変わり始めた世界
夜は静かに訪れた。
だが、それはこれまでの夜とは違っていた。
暗さが落ちてくるのではない。
光がゆっくり居場所を譲るような夜。
町は穏やかだった。
灯りが一つ、また一つと点いていく。
人々の声は落ち着いている。
以前なら、夕暮れ以降は家へ急ぐ気配があった。
影を恐れる習慣。
長い年月、染みついていた警戒。
けれど今夜、その緊張は薄れていた。
誰も理由を知らないまま。
彼女と騎士は町外れの丘に立っていた。
風が広く通る場所。
遠くまで灯りが見える。
騎士は腕を組み、町を見下ろしていた。
長く沈黙したあと、言う。
「……減っている」
「なにが?」
「影だ」
断言だった。
気配を読む者の確信。
「消えたわけではない。だが、現れ方が違う」
彼女も感じていた。
重く落ちる影がない。
世界を押し潰すような停滞がない。
代わりに、小さく立ち止まる人々が増えている。
そして――戻る。
以前なら壊れていたはずの場所で。
風が強く吹く。
草が同時に揺れる。
騎士は目を細めた。
「昔はな」
ぽつりと語り始める。
「影は突然広がった。町ごと呑まれることもあった」
彼女は黙って聞く。
「祓う者は間に合わなければならなかった。迷えば終わりだった」
剣に視線を落とす。
「だから斬った」
救うために。
疑わずに。
それが唯一の方法だった。
しばらく沈黙が続く。
夜風が外套を揺らす。
彼女が言った。
「でも今は違う」
騎士は頷いた。
「……ああ」
言葉を選びながら続ける。
「影が弱くなったのではない」
それははっきりしている。
「世界の側が、変わっている」
その言葉は重かった。
長い歴史を否定するような響き。
祓いによって守られてきた時代。
剣によって続いてきた均衡。
それが終わり始めている。
彼女は空を見上げる。
星が少しずつ現れていた。
「ねえ」
騎士を見る。
「もしさ」
少し迷ってから言う。
「影がなくならないなら?」
騎士は答えない。
分かっている問いだった。
彼女が続ける。
「祓う人、いらなくなる?」
風が止まる。
騎士はしばらく動かなかった。
長い時間をかけて築いてきた役目。
生き方そのもの。
それを問われている。
やがて、ゆっくり息を吐いた。
「……分からん」
正直な答えだった。
そして続ける。
「だが」
町を見る。
灯りの中を歩く人々。
笑い声。
遅れない影。
「剣だけでは足りなかったのかもしれない」
初めて口にした言葉だった。
否定ではない。
受け入れ始めている。
彼女は小さく笑う。
「半分こだったんだね」
「半分?」
「うん。祓う人と、待つ人」
騎士はその言葉を繰り返さなかった。
ただ、胸の奥に静かに落ちていくのを感じた。
夜風が強くなる。
星が増える。
そのとき。
町のあちこちで、小さな風が同時に吹いた。
まるで合図のように。
騎士の目がわずかに見開かれる。
「……広がっている」
彼女も気づいた。
これは偶然ではない。
影の変化が、一つの町に留まっていない。
世界全体が、同じ方向へ動き始めている。
騎士が低く言った。
「旅になるな」
彼女は少し驚いた顔をした。
「どこへ?」
騎士は遠くの闇を見る。
まだ見えない場所へ。
「確かめに行く」
風が丘を吹き抜ける。
その言葉は、戦いの宣言ではなかった。
初めての――
探す旅の始まりだった。




