化け物は、反射的に腕をひっこめるだろう。それは僕達が針で指を刺した程度の痛みかもしれないけども。


 銃で撃ち抜いて二秒ほど経って、エレベーターの扉は完全に締め切る。そしてわずかな起動音を立てながら、上に昇って行った。誰も化け物に食われることのないまま、僕達は次の階へと進む。


「……危なかったわね」


「よくやったぞ、チビ!」


 司ががらにもなく、僕の頭を撫でる。何だかそんなことされると照れくさいが、悪い気はしなかった。先ほどまで命の危機に脅かされていた僕達の間に、落ち着いた安堵の空気が流れる。


「本当に危ないところでした。良い判断でしたよ、愛莉ちゃん」


 雪姫さんも笑顔で褒めてくれるが、その手に握られたナイフのおかげで苦笑いしか返せない。この人の素性がとてつもないほど気になるが、聞いてしまったらそのナイフを染めるのが、次は僕の血になるような気がしたのだ心の奥底に欲求を沈めた。雪姫さんは、優しい。もうどれだけを覚えておくことにしよう。


「……あまり人に、出会わなかったな」


「そうですね、四人だけでしたから」


「見逃した人も多かっただろうな……、おい案内人」


「なんだい、卯月 光弥」


 何もしゃべろうとしない香苗さんを挟んで、卯月さんと零の会話が続く。間に挟まれている香苗さんは、最早意識があるのかどうかわからない、生気の失ったような瞳をしていた。


「俺たちの体の持ち主を、俺達は見逃したのか?」


 ……そうだ、大事なことを忘れていた。


 さっきまで無事に次の階へ登ろうということしか考えていなかったが、僕達はそれぞれ人を探しにここに来たのだ。それすらままならない状況だったので仕方なかったが、それゆえに見逃した可能性は高い。


「君たちのスマートフォンは、何て言ってるかな?」


「何も言ってないヨー?」


「つまりそういうことだよ」


 ポケットから取り出した僕のスマートフォンは、相変わらず不気味な髑髏が気になるものの、何の音も発していなかった。僕以外の人の物も、何も音を立てていない。


 と、いうことは、


「見逃しは、なしか」


「……とりあえず一安心ですね」


 その事実はとても嬉しいものだが、もしもここに愛莉がいたなら、僕はまた何もできないままになってしまうところだった。その可能性が、零ではなかったのだ。


 もっと、頑張らないといけない……。


「たった二階でこれかよ……。先が思いやられるな」


「お兄ちゃんだっさーい」


「うっせーよ」


 司とアリスが小突きあっている。この二人は密林に来て、本当に仲良くなった。兄弟のようなその姿に、思わず笑みがこぼれる。


 こんな光景が見られるのも、


 全部諏訪さんのお蔭なのだ。


 そのことを忘れずに、僕達はこの先に進まなくてはいけない。それは義務でもあり、感謝を伝えるための礼儀でもある。僕達は今、諏訪さんに生かされているんだ。


「……そうだ」


 これから先、愛莉に会ったらちゃんと伝えよう。僕を助けた命の恩人がいることを。その人が居てくれたから、僕達は再び出会えたんだということを。


 そして、もう一つ。


「あ、愛莉ちゃん!?」


 生き返ったら、きちんと体力をつけた方がいいということを。


 体と精神が限界を迎えてエレベーターの床に倒れこんだ僕に、雪姫さんが駆け寄ってくる。それを確認し終えた僕の目は、その活動を止めて暗闇しかうつさなくなった。


 僕達は、密林を後にして、塔を登り続ける。


 この先に待ち受けている危険からひとまず目を逸らして、安らかな気持ちで。


 ある一人の母親に向けての感謝を、胸に刻み込みながら。

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