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空色刃──カライロヤイバ──  作者: 宗十郎
一章 神との邂逅
5/12

───遠のく、なんてことはなかった。


それは当然だろう、迅の肉体は特別であり、下等な神秘が侵せるほど低劣な存在ではないのである。


「ッ⁉な、なんじゃお主⁉」

「?なんだよ」

「術が弾かれた……⁉」

「………?」


 想定外な現象に、九十九は目を見開き、狼狽えていた。

 術が「抵抗される」ことは、『裏』の戦いにおいては散見されることであり、むしろ抵抗力が低い者はすぐに死んでしまうことだろう。

 だが、「弾かれる」───即ち、術をかき消すことは容易ではなく、迅のように無抵抗のまま弾くことなど、常識的に不可能なのだ。

 

 好機みたり。そうにやりと、いやらしい笑みを浮かべた迅は、両手をこすって九十九にご機嫌を取るように声をかける。


「じゃあ、時間もぼちぼちですし、このへんで」

「………お主。明日あたりまた来て、『再び会えたから剣教えろ』とでも言うのじゃろ……?」

「ぎくり」

「そこに立っておれ!」


 九十九は庵に戻り、お札や杖のようなものを持ってくる。どれもこれも、陰陽師が見たら羨むような、由緒あるものであり、術が得意ではない九十九を一人前以上の実力者へと昇華させられる代物たちだ。

 大量の霊器(れいき)を持ち、自身満々の九十九であったが、だが迅はなんとなく察していた。


「吾は術が得意ではないからのう………。ここからは本気じゃ!」


───多分俺の記憶消されないわ、これ。




「な、なぜじゃ……」

「まぁ、そう気を落とすなよ。九十九は頑張ってたぜ」

「………黙れ!」


 力なく項垂れる九十九。

 予定通りというか予見通りというか、案の定、九十九の記憶消しは失敗に終わった。そのすべてが徒労であった。

 呪文を唱えたり、刀(柄から伸びた布)を振ったり、地面に星型──「晴明桔梗印」を書いても光るだけで、すべて「弾かれた」。


「………なるほど、主の令力耐性が高すぎて、術が効かないのじゃな⁉通りで秘匿結界に侵入出来るわけじゃ!こ、これは体質みたいなものじゃのう………」

「ほーん。で、こっから俺はどうすんの?」

「………一先ず、入口まで送ろう。鳥居の外は大丈夫じゃが、念のためな」


 迅の記憶を消すことを諦めた九十九は、問題を先送りにすることにした。

 いつでも森に入ってこれる『表』の小学生、不安の種でしかない。


 当の本人は、自身の特異性を知ってか知らずか、ニヤニヤしながら周囲を見渡している───はちきれんばかりの頬は、喜びを隠せておらず、九十九は溜息をつくことしか出来ない。


「………それじゃあ帰るぞ。足の様子はどうじゃ?」

「良い感じ」

「そうか?大けがじゃったが。………まぁ、であるならば行くか」


 九十九の掛け声で歩き始める。

 とんでもない目にあった迅だが、ワクワクしていた。未来に希望しかなかった。


 迅にとって、明日が楽しみなのは初めてのことだった。




「……もし入って来るなと言っても、主は入ってこれてしまうからのう」


 鉄柵の外。様々な話をしながら結界の入り口に戻ってきた二人であったが、その表情は面白いほど対照的であった。希望に満ちた迅と、胃が痛そうな九十九。対比は非常に映えている。


「───よし、こうしよう!」

「なに?」

「弟子にしてやる」

「⁉まじか」

「ただし、条件がある」


 条件。その言葉に一瞬躊躇うも、どんなことでも成し遂げるという強い決意から、迅は眼差しを強め、続く言葉を待つ。


「条件って?」

「殴った先生に謝罪をすること。それと一人でよい、学校で友達を作ることじゃ」

「…………やっぱり、俺を弟子にする気は無いんだなっ⁉」

「いや、だいぶ優しい条件じゃろ⁉」


───無理難題がすぎる。百歩いや万歩譲って謝罪は良いとして、学校で友人なんて不可能だ。


「…………」


 俯く迅を見て、九十九は優しくほほ笑んだ。その笑顔は、見た目不相応な慈愛に満ちており、彼女が神なのだと実感させるものだった。


「………迅、お主の周りを敵にしているのは、他でもない主の態度じゃ。お主が変われば周りも変わるぞ?」

「………だけど」

「それに、この程度成しえないのなら、神代なんて夢のまた夢じゃぞ?」

「え?」


 神代───怪異を断った九十九が口にした、技の流派。


「吾の流派、神代流は現存する最古の流派じゃ。神が人を苦しめていた時代に、人の世を創ろうとした初代様が築いた技の数々。”神世に代わって人世を創る”故に『神代』じゃ。歴代の神代は、皆不可能を可能にしてきた英雄ばかり。この程度成せぬものに技を教える訳にはいかぬのう」

「あ?別に出来ねぇとは言ってねぇが?」

「ふふふ、そうか。であれば友達を作って、それでも学びたいという気持ちがあればまた来い」

「………ん」

 

 九十九はとても暖かかった。彼女の温かさは、鋭いだけの刃のような迅を包み、蕩かす。彼の心の壁をを優しく溶かすのだ。

 

 裏なく優しい九十九の心に、迅は知らないはずの『母』を感じていた。生まれた時から母の温もりを知らない迅が、敵しか知らない彼が、九十九に心を開いてしまうのは仕方がないのかもしれない。

 

 二千年もの間、一切朽ちることのなかった彼女の善性は、罪悪感を感じさせるほど純粋であるのだ。


「………すぐにまた来てやるよ」

「……そうか。頑張れよ、迅。世界はきっと、お主の味方じゃ」



──────



 森を出て、僅か百メートルほどの帰路につく。空は茜色に染まっており、思っていたよりも時間が経っていたようである。

 

 玄関の前で大きく深呼吸をした迅は、意を決して家の戸を静かに開けた。


「ただいま……?」

 

 慎重に扉を開け、家の中を伺う。


「げ」


 玄関には宗隆が腕を組んで立っており、その表情から、かなり怒っていることが伺えた。


「…どこに行っていた」

「え、………あぁー、ちょっとコンビニに?」

「…連絡をすることは出来たはずだ。なぜ怠った」


 迅が初めて見た宗隆の本気の怒りは、迅への気持ちの裏返しでもあった。

 そのことが、迅にはどうしようもなく、嬉しかった。


「……心配させて、ごめん」

「…分かればいい。飯にしよう、話がある」

「うん」

「…手洗いとうがいをしろ」


 やべ、リュック忘れてきた。

 迅の呟きは、宗隆には届かなかった。





「…頼子のことなのだが……」

「うん」

「…施設に入れることにした」


 ボケて寝たきりの頼子を介護施設に預けるという選択肢は昔も出たのだが、頼子が家から出たがらず、暴れたため白紙となった。

 そしてその日から、伊在衣家は頼子を優先とした生活になっていた。


「どうして急に?」

「…先日のことだ。お前を傷つけたのは申し訳ないと思っている」

「宗隆じゃないだろ、やったのは。それにもう治ったよ」

 

 「大した傷じゃねぇし」はにかむ迅を、宗隆は申し訳なさそうに見つめることしか出来ない。迅が気にせずとも、立派な虐待で───当然、宗隆はそれを理解していた。


「…いや、もっと早くにこの選択をしなければいけなかったのだ。迅には悪いことをしていた。すまない」

「じゃあ、これからリビングで生活してもいいてことだよな?」

「…あぁ。…………本当に、すまなかった」


 深々と頭を下げる宗隆に、気まずそうに頭を掻いて視線を乱す迅は、本当に気にしていないようである。………もしくは、気にならないほど、心が鈍ってしまったのかもしれない。


───これから頼子に合わせた生活しなくていいと考えると、悪くない。人生が良い方向に転がっている気がする。


「九十九に出会えたからかな………」

「…?」

「なんでもねぇ」


 九十九は本当に神様なのかもしれない、迅はそう思った。



──────



 月曜日、二日ぶりの学校。いつもは億劫な事だが、本日の迅は気合が入っていた。


「行ってきゃーす!」

「…?………うむ」

 

 それもそのはず、九十九との約束を守るためであった。先日は無理難題と感じていたが、よくよく考えれば大したことないではないと、気づいたのだ。

 先生に謝って、クラスメイトに話しかけて友達にするだけ。


「よし行くかっ!」




 

 その日、古江(ふるえ)小学校、6年2組の空気はいつもと違う張り詰めたものであった。

 なぜならばクラス一、いや学校一の嫌われ者、伊在衣 迅の様子がいつもと異なっていたためである。

 普段、遅刻ギリギリに登校してくる彼が、本日は始業三十分前には着席していたのだ。


「おはよう。おおっ⁉」


 担任の田口は教室に来ると迅が居ることに驚き、声を挙げた。


「な、なんだ、伊在衣。今日は随分早いな」

 

 そう声をかける田口だが、その顔は青ざめひきつっており、彼に殴られたことが尾を引いているようだった。

 それでもなお、大人として、いや教師としてのプライドからか、臆した様子は努めて抑え、平常を保っていた───保とうとしていた。


「───おい」

 

 迅が田口に声をかける。生徒が教師にかける声として間違いなく0点であるだろう。


「ど、どうした」


 田口の問いかけに、迅は言いにくそうに体をうねらせ、視線を乱す。


「あーなんだ、その。うーんと、まぁ……」

「……?」

 

 怪訝そうな田口の視線に、迅は覚悟を決めて、向き合う。


「……殴って、すいません………でした…………」

「「「「⁉」」」」


 普段の迅を知っている田口とクラスメイトは、しおらしい姿に大層驚いていた。

 仕方なくした謝罪ではなく、本心からのものだと皆が気づいたのだ。そして、彼が本気で謝っていることが、あり得ないと皆が思っていた。


「あ、あぁ。俺も、悪かったな」

「ん」


 満足そうに頷いた迅は、満面の笑みで席に戻る。


「なに今の⁉」

「伊在衣君、おかしくなった⁉」

「きもくね?」

「殴って、謝るだけとかやば…………」

 

 小声でクラスメイトが好き勝手に話合う。普通なら不愉快な空気だか、迅は全く気づいておらず、思考は既に別のことで一杯だった。




 昼休み。やんちゃな男子達が走って校庭に向かっており、教室が静かになっていた。

 普段の迅は机で寝ているのだが、今日は目をキラキラさせており、眠れない様子であった。

 その様子をクラスメイトは怪訝に思っており、遠巻きにひそひそ噂をしていた。


「よしっ」

 

 突如、迅が立ち上がる。教室全体に衝撃が走り、皆が彼の様子を監視していた。

 迅はそんな空気に気付くことなく、クラスでもおとなしめの少年、「佐藤敏雄(さとうとしお)」の所に向かう。

 

 いたって普通の彼は特段変わった所はないのだが、迅と6年もの間同じクラスという不運な少年であった。各学年につき、2、3クラスしかない学校にも関わらず一度もクラスが別にならなかったのは、その地味さ故だろうか。

 さらにもう6年間、迅との縁があるのだが、それは関係のない話である。

 

 当然ながら、迅はそんな彼を認識していた訳では一切なく、「今クラスにいる、独りの少年」に話かけようとしただけである。何度も作戦を練った迅は、迷頭脳の片鱗を見せていた。


「おい」


 迅が佐藤に話しかける。

 幼い頃から、村人から迅への声がけは基本的に「おい」であったため、彼もまた「おい」が正しい声がけの仕方という間違った学びを得ていた。

 迅が嫌われた理由は、理不尽な点が大半を占めているが、こういった口の悪さも一端なのかもしれない。


「な、なんですか?」

 

 おずおず、佐藤が返答する。迅に絡まれ、びくびくとしたその姿は、平等な目線を持った名教師ですらいじめを真っ先に疑うことだろう。


「俺と友達になって」

「え、嫌です」

「…………え?あ、そう」

 

 こいつなら断らなさそうという、嫌らしい予想を立ててた迅は、当たり前ながら断られることなど一切想定しておらず、自分の嫌われっぷりに驚いていた。

 

 想定外の衝撃によるダメージによっての覚束ない足取りで自分の机に戻り、いつもの体勢で睡眠の姿勢をとる。しかし、あまりの事態に頭が追い付かず、当然だが睡魔など無かった。


『え、嫌です』

 

 頭の中では先ほどのやり取りがずっと再生されていて、その度に心が傷つくという、負のスパイラルが起きており、彼の心は瓦解寸前であった。

 特別な少年も、心は年相応の様である。

 

 他のクラスメイトのひそひそ声が一切聞こえない程ダメージを受けた迅は、傷心のままその後を過ごし、ゾンビみたいな表情で放課後に身を投じたのであった。







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