6
暗く昏い森の奥。
ひらけたそこには、数多の刀が地面に突き刺さっていた。
それらすべてが錆びていたが、新しい日本酒や菓子が供えられていることから、放置されているわけではないことが見て取れる。
満月に照らされたその場所に、一匹の獣がいた。
兎のようなこの獣は、全長3メートルほどの巨体で、真っ白な体毛をしていた。その毛には一切の穢れはなく、一種の神々しさを感じる。
───ふと、獣の耳がピンと立つ。静寂の森の中で、獣にだけ聞こえた音でもあったのだろうか。
その時、獣は高く跳んだ。月まで届きそうなほど、見事な跳躍だった。
そうして、獣は夜闇に浮かぶ月に溶けていく。
力の限り跳ぶ獣の心は、喜びに満ちていた。
──────
「───はぁっ!」
掛け声と共に、九十九の刃が怪異を斬り裂く。
見事に一刀両断された、全身から触手を生やした黒い怪異は、断末魔と緑色の血液をぶちまけて死んだ。
「おお!」
迅の歓声を聞き、九十九はギロリと睨む。
「………昨日、来るなと言ったはずじゃが?」
「返事はしてねぇ!」
胸を張った迅の言葉に「はぁ」と深いため息をつく九十九。
そんな九十九の様子を一切気に留めず、彼女が倒した怪異を見た迅は、疑問を投げかけた。
「『怪異』って何?」
迅の率直な問に、答えるか迷った九十九であったが、どうせ迅の記憶を消せないため、正しい『裏』の知識を与えるべきと考えた。
「怪異といっても二つの区分があるのじゃが………こいつは『シ型』、人の恐怖が集って体を成したものじゃ」
「恐怖?」
「うむ。人から漏れ出た令力は、似た感情同士で集まる性質があるのじゃが、『恐怖』の感情から漏れ出た令力が体を成したものが『怪異』となるのじゃ」
「ふーん、こいつが恐怖、ね。真っ黒触手人間に恐怖なんて感じないけどな」
迅の鋭い感想に目を見開いた九十九は、思わず「おぉ!」と声を挙げてしまう。
「な、なに?」
「いや、よい着眼点じゃと思っての。人の恐怖が集まるということは、それだけ恐ろしい力を持った怪異となる。そうなると色々と大変じゃからのう、恐怖に要素を加えることで、『恐怖』を薄めているのじゃ。………例えば、そうじゃのう。この怪異であれば『夜道で人を捉える恐怖の怪異、真っ黒触手人間!』といったところじゃの」
「確かに全く怖くない!………じゃあ前の怪異は、『巨大鳥人間』か!」
「まぁ、そんなとこじゃろうな。毎日無数の恐怖が生じ、毎日無数の怪異が誕生する。高位の怪異が生まれぬよう、怪異の生まれる場所を結界内に限定し、可笑しな要素を混ぜるため、日夜陰陽師たちが術を行使しとるわけじゃな」
「へぇ~」
『裏』という言葉からは考えられないほど、『裏』では精力的な活動を行われている。今まで普通の生活を送ってきた迅にとっても例外ではなく、彼の想像以上に活発であった。
それもそのはず、この地球で唯一『シ型』の怪異が誕生する地こそ日本なのである。世界中の恐怖が集う収集場としての役割を果たしている地であるからこそ、日本での『裏』の力は近代になろうとも薄まることは無かった。
そのため、『裏』の組織が有する力はとてつもなく、日本におけるすべての権力よりも強大な権力を有するのだ。そんな傲慢が許されてきたのは、彼らが『表』の社会を守るため、多くの手を尽くしていることにあった。
そんな『裏』の組織に協力をし、神生を賭して、死力を尽くして、人の恐怖から生まれる存在を祓っている九十九は、人の恐怖を払っているともいえるのかもしれない。
「………そういうことじゃからここは危険なじゃ!はよう帰って、友達を作ってくるのじゃ!」
「ちょ⁉しゃれにならない、それ⁉」
思い出したかのように刀を振り回した九十九は、迅を『第六秘匿結界』の入り口である鳥居の外まで追い立てた。
馴染み始めているが、迅が『裏』に関わることを、九十九は善しとしていない───天照に何を言われようとも、だ。
九十九の気づかいなど知る由もない迅にとっては、九十九のお節介は、煩わしさすら覚えるものであるのだが。
──────
鳥居から追い出された迅は、文句をこぼしながら森をうろついていた。
どう戻ろうかを画策しており、一度二度拒まれた程度で諦めるほど、迅の物分かりは良くなかった。
「⁉」
しばらく歩いていた迅は、あり得ないものを目にする。
それは純白の兎───優に三メートルはありそうな、兎とは思えないほどの巨大な生き物。
迅は咄嗟に木の裏に隠れて、身を屈める。音を出さないよう、息を止めて兎の様子を窺う。こういった有事の際の、迅の的確な判断力には目を見張る物がある。
相当な距離があったにも関わらず、迅の気配を感じたのか、兎は耳をピンと立て、きょろきょろと周りを見渡した。
何も見つけられなかったのか、はたまた気にする必要はないと判断したのか、巨体に似合わない軽やかな足取りで、兎はその場を去っていった。
「……なんだよ、鳥居の外にも怪異いるじゃん」
九十九の話では、怪異は結界内でのみ生まれるという話であった。にも関わらず、その巨大な兎は結界外を当たり前のように動きまわっていたのだ。流石の迅でも、強い違和感を覚えた。
「───そうじゃった、そうじゃった。迅、これ主のリュックじゃろ?忘れ物じゃ」
迅が思案していると、背後の鳥居から九十九が出てくる。その手には、迅が先日忘れてしまった『一人暮らしキット入りリュックサック』を持っていた。
聞こえた九十九の声に、迅の頭を占めていた思案は霧散し、違和感など頭から抜けてしまった。それと同時に危機感も、か。
「ありがとう、忘れてた」
「やはりお主のじゃったか。まったく、忘れ物には気を付けるのじゃよ?」
「そんなことより、怪異って鳥居の内だけに湧くんじゃないのな。めっちゃ焦ったよ」
苦笑いを浮かべながらの迅の言葉には危機感はなく、世間話のような口ぶりであった。
だが迅の言葉を聞いた九十九は目を見開いて、見たことがないほど狼狽える。
「なんじゃと………⁉」
詰め寄って来る豹変した九十九にたじろぎつつも、説明をする。どうやらイレギュラーだったようだ。
「めっちゃでかくて、綺麗な兎だったぞ?………ていうかそこに」
迅は九十九に分かるよう、左の方を指さす。
そこには大木ですら隠せない、真っ白な体毛があった。その姿は深い森には不相応で、やたらと目を引く色合いだ。
ふと違和感を感じた迅は、白い体の足元から見上げていく。
およそ五十メートル先。木々の隙間からこちらをジーッと見つめる赤い双眸があった。
「に………」
顔を真っ青にし、滝のような冷や汗を流す九十九が叫ぶ。
「逃げるぞッ──────」
だがその余裕のない言葉が、最後まで響くことはなかった。
ぐしゃり、という生々しい音と共に、迅の視界の端にあった九十九が一瞬で消える。
「は───?」
そして、九十九の代わりに、先ほどまでずっと遠くに在った『白』が真横に在る。
恐る恐る横を見ると、純白の兎がいた。その左腕の体毛は赤に濡れていた。
それが九十九の血だと、一目で分かった。
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