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流れを断つ者

町の朝は、昨日と変わらず始まっていた。


戸が開く音。

水を汲む桶の響き。

遠くで誰かが笑う声。


それでも彼女には、音の輪郭がどこか薄く感じられた。


風は吹いている。


けれど、流れが散っている。


坂を下り、通りへ出たときだった。


パン屋の前で足が止まる。


戸は開いているのに、香りが弱い。


いつもなら通りまで届く焼きたての匂いが、店の中に留まっていた。


彼女は中をのぞく。


店主の女性が釜の前に立っている。


パンは焼けている。


けれど手が動かない。


火を見つめたまま、次の動作へ移れずにいる。


倒れているわけでもない。


ただ――止まっている。


背中に風が届かない。


彼女は静かに店へ入る。


声をかけない。

触れない。


ただ棚のそばに立つ。


呼吸を整える。


急がない。


しばらくして、外から細い風が流れ込んだ。


暖簾が揺れる。


空気が奥へ進む。


女性の肩が小さく動いた。


「……あら」


遅れて瞬きする。


「火、入れっぱなしだったかしら」


手が動き始める。


日常が戻る。


そのとき、入口に人影が立っていた。


騎士だった。


彼は空気の流れを見ていた。


「……影か」


低い声。


彼女が振り返る。


「影?」


騎士は少し迷い、答える。


「人が深く立ち止まる現象だ。昔からある」


店内を見渡す。


「普通は、こうなる前に断つ。流れが塞がる前にな」


彼女は首を傾げる。


騎士は続けた。


「影は形を持たない。だが流れを止める」


剣には触れない。


「……もう戻っているな」


納得したように呟く。


そして彼女を見る。


「お前、何をした」


責める声ではなかった。


彼女は少し考える。


「何もしてないよ。いただけ」


騎士は黙る。


理解できない表情。


だが否定もしない。


外へ出る。


通りの風が二人の間を抜ける。


騎士は町を見渡した。


似た気配が、あちこちに散っている。


「……増えている」


独り言のように言う。


「この町だけじゃない。各地で起きている」


彼女は風を見る。


頼りなく流れている。


騎士が続ける。


「祓いながら回ってきた」


当たり前の仕事の話のように。


少し間を置き、


「……お前は気づける」


静かな観察だった。


「助かる」


それだけ言う。


誘いではない。命令でもない。


ただ必要な事実。


彼女は空き地の方を思い出す。


「見に行くだけなら」


騎士は頷いた。


二人は並ばず、少し距離を空けて歩き出す。


町の外へ続く道へ。


風は背中を押さない。


ただ同じ方向へ流れていた。


彼女はまだ知らなかった。


風が戻る場所が、ひとつではないことを。





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