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風が戻る順番

広場を離れたあとも、風は穏やかに吹いていた。


強くはない。


けれど確かに、流れている。


彼女と騎士は町の通りを歩いていた。


来たときと同じ道。


同じ石畳。


同じ建物。


それなのに、何かが違った。


最初に気づいたのは音だった。


遠くで笑い声がした。


小さく。


一瞬だけ。


気のせいかと思うほど短い音。


騎士が足を止める。


「……聞こえたか」


彼女は頷いた。


通りの先で、子どもが走っている。


転びかけて、慌てて立ち直る。


母親らしい女性が小さく声を上げる。


叱るでもなく、笑うでもなく――


少しだけ表情が動いた。


ほんの少し。


だが確かに。


市場へ入る。


パン屋の前。


店主が客にパンを渡す。


いつもと同じ動作。


だが今回は、手渡す瞬間に言葉が添えられた。


「今日は焼きがいいよ」


何気ない一言。


客が少し驚き、そして小さく笑った。


短い。


すぐ消える笑顔。


それでも昨日は存在しなかったもの。


騎士は周囲を見渡す。


影はない。


歪みもない。


剣の出番はない。


それなのに町の空気が変わっている。


「……何をした」


低い声。


問いというより確認だった。


彼女は少し考える。


答えが見つからない。


「何も」


本当にそうだった。


斬っていない。


説得していない。


変えようともしていない。


ただ、一緒にいただけ。


風が通りを抜ける。


今度は止まらない。


家々の間を素直に流れていく。


町の奥から、誰かの歌声が聞こえた。


音程は少し外れている。


けれど自然な声だった。


騎士は黙る。


理解できない。


だが否定もできない。


戦いでは起きなかった変化。


祓いでは届かなかった場所。


広場の木が遠くに見える。


枝が大きく揺れた。


風が中心を通っている。


彼女は足を止めた。


胸の奥が静かに温かい。


救われたわけではない。


失われたものも戻らない。


それでも。


止まっていた流れが、少しだけ先へ進んだ。


そのとき。


井戸のそばを通りかかった老人が、ふと空を見上げた。


「……久しぶりだな」


独り言のように呟く。


「風の匂いがする」


彼女は振り返る。


風はいつもと同じはずなのに、違って感じた。


騎士も同じ方向を見る。


そして初めて思う。


祓うとは、終わらせること。


だがこれは違う。


始まり直している。


町はまだ変わりきっていない。


多くの人は気づきもしないだろう。


それでも、小さな変化が連なり始めていた。


風が戻る順番で。


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