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空色刃──カライロヤイバ──  作者: 宗十郎
一章 神との邂逅
4/12

 大量の血が溢れる。

 

 それは、迅のものではなく、怪物の血であった。

 

 怪物の嘴を串刺しにするかのような美しい刃が、迅の()の前すれすれにあった。素人目にも名刀と分かる不思議な魔力を放った刀であり、その切れ味が、迅の思考をすべて断ち切った。

 

 予想外の一撃により、怪物は我を忘れて暴れ始める。迅への興味はすべて無くなっていた。


「おーい、おーい、おーいッッッッッッ⁉」


 絶えず咆哮しながら、大きな羽で周囲を薙ぎ払う。たちまち大木が倒れていき、森がどんどん拓かれていく。この世の生き物とは思えない、強大な力を有していた。


「遠からん者は音に聞け、近き者共しかと見よ───」

 

 凛とした言葉、それに似合わない少女の声が森に響く。


 迅の頭上───彼が見上げると、枝に一人の少女が立っていた。淡い空色をした着物を綺麗に着こなす黒髪の少女は、まるで過去から取り残されて現代まで来たようであった。


「おーい…………!」


 怪物が少女に気付いたようで、狙いを彼女に定める。濁りきった瞳は怒りに染まっており、迅に向けていた好奇の視線ではなく、狩人のソレだった。

 怪物が羽ばたく。巨体に似合わない加速力で少女に突っ込み、血に濡れた嘴を少女に突き刺そうとしている。

 人の臓物など容易く貫くであろうその一突きは、怪物の速度と相まって回避は不可能のように思えた。


「あぶないっ⁉」

 

 迅の声は、しかし空しく響いた。

 少女は化け物の突撃に合わせて、空に身を投げていた。


 空中で身を捻って、怪物の突進を紙一重で回避───と、同時に嘴に刺さっていた美しい刀を引き抜く。


 流れるような動作のまま、”タンッ”と危うげなく着地。


「───神代(かみしろ)の御業をっ!」


 少女は刀を納刀し、大きく踏み込む。

 正に神速、怪物が振り返るより先に、既に刃の間合いに入っていた。


「神代流剣術、一の型三番『落椿(おちつばき)』」

 

 抜刀、そのまま一閃。

 腰元から放たれた一刀は、確かに化け物を切り裂く。


「あ───」

 

 その一振りは、美しかった。迅が今まで見てきたどんな絵画より、どんな絶景よりも美しかった。迅の目は、心は、その究極の『美』に奪われてしまった。


 そして、憧れてしまった。


「おるぐぎゃぁっつつあす!」


 形容し難い咆哮を挙げながら怪物が倒れる。

 一拍遅れて大量の血が周囲を赤く染め上げ、そのまた一拍遅れて化け物の首が胴と別れる。

 ポトリと首が落ちるさまは、まるで儚く散った椿の花のようだった。


「お主、大丈夫か?」

 

 少女が迅に声をかける。その口調はとても古風で、見た目との相違に違和感を感じる。


「あ、あぁ」

 

 少女が手を伸ばしてきたので、迅はそれを取って立ち上がる。

 先ほど絶技を披露したとは到底思えない少女であり、年齢も十四、迅の少し上にしか思えなかった。


「───馬鹿者っ!」

 

 ピシャリと一喝。少女は腰に手を当て胸を張り、全身で怒ってることを表現する。愛らしい見目であまり圧を感じないが、迅には痛く響いた。


「侵入禁止が見えんかったのかっ!()が少しでも遅れていたら、死んでおったぞっ!」

「………ごめん」


 迅は素直に謝罪した。彼の人生の中で、本心から謝ったのは初めてかもしれない。


「むっ。膝、ケガしておるのう」

「あ、ホントだ」

 

 必死だったからか、迅は自身の膝の傷に気が付いていなかった。

 傷は深い。肉が裂け骨が覗き、大量の血液が泡立ち溜まっていた。先ほど転んだ際の傷のようであるが、縫わなければならないようなほど、重症であった。


「……治療せんとな。少しだけ歩くぞ、我慢するのじゃ」

「え、どこ行くんだよ」

 

 少女は進んでいく───鳥居の方ではなく、さらに奥地へと。


「すぐじゃ。付いてまいれ」

「……何だってんだ、まったく」


 一度認識したからだろうか、迅は痛み始めた足を引きずりながら付いて行く。

 先ほどの怪物と、美しい絶技に頭がこんがらがった迅はとうにショートしていたが、僅かに残った理性で少女を追う。彼女から色々聞きたいことがあった。

 

 歩くこと数分。


「───はぁっ⁉」


 迅が足を踏み入れた瞬間に景色が変わった。

 じめじめとして、どんよりとした恐怖に満ちた森ではなく、明るく、まさしく楽園と言えるような深緑満ちた空間に。


「な、なんだよ、これ⁉」

「結界じゃよ。ほれまいれ」


 少し先を歩いていた少女は、この空間の中心にある、ポツンと建った(いおり)の戸を開けていた。

 年代を感じるが、ぼろい訳ではない───そんな落ち着く庵は、現在の彼女の住処であった。


「あ、あんた、何者だよ?」

 

 迅の問いかけに、少女はいたずらをするように僅かに笑い、答える。その仕草は、初めて見せた見た目相応な少女の姿だった。


()九十九(つくも)。しがない神じゃよ」



──────



 迅は結界にある庵の縁側(えんがわ)に腰掛け、膝の治療を受けていた。霊草をすり潰してできた緑色のドロッとした液体の気色の悪さに顔を歪めつつ、染みる痛みにこらえている。


 九十九と名乗った少女は、慣れた手つきで手当てをし、あっという間に応急処置は完了した。


「お主、名前は?」

 

 すり鉢を仕舞いながら九十九は尋ねた。その問で、自身の名前を名乗っていなかったことを思い出し、迅は答える。


「俺は伊在衣 迅」

「迅よ、面白半分で入ってきたのかもしれんが、立ち入り禁止と書かれた場所に入ってはいかんぞ?」

「───面白半分なんかじゃない!俺はここに住むっていう、覚悟をしてきたんだッ!」

「……ふむ。なんにせよ、立ち入り禁止の場所はやめておけ。特にここはのう。この森は怪異(かいい)を集めるための場所なんじゃよ」


 ムキになった迅の様子に何かを察した九十九は、優しく諫めた。迅ぐらいの年頃の少年の扱いになれている九十九は、ただいたずらに叱るような、程度の低い教育者とは異なるのだ。


「集めるって?」

 

 九十九は答えるか迷うかのように顎に手を当てて黙りこむが、「まぁ、よいか」と呟いて答え始める。


「怪異が街中で産まれたら大変じゃろう?じゃから産まれやすい場所を作り、そこを閉じることで、『表』が怪異に襲われないようにしてるんじゃ」

「ふーん………?」

 

 九十九の言葉は、迅には少ししか理解できなかった。


「そんな危険な場所に、なんで九十九は住んでんの?」

「怪異を祓うためじゃよ。日本を周って、怪異を減らして脅威を減らす。………住むというより泊まりが正しいかもの」


 怪異を殺した美しい一閃。あれほどの腕があれば、怪異も敵ではないということなのだろう。

 落ち着いた迅であったが、あの一閃が頭から離れなかった───あの美しい一振りが、迅の心を掴んで離さなかった。


「……………ここに住む、というのはなんじゃ?」


 お茶とせんべいを持った九十九が縁側に腰がける。迅との距離を少しだけ縮めて、彼の目を見ながら優しく問いかけた。

 渡されたお茶の所在に困るも、九十九の視線を見て、遠慮することなく迅は飲み干した。乾いた喉には非常に嬉しい、冷たい緑茶であった。


「……俺は、ここで生きるって決めたんだ」

「生きる?」

「誰も彼も、どこもかしこも、俺を邪魔者扱いする。だから、俺はこの森で()()で生き抜くんだ」

「………………ふむ。ご両親は?」

「父親は居ねぇし、母親も俺を産んですぐに死んじゃったらしい。親の顔は一度も見たことない。学生時代の母親の写真を見たぐらいだよ」

「じゃあ、ご家族は……?」

「ボケたばばあと、そのばばあを優先するじいさんだけだよ」


───………宗隆は病院から帰って来る頃か。


 迅は頭を振り、宗隆を忘れるように努める。”宗隆にはもう二度と会わない”そう決意を持って森に入ったのだ、今更恋しくなるのは、きっと弱さなのだ、そう自身を戒めた。


「……そうか」


 九十九は迅に同情したのか、鎮痛な面持ちになる。こんな少年が孤独を感じているなど、彼女には耐えられなかった。


 少し気まずくなった迅は、小さな咳払いをして、話題を逸らした。人と関わってこなかった割には、いや関わってこなかったからこそ、人の気配に敏感だった。


「なぁなぁ、俺を弟子にしてよ」

 

 それは咄嗟の思いつきではあったが、偽らざる本音であった。


「だめじゃ。『表』で生きられる子を、こちら側にいれる訳にはいかぬ」

「表って、普通の生活ってことだろ?なら、そんな人生要らない。すぐ死ぬとしても、俺は…………」


───認められたい。

 

 ()()が言葉になることは無かった。


「…………駄目じゃ。吾は今まで4人の弟子をもったが、指導者に向いてないことが分かった。じゃから、もう弟子はとらんと決めたのじゃ」

「なんだよ、神様なんだろ?ちょっとぐらい叶えてくれたっていいだろ?」

 

 「今まで何もしてくれなかったのだから、融通利いてくれもいいではないか」そんな意図が一目で分かる不貞腐れた面持ちで、迅はぼやく。


「神様といっても、吾は人と大差ないんじゃよ」


 視線を無視して、九十九お茶を飲み干す。明確な拒否の意思だった。

 

 迅はあの一閃を思い出す───刹那の抜刀、遅れてくる斬撃。技の極み、絶技。それはただ、美しかった。

 「極める」ということは、「美しさ」に帰結するものであり、当然の感想であろう。


「なぁ、遊び半分でいいから、あのすげー技、教えてくれよ」

「む、すげーか。そう言われて悪い気はせぬが………。怪異にビビるような子には駄目じゃな」

「───はぁ⁉ビビってねぇが⁉泣いてもチビッてもないが⁉」


 九十九の言葉に、声を荒げて立ち上がる。膝の大けがを感じさせない、軽やかな動きである。


 怒りで立ち上がったのだが、ふと、先ほどの自分を思い出す。

 

 初めて見て識った怪物、「怪異」。漫画や映画(フィクション)の世界ではなく、現実(ノン・フィクション)に在るその存在は、常人の気を狂わせるには充分であり、襲われたともなれば、もっと無様な姿を晒しても誰も責めないはずだ。


 にも関わらず、齢十一の少年、伊在衣 迅には恐怖はなく、極めて冷静な行動が出来ていたのだ。『表』向き平和な日本において、そんなことあり得ないはずであり、常日頃命の奪い合いをしているかのようなその平静は、ただ異質である。


 その異質は、だが『裏』においては最も重要な才能であり、そして最も得難い才能でもあった。


 そしてそのことに、迅は気づいていた───自分に戦いの才能があると、気づいていたのだ。


「───喜べ、九十九」

「?」

「俺、きっと役に立つぜ。カイイ退治」

「……確かに、秘匿結界を越えておるのよのう」

「秘匿結界?」

「この森には、結界が張ってあるんじゃ。一般人も『裏』に精通している人間も、ここを前にすると侵入する気が失せるはず。にも関わらず、主は入ってこれている。それは考えられんことじゃ」

「………………そうなんだよ!だから、俺に剣、教えてよ」

「なんも分かっとらんのに、適当に返事するでない」


 ジト目の九十九から目を逸らす。話を何も理解できなかった迅だが、「俺凄い」ということだけは理解した。


「てか、カイイが居ることすら知らんかったのに、急にムズイ言葉使われても解るわけねぇじゃん」

「どうせ記憶を消すしの、詳しく教える必要はないじゃろ」

 

 九十九が何事もないように発したその言葉に、迅は固まる。鼻で笑うような戯言だと吐き捨てるには、彼は戯言(フィクション)に出会いすぎていた。

 だからこそ、記憶を消す、それが可能であると、迅は理解した。


「い、いや、待てよ。俺を弟子にするって話はどうなんだよ⁉記憶消すって、困る!」

「弟子にするなど言っとらんわ⁉なんじゃ、お主初対面で図々しいのぅ……」


 コホン、と咳払いをし、九十九が説明を始める。無理やり実行しないところが、彼女の優しさであり、唾棄すべき甘さであるのだろう。


「『裏』の世界のことを広められても困るし、化け物のことなんて覚えてる必要はないじゃろ?じゃから、森に入った記憶は消させてもらう」

 

 その目は本気で、冗談を言ってるようには思えなかった。

 どういった手法なのかは想像もつかないが、「魔法でちょいと消すのかもしれない」と、小学生の豊な想像力で正解を導きだす迅は、真っ青な顔でぶるぶる震えていた。


「………………なぁ、頼むよ。俺、あんなに感動したのは初めてなんだ。俺に剣術教えてくれよ」

「………吾は主のような子を何度も見てきた。上手く周りと馴染めずに苦しんでいる子をの。理由は様々じゃ。自分の特異性に悩まされたり、人との距離感に悩まされたり。吾が見るにお主は前者と思える」

「…………………………」

「じゃがの、自分をさらけ出して見るとよい。きっと、恐れられるし、煙たがられる。それでも、お主が心を開かなければ、誰もお主を認めないのじゃ。己を晒して傷ついた先に、お主のすべてを認めてくれるかけがえのない誰かにきっと出会える───一生モノの大切な出会いがきっとある」

 

 九十九の言葉はありきたりであったが、そのありきたりこそ、真理なのだろう。およそ二千年生きてきた彼女の答えは、得た正解は、きっと正しいはずなのだから。


「お主を弟子には出来ぬ。吾にお主の幸せは奪えぬ。…………じゃから」


 九十九の人差し指の先端に光が灯る。淡く弱いその光は、厳かな神秘を纏っていた。


「そうかもしれない、けど…………感動したのは本当なんだ。逃げてるんじゃない」


───あの剣に憧れた。フィクションに心が躍ったんじゃなくて、あの一閃で美しい一振りで、変われると本気で思ったのだ。


「……ありがとう、迅。『神代』が褒められるのが、吾にとって一番嬉しいことじゃ。それでも、すまぬ」


 九十九は指で(くう)に模様を描き始める。灯った光は、指を追うように光り続け、やがて一筆書きの星が出来上がる。


「……もし再び会えたら、その時は、指導を考える」

「───っ」

 

 光が迅を包む。

 

 そして意識が───。







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