眠らない夜
火はすでに小さくなっていた。
薪の赤い芯だけが残り、時折かすかな音を立てる。
彼女は眠っている。
浅く、静かな呼吸。
旅に出てから、眠りに入るのが少し早くなった気がした。
騎士は横になったまま、目を閉じていなかった。
夜の風が弱く通る。
川の音が遠くで続いている。
眠れないわけではない。
ただ、眠りに落ちる前に思考が止まらない。
今日の少女の顔が浮かぶ。
止まりかけていた目。
遅れて戻る呼吸。
――似ていた。
その考えを、すぐに打ち消す。
違う。
あれは戻った。
風は通った。
問題はなかった。
理屈は合っている。
それでも、記憶は勝手にほどける。
古い部屋。
窓のそばの椅子。
揺れないカーテン。
小さな背中。
名前を呼ぶ声。
返事はある。
だが立ち上がらない。
時間だけが進む。
外では風が吹いていた。
確かに吹いていた。
彼は拳をわずかに握る。
――遅かった。
思考はいつもそこへ戻る。
もっと早く知っていれば。
もっと早く断てていれば。
祓いを学び始めた頃の自分は、まだ未熟だった。
手順も、判断も、遅かった。
だから今は迷わない。
深くなる前に断つ。
それが正しい。
それ以外に方法はない。
騎士は目を開ける。
焚き火の残り火が揺れる。
その向こうで、彼女が眠っている。
風を読む者。
剣を使わず、流れを戻す者。
理解はできない。
だが今日、確かに見た。
祓った後でも届かなかった場所に、風が通る瞬間を。
騎士は小さく息を吐く。
疑いではない。
まだ。
ただ、説明できない感覚が残る。
川の音が少し強くなる。
夜風が向きを変える。
彼は空を見上げた。
雲が流れている。
昔と同じように。
変わらないはずの世界。
それでも、どこか違って見えた。
目を閉じる。
眠りがゆっくり近づく。
最後に浮かんだのは、幼い頃の声だった。
笑いながら何かを呼ぶ声。
続きの言葉は思い出せない。
夜の風が、静かに通り過ぎた。




