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空色刃──カライロヤイバ──  作者: 宗十郎
一章 神との邂逅
3/12

 翌日、土曜日の昼頃。

 頼子の定期検査のため、宗隆たちが病院に行ったため、家にいるのは迅ただ一人だった。それは、かねてから計画していた()()の実行日として、絶好のタイミングだった。


「ライトと水筒を入れて……と、よしっ」

 

 リュックサックに必需品を詰め込んで、お気に入りの真っ赤なパーカーを着る。


 かねてからの計画───それは、家出であった。

 

 どこにも居場所がないのなら、自分で作るまで。迅の妄想、だがそれを実行に移す覚悟を与えてしまうほど、迅は追い詰められていた。


「……行くか!」

 

 家を出る。行先はとうに決めていた。


  迅の住む宮城県陸村(むつむら)は所謂田舎であり、田んぼと森とちょっとの家屋で構成された村だ。昔ながらのソレは、現代日本において化石と称される部類だろう。

 

 そんな廃れかけの村は、国からの援助金が豊富で、滅びるには程遠い財源を持っていた。

 結果、村八分のような、負の文化を引き継いでいる村にも関わらず、くたびれていなかった。

 

 国から補助金を与えられている理由は、一つの森にある。

 その森は村の半分を占めているにも関わらず、土地のすべてを国が買い取っていた。

 売買の際、当時の村長が欲望のまま結んだ破格の契約は、なぜか国に通り、森を売ってから七十年程経つにもかかわらず、毎年村は維持費という名目で金を手にしていた。


 迅はその森に目をつけた。

 森は周囲を鉄柵に囲われ、一帯が禁足地と化しているが、迅の十二年間の人生で、その森に誰かが入った所を見たことが無い。いや、役人が視察などに来た所すら、だ。


 つまり、森では誰にばれることなく、生きていくことが可能であるということなのだ、そう迅は考えていた。

 

 家から僅か数分で森にたどり着く。

 いつも通り、でかでかと書かれている『立ち入り禁止』の文字。誰も手入れをしていないのにも関わらず劣化していない鉄柵に、昔と変わらず少し錆びた看板には、読める程度にかすれた文字が刻まれていた。


───そういえば全くさびれてない?


 僅かに浮かんだ疑問は、迅の頭に残ることなく、瞬き一つで霧散した。


「まぁ、いっか」

 

 柵を飛び越えて、森に侵入する。

 伸びっぱなしの草と獣一匹いなさそうな木の密度。ここであれば、迅は身を隠すことが出来るだろう。


「……俺はここで生きるんだ」


 チープで穴だらけの覚悟を決めて、森の奥に進んでいく。

 彼の頭に、少しだけ、宗隆の顔が浮かんだ。

 それはきっと、気のせいではない。


 普通に考えれば上手くいくはずもなかった。小学生の浅知恵だった。なにも知らないからこそ選択できる蛮勇だった。

 それに、この森───安部(あべの)晴明(せいめい)が作成した傑作である『()()()()()()』は、一般人どころか陰陽師ですら不可侵の、究極の結界であった。この愚かな小学生は、森に侵入出来ず、いや侵入する気持ちすら削がれ、踵を返すはずだった。


──────普通ならば。

 

 普通でない小学生は、(ばけもの)は容易く侵入した───出来た、いや出来てしまった。

 秘匿されていたのは、されるに足る理由があったのだ。

 なまじ普通でないが故、少年は自ら死に向かっていた。

 普通では識りえない、深く昏い魔導の世界に。



──────



 特段、森に詳しいという訳ではなかったが、それでもおかしいことには気づいていた。

 森の中に陽光がなく、霧が満ちていてどんよりとした空気であり、春先にも関わらず、非常に肌寒かった。

 

 だがそれ以上に違和感を感じたこと、それは。


「生き物がいない……?」

 

 鳥やリスといった小動物を見ないだけでなく、不愉快な虫の羽音すらしない。この森からは生き物の気配が一切しなかった。生命に満ちた青々しい森とは対照的に、生き物の息吹が感じられないのだ。


───………もしかして、国のやばい研究施設だったり?

 

 恐ろしくなりながらも、迅は歩みを止めなかった。少しずつ木々の間隔が広がっていて歩きやすくなっていることもあり、引き返す理由がなくなっていたのである。


 それはまるで、奥へ奥へと招かれているような感覚だった。

 一歩進むたび、現世(うつしよ)から離れていく。

 一歩進むたび、世界が裏返っていく。


 歩いて歩いて、やがて、迅はそこにたどり着いた。


「なんだこれ……?」

 

 森の中にこじんまりとした鳥居があった。それも、迅の見てきた鳥居の中では一番小さいものだった。


 深い森には似つかわしくないほど綺麗で繊細な作りの注連縄(しめなわ)がまかれており、濃い朱色が荘厳さを演出している。高さは成人男性ほどしかなく、横幅は一般的な鳥居よりも広い、酷く歪な比率をしている、そんな鳥居であった。


『おーい…………』

「⁉今」


 生き物の気配のない昏い森に、人の声が響いた。その場違いな声は、木霊のように反響していて、声の発生元は曖昧である。


「誰だ!」

『おーい…………』


 まるで同じ音声を再生しているかのような、抑揚もまったく変わらない声───優しい声色にかかわらず、それは人の根源的恐怖を煽っている。恐い者知らずの迅ですら、身構えるほどの違和感を放っていた。


『おーい…………』

「これ、鳥居の奥からか……?」

 

 どうやら声は鳥居の奥から聞こえている様で、迅に呼び掛けているようだった。

 鳥居を覗き込むと、そこには霧が広がっており、黒い陰だけが薄っすらと見える、不思議な光景が広がっている。それは、境界を隔てて世界が異なるような感覚を迅に与えた。

 鳥居の前に陣取るこの黒い影が、迅を呼んでいるようだ。 


『おーい…………』

 

 しつこく迅を呼ぶ声に、彼は溜息をついて、呟く。


「……しゃあない、か」

 

 数度の逡巡を経て、迅は進んでみることにした。これから住む森で、びびっていては仕方がないと考えたのだ。

 

 「ええいままよ」そう言わんばかりに、大きな足取りで、迅は鳥居を踏み越えた───瞬間、手品か何かのように、霧が晴れて視界が鮮明になる。同時に、迅の目に声の主がはっきりと映った。


「おーい…………」


 声を出していたのは、一匹の鳥───いや、鳥かも定かではない、怪物だった。

 大きな羽と鋭い(くちばし)は鳥のようだったが、頭と足は人のようで、なにより嘴の隙間から見える歯は人のもので───噛まれたらすり潰されそうだな、なんて場違いな考えが迅によぎるほどの異形であった。


 愚かな迅は、だがここでは極めて正しい選択を取った。

 怪物を見た瞬間に、振り返って鳥居へと駆けだす。


 化け物の目からは───人のようなその瞳からは、物珍しい『餌』に歓喜する喜色が浮かんでおり、捕食者であるという余裕が溢れていた。


 迅は直感的に、この怪物が鳥居を越えられないのだと予感しており、鳥居を越えさえすれば怪物は手出しができなくなると考えたのだ。

 

 もっとも、迅の浅知恵よりも、怪物の肉体の能力の方が高かったようだが。

 

 サッカーボールを蹴り上げる動作で、怪物は地面を蹴り上げる。

 持ち上げられた砂や礫は、散弾銃のような威力を持っており、人が喰らえば原型を保つことはなかっただろう。


「くっ!」

 

 迅は咄嗟に前転をして礫を回避した。彼の身体能力は同年代の中ではずば抜けており、その身体こそ、迅の数少ない他者から認められている物だった。


 迅の頭上を自然の弾丸が通り過ぎ、迅の背後で大地が爆ぜる音、それに合わせて砂埃が舞った。


「あっ⁉」

 

 迅が前転したと同時に怪物は跳躍していて、先ほど迅が戻ろうとした鳥居の前に陣取っていた。

 

 怪物は迅を使って遊んでいた────”回避できなければそれまで、できれば新たな遊び”。

 怪物の欲望は意地汚く、濁っていて醜かった。餌が欲しいのではなく、獲物が欲しいだけという、おおよそ生き物として腐っている性質を有している。

 生き物として歪んだその在り方は、まるで人のようであった。


「お―い…………」

 

 怪物はニチャリと笑う。弓の様にしなるその嘴は、人の恐怖を煽る。

 この化け物は、迅を食べると決めたようだ。頻りに零れ落ちる涎は、ご馳走を前にした子どものようで、欲を隠そうともしていなかった。


「……………冗談じゃない」


 迅は『生きるため』に此処に来た。断じて、怪物に喰われるためではない。


「ッ!」


 化け物に背を向けて、迅は駆けだす。ただで喰われるつもりなど、毛頭なかった。

 軽く二メートルを超える怪物の体から、この怪物の飛ぶ姿が想像できず、逃げていれば巧く周りこんで鳥居に戻れる、迅はそう考えた。


「追―い…………!」

「───はぁ⁉」

 

 化け物は羽ばたいた。あの巨体をどうやって浮かしているのかなどはこの際置いておくとして、化け物の羽が大木に触れた瞬間、予め切れ込みがあったのではと錯覚するほど、容易く、そして綺麗に幹が断たれる。


「くそっ…………!」

 

 必死に走る迅だが、そもそもの速度が違いすぎるのだろう、どんどん背後から影が迫る。気色の悪い声が近づいてくる。


「あっ───」


 必死に走っていた迅は、足元の注意を怠っており、足が木の根に引っ掛かり、転んでしまう。鬼ごっこにおいて、致命的なエラー。挽回の余地は、ない。


「おーい…………」

 

 お遊びは終わりと言わんばかりに、大きく嘴を開け、迅へと迫る怪物。ソレは(えもの)を尊ぶことをせず、喜びを隠そうともしていなかった。


 走馬灯───ではないのだろうが、時間がゆっくりと進んでいく。迫りくる化け物の口腔を眺めながら、迅は思いを馳せる。


 「自分の人生について」とか、「なんでこんなバカなことをしたのだろう」とか、この「化け物は何なのか」でもなく、ただ一つ。


「悔しい」


 静謐の森に、大量の血が溢れた。



 


 もし、『運命』があったとして、この()()()は決して運命ではないのだろう。


───運命というには必然的で。

───運命というにはありきたりで。


───しかしながら、運命というには運命的すぎた。


 ただ、この邂逅が愚かな小学生の人生を変える出会いだったことは疑う余地は無く、ひいては星の未来を斬り拓いたことは言うまでもない。


 決して、この出会いが、愚かな小学生───五代目神代の死因ではないのである。

 







読了ありがとうがとうございます。続きを気になってもらえたら嬉しいです。

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