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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
9/18

8 暗中模索

「お前、裏切った、な?」


ジェタのその言葉は、まるで何かを確認するかのような平坦なもので、仲間をやられた焦りなどは特に感じていないようだった。


「ああ、気が変わったんでな。」


アールンが首を鳴らしながらそう言った次の瞬間には、ジェタが目を見開いて拳を振りかぶり、その体勢のまま突撃してきた。

タイミングを見計らってアールンはそれを避け、ジェタの拳は空を切ってそれまでアールンが立っていた地面に激突する。


ドンという鈍い音と土煙に、アールンはあの攻撃に当たってはいけないと直感的に悟る。

ジェタは一瞬バランスを崩したので、彼はその隙を逃すまいと蹴撃を加えるが、大柄で柔らかい肉を身に纏っている男は中々ビクともせず、逆に彼は足を掴まれて思いきり投げられてしまった。


(不味い!!)


涙目の中、今度こそ本物の走馬灯が見えかけ、彼は庭に生えた広葉樹の根元に背中から音を立てて衝突した。


「ガハッ!」


思わず呻き、視界がぼやける。

それに対し、ジェタはすぐに追撃を仕掛けてきた。


間一髪のところでアールンは脇に回避し、大振りなジェタの攻撃の隙をついて脇腹に強い殴打を加える。

しかし、ジェタはなおも揺るがず、そのままアールンの方へ突進し彼を突き飛ばしつつ、母屋の壁の方へ走ってそこに立てかけてあった天秤棒を手にした。

重く取り回しの悪そうな太い天秤棒をいとも軽々と振り回して使い勝手を確認すると、ジェタはそれをアールンに向けた。


(ああ、クソ。さっきの低速の時間中にこいつもやれてたら...!)


しかし、後悔しても仕方ない。

ジェタが高速で突き出してきた棒をひらりと避け、その棒を掴んで腕で抑える。

その状態でジリジリとジェタの方へ近づいていき、至近距離まで近づいた所で思い切って両手を放し、懐に強烈な拳を叩き込んだ。

これにはさしものジェタにも効いたようで、思わず呻いてよろける。

そこへ、彼は更なる追撃を加えていき、ジェタは一転して防戦一方となってしまった。

だが―


(これでも倒れねえのか!?)


拳を叩き込み、蹴りを入れる度にジェタは体勢を崩して後退っているものの、決定打にはなっていないように見えた。


(だったら...!!)


あえて彼はジェタに体勢を立て直す隙を与え、その攻撃を誘発する。

意図した通り、天秤棒を握り直したジェタが横薙ぎを放ってくる。

それを見切って屈んで回避し、無防備になったジェタの顔を殴りつけた。


男の肉付きのいい顔が歪み、泡を吹きながら倒れていく。


(勝負あり、か。)


だが、そこで突然視界がぼやけ、後頭部に鈍痛が走る。

耳鳴りに耐え、頭を抑えながら後ろを見ると、そこにはいつ目を覚ましたのか首魁の男が立っていた。


「てめえ、もう許さねえぞ。フーロだけじゃなく、ジェタまでやりやがって。」


男の声は怒りに震えていた。


「殺しちゃいねえよ、気ぃ失ってるだけだろ。」


アールンはそう反論するが、掠れ声しか出なかった。


「はぁ?聞こえねえよぼそぼそ喋んじゃねえ!!まあいい、お前は殺す。今!ここで!こいつでなぁ!!」


そう叫んで、首魁の男は懐から短剣を取り出し、鞘からゆっくりと抜いた。


「ああ...クソ。」


それを見て、アールンは悪態づく。

対抗するべく気を失っているジェタから天秤棒を奪い取るが、木製のそれと相手の刃物ではどちらが有利かなど言うまでもない。

自分から攻め込むのは得策ではない。間合いはこちらのほうが大きいのだから、下手に攻勢を掛けるよりも待ったほうが良いだろう。


アールンと首魁の男は互いに睨み合う。


その緊張状態がピークに達し、男が間合いを詰めてアールンに斬り掛かってきたそのとき。


その刃が黒い鉄棒によって甲高い音を立てて弾かれた。


その刹那、首魁の男はその鉄棒に何度も突かれ、血を流しながら地面に倒れた。

鉄棒の主は、袖無しの服を纏った大男だった。

既に辺りは夜の帷が下りかけ、色黒の男の素顔などは見えない。

ほぼ同時に、聞き覚えのある声がした。


「昼間ぶりだねぇ。」


声のした方を見て、アールンは今度こそ驚愕した。


夕暮れの紫の空に、小屋ほどもある漆黒の乗り物が、クククク...ククククク...という、肉食獣が喉奥から出す唸り声のような音をかすかに鳴らしながら浮かんでいた。


乗り物の四隅付近には、まるで獣の脚の如く縦長の櫃のような物体が付随し、櫃の底部に開いた四角い穴からは青白の淡い光が漏れ出ていた。


声の主、フージェンはその乗り物の中央にある大きな開口部の床に腰を下ろしていた。


「グァルさんや、そこに伸びてる3つの()()()をさっさと回収しちゃって。」

男は相変わらずの訛りの強い話し方で、目の前の大男に指示する。

それを受けて、大男は黙々と気を失っている首魁の男、フーロ、ジェタの身体を無造作に抱え上げ、驚異的な脚力で以て3人分の身体を抱えながら乗り物に飛び乗った。


「フ、フージェン様!?」


驚きと嬉しさの混じった声を上げながら、母屋からリンとレーミーが出てきた。

それらに対しては笑顔で手を振りつつ、フージェンはアールンに向き直って語りかける。


「心配せずとも、正当防衛なのは分かってるから、暴力沙汰を起こしたことは今回は見逃してあげるよ。でも、あんまりオイタが過ぎると、こっちも”対処”せざるを得ないから、自重はしてほしいねぇ。」

「...分かってるさ。」


フージェンはその返答を聞いた後、母屋の2階の窓から始終を見守っていたソーラの方へ目を向けた。

そして一つ頷くと、乗り物の奥へ向かって何か言い、程なく乗り物は高度を上げて暮れの空へ消えていった。


「はー...なんじゃありゃあ。あの脚の光、あれはまさか...。」


アールンの独り言は、後ろから走ってきたレーミーに中断された。


「あんた大丈夫かい!?あいつら、”ファカレーダ(熱腕組)”の輩じゃないかい!?」

「ファカレーダ?何ですそのダッサい名前。」

「街のチンピラの集まりだよ!!なんでそんなのと関わっちまったんだい...。」

「...昼間、ソーラが若い男たちにナンパされたでしょう。そいつらが、多分そのナントカとか言う集団の一味だったらしい。通りで捕まって裏に連れ込まれ、15人ぐらいに囲まれ恫喝されて、最終的に今連れて行かれた奴らと一緒に、ソーラをそいつ等の元へ連れて行くことになってしまって。」


彼はレーミーに、一通りの事の成り行きと理由を説明した。


「なるほどねぇ、大体分かったわ。でも、できればこの家には連れてきてほしくは無かったわね。」

「それは...すみません。」


彼は途端に申し訳なくなって謝る。

味方してくれそうな証人が欲しかったから...というのが本音だが、この無実の一家を面倒事に巻き込んでしまったのは事実である。

考えてみれば、人目がほしいだけならばわざわざこの家まで連れて来ずとも、通りで衆目の前で事を起こせば十分であっただろう。


「まあ、無事で良かったわ。夜餉の準備は出来てるから、汗を拭ったらいらっしゃいな。」


レーミーは穏やかな顔でそう言って、母屋へ戻っていった。

アールンは礼を言い、散らかしてしまった壁の農具や天秤棒などを片付けてから中に戻った。


明るい色の香草が乗り黄金色の甘辛いタレが掛かったサンガ牛のトトホ(一切れが薄く小さいサンダ式ステーキ)や、塩味の利いた橙色のモカレム(米粉でとろみをつけ、人参、キノコなどを煮込んだ鶏ガラスープ)、赤く小粒の酸っぱい果実が乗ったタムナール・ダール(羊の乳で作った甘いヨーグルト)などなど、夜餉にはレーミーとリンが2人で腕によりをかけて作ったという多種多様な料理が並んだ。


「しっかし、驚いたよ〜。まさかここにフージェン様が、しかも”浮艇”に乗っていらっしゃるなんてねぇ。」


料理を口に運びながら、レーミーが唐突にそう呟いた。


「ん、”浮艇”って何だ?」

「フージェン様の乗り物のことさね!ほら、さっき空に浮かんでただろう?」


ああ、とアールンはフージェンが乗っていた奇妙な乗り物のことを思い出す。

それが吐き出していた青白色の光に、彼は思い当たりがあった。


「あれ...もしかして霊気で動いてるのか?」


霊気、霊力、霊力機関。


かつての、王国末期の爛熟したサンダ文明の真髄、六百年の発展の結実とも言うべきその驚異的な技術は、何でも「魂」が持つ強力なエネルギー”霊気”を利用し、水を低きから高きへと流したり馬無しで馬車を動かしたりするようなとんでもないものだったらしい。


しかし、肝心の霊気が採取できる場所がワンデミード半島にはあらず、霊気の長距離輸送である”配霊”のシステムも中央朝廷の機能停止と運命を共にしてしまったことで、ド田舎でもともと少ない半島の霊力機関はほぼ全てが停止してしまったのだ。


アールンも、僅かに残っていた何の役にも立たない霊気貯蔵庫の残りの霊気を少し見たことがあるだけだ。

だが、その時の霊気も”浮艇”が脚から漏らしていたような青白い光をぼーっと放っていた。


「へぇ、知ってるのかい?」

「いや、昔ちょっとだけ霊気を見たことがあって。でも、今の御時世で使えるんですね。霊力機関。ここでは霊気が採れるんですか?」

「えっとねぇ、ここじゃ霊気は採れないんだけど、何でもあの”浮艇”はここよりずっと南にあるハニスカって街から贈られたものらしいわよ。そこでは今でも霊気の採集をやってるって聞いたことがあるわ。」

「へえ...。」

「僕!大人になったら”浮艇”に乗るんだ!」


そう息巻くミーディに、ネイロが「浮艇はフージェン様の乗り物だから乗れないよ...。」と諌める。


「違うよネイロ!強くなってフージェン様の護衛になって一緒に乗るんだ!」

「はぁ...。」


2人の少年のやり取りを微笑ましく見ながら、アールンは思う。


(ハニスカか...。使えるかもな。)




料理を大いに堪能し、食器の片付けの手伝いをした後にそれぞれの部屋に戻った時には既に、半ば心地よいまどろみの状態であった。


アールンは今すぐ横にならせろとせがむ身体を押して寝具を準備し、冷え込む夜に備えて窓を閉め、銅器の覆いを被せて燭台の灯りを消した。

布団の中に潜り込んで程なく、彼の意識は温かい闇の中に潜っていった。


それとは対照的に、隣部屋のソーラは同じように就寝準備はしていたものの、いざ寝ようと横になったその瞬間に何故か突然目が覚めてしまい、眠れなくなっていた。

その状態のまま数時が経った頃、彼女はついに眠ることを諦めて身体を起こした。


思えば、ペルオシーでも時々このようなことがあったが、その時は大抵灯りをつけ直して書を読むなどしていた。


子宝に恵まれなかったベルハール家において唯一健康に育ち、ヘイローダ(抵抗衆)の統率者としての将来を切望されていた彼女は、女性の常の手習いに加え諸々の行政文書の読み書き、さらにはそこで不可欠となる典故の知識、更には武芸まで、多岐にわたる習い事を修めていた。


勿論それら全部を完璧にこなせたわけではなく、それぞれの出来不出来はピンキリであるが、その中でも特に彼女が得手とし、それが高じて趣味にまでなったのが読書であった。

しかし、当たり前だが身一つで戦場から抜け出してきた今の彼女はそうした書籍の類を一冊も携えていなかった。


何気なく、彼女は窓を開けた。

優しい月明かりが差し、彼女の整った双眸が白く照らされた。

窓辺に腰を下ろし、冷たい夜風に当たりながら物思いに浸る。


(父上は、ハルマランは、今頃心配しているのでしょうか。)


心配していてほしい。そう願う自分の身勝手さに、彼女は失笑した。


(心配?采配を誤って兵の多くを失った上に、勝手に戦場を抜け出した私を?とんでもない。)


体制を第一に考えるのなら、自分のことなどさっさと切り捨てて養子でも取ったほうが幾分もマシだ。もしかすると、その養子のほうが自分よりも有能なのではないか。


家族に見捨てられるのが嫌なら、せめて今隣室で寝ている男の言う事を無視して一目散にチロン関に帰還すれば良かっただけの話だ。


それに、アールンはあのとき自分に対して同行を無理強いしてはいなかったはずだ。

つまり、これは完全に自分の選択の結果である。


しかし、それで割り切れるほどの冷徹さを、この頬を刺す夜風のような冷たさを、彼女は持ち合わせてはいなかった。


涙が、溢れた。



ぶるっと震えて、夜半にアールンは突然目を覚ました。


「...厠は...どこだっけ。」


彼は小便に行きたくなり、暗い中部屋の引き戸を開けた。


「うおっ寒っ。」


見ると、隣の部屋の戸は開け放たれたままで、廊下はひどく冷え切っていた。


(ソーラのやつ、窓を開けっ放しにでもしたのか?...まあ、まずは厠厠...。)


用を足し終え2階に戻り、ソーラの部屋へ様子を見に行くと、彼女は開け放たれた大窓の縁に寄りかかって震えていた。


「なーにやってんだよ...。窓開けっぱじゃ寒いだろ。」


そう呆れ顔で言いながら部屋に乗り込んだアールンは、顔を上げたソーラの目が涙に濡れていることに気づき、その顔を真剣な面持ちに変えた。

彼は黙って彼女の方に歩いていき、すこし離れた場所に腰を下ろす。


「...どうしたんだ。」

「...。」


ソーラは目を伏せたままで答えない。弱みを見せまいとする瞳だ、と彼は気付いた。


(こんな所で意地はったってしょうがないだろ...。)


アールンはひとつ小さい溜息をついた。


「あまり身体を冷やすなよ。風邪引いちまうといけないから、窓閉めるぞ。」


そう言いながらアールンは大窓の取っ手を掴み、両外開きの窓を片方ずつ閉めた。

室内が一気に闇に包まれる。


「...この暗さなら顔もよく見えねえ。向こう向いててやるから、吐き出しちまえよ、色々。」


そう言って、彼はソーラとは逆方向を向いてどっかりと座った。


「...ごめんなさい。」


彼女は一言そう呟いた。それに対し、アールンは何も答えない。いまはあくまで聞く時間だ。


「貴方に言ってよいことかは分かりません、でも、私怖いんです。父上や、ヘイローダの者たちに見捨てられるのが。...私の居場所が、無くなってしまうのが。」


恐る恐る、彼女は言葉を継いでいく。


「このままこの地に留まって、ワンデミードに帰った時、ペルオシーの屋敷の会堂には私の席は残っていないかもしれない。或いはその主が変わっているか。いずれにせよ、好ましい不確定要素は出来る限り捨てるのが政というものです。私という存在は、最早居ないものとして扱われているでしょう。いや、それだけならまだ耐えてみせます。しかし...。」


そこで、彼女は一度言葉を切り、震える息を吐いた。


「そうなっては、貴方に昼間自信満々に提案したことも、叶えられないかもしれない。戦?無責任にも逃げ出した敗軍の将が今更何を。近衛への抜擢?人事権などあると思っているのか、と。」


声に徐々に嗚咽が混じってきた。


「...そんな自分が情けなくて。...グスッ最近は、今日だって貴方に助けてもらってばかりなのに、自分は偉そうなことを言うだけで、実のところ何もしていないし、ズズッ...これからも多分何も出来ない...!今までの努力の甲斐もなく、親しい人々に、部下たちに見限られ、...あとに残るは、せいぜい政略婚にしか使い途のない自分一人。グスッ...それが怖くて、悔しくて、悲しくてたまらないんです。」


その後は、もう言葉にならない嗚咽と涙だけだった。

頃合いか、と、アールンはついに口を開いた。


「俺は上流の暮らしには縁が無いからさ、あんたの父さんや母さんがどういう人間かは分からない。確かに政治の、仕事の場面ではあんたの居場所が無くなってるかもしれねえ。...けどな、高々数日、数週間居なくなるでさっぱり諦められるほど、親子の繋がりって弱かねえと思うぞ。」


そして、彼はソーラの方へ向き直る。


暗さにだいぶ目は慣れていたが、それでもソーラの顔はよく見えない。


「血の繋がりとか... いいや、愛情ってのは、決して損得とか取引の類じゃない。等価交換の商いの関係と同じだったら、わざわざ”愛”なんて言葉要らねえだろ。利益を齎すか否かなんてどうでもいい、ただ近くにいて、更に欲を言えば、元気で笑っててほしい。それは、あんたの父さんも一人の親としてそう変わらないはずだ。だからさ、そんな気にせずとも、屋敷に帰ったらなんてことなく温かく迎えてくれるってことも、全然あると思うぜ?」


アールンは自身を顧みながら、滔々と話す。


「でも、今のはあくまで俺の想像の中の話だ。もしかしたら、あんたの言うような冷たい上流の世界は、俺の想像できる範疇を超える酷いもので、あんたが本当に見捨てられるようなこともあるかもしれない。...もしもそうなったら...。」


彼は意を決して言う。


「まずは、俺達2人で、力を合わせてなすべきことをなす。そして、すべてが終わったら...共にガーテローで静かに暮らすってのはどうだ。夫婦とかではなく、勿論家は別だ。俺の故郷の街だから、幾らか知り合いも住んでる。皆良い奴らだから、きっとあんたのことも受け入れてくれるだろう。...まあヘイローダのそれとは大分違うだろうが、良い居場所にはなるはずだ。」


気づけば、ソーラの嗚咽は聞こえなくなっていた。代わりに、気まずい沈黙が辺りを支配した。


(流石に踏み込みすぎたか...?)


しかし、彼の心配はすぐに杞憂だったと分かった。


「...なぜ、貴方はそんなにも私に優しいのですか。」

「え?」

「先の貴方の論理に基づけば、貴方は別に私に良くしてくれる義理は無いはず。かといって、私と懇ろになろうという下心もそれほど感じられない。感じられるのは、ただ思いやりだけ。一体何が貴方をそこまで優しくさせるのですか。」


ソーラの問いに、アールンは答えるのにかなりの時間を要した。

彼自身、昼間も彼女に話した通りよく分かっていないのだ。

でも、どこか放っておけないような、そんな思いが彼にはあった。


「...目の前で困ってたら、そりゃ助けずにはいられないだろ。多分、そんだけだ。」


その答えに、彼女は何も言わなかった。

代わりに、その影はすくっと立ち上がり、ゆっくりと彼の方へ歩み寄ってきた。

思わず、彼がすこし後ろに下がると、影はまたも近づいてきて、彼のすぐ隣に腰を下ろし、なんとその頭を彼の右膝の上に乗せてきた。


「ど...どうした。」


彼女の乱れた長い髪から上ってくる温かく甘い匂いに心の臓の鼓動を早めながら、彼は努めて抑えてそう尋ねた。


「...ここなら、眠れる気がします。今夜はここで眠らせてください。」

「...夜もすがらこのかったい板張りの上に座ってろってのか。せめて布団でも下に敷かせてくれ。」


アールンは壁際に敷布団を移動させ、その上に壁を背もたれにして改めて胡座で腰を下ろし、「ほらよ。」と言った。

すると、ソーラはアールンの右膝の根元付近を枕に掛け布団にくるまり、程なくして穏やかな寝息を立てはじめた。


「まあ、楽になれたなら良かったよ。」


そう小さく呟き、彼も目を閉じた。


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