離散
ついに異世界に。
第四話〈離散〉
明るい陽射しが差し込む林の中。
麻世は、周囲を見回して溜息をついた。
『藍田さんは、本物でしたか。疑って悪いことをしました』
パッと見では、ほとんど変わらないように見えても、樹木や草花が麻世の知っているものとは少し違う。
強いて言えば、去年家族で行ったスコットランドの林に似ているが、どちらにしても日本では無いと麻世は確信した。
『異世界に飛ばされるのは藍田さんに言われていたので、まさかと思いながらも覚悟してましたけど……離れ離れにされるとは思いませんでした……どうすれば良いのでしょうか』
気付くと、麻世一人だけが、ここに立っていた。
6人ずつという班分けをされたので、当然一緒に行動するものと皆思い込んでいたのだが、そうでは無かったらしかった。
『もしかしたら、同じ世界にはいないということも……』
最悪のことを想像した麻世は、ぶるっと身を震わせた。
年の割には、自己制御にたけ、頭も回る少女だが、それだけに今の状況がかなりマズイと理解できてしまい憂鬱になっていた。
『……まずは、自分の服装と荷物のチェックでしょうか』
麻世は落ち込みかけた自分に活を入れ、無理矢理、短期的な作業に頭を切り替える。
全身を映す鏡などは無いので、一生懸命下を向いたり身をよじったりして、自分の服装を確かめてみると、通気性と保温性を兼ね備えた最新素材のアウトドアルックという指定の通り、それらしい服装になっているようだ。
『想像していた通りにちょっと可愛いデザインになっているのが凄いです。でも……自分では着替えた覚えが無いのに服装が変わっているのは、少し気持ち悪い気がします』
もと着ていた制服はどうなったのでしょうかと考えながらも次に、いつの間にか背負っていたリュックを下ろして開けて見てみる。すると中には皆で話し合って決めた道具類のうち麻世の分担とされた細々とした物と身の回りの品がちゃんと入っていた。
『一応、最低限の物は自分でという取り決めをしておいて良かったです。着替えとか無いまま旅をする事になっていたら、耐えられません』
躾が行き届いている分、麻世には少し潔癖性なところがある。それも衛生観念が中世レベルの世界で暮らして行くには、少々不安要素になりそうなほどだ。
『それから、あ、そうです。確かめておかないと……ええと』
目の前に両手で皿を作った麻世は、小さく口を開き。
「水よ在れ」
一言囁いた。
すると、何も無い空中から水が流れ出、麻世が差し出した両手の窪みに溜まった。
『!! 魔法が使えました……間違いなく異世界なんですね……ここは』
恐る恐る手のひらに溜まった水に顔を近づけ、口に含む麻世。
『あ、美味しい』
魔法で出した水は、澄んだ清水の味がした。意外と喉が乾いていたことに気付いた麻世は、コクコクと残りの水を一気に飲み干して、一息ついた。
『これで水の心配もなくなった……です……ね』
伏せていた顔を上げ、もう一度ゆっくりと辺りを見回した麻世は、柔らかな木漏れ日が周囲を照らし幻想的な雰囲気を作り上げている林の中で、不意に途方に暮れた表情を浮かべた。
『……人のいる場所を探しに行くか、安全な場所を見つけるか、どちらが良いのでしょうか』
遭難した時は、その場を動かない方が良いとは言われているが、それも探してくれる人がいればの話だ。もし、全員がバラバラにされ遠い場所に飛ばされている場合、動かなければ、合流まで時間がかかり過ぎ、それまで無事に過ごせるかどうか分からない。
『皆さんと合流するまでか、出来なくても一人で頑張らないとです』
麻世は、ぐっと力を入れ小さな手で拳を作る。
『いろいろ能力も貰いましたし、できる筈です。出来なきゃいけないんです』
唇を軽く噛みしめ、歩き出そうとした麻世。
だが、足は動こうとしなかった。
『だ、ダメです。が、頑張らないと……いけません』
ギュッと両の手を握りしめて肩に力を入れ、なんとか進もうとする麻世だったが、一歩が踏み出せないまま、徐々に顔が下を向きはじめ、ついには完全に俯いてしまった。
「が、がんばらな……い……と…っく、……ひっく」
麻世の肩が震え、ポタポタと雫が下草の上に落ちはじめた時。
サクサクと下草を踏みしめる音が麻世の背後から聞こえて来た。
「おー、鈴木さん発見!割と近くて助かった」
「ふぇ……」
聴き覚えのある声に、呆然と麻世が後ろを振り向くと。
「早いうちに会えて、良かった……って」
そこにいたのは、藍田康介だった。
ニコニコとしていた顔が、すっと真面目なものになると。
足早に近寄って来て、ギュッと麻世を抱き寄せる。
「遅かったか、ごめんね」
そのまま麻世の頭を優しく撫でながら、康介が囁いた。
身長差で、ちょうど康介の胸の位置に麻世の頭がくる。
「これでも急いで探して来たんだけど。心細い思いさせちゃったか、ごめん」
「……っく、ひ、ひとりで、ひっく……どうしよう…っく…って」
「もう大丈夫、もう心配ないから」
◇----------◇----------◇----------◇
ポンポンと背中を優しく叩いてくれる康介にしがみ付いて、しばらく泣いていた麻世だったが、徐々に落ち着いて来た。
「……っは、んく…はぁ」
ようやく感情の爆発が収まった麻世の様子を察知したのか、大丈夫大丈夫と言い続けながら、背中を優しく叩いてくれていた康介が、軽く身体を離すと、ゴソゴソと懐を探って取り出した布で優しく麻世の顔を拭う。
泣き疲れもあって、ボーッとしていた麻世はしばらくされるがままになっていた。
「よし、ほらこれで綺麗になった。うんうん、可愛い可愛い」
『え?あれ?』
麻世がふと我に返ると、康介が至近距離でニコニコと自分を見つめていた。
「……い、い、い」
「い?」
「イヤーーーーーーーーー!!!!!」
康介に、抱き付いて泣いた上に、涙でぐちょぐちょの顔まで見られたと気付いた麻世は、最大級の悲鳴を上げてその場に蹲った。
「っつ!み、耳が……」
至近距離で大音量を浴びせられた康介もまた、耳を押えて蹲るのだった。
◇----------◇----------◇----------◇
「本当に申し訳ありませんでした」
「いやいや、こちらこそレディに失礼なことを。つい妹と同じ扱いをしてしまってごめんね」
あれから十数分後、麻世と康介はお互いに頭を下げまくっていた。
麻世が落ち着くまでと、これからの打ち合わせもしなければ、とのことで軽く休憩をとることにしたのだ。
適当な岩の上に腰かけ、麻世が魔法でお湯を出して、康介が持っていた粉末レモンティーを淹れた。
猫舌の麻世は、冷ましていた紅茶を一口飲んでから、口を開いた。
「妹さんがいらっしゃるんですか?」
「そうなんだ。小三と小五に、鈴木さんと同じ中二。だからかな、つい対応が同じになってしまって……」
申し訳なさそうな康介に、麻世はくすっと笑った。
『最初から妙に親し気でしたから、もしかして少女に必要以上に興味のある方なのかと思ってましたけど、わたしと妹さんを重ねていただけでしたか』
「兄妹たくさんで羨ましいです。わたし、一人っ子なので」
「そうか、それは寂しいかもしれないね」
「特に藍田さんみたいな優しいお兄さんが欲しかったです」
「優しいかな。妹達には、もっと女の子に気を使えって、いつも怒られてばかりだけど」
怒られてる康介が、容易に想像出来て麻世はクスクスと声を上げて笑った。
「鈴木さんが、元気になって良かったよ」
自分が笑われているのに、麻世の方を心配してくれる康介がニッコリと笑っていう。
「さ、さっきの事は、忘れる約束じゃないですか!」
「あ、ごめんごめん」
「藍田さんは意地悪です」
「…………ごめんね、鈴木さん」
本当にすまなさそうに謝る康介に麻世は、ふふっと笑って言う。
「わたしのことは、麻世と呼んで下さい」
「名前で呼ぶって言うこと?」
「はい。さんも、ちゃんもいらないです。呼び捨てにして下さい。その代わり、わたしも、『コウさん』と呼んで良いですか?」
「それは、構わないけど、呼び捨てと言うのは……」
「いいんです。わたしが良いって言ってるんですから」
「そうか……うん、分った。頑張ってみるよ」
真剣な顔をして頷く康介がおかしくて、麻世はもう一度、ふふと小さく笑った。
◇----------◇----------◇----------◇
麻世は、空中で身体をくるっと反転させた。
最初に見た方向には、森と丘が連なり、やがて山へと繋がる自然に溢れた景色しかなかったが、反対側には平野が広がり、一応街道と呼べるようなものと、その先に町がみえていた。
『あまり大きくは無いようですけど、宿くらいはあるのでしょうか』
麻世が選んだ能力の一つが、飛行魔法だった。
本当は、麻世は箒に乗るか、日傘を差すというオーソドックススタイルで飛びたかったのだが、汎用性が損なわれるとの康介の意見で、身一つで飛べる能力を選ぶことになった。
身一つで飛ぶと言っても、自分の触れた物を一緒に持ち上げられる能力にしておけば、見かけ上、箒や傘で飛んでるように出来るという康介の提案に、麻世が納得した事も大きかったが。
『それしても空を飛ぶのは思ってた以上に楽しいです!』
周囲の地形の確認と言う目的を果して少し余裕が出た麻世は、青空の中、両手を広げてクルクルと回って見た。
誰も見ていないということもあって、麻世は顔中に笑みを浮かべ、今にも歌い出しそうな表情をしている。
普段は、少し大人びた印象のある麻世だが、そんな表情をすると、年相応に見える。
『もうちょっと練習して人一人抱えて飛べるようになったら、この景色、コウさんにも見せて上げたいです……あ、コウさんと言えば、すっかりお待たせしてますか』
麻世は最後にもう一度だけ町の方向と地形を確認すると、康介の待つ林の中へ、ゆっくりと降りて行った。
◇----------◇----------◇----------◇
下に降りると、それまで心配気にしていた康介が、ニッコリと笑みを浮かべて出迎えてくれて、麻世は少し嬉しくなった。
「麻世、お帰り。調査ご苦労様」
自分をちゃんと呼び捨てにしてくれる康介に笑顔を返した麻世は、まだ慣れないので用心しながら着地した後、方向を忘れないうちに報告する事にした。
「こちらの方向に少し行ったあたりに舗装されていない道があって、その先に小さい町がありました。反対側は、森が続いて丘と山になってました……とても、綺麗でした」
報告の最後に、躊躇ってから付けたした麻世の言葉に、康介は大きな笑みで応えて頭を撫でて来た。
「綺麗だったか……良かったね」
「……はい」
『不思議……コウさんといると、何だか甘えっ子になってしまいそうです』
憧れていた兄というのは、こんなものなのかと麻世は、素直に頭を撫でられながら思っていた。
「それにしても街道があって、ほっとしたよ。これで魔法と科学が程よく混じった世界に来られた可能性が高くなったね」
撫でるのをやめた康介が腕組みしながら言った。
その手を、名残惜しそうに一瞬目で追った麻世も、こくんと頷く。
「飛行魔法や空間転移魔法を使える人が限られた世界だから、道があるという事ですか」
「そうそう。後は町で建物や売ってる品物なんかを観察すれば、かなりのことが分かるはず。人については……言葉が通じるかどうかが問題だけど、一応、大丈夫と塾長は言ってたからね」
「……塾長さんですか……信用できるのでしょうか」
出発する直前、こちらに向かって「頑張って来てねー」と能天気にヘラヘラと笑っていた塾長の顔を思い出して、不安になる麻世。
「うーん、すっごく怪しい人なのには間違いないけど。でも、魔法も使えたし、僕が麻世を簡単に見つけられたのも『欲するものを探し出せる力』なんて抽象的な能力が実現しているお陰だし。大丈夫だとは思う」
「……コウさんが、そう言うのなら大丈夫そうですね」
今では、康介をすっかり信用している麻世は、とりあえず不安を忘れる事にした。
「にしても、小さい町って言うのは、少し困ったことになるかも知れないな」
「どう言うことでしょう?」
「いや。出来るなら、最初は小さな村か、町は町でも大きな『街』の方がうまく行くかなと思っていただけ。ほら、僕達は、お金を持っていないからね」
「ああ、村なら、交渉次第でお金を使わずに済むかも知れないし、街なら準備しておいた宝石などを換金できたのにということですか」
「うん。服装と貨幣は分からないからって、服は僕らの世界のアウトドアの服装にしたし、選べる装備品一覧の中から砂金と宝石を適当に持って来て見たけど……コレだって価値がイマイチ分からないしね。もしかしたら、ここでは魔法で簡単に作り出せたりする可能性だってあるかも」
「だから、こんな怪しいお土産品みたいなのを、持って来たんですか」
自分に渡されていた品物を覗き込む麻世。
あまり嵩張らないからと、担当する事になった物だが、内部にレーザーで3D彫刻したクリスタルやオルゴールなどが適当に詰め込まれている。
「ほとんどヤケクソさ。物の価値は需要と供給のバランスで決まるから、何が価値あるかって言うのは実際に見て見るまで予想もつかないのが痛いよね。特に魔法がある世界なんて……」
「最初は、世界に慣れる事からスタートしないとですか……」
「そういう事だね。まぁ、こうしてても仕方ないから、町に向かおうか!他の皆も探さないといけないしね。合流さえ出来れば、何が起こっても大体は対処できる筈……まぁ、他はかなり遠そうだけどね」
康介が苦笑いをしながら言った。
他の班員は、かなり遠くに飛ばされた様だというのは、康介の探知能力で判明していた。
康介が狙った通りに、能力で「欲しい物」の大体の方向と距離が分かるらしい。
「……他の皆さんは大丈夫でしょうか」
「麻世が上に行ってる間に、もう一回集中して探って見たんだけど、どうやら僕達みたいに二人づつ近くに飛ばされているみたいだ……だから何とかなるんじゃないかな」
「そうですね。二人なら何とかなりますね」
こくんと頷いた麻世は、康介を見上げると、
『……飛ばされたのが、コウさんの近くで良かったです』
心の中だけで呟き、微笑んだ。
異世界ものなのに異世界に来ないと始まらないので、急いで投稿して見ました。