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ずれはじめた朝

夜は来たはずだった。


けれど、完全には終わらなかった。


夕暮れの色が薄く残ったまま、町はゆっくり朝へ移ろうとしていた。


空の境目が曖昧だった。


夜でもなく、朝でもない。


世界が決めかねているような時間。


彼女は目を覚ました。


静かだった。


静かすぎた。


いつもなら聞こえるはずの、早起きの商人の足音も、井戸水を汲む音もない。


遅れている。


そう思った瞬間、外から鳥の声が届いた。


けれど――


羽ばたきより先に声だけが聞こえた。


彼女は起き上がる。


胸の奥がわずかに波打つ。


怖さではない。


知っている感覚だった。


影の中に入ったときと似ている。


世界の呼吸が揃っていない。


外へ出る。


朝の光はあるのに、影の濃さが場所ごとに違っていた。


道を歩く人が、一瞬だけ動きを止める。


次の瞬間、何事もなかったように歩き出す。


誰も気づいていない。


けれど確かに、時間が滑っている。


坂の下に、騎士が立っていた。


すでに起きていたらしい。


外套が風もないのにわずかに揺れている。


彼は空を見ていた。


「……感じるか」


振り向かないまま言う。


彼女は頷いた。


「揃ってない」


騎士の眉がわずかに動く。


同じ言葉だった。


しばらく二人は黙ったまま町を見下ろした。


市場の準備をする人々。


笑い合う子ども。


すべては普通に見える。


だが、音と動きが時々ずれる。


まるで世界が遅れて自分を追いかけているようだった。


騎士が低く言う。


「祓いの後に、こうなることはない」


断言だった。


長く影と戦ってきた者の確信。


「普通は……静かになる。流れが戻る」


彼は言葉を選ぶように続けた。


「だがこれは、戻っていない」


彼女は空気を感じ取る。


昨日までの停滞とは違う。


止まっているのではない。


変わろうとしている。


その途中。


ふいに、通りの向こうで水桶が落ちた。


音が三度に分かれて響く。


――カン。


――……カン。


――…………カン。


周囲の人々は気づかない。


騎士だけが目を細めた。


剣に手をかける。


だが抜かなかった。


以前なら、もう抜いていた。


彼自身、それに気づいていた。


「……斬る相手がいない」


呟きは、戸惑いに近かった。


影は現れない。


形もない。


なのに世界が揺れている。


彼女はゆっくり歩き出す。


理由は分からない。


ただ、胸の奥が方向を知っていた。


騎士も並ぶ。


止めなかった。


二人の歩幅が自然に揃う。


坂を下りながら、彼女は気づいた。


風が変わっている。


以前のように流れを押し戻そうとしない。


触れて、待つような動き。


まるで世界そのものが、何かを確かめているようだった。


彼女は小さく息を吐く。


そして初めて言葉にした。


「……影、怒ってない」


騎士が視線を向ける。


「怒り?」


「うん。前は違った」


以前の影は、閉じ込める力だった。


押し潰す重さ。


だが今は違う。


迷っている。


世界と同じように。


騎士はしばらく黙った。


そして低く言った。


「……なら」


言葉が続かない。


彼の中で、長年の前提が崩れ始めていた。


祓うべきものが、敵でないなら。


剣の意味は何なのか。


朝の光が、ようやく強くなる。


その瞬間――


町全体の影が、ほんのわずか遅れて動いた。


彼女と騎士は同時に立ち止まる。


風が吹く。


今度は確かに。


遅れずに。


世界が、初めて息を吐いたようだった。


そして二人は気づく。


昨日までとは違う。


影が消えたのではない。


世界の側が、変わり始めている。


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