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「狭間の塔」  作者: 春秋 一五
「現世」
1/26

「あなたなら、どうしますか?」

 例えば、自分にとって大切な人がいたとしよう。


 その人は、自分にとって掛け替えのない存在であるだろう。


 例えば、恋人。


 例えば、友人。


 例えば、家族。


 それは人によって違うだろう。


 誰でもいい、誰にだって一人ぐらいは、いるはずだ。


 その人の顔を、今、思い浮かべてほしい。


 今、あなたの頭に思い浮かんできた人、その人が急に、


 死んだ、としよう。


 恐らくあなたは悲しみに暮れるだろう。


 何日も泣き続けるかもしれない。


 あまりの悲しみに、病気になってしまう人もいるかもしれない。


 自分も後を追おうとする人も、少なからずいるだろう。


 でも、もしも、その人が生き返るとしたら?


 もちろん、ただではない。


 代償は、あなたの命である。


 でも、本当に大切な人を生き返したいのなら……、自分の命が惜しくない人も、いる。


 もちろん、全員ではない。


 自分の命の方が大切だと答える人が大多数だろう。


 だから、ここで敢えて問おう。


 もしも、あなたがそうなってしまったとき、


 あなたなら、どうしますか?


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


「アンケート用紙配るから、終わったら各自前にだしに来てくれー」


 眠たそうな声で、担任教師は僕達にそう告げた。雑談をしていたクラスメートは、少し声を落として、そのアンケートに取り組む。まだひそひそと話し声が聞こえるが、教師はそれを咎める気はないようで、大きな欠伸をしながら、窓から空を見ている。仕事をする気がないのだろうか。


 このまま教師を観察していても、何も面白くないので、僕もアンケートに取り掛かる。雑談をする相手もいないので、静かに、一人で。


 アンケートは、学校生活に関する簡単なアンケートで、年に三、四回ほど行われるものである。例えば、「あなたの得意科目は?」とか、「あなたは学校が楽しいですか?」とかだ。前者は数学、後者はもちろんどちらとも言えない、を選択する。もう少し前だったら、やや楽しい、ぐらいを選んでいたのだが。


 特に珍しい質問はなく、淡々と質問の答えを選んでいく。マーク式のアンケートで、塗りつぶすのが面倒だった。だが、それももう少しだ。そう思い、次の質問を読んだところで僕は手を止める。正確に言うなら、答えることができなかった。


 その質問も、なかなかにありきたりなものであり、他の人なら難なく答えているであろう。何人かのクラスメートたちが、僕の横を通りぬけて、アンケートを教師の元へ提出しに行っていた。


 質問の内容は、「あなたには、現在悩みを相談できる人がいますか?」だ。


 普通だったら、いる、にマークをするところではあるが、アンケートに嘘を書いてしまうのはなんとも忍びない。ただ、いないわけではないのだ。いなくなった、のだ。


 両親は僕を残して他界してしまっていた。僕が生まれてすぐにだ。そのため僕は親戚に引き取られ、肩身の狭い思いをしながら、ここまで生きてきた。親戚のおばさんとおじさんは、僕に酷いことをする、とかそういうのではなく、ただただ、僕に無関心なだけだ。月に支給される小遣いだけで、食事と教材費などを自分で払わねければならない、というプチ一人暮らしを僕はこれまでおくってきた。


 そんな親戚の二人に悩みなんか相談するわけがない。


 友達?


 そんなのいるはずがない。理由? 聞かないで。ただ、ちょっと口数が少ない僕のことを、周りの人たち、特に社交界に生きているクラスメートたちは気に食わないのだろう。よって悩みなんか相談できるはずもない。


 でも、僕は少し前だったらこの質問に、いる、と答えていた。


 だけど、僕は今、いない、をマークする。


 僕にもそんな存在が昔はいた、だけど、今は、いないのだ。それ以外の答え何て、ない。


 その問いで少し戸惑ったものの、それ以降の問いにはすらすらと答えて、僕も他のクラスメートと一緒にアンケートを教卓へと提出しに行く。


 僕の二つ前の席、そこは一か月前から空席になっている。机の上では、少ししおれた花が虚しく花瓶に飾られていた。


 その席に座っていた、僕の幼馴染であり、彼女であった人は、もう僕の悩みを二度と聞いてくれない。


 笑ってもくれない。


 くだらない話を一緒にしたりもできない。


 手をつなぐことも、キスをすることもできない。


 ただただそれが悲しくて、やるせなくて、


 だけどどうしようもなくて、何もしなかった。


 今も、僕は何もできないでいる。アンケート用紙を提出して、早足で自分の席に着き、机に伏せる。そして静かに一人で涙を流した。もう少し戻るのが遅かったら、歩いている途中で泣いてしまっていただろう。


「……あいつ」

「……また泣いてるよ」

「……もう、一か月経ったのになぁ」

「……愛莉しか仲良い奴もいなかったみたいだしな」


 周りから、僕の行動に対するクラスメートたちの非難が浴びせられる。みんな声を抑えているようであったが、こんな狭い教室の中じゃいやでも聞こえてきてしまう。


 それでも、それでも僕は、泣く以外に愛莉のためにできることは何もないんだ。


 それが悔しくて、僕の目からまた涙が零れ落ちる。


 落ちた涙は、乾いた机に染み込んでいく。


 だけど、僕の悲しみは吸い込まれないまま、僕の心に溜まり込むだけだ。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


「おーいおいおーい! ゆーうーくぅーん!」


「この距離で叫ばなくても聞こえてるよ」


「よーうぅぅーくぅぅぅぅ」


「いや待てそれに関しては僕じゃない」


「あら? ほんとだー」


 愛莉は笑い、僕の机の上に肘を乗せて、恥ずかしそうに頬をかいた。いやいや僕の方が全然恥ずかしいんだけど? そうは思うが言葉に出しても無駄だとわかっているので、ため息をつくだけで特に何も咎めない。楽しそうに愛莉の長い黒髪が揺れた。


「優君ご飯食べよー?」


「いいよ、食べよ」


 僕もちょうど愛莉を誘おうと思っていたところだ。机の横にあるカバンから弁当箱を取り出して、机の上に置く。愛莉も左手に持っていた弁当箱を僕の机の上に並べて置いた。


「へへー、お揃いー」


 この前一緒に買いに行った、薄いピンク色の弁当箱が二つ、僕の机の上に並んでいる。愛莉はそれを眺めながらにやにやと笑い、体を揺らしている。その微笑ましい姿を見て、僕もまた微笑んだ。


「優君ちゃんと使ってくれてるんだねー? 色とか少しいやそうだったのにー」


「うん、まぁ、ね」


 確かに僕にあった色じゃないな、っていうのが最初はあったが、せっかく愛莉と買ったものだ。使わないのは、男としてどうかと思う。


「優君はその名の通り優しいよねー、ほんとー」


 愛莉は弁当を開けながらそう呟いた。「うっ? これ私のじゃないぞ?」僕の弁当を間違えて開けたようで、少し目を白黒させている。何故だか知らないけど、状況を掴めていないらしい。基本的に、愛莉は馬鹿だからね。「まぁいいや、食べちゃおーう」いや何でそうなる。


「止まって、ちょっと、待ってよ愛莉」


「え、なんで?」


「それが僕の弁当だからだよ」


「……なるほど謎は全て解けた!」


「いや謎なんか最初からなかったよ!」


 柄にもなく、教室で大きな声を上げてしまう。クラスメートの数人が何事かとこちらを向いてくるが、僕たちだとわかると、呆れたような顔をして各々自分の食事に戻る。僕たちの騒動など、もう見飽きてしまっただろう。まだ最初の方は、普段喋らない僕が急に大きな声を出したりするもんだからみんな驚いていたが、今では最早見慣れた光景となってしまったようだ。


「あ、そうだ、今日の放課後空いてるかな? かな?」


「なんで二回かなをつけたの? まぁ、空いてるけど」


 今度こそ自分の弁当を食べながら、愛莉が僕に聞いてくる。語尾というか、言葉に違和感を感じた僕はそれに突っ込みながらも、その質問に答える。ちなみに、いちいちこういうのを突っ込んでいたら、きりがないので、普段は無視しているのだが。


「じゃあ、あれ買いに行こうよ、あれ」


「あれ? あれってなに?」


「以心伝心、以心伝心」


「いや、伝わってこないよなにも」


 僕が否定すると愛莉は少しふくれっ面になったが、すぐに笑顔になってまた話し始める。


「特に何も買うものないから、遊びに行こうってことだよ。なんでわかんないかなー」


「普通の人はわからないと思わない?」


「いや優君普通の人じゃないし」


「いや普通の人だし」


 むしろ普通じゃないのは愛莉の方だ。そう思ったが、その言葉は飲み込み、僕も自分の弁当を食べる。自作の卵焼きは、我ながら美味だった。


「んじゃあ、今日の放課後いつものデパートねー」


「了解了解」


 ここでこの話はいったん終わった。その後は、愛莉が大根は何故あんなに白いのかという話を一人でしているのを、聞くことに専念する。何か口を出すと、面倒になりそうだから。最終的にその話は、「いや、まぁ、大根は美肌ってわけだよねー。つまり日焼けしない体質なんだよー」という結論でまとまった。何だか少し惜しいのが気に食わない。


 こんなことをしている間にも、昼休憩はどんどんと過ぎて行っている。授業の時の時間の進み方とは違い、四〇分ある休み時間が、あっという間のように感じられた。


「あら、もうこんな時間? じゃ、優君また放課後ね!」


「うん、じゃあね」


 と言っても愛莉は二つ前の席に帰るだけなのだが。やはり愛莉は頭のねじが何本か弾け飛んでいる。そう思うと、自然と笑みが浮かんだ。僕の隣の席の女子が、変なものを見る目で僕を見てくるが、まぁ、気にしない。


 僕は今、幸せなんだ。


 笑うぐらい、いいじゃないか。


   ○ ● ○ ● ○


「優君、良い天気だねぇ」


「え、どうしたの急に老けて」


「老けてねーよ、ばーか!」


 放課後になり、僕たちは昼休憩に交わした約束通り、デパートまでの道を二人で歩いている。もう辺りは夕方で、道路の交通量も多い。下校途中の高校生や、公園で遊んでいる小学生たちも多く目に入った。


「私たちにも、あんな時期があったねぇ」


「やっぱり、老けたよね?」


「さぁー、行こうか優君」


 誤魔化すように愛莉は早足で歩きだした。少し遅れた僕は、その後をこちらも早足で追いかける。思わず苦笑いが漏れてしまう。


 愛莉はいつまでたっても、変わらないのだろう。これからも、突拍子のない行動で僕を驚かせてくれるのだろう。


 それを笑って見守る生活も、悪くない。


「ちょっと待ってよ愛莉―――」


 愛莉を呼び止めようとした、その瞬間だった。


「愛莉!?」


 愛莉は道路の真ん中で、何故かうずくまっていた。歩行者用の信号機は、赤になっている。よく見ると、愛莉はボールを持っているようだった。さっきの子供達が遊んでいたものだろう。


 問題なのは、そこからだ。


 道の真ん中でボールを拾う愛莉の間近に、


 軽トラックが、迫ってきていた。


「……くそぉぉぉぉ!」


 僕は何をすればよいか考えることができずに、咄嗟にうずくまっている愛莉の元へ駆け寄り、その背中を抱いた。貧弱な体であるが、クッション替わりには、なるだろう。


「ゆ、うく」


 何か言いかけて、愛莉は声が出せなくなった。口をぱくぱくと動かすだけで、音が全く聞こえてこない。恐らく後ろから迫る軽トラックが目に入ったんだろう。大きなクラクションの音が、耳障りだった。


 僕も何か言おうと思ったが、言う間もなく、激しい衝撃が体に走る。内臓が全て破裂してしまったような感覚に襲われると同時に、体がその場から浮き上がり、愛莉を抱いたまま吹っ飛ばされる。これは感覚ではなく、実際に起こっていることだ。愛莉が持っていたボールが、どこかで地面にぶち当たる音が聞こえた。


 体中が痛い。骨も、恐らく数本じゃすまないほど折れているだろう。もしかしたら、地面に落下するころには僕は死んでいるかもしれない。


 愛莉が頭から落ちてしまわないように、体勢を整えつつ、後は地面に落下するのを待つばかりだ。こういう時周りがスローモーションになったように見える、と誰かから聞いたことがあるが、なるほどこの感覚か。味わいたくはなかったが、体験してみてようやくわかることもあるのだとしみじみしてみる。不思議と生まれてくる心の余裕が今の僕の自我を支えているようだ。


 ついでに僕は今、走馬灯というやつも体験している。今まで生きて、体験してきたことがコマ送りの漫画のように頭に浮かぶ。だいたいの記憶に残っている僕は、常に無愛想な顔をしていた。少し長くて、茶色い髪も、子供のころから変わっていない。


 そして、無愛想な顔をしていないときの記憶には、いつも愛莉が映っている。


 僕が今まで生きてきたことに意味をつけるとするなら、今ここで愛莉を助けることができたことだろう。そう思うと、今まで全然いいことはなかったが、いい人生だったと思える。


 でもどうせ死ぬなら、最後に一度だけ愛莉の顔を見て、死にたい。いつも僕を支えてくれた、幼馴染であり、彼女の顔を。


 最後の力を振り絞って、腕の中の愛莉の顔を見つめる。その顔を見て、僕は目を見開いた。


 何故か愛莉は、安らかに微笑んでいたのだ。それに何かを問おうとする前に、体が地面に叩きつけられた。問答無用に意識は混沌の中に突き落とされる。息が止まって、口から血が溢れ出た。


 最後の最後に、聞こえてきた愛莉の声。空耳かなんだか知らないが、それは確かに僕の耳まで聞こえてきた。


 ――――――――――ごめんね――――――――――


 なんで、なんで謝ったんだ。気になっても、口は開かない。


 愛莉の口が、さらに言葉を紡ぎだす。もう、耳は聞こえない、でも、なんでだろう。霞む視界の中で、それは意味を持った言葉となって、僕に届く。


 ――――――――――生きて――――――――――


 何でそんなことを言うのか。僕は完全に死んでしまうだろう。それに、それに何故君は、そんなに安らかな顔をしているんだ。まるで、死に至る瞬間の様な、そんな、顔。問おうとして、何もできず、意識は遠のき、消えてった。


 愛莉が僕に遺した言葉の意味も分からぬまま、僕は死んでいく。


 秋の風が、馬鹿にしたように僕を撫でて行った。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


「…………ん」


 どうやら僕はあのまま寝てしまっていたようだ。辺りは茜色に染まっていて、誰もいない。完全に寝てしまったんだな、僕は。


 未だ頬を流れる涙を乱暴に拭い、机の上に散らかった筆記用具を片付けていく。あの時のことを夢で思い返していたので、今こうして僕が日常を送っていることが不思議でならなかった。


 あの時死んだはずの僕は、今こうして生きている。


 僕は、あの日、無傷で道に寝転んでいたところを、僕をひいたはずのトラックの運転手に起こされた。運転手も困惑していたが、一番困惑していたのは僕だ。全く痛みすらなかったので、もう死んだ後かと思ったほどだ。


 だが、その幻想は一瞬で打ち破られる。


 目の前にあった、愛莉の血まみれの死体を見たからだ。


その姿からはもう、生前の姿は想像できなかった。黒くて艶やかだった髪は真っ赤に染まり、細くて綺麗だった四肢は、有り得ない方向に曲がっていた。その姿に僕は、吐き気すら感じていた。


よく考えると、僕があの状態で無傷ですむはずなかった。でも、その時は目の前の事実を受け入れること以外、僕には許されていなかったのだ。


僕はもしかしたら、愛莉を助けずにただ道路で気絶していただけなのかもしれない。そう、考えることにした。それ以外に考えられることは、ない。あの痛みも、記憶も全部幻想で、僕は愛莉がトラックにひかれるのを黙って見ていた、それ以外に答えなんてない。


「……帰ろう」


筆箱を鞄にしまい、立ち上がる。いつから流れていたのかもしれない涙を再び拭い、誰もいない廊下へと出た。冬に近づきつつある秋の風は、身に染みる。


愛莉はこの世からいなくなったが、僕は、いる。ただ無愛想な表情を崩すこともなく、無機質にこれからも生きていく。自ら命を絶つ勇気もない。


 そんな人生に意味なんかあるのか。今まで愛莉だけが唯一の心の支えであった、僕に。これ以上生きる意味なんて。


『長峰 優』


 そんなことを考えながら歩いていると、不意に僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。先生か、誰かか? と声のした方を振り向くが、そこには誰もいない。空耳、だろうか。そう判断し、再び歩き出す。


『長峰 優、聞こえているんだろう?』


 これは……、空耳じゃないな。また振り返るが誰もいないので、今度はそちらに歩み寄ってみる。次第に声のするものの正体がわかってきた。


 それは廊下の真ん中に不自然に置かれた机の上にある、スマートフォン型の携帯端末だった。何で、こんなところに置かれているのだろう。そして、何故僕の名前を呼んでいるのか。僕は気になって、それを手に持った。機械的な重量が手に伝わってくる。


「……だ、れ?」


『そんなことは、どうでもいいことだ』


 何だこの電話失礼にもほどがあるだろう。僕は怒りを感じて元の場所にスマートフォンを返そうとする。だが、次に電話から聞こえてきた声に、僕は思わず耳を疑った。


『君に、彼女を生き返らせるチャンスをあげよう。要件はそれだけさ』


「待って! 詳しく話を聞かせて!」


 電話を切ってしまいそうな勢いだったので、僕は慌てて叫ぶ。ここが学校内であることもすっかり忘れていた。運がいいのか、現在廊下には僕しかいない。放課後であるが、まだこの時間なら人は多く校舎内にいるはずなの、だが。


『いい喰いつきっぷりだね、長峰 優』


 僕の叫びに、電話の相手は嬉しそうに返事を返す。声の調子からして、どうやら子供のようだった。


 しかし、相手のことなんてどうでもいい。


 生き返すチャンスをくれると、相手は言った。


 それに、今の僕が喰いつかないわけがない。


「生き返らせるって、どういうことなの!?」


『そんなに大きな声を出さないでよ。落ち着いたらどうだい?』


 相手は呆れる様な声でそう言った。しかしどこか気色の混じった声は、機械的な響きも持っている。それに、僕の全てを見透かしているような、どうにも不愉快な声だ。


『質問には、君が決意したら答えようじゃないか。生き返せるって言うのは、本当だよ。話を詳しく聞きたいなら、それを持って来るといいさ』


「来るって、どこに行けばいいんだよ!」


 再び僕は叫ぶ。誰もいない廊下に僕の声はこだまして、響いた。相手の言葉の不可解さも言及することなく、取り乱しながら。こんなに語調が激しかったのだろうかと自分でも疑問に思うほどに。


『それに書いてあるさ。それを元にして、ここまで来てごらんよ』


 相手がにやりと笑う顔が頭に浮かぶ。顔すら知らない相手なのに、それははっきりと僕の頭の中に映し出された。


 そこには不気味で歪な笑みを浮かべる、金髪の少年が映っている。


『君が命より仙道 愛莉を大切だと思っているのか、そこで答えをだしてみるがいいさ』


 そして通話は一方的に切られた。恐らくそれ、とはこのスマートフォンのことだろう。これに場所が書いてあるとはどういう……、あぁ、なるほど。


 通話が断ち切られたばかりの画面には、地図が映し出されていた。見覚えのあるそれは、恐らく学校の近くにある、山の地図だ。丁寧に、右斜め上に山の名前まで記されている。


 鈴音山すずねやま


 夜に道に迷った時に、鈴の音が道を教えてくれる、という話から地元の人がつけたと、公民の授業か何かで聞いた気がする。


 そんな近くに何か愛莉を生き返すような手掛かりがあるとは思えない。


 けど、行くしかないんだ。行けば、何かあるかもしれない。僕は荷物を廊下に投げて、駆けだした。すぐにでも、その真意を確かめたい。その一心だけで。


 靴箱まで辿り着き靴を履き替え、外へと飛び出す。部活中の生徒たちとすれ違いながら、鈴音山まで駆けた。スマートフォンを片手に握り、必死の形相で走る僕の姿は異様だろう。しかし気にせず走り続けた。


 空は不気味なほど、紅く染まっている。茜色を通り越して、それは血の色を思わせた。


 生ぬるい風が、頬を撫でて通り過ぎて行った。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


「……ここ?」


 地図に沿っていくと、木々の中で少しだけ開けた場所に着いた。ここに、人を生き返すような何かがあるとは、決して思えないのだが。


『長峰 優。よく来たね』


 再びスマートフォンから声が聞こえる。僕はそれを耳に押し当て、相手に問う。


「どこに、いる?」


『見ればわかるだろう、明らかに不自然な場所があるじゃないか』


 そう、言われても。


 言い返そうと思ったが、確かに明らかに不自然な場所を見つけた。それは自然ではあるが、明らかに自然ではない。


「……あの、井戸みたいな場所?」


『まぁ、そう見えるだろうね』


 僕はそこへと早足で行く。そこには、確かに地面の下に続く、空洞があった。中を覗くと、深い闇に飲み込まれそうな感覚に陥る。


 こんなものが、自然に存在するはずはなかった。入り口は綺麗な円出来てていて、その周りは土でできたこれまた綺麗な立方体で囲まれている。


「これに、落ちれば、いいのか」


『そうだよ』


 この、奈落の様な穴に落ちろというのか。底も知れないような、こんな穴に。もしかしたら、死んでしまうかもしれないというのに。


 ……だけど、今の僕は。


「ここに落ちれば、全てが分かるんだよね?」


『そうだよ』


 なら、落ちるしかない。


 ほとんど躊躇いはなかった。奈落の様な穴へと飛び込む。


 落ちていく感覚は、不思議だった。落ちるというよりは、浮かび上がっているような、そんな感覚。高いところから飛び降りると、こんな感じなんだな。僕は不思議と感心してしまう。


 でも、僕がここに落ちるだけで愛莉が生き返るなら安いものだ。


 待っていろよ、愛莉。


 僕は根拠もなく、そう言い切り、


 そして、


 そして、


 僕は、いなくなった。

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