5
学校から自宅への帰路にある公園。遊具があるわけでも、ちょっとしたステージがあるわけでもない、ただ開けているだけの広場。春先ということもあり、青々しい草木が生え始めた心地のよい場所。
人っ子一人いない、そんな場所でベンチに腰掛け、物思いに耽る迅は、老人のように黄昏ていた。
「はぁ………」
無意識のうちに漏れ出た溜息が、迅の心情を如実に表していた。
迅にも嫌われている自覚はあったし、疎まれている自覚もあった。ただ、九十九という優しい神と関わったせいで、自身の立場を見誤ったのだ。
村でも学校でも、どこまで行ったとしても、所詮『化け物』なのだ───そう実感させられた。
「一人でどうしたの?」
「?」
声に釣られるように振り返った迅の視線には、美しい女性が立っていた。風にたなびく腰まで伸びた艶やかな茶髪が眩しく輝き、丈の長い白のワンピースが春の日差しにとても似合っている。
その瞳は迅を見ている様で、迅を視ていない、含みのあるものであった。
「……なに?あんた」
迅はとある話について、クラスメイトの会話を盗み聞いたことがあった。
曰く、世の中には、小学生しか愛せない「しょたこん」なる病があると。
明らかに余所者の女性が、一人でいる小学生に声をかけるなんて不審だ、迅は警戒する───彼女こそ、しょたこん患者なのだと。
「一人で悲しそうだったので。どうかしました?」
「なんでもない」
明らかに警戒をしている迅に気が付いていないのか、女性は迅に優しく声をかける。
迅は、彼女の動作に既視感を覚えていた。
「……なんでもない様には見えません。知らない人にならしやすい相談もありますよ?」
「うぅむ……」
彼女の言葉に、人生で他人に相談したことなどない迅は、そういうものかと納得してしまう。
「友達が………」
「はい」
「友達が、作れなくて困ってる」
「……そうなんだ」
恥ずかしかったのか、耳を真っ赤にした迅は、女性に目を合わせないようにして、言葉を紡いだ。照れている姿には、普段の鋭さなどない。
「嫌われているの?」
「……うん」
「そっか。………あのね、周りを変えるって、とても難しいの」
「?」
迅の座るベンチに腰掛けた女性は、スカートの裾を整えてから、少し距離を縮めた。
「友達を作りたかったら、まずは自分が変わらないと」
「!」
迅は驚いた。
それは、つい先日、九十九の言っていたことと、ほとんど同じ内容だったからである。
と、同時に、迅の持っていた彼女への警戒が音もなく消え去っていた。
既に迅にとって九十九とは特別な存在になっており、そんな彼女と同じ言葉を紡ぐ女性に、九十九へと抱いている信頼感と似たものを抱いてしまったのだ。
そして、これらすべて、女性の思惑通りであった。
「一朝一夕でどうこう出来るものじゃないですよ。嫌われているなら、積極的に誰かを助けたり、他人に優しくしたりして、印象を変えたらいいんじゃないかな」
迅は幼い頃から、宗隆から「他者を救え」という教えを受けていた。病的なほど、他人への慈愛を抱くよう求められ、滅私を強要されていた───もっとも、冷たい村人の言葉と仕草が、迅に現実を見せつけたのだが。
「出来るかな……………」
迅は、自分の発した言葉に驚いていた。
とうに他者を見限ったはずの自分が、女性の言葉で、再び他人との繋がりを求めようとしたことに。
それは、宗隆の望みと同義にして、だが決定的に違うものでもあった。彼女の望みと宗隆の望みは、決して相容れない。
迅をジッと見ていた女性は、注意深く彼を眺めた後、優しくほほ笑んだ。
「お天道様が見てます。だから、大丈夫」
「なんだよ、それ」
迅は彼女の笑みに、覚えのないはずの懐かしさを感じていた。
迅は二人の助言から、友人を作るためには根気がいることに気付いていた。
迅の嫌われ方は根深いものである。村人が嫌い、伝聞で親たちが疎み、その話を聞いた子供たちも機械的に彼を排斥している。
迅は何もしていない───強いて言うなら、存在が罪なのだろう。
村人たちに愛されていた頼子を狂わせた張本人、それを裏付けるような異質さ。故にこその『化け物』。
この噂が消えるまで、何年かかるか解ったものではない。
そして、時間がかかればそれだけ剣を学ぶ時間が遅くなっていく。迅にとって、時間は一番の課題なのだ。
「⁉」
迅は気付いた。気が付いてしまった。
「どうしたの?」
己の賢しさに、アインシュタインですら脱帽してしまうだろう、そう迅はほくそ笑む。
「───なぁ、今暇?」
「え?そうですね、用事があって陸村に来たけれど、時間に追われてる訳ではないですよ」
「なら、よし!あんた、俺の友達になってくれ」
びっくりしたように、女性を目をぱちくりとしている。なんの脈絡もない言葉に驚いたのだ。
「い、いいですけど」
「よし。じゃあ、ついてきて!」
「は、はい」
迅は立ち上がり、歩いていく。
女性は迅を確認しにきただけだったのだが、予想外の状況に、だが予想できるこれからに、そっと溜息をついた。
深い森を囲む鉄柵、結界の入り口。
「よし、行こう」
迅の作戦───それは、『友達として女性を紹介し、九十九に剣を教えてもらう』作戦である。自称、諸葛亮孔明をも超越した鬼策。
「………………『立ち入り禁止』って書いてますよ。だめです」
「ん?大丈夫だよ、気にしなくて。それに面白いものが見れるんだぜ!」
「………………」
子どもならではの無邪気さに、苦笑いするしかない女性がどうしようか悩んでいるうちに、迅は柵に足を掛けて飛び越える。
「ほら早く!」
笑いながら手招く迅に、女性は諦めて、柵に足を掛けて登り始める───彼女にとって、迅に嫌われないことは重要であり、機嫌を損ねないよう、万全を期す必要があった。そのために、子どもの悪事を諫めるよりも、追随する選択をした。
そんな不審者二人組の『氣』を察知した少女が、全速力で向かってきていることに、迅は気づいていなかった。
「こらぁぁーーーーーー⁉」
足音の正体、鬼の形相をした九十九が、森から飛び出てくる。
「ば、馬鹿者ぉ!な、なにをしとるんじゃ、お主⁉」
「あ、九十九!なぁ、約束通り友達を────」
足を止めず勢いのまま、迅の頭部めがけて九十九の拳が振り下ろされる。鉄拳制裁というやつである。
「──────っ⁉………………いっっってぇえな!なにすんだよ⁉」
「こ、このお方を誰と心得る⁉」
「は?さっき会ったヤツだよ!」
────そういえば名前を聞いていなかった。
「かつて日の本を治めた主神、天照大御神。光を司る偉大なる神であらせられるぞ⁉」
「え、この『しょたこん』が⁉」
「「⁉」」
『天照大御神』───それは迅にすら聞いたことある名前であった。もっとも、名前だけではあるが。
「え、天照様…………?」
「ま、待って、待ってください!あなた、私のことそんな風に思ってたんですか⁉………九十九、そんな目で見ないでくださいっ!独りで寂しそうだったから声をかけただけですっ!」
あんまり弁解になっていなかった。きっと世のショタコンもそう供述することだろう。
「そう……です………よね?」
「と、というか。あ、あのずっと見上げられると恥ずかしいので、降りていいですか……?」
彼女は鉄柵の上で止まっていたので、鉄柵によってスカートが捲し上げあげられて下着丸見えで話していた。肉付きのよい臀部は“迅が性に興味のないお年頃でよかった“そう思えるような艶めかしさがあった。
当の迅は、「神様も着るものは人間と違わないらしい」そんなことを考えていたお子様であるのだが。
「と、とりあえず、庵で話しましょう。………迅、主は説教じゃ」
冷静に考えれば、女性を進入禁止の森に連れていくのはよくないことである。相手が神様でよかったものの、一般女性であったら警察に怒られてしまうところであった。無事、迅は正常な思考を取り戻した。
───過去の天才たちが褒めてくるから己の過ちに気が付けなかった、実に危ない。未遂でよかったぁ!
「こ、こらっ!『めでたしめでたし』、みたいな顔するでないっ」
迅は説教された。それはそれはしっかりと。小学一年生でも知っているであろう道徳を、一から叩きこまれた。
程度の低い説教であったが、その程度の低いことを守ることの出来なかった迅は、甘んじて説教を受け入れていた。自分でも思うところがあったようで、いつもの反抗的な面を見せることなく、正座で九十九の言葉を聞き続けていた。
迅がもう少しで泣きそうという時に、天照がおずおずと声をかけて、九十九を静止させる。
「九十九、もうこれくらいで………」
天の救いだった。文字通り。
「む、天照様がそうおっしゃるなら……。迅、気を付けるのじゃよ?」
「はい……すいませんでした」
初対面の女性を立ち入り禁止の場所に連れ込むのは、子どもだからといって許されることではない。迅は強く反省した。
「それで………迅、主には条件を与えていたはずだが?」
待ってました、そう言わんばかりにニヤリと笑った迅は、勢いよく立ち上がり、天照を指さす。
「驚け九十九!先生には謝ったし、見ての通り、友達を連れてきたぞ。さぁ、剣を教えてもらおうじゃないか!」
「馬鹿者、『学校』で友達を作れと言ったではないかっ!無効じゃ、無効」
「んだよ、友達には変わりないだろ⁉てか、家に帰るまでが学校だから、学校で友達作ったってことになるだろうが!」
「屁理屈言うでないっ。そもそも、天照様に対して友達などと不敬が過ぎるわ!」
「当人同士が友達っていえば友達なの!なぁ⁉」
迅は天照の手を握って同意を求める。
「えっえっ?」
困惑している天照は、とうてい神には思えない雰囲気である。
「こ、こら!馴れ馴れしく触れるでないっ。…………ゴホン、話が逸れたが、学校で『学生』の友達を作って来い。でなければ剣は教えん」
「ちっ、わーったよ」
実のところ、迅自身もズルをしている自覚はあった。九十九が優しそうなため、いけるかとも思っての行動だったのだが、流石にそこまで甘くはなかった。
だがこれにより、正攻法での友人作りが求められることが決定した。迅にとっては、最高に憂鬱だろう。
「はぁ………」
「……九十九が弟子にする条件、ですか?」
「九十九が、弟子になりたかったら友達を作って来いっていうんだよ」
「なるほど。それで私を」
「ひでぇ話だよな」
「どこがじゃ、まったく………」
呆れたように九十九が呟く。
迅は宗隆以外と会話をすることが基本的にないので、九十九の溜息ですら心地のよさを感じていた。こういった時間でさえ、迅にとっては新鮮で、幸せなものであった。
しかしながら、この前のこともあるので、あまり遅くなる訳にもいかず、名残惜しさを感じつつも帰ることにした。
「……教えてもらえねぇなら、俺帰るわ。また来るよ」
「………ちゃんと約束守ってから来るのだぞ?」
返事はしない。これから毎日遊びに行く予定なのであった。
「じゃあな!」
彼女たちに手を振って、迅は駆けだす。
彼の顔は、今までにない幸せに満ちていた。
──────
「教えてあげないんですか?」
天照の問に、難しそうな顔で九十九が答える。
「………吾は、もう弟子を取らないのです」
九十九の言葉を聞いた天照は、先ほどまでの笑みを消し、冷たい表情になる。
「あなたは師であることを止めることは出来ません。そういう神なのですから」
「吾は………それでも、あの子は巻き込めません」
苦しそうに呟く九十九をちらりと一瞥し、天照は語りだす。
「迅、でしたか。気づきましたか?」
「?なんのことでしょうか」
「あの子は『星児』ですよ」
「⁉」
『星子』、『星稚児』、時代によって言い方は様々であるが、意味は一つ───即ち、超能保持者である。
陰陽師が術を行使するためには、『令力』と呼ばれる心的エネルギーを使用する。心から生じる『令力』を操作することで、科学では語れないような神秘を実現することが出来るのだ。
だが、星児はその限りではない。
彼らは、陰陽師が令力を消費して放つ神秘を、令力を消費せずに行使する。走ったり、投げたり、飛び跳ねたりするように───まるで身体能力の一つであるかのように、超能を保持している。
星児によって能力はそれぞれ異なるが、今まで計測されてきたそのすべてが、通常の術では成しえないような文字通りの超能力であり、しかしながら、有史以来、発見されてきた星児は5人にも満たないという、希少性も有していた。
生物として位が異なり、まるで神のような力を振るうその姿に、術師たちは恐れ慄き、畏敬をもった。
人から生まれてきたとは思えない───故に『星児』。
「時代が進むにつれ、星児の本来の意味は失われていきました。かつて星が遣わした一人の聖人を指す言葉は、いつしか偶然生まれただけの存在も呼ばれるようになりました」
「………存じております。初代様も、自身を星児と呼ぶことを嫌がっておりました」
「───彼は違う」
天照の強い言葉に、九十九は息を飲んだ。
「彼は古の聖人のように、まさしく星に造られた子です。本人は能力に無自覚的なようなので、力は測りかねますが………」
普通は把握しているものですけどね、そう呟く天照に、九十九は思い出す───つい先日の、あり得ない現象の数々を。
恐怖に震えることはなく、術を弾き、骨が見えるほどの深い傷ですら一瞬で治る肉体。片鱗はあったのだ。
「迅はどうやら体が特別なようで、術を弾きました。それに、一昨日は骨が見えるほどの傷を負いましたが、霊薬を塗っただけで傷一つ残りませんでした」
「ふむ………。そんなものではないはずですが。………副次的に肉体に影響しているのかもしれません」
天照は九十九に向き直る。優しいお姉さん然とした眼差しではなく、超然的で温かみのない、まさしく神の眼差しであった。
「彼には早急に剣を教えることをおすすめします。………学校で友達を作れというのは、拠り所があれば彼も『裏』に関わらずに成長できるとと考えたのでしょう?」
「………はい」
「不可能です。彼には、人の根底にある一つの思いが抜け落ちています。そしてそれは人として致命的な欠陥です、『裏』以外に彼が認められる場はありません。一秒でも早く、『裏』で生きていけるよう、強くしてあげなさい」
天照の言葉に、九十九は押し黙ってしまう。
神として生まれた神ではなく、人が神となった九十九には、いつだって子どもには幸せになってほしいという願いがあった。
「………だとしても。吾に、迅の幸せは、未来は奪えません」
「………そうですか。彼は剣を学びたいようですがね───これで私の用事は済みました。また伺います」
「次は伊勢茶を用意しておきます」
九十九の言葉につい笑みがこぼれる天照。何百年経っても、九十九は変わらない。
「最近の流行はルイボスティーですよ」
そんな九十九を、天照は羨ましく思っていた。
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