止まった町
町へ続く坂を下るころには、夕暮れの色が濃くなっていた。
空は赤く染まりかけているのに、光だけが遠い。
音が戻らない。
人の気配は見えるのに、届かない。
門をくぐった瞬間、彼女は足を止めた。
町は、動いていた。
行き交う人々。
荷車を引く男。
水を運ぶ女。
子どもが走っている。
けれど――
すべてが、どこか遅れている。
声が聞こえない。
口は動いているのに、音が届かない。
布越しに世界を見ているようだった。
騎士の表情が変わる。
「……深いな」
低い声。
彼は剣に手をかけたまま周囲を見渡す。
影は見えない。
形もない。
だが確実に存在している。
彼女はゆっくり歩き出した。
市場の中央へ。
人々の間を通る。
誰も二人に気づかない。
肩が触れても反応がない。
まるで、それぞれが別の時間に閉じ込められているようだった。
風が吹かない。
旗が垂れ下がったまま動かない。
煙も真っ直ぐ上へ伸び、途中で止まっている。
騎士が低く言う。
「広域停滞だ」
彼女は答えない。
胸の奥が重くなる。
これまで感じた影とは違う。
誰か一人ではない。
町全体が――立ち止まっている。
突然、騎士が剣を抜いた。
金属音が、妙に大きく響いた。
彼は目を閉じ、息を整える。
祓いの型。
長く受け継がれてきた動き。
静かに剣を振る。
空間を切る軌跡が夕暮れに走る。
一瞬、空気が震えた。
彼女は確かに感じた。
何かが裂けた。
だが――
次の瞬間、すぐに閉じた。
風は戻らない。
人々も変わらない。
騎士の眉がわずかに寄る。
もう一度、斬る。
今度は強く。
空気が歪む。
しかし結果は同じだった。
停滞は動かない。
剣を下ろした騎士が、初めて小さく息を吐いた。
「……届かん」
その言葉は、ほとんど独り言だった。
彼女は町の中央で立ち止まる。
目を閉じた。
耳ではなく、胸で感じる。
流れ。
止まっている場所。
――違う。
止めている“誰か”がいる。
この町のどこかで。
彼女が目を開ける。
夕陽が建物の隙間から差し込む。
影が長く伸びる。
その中に、わずかな歪みがあった。
風が避けている場所。
彼女は静かに言った。
「騎士」
「ああ」
「これ、斬る影じゃない」
騎士は否定しなかった。
ただ視線を向ける。
彼女は一歩踏み出す。
夕暮れの奥へ。
止まった流れの中心へ。
町の空気が、わずかに沈んだ。




