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風が強すぎる日


午後の光は白かった。


雲が薄く広がり、影がほとんどできない。


町は昨日より動いている。


市場の声は続き、人々の歩みも止まらない。


それでも彼女には分かった。


風が落ち着いていない。


流れは戻り始めているのに、どこか急いでいる。


通りを歩くたび、胸の奥がわずかに引かれる。


糸のような感覚。


あちこちから呼ばれているようだった。


騎士は隣を歩いている。


昨日より距離が近い。


無意識の位置だった。


「今日は静かだな」


騎士が言う。


観察としての言葉。


彼女は少し笑った。


「静かじゃないよ」


「そうか?」


「うん。みんな頑張って普通にしてる」


騎士は理解できず、眉を寄せる。


彼女はそれ以上説明しない。


説明すると壊れそうな気がした。


角を曲がったときだった。


突然、足が止まる。


息が浅くなる。


視界の端がわずかに揺れた。


風が、一方向から強く押し寄せてくる。


実際には吹いていない。


だが流れだけが身体に触れる。


――多すぎる。


彼女は壁に手をついた。


騎士がすぐに気づく。


「どうした」


「……ちょっと」


笑おうとする。


だがうまくいかない。


音が遠くなる。


市場の声が水の中のようにぼやける。


風が重なる。


誰かの後悔。


言えなかった言葉。


終わらなかった約束。


それらが一度に触れてくる。


彼女は目を閉じた。


呼吸を整えようとする。


できない。


胸の奥に、別の感覚が混ざる。


懐かしい恐怖。


――また。


理由のない確信。


また、間に合わない。


誰かが壊れていく。


止められない。


あの感覚。


視界がわずかに暗くなる。


「……おい」


騎士の声が近い。


初めて焦りを含んでいた。


彼は彼女の肩に手を伸ばしかけて止める。


触れていいか分からない。


だが離れすぎてもいけない。


その迷いのまま、隣に立つ。


「座れ」


短い命令。


彼女は従うように石段へ腰を下ろした。


呼吸が乱れている。


騎士は周囲を見る。


敵はいない。


影の気配もない。


なのに彼女は崩れかけている。


理解できない。


剣が役に立たない状況だった。


彼は少し考え、しゃがむ。


視線を同じ高さにする。


「……ここにいる」


低く言った。


説明でも励ましでもない。


事実だけ。


その声が、妙に輪郭を持って届いた。


彼女の呼吸がわずかに戻る。


風の中で、一つだけ変わらない音。


「……ごめん」


彼女が小さく言う。


騎士は首を振る。


「謝ることじゃない」


即答だった。


少し間を置き、続ける。


「戦っていないだけだ」


彼なりの理解。


彼女は思わず笑ってしまう。


かすかな笑い。


「うん。戦ってない」


笑った瞬間、呼吸が少し楽になる。


風が散る。


全部ではない。


だが中心がほどける。


彼女は額を押さえた。


「ちょっと、感じすぎただけ」


騎士は黙る。


昨日の言葉を思い出す。


――ふざけないと怖いときってある。


今、目の前にあるのはそれだと、なんとなく分かった。


彼は立ち上がる。


周囲を確認する。


人々は日常を続けている。


誰も気づいていない。


だが彼には分かった。


彼女は影に触れている。


斬れない形のものに。


「宿に戻る」


決定だった。


彼女は反論しない。


歩き出す。


騎士は彼女の半歩前を歩いた。


守る位置。


だが剣には触れない。


必要なのは別のものだと、身体が理解していた。


風が二人の背中を追い越していく。


さっきより静かに。


彼女は歩きながら思う。


どうしてこんなに怖かったのか。


理由は分からない。


ただ一つだけ確かだった。


誰かが壊れていく気配を感じたとき、


自分はいつも笑っていた。


怖いと知られないように。


風が通る。


騎士の歩幅が、わずかに彼女に合わせて落ちていた。

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