10 初陣(仮) ②
"海なのではないか"そう錯覚するような広大な面積の湖。この時期は観光客が涼みに来る場所なのだが、夜ということもあり、人影はなかった。
湖のほとり、夜にも関わらず明確な陰を持った白い影、「水子」。流産や、死産の子を指す言葉ではなく、人を誘い溺死させる怪異の一種である。
弱い怪異で、基本は第五位階に位置する低級マ型怪異であるが、霊地の澱みを喰らい令力を強化したこの怪異は、第三位階は堅いだろう。
そんな白い靄には明確な意思があり、わざと迅を放置していた───それは、一般人である彼を絶望に溺れさせたいという、明確な意思からである。
「………九十九をどこにやった」
重厚な響きをもった迅の言葉に、水子はニタリと嗤い、陰の周囲に浮かんだ水球を指さす。
サッカーボールほどのサイズのそれは、見た目通りの大きさというワケではないらしく、藤野と九十九両名が入っていた。
気絶した藤野を介抱している九十九であるが、水中ということで呼吸が苦しそうであった。自力での脱出は可能なのだろうが、藤野の治療に回している氣を使用してしまうと、窒息状態の藤野には重大な後遺症が残ることは確実である。故に彼女は無理やりの脱出という選択は取れない、いや取らない。
「今解放したら、楽に祓ってやる」
「──────」
迅の言葉を聞いた水子が指を振るうと水球のサイズが急激に縮まる。凄まじい圧力が内部を襲っているようで、九十九の口から大量の気泡が漏れ出た。
「………やめろッ!」
迅の叫び声を聞いた水子は、彼の手にある刀を指さした。
「………これを捨てろってことか?」
「──────」
「ただの刀だぜ? 令器じゃないぞ」
嗤った顔のまま、水子は指を水球に向ける。”つべこべ言うな“という怪異の意思が感じられる仕草であった。
「………ちッ」
迅は刀を遠くに放り投げた。
令器ではないが、普通の刀とは思えないほどの切れ味を誇る名刀であり、僅かな違和感を感じ取った水子の英断であった。
迅の刀は、令力が籠らずとも怪異を断つ。
「──────」
無手になった迅を見た水子は、周囲の水気を操り水の刃を作り出した───「水に誘う」力しかない怪異が、澱みの効果で「水を誘う」ことが可能となっていた。
水子は口をいやらしく吊り上げて、迅に向かい、水の刃を射出、足を刈る一撃を放った。
一般人の足を断つには充分な火力であり、四肢を捥ぎ、胴だけの迅を水につけて遊ぼうとしたのである。
絶体絶命───それが普通の子どもであれば、だが。
「───らッ!」
迅は足に氣を込めて、刃を蹴り上げた。
弾け飛ぶ水には確かな強度があったはずで、一般人の蹴りで壊せる代物ではない。
「………?」
水子は何かの間違いだと思ったようで、しっかりと令力を込め直し、大量の水球を生成、散弾銃のように一斉放出する。
「はぁあッ!」
自身を襲う十発ほどの水球───本物の拳銃と同程度の威力を誇る攻撃であったが、それらすべてを殴り落とす。迅にとってこの程度児戯であった。
迅は水子の力を把握、雑魚だと考え、駆けだした。水子が九十九に手をかける前に、トドメを指すべきだと考えたのである。
術の類は術師が死ねば解除されることを、迅はこれまでの実体験で学んでいた。
凄まじい速度で駆ける迅に、水子は無我夢中で水弾を飛ばし続ける。
“こいつは一般人のはず⁉ “水子の驚愕は、陰の揺らぎで察せられた。
令力を知覚できるものは、令力が「揺らぐ」。どんな強者も、乏しい令力の持主でも例外なくである。
迅は令力の知覚が出来ない。それはつまり、迅の令力は『表』の一般人のように、「凪いでいる」ことを意味する。
令力知覚が出来る者にとって、迅はあり得ないのだ───令力を用いず、異常な身体能力を有しているのだから。
それを可能にしているのは偏に、星を巡る力、九十九が『氣』と呼ぶエネルギー。氣の性質は令力と大差なく、同じ使い方ができるのである。
令力での身体強化と同じように、氣を用いた身体強化。これこそが迅の身体能力が高い所以であった。
「──────!」
劣勢の中。ニタリ、勝ちを確信した水子の笑み。
距離を縮め続ける迅が踏み込んだ足元には、水たまりがあった。
この水たまりはただの水たまりではなく、水子の術である。それも、踏み込んだものを自身の領域内に取り込むという、抵抗も困難な強力な術。
令力の凪いでいる者の明確な弱点として、術への耐性の無さが挙げられる。
凪いでいる令力に術を作用させることは赤子の手を捻るよりも簡単なことであり、『表』の人間が術を防ぐことの出来ない明確な理由であった。
水たまりが光を放ち、迅を水球へと誘う───
───否、弾かれた。
「──────⁉」
「───悪いな、生まれつき術が効かないんだ」
凪いだ令力は明確な弱点であり、今すぐにでも直すべきものである。
それにも関わらず、迅の怠惰を九十九が許した理由。それこそ、迅だから許される選択。
迅の肉体、星児として造られたその躯体は、下等な神秘の悉くを否定する。
質量のない攻撃、令力そのままの術はすべて「弾く」。それが迅の特異性にして、最も優れた長所であった。
自身の奥義が効かないことに、水子は咄嗟に九十九の入った水球に意識を向け───
「遅い」
既に迅は間合いに入っていた。水子のどんな行動よりも、その拳が先に放たれる。
自身の内側に氣の流れ道を作る───右足から腰、肩から腕を通って拳までの澱みない流れであった。
「───神代流手空術、一の型一番『閃魚』」
体重移動と腰の回転、氣の流れを以て、水子の鳩尾を打ち抜くアッパー気味の正拳を放つ。
一の型一番『閃魚』───大きな動きを用いず、重心移動と氣の流れだけで放つ超速の拳撃。
踏み込まずとも放つことの出来る対人型の至近距離用拳技であり、喰らった相手の身体が陸に上がった魚のように折れ曲がることから───名を『閃魚』。
空気を切るその拳は、脆い水子を容易く砕き、一撃で令核を粉砕した。
「ぐァッ………!!」
と、同時に迅の腕を鮮血が走る。
世界に満ちる氣は迅の味方であり、彼の意思に呼応して、集まって来る。
だが、無限に集う力は、迅にとって毒にもなった。
繊細な操氣が求められる神代流の技において、氣の自動収集は望ましい才能だが、拙いコントロールでのそれは自殺行為であり、未熟な迅は高確率で『過剰強化』、強化強度に体が追い付かず、崩壊してしまうのであった。
とはいえ、氣に愛された迅の技は、歴代の神代でも最高の威力を誇り、威力に重きを置いていない『閃魚』ですら、一撃で怪異を葬るほどであった。
「ぶはぁっ!」
水子の消滅と同時に、浮かんだ水球も消滅。その数秒後、亥苗代湖から九十九が浮かび上がって来る。
肩には藤野が乗っていて、彼もなんとか一命をとりとめた様子であった。
水子の水球は、怪異自身が縛られていた湖内とつながっていた様である。
「九十九、大丈夫か⁉」
迅の焦った声に、九十九は応じることなく、藤野を横に倒して呼吸を確認する。
「………まずい、体温が低いっ。急いで病院へ運ぶぞッ!」
「え? お、おう」
釈然としない迅であったが、人が死ぬのは本意ではない。駆けだした九十九を追従してその場を後にする。
─── ……………それだけかよ。
誉めてもらえると思っていた迅は少し拗ねたように、溜息をついた。
当然、九十九はそれに気が付かなかった。
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