笑わない町
街道を二日進んだ先に、その町はあった。
石造りの門。
整った畑。
煙突から上がる煙。
遠くから見れば、豊かな町だった。
風も止まっていない。
穏やかに流れている。
騎士は足を止めなかった。
異常があれば、すぐ分かる。
そういう種類の場所ではない。
――はずだった。
門をくぐった瞬間、彼女の歩みがわずかに遅れた。
「……どうした」
騎士が振り返る。
彼女は首を傾げる。
「分からない」
嘘ではなかった。
風は普通だ。
空気も澄んでいる。
けれど何かが足りない。
通りには人がいた。
商人が荷を運び、子どもが走り、井戸では水を汲む音がする。
生活は動いている。
それなのに。
誰も笑っていない。
怒っているわけでもない。
悲しんでいるわけでもない。
ただ、表情が動かない。
会話はある。
だが声に起伏がない。
必要な言葉だけが交わされている。
騎士は周囲を観察する。
恐怖の気配はない。
影の圧力も感じない。
戦いの匂いがしない。
「……普通の町だ」
そう言いかけて、言葉を止めた。
普通なら聞こえるはずのものがない。
笑い声。
雑談。
無意味な声。
風が通り抜ける。
だが音が広がらない。
まるで空気が吸い込んでいるようだった。
彼女はゆっくり歩き出す。
市場の中央へ。
パン屋の前。
焼き上がったパンの香りがする。
店主が客へ渡す。
客は受け取り、礼を言う。
声は丁寧だ。
だが、嬉しさがない。
ただ動作だけがある。
彼女の胸がわずかに重くなる。
苦しさではない。
空白。
風がどこかで止まっている。
騎士が低く言う。
「影は感じない」
それは事実だった。
暴走も歪みもない。
剣が必要な気配はない。
彼女は目を閉じる。
風を探る。
流れはある。
だが途中で弱くなる。
町の中心へ行くほど。
まるで――
先へ行こうとしない。
目を開ける。
「ここ」
小さく言った。
「進まない場所がある」
騎士が眉を寄せる。
「止まっているのか」
彼女は首を横に振る。
少し考えてから言う。
「止まってるんじゃない」
言葉を選ぶ。
「……進む理由を忘れてる」
その瞬間。
遠くで鐘が鳴った。
町の合図らしい。
人々が一斉に動き出す。
同じ方向へ。
同じ歩幅で。
同じ表情のまま。
騎士の背筋に冷たいものが走る。
これは恐怖ではない。
だが自然でもない。
彼は初めて理解しかける。
剣が必要な影ではない。
それでも確かに、何かが失われている。
風が弱く町を巡る。
どこにも拒絶はない。
ただ――
先へ行こうとしていなかった。




