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空色刃──カライロヤイバ──  作者: 宗十郎
一章 神との邂逅
2/12

「伊在衣!聞いているのか、伊在衣!」

 

 老齢な担任教師の怒鳴り声が、六年二組の教室に響く。

 クラス全体の雰囲気が「またか」という、呆れたものになっていくが、怒鳴られた本人───伊在衣(いざい)(じん)はただじっと、窓を眺め続けていた。


「チッ!」


 担任の教師である田口は、わざとらしく大きな音を出して舌打ちをする。

 

 田口は伊在衣迅という少年が大嫌いだった。

 

 教師というストレスの溜まる職業を続けるため、立場の弱い子どもや出来損ないを集中して怒鳴るということをしてきたが、この生意気な少年は折れなかった───いや、寧ろこちらを見下すような視線を向けてくるのだ。

 まるで自身の小ささを当てつけてくるようで、田口は非常に苛立っていた。

 「なんとしても泣かせる」いつしか田口の目標は変わっていた。


「あほくさ………」

 

 迅は漏れるように呟いた。教壇まで届くかどうかといった小さな言葉であったが、静まり返った教室では驚くほど遠くまで広がっていった。


「───なんだとッ⁉貴様、もう一回言ってみろッ!」


 頭に血が昇った田口は、たるんと垂れ下がった頬を揺らしながら唾を飛ばす。

 およそ自身の受け持つ学生に掛けるべきではない罵詈雑言の数々を飛ばし、迅を嫌っているクラスメイトですら、気まずくなるような言葉をぶつけ続ける。


「…………」

 

 失敗したという風にため息をつく迅。独り言は己の物であり、誰かに向けたものではない。


「………チッ、やっぱりあれだな!()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 その言葉を聞いた迅は、田口に飛びかかっていた。


 ずっと我慢していた、村でも学校でも───だからこそ、限界だった。


 迅はあらんかぎりの力で田口を押し倒し、馬乗りになる。そしてそのまま、怒りに任せてこぶしを振り下ろした。きゃあ、と悲鳴が上がるクラスに気を留めず、何度も殴る。


「や、やめろっ!」


 田口が迅を振り落とそうと藻掻くが、子ども離れした重心操作で乗りこなし、拳を振り下ろし続ける。

 子どもの膂力かつ慣れていない手つきの迅の拳は大した威力は無かったが、そこには、子どもが大人に馬乗るという、違和感しかない光景が繰り広げられていた。


「やめなさいッ」


 クラスメイトが呼んできたのか、はたまた異常に気が付いたのか、隣で授業をしていた若い教師が、迅を背後から羽交い絞めにする。


「てめぇ、離せッ!」

 

 ドスの聞いた迅の叫びに、田口は顔を青色へと変え、ぽつりと呟いた。


「ば、化け物…………!」

 

 その言葉は、迅を正気にするには、最も相応しい言葉であった。


「──────あ」


 迅に向けられた視線は、『恐怖』に満ちたモノだった。村人が迅へと向ける()()とは異なる物であったが、同様の疎外感を感じさせるものだった。

 

 皆、迅を化け物と呼び、彼を嫌い、疎み、排した───迅はなにもしていない。だが田舎の小さなコミュニティでは、皆が共通敵を求めており、それに彼が最も適していただけ。


 人より強く生まれたが故、耐えられるように造られていたが故、迅への『化け物』という評価に関して、善良な人々を納得させるには充分であった。そして善良な者は波風を好まず、流れに従うのものであり、故にこそ、迅は孤独であった。


「…………」


 若い教師に連れられ、迅は教室を出ていく。歩きながらの説教は、迅にとってどれも聞き飽きたものばかりだった。


「はぁ、勘弁してくれよ、まったく…………」

 

 若い男は溜息をついた。それは迅への不満を一切隠そうとしない、悪意にまみれたものだった。

 

 男の言葉は「人の痛みを考えろ」といったありふれたモノであったが、(ばけもの)が傷つけられることは誰も気にしないらしい。

 拳も言葉も、等しく武器だというのに。



──────



「…誠に申し訳ございませんでした」

 

 迅を迎えにきた、彼の祖父にして育ての親、伊在衣宗隆は教頭に頭を下げた。


「クラスの子の証言もありまして、今回はこちらにも非がありますのであれなんですが………その、えっと、迅君は普段から評判もあまりよくないので……ね?」

「…きつく言っておきます」


 宗隆は再度頭を下げると、話は以上といわんばかりに背を向け、迅を連れて職員室を後にした。

 

 数十年の年月が経ち、錆び変色した校門を出て、迅と宗隆は帰路につく。

 家から遠く離れたこの学校からは、帰宅に小一時間を必要とするため、身体の弱った宗隆には苦しい道筋だった。

 

 そんな自身の体の状況をおくびにも出さず、宗隆は淡々と言葉を発する。


「…なぜ、殴った」

「……あいつがバカにしてきたから…………」

 

 宗隆の強い言葉に、迅はそっぽ向きながら答える。拗ねたかのような迅の雰囲気は、あまり見せない年相応の幼さを携えていた。


「なぜ、殴った」


 問い詰めるように、再度宗隆は同じ言葉を紡いだ。それは怒鳴られるよりも、はるかに迅を追い詰める。


「………殴って、ごめんなさい」


 一切心の籠ってない、形式的な謝罪だった。当然だ、迅は自分の行いを悪いとは思っていないのだから。

 そんな迅の気持ちを察してか、宗隆は声色を和らげて説教をする。


「…いいか。人を殴るなということではない。()()()()()()ということだ」

「…………」

「…迅、お前は特別だ。特別な存在が普通の人間に心乱されるな」

「………ん」


───でも、化け物と呼ばれて特別なくらいだったら、普通でいいから人間でいたい。


 迅のこの気持ちは、きっと間違いなのだろう。優れた者は、他者には理解されない。特別な者は、絶対に普通には成れないのだから。


「……今日は頼子も落ち着いてる。だから、外食にしよう」

「え⁉いいの⁉」

「…あぁ、なにがいい?」


 頼子の介護に付ききりな宗隆は、定期検査以外に外出をすることは出来ない。村からあぶれ、頼れる伝手もない迅は基本的に外出をすることはなく、年に数度の外食が唯一の楽しみだった。

 

 気分を良くした迅は、上機嫌で歩く。


───普段つまらない下校だけど、誰かと一緒に帰るのは、悪くない。


 長ったらしい道は、今日は一瞬だった。



──────



「早くいこーぜ!」

「…手洗いとうがいをしなさい」

 

 帰宅後、迅は宗隆の言葉を無視して、リビングに直行。ランドセルを投げ置いて、玄関へと向かおうとしていた。

 逸る気持ちが堪えられず、喜びが全身から溢れていた。


「───あ」


 ()()は、考えうる限り、最悪のタイミングであった。


 リビングの扉の前に、普段寝たきりの頼子がいた。

 

 頼子は十年ほど前に受けた頭へのショックの影響で、ボケ老人のようになってしまった。

 だがそのボケ方は健康的なものであり、日常生活は可能かつ、気性は非常に穏やか。寝たきりではあるものの、おおよそ痴呆老人とは思えない姿だった。


 ただ一つ。


「あ、あ、あ、ああああ…………」


 迅を見ると、()()()()()()こと以外は。


「化け物ぉぉぉぉぁぁぁあああああ!」


 目を見開き、大声を上げて暴れ始める頼子。近くにあったハンガーを手に取り、迅に襲いかかる。


「っ、やめろよ!」

 

 迅は握ったら折れてしまいそうな頼子の腕を掴み、動きを抑える。それに抵抗するように頼子はより攻撃性を増し、爪を振るう。


「…頼子、やめろっ!」


 異変に気が付いた宗隆は迅をかばい、慌てて頼子を抑える。

 宗隆が来たことで油断した迅の頬を、頼子の歪な爪が引っ掻く。頬に切り傷が出来て、迅の顔に鋭い痛みが広がった。


「…迅、二階に行ってなさい!」


 宗隆は頼子を抑え込みながら、迅に指示をした。それは、簡潔で明白な選択だった。


「…………」


 迅は何も言わずに階段を上りに行く。


「…すまない、外食はまた今度にしよう。…………落ち着け!」

 

 リビングから聞こえる、頼子をなだめながらの宗隆の言葉。

 なんてことはない。迅を見た頼子が急に暴れ出すなんて、いつものこと。


「……いてっ」


 迅は自分の頬にそっと触れた。その指先は、しっとりとした血で湿っていた。


「……外食行くって、言ったのに」

 

 恥ずかしくて、悔しくて、悲しくて言えなかった。

 ケガの心配をして欲しかっただなんて。

 

 頼子よりも自分を優先して欲しいだなんて、迅が言えるわけが無かった。


「…………死んじまえ、くそばばあ」

  

 この世界に、迅の居場所はなかった。


「死んじまえ、全部」


 迅は思ってもないことを言った。思いのほか、悪くなかった。





読了ありがとうございます!感想やアドバイスなど、もしよければコメントして頂けるとありがたいです。

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