23 青い炎
『皆の者、こちらはジャナール=スカーゲンだ。』
節々から赤光を発する小さな機器を口に当て、大仰な手振りとともに演説するジャナールを、車椅子に座らせられたソーラは虚ろな、しかし静かな敵意の籠った目つきで見つめていた。
機器の発する禍々しい気配は、恐らく”魔”由来のものであろう。やはりというか、この男は”そちら側”の人間だったのだ。
地下闘技場観客席のかなり高い位置に設けられた賓席では、ジャナールがソーラと衛兵団を伴い、常に観客達の喧騒を高みから見下ろしていた。
しかし今日はその他に、黒い頭つきの長衣を纏った年配らしき男の姿があった。
恰好からして間違いなく魔の僕の一人であろうが、彼はソーラには一切関心を示さず、賓席の縁に泰然と立ち、その視線は一心に眼下のアールン達に注がれていた。
出来ることなら、すぐにでもその傲慢な背中を一突きにしてやりたい。
『――そこで、今日は諸君らにサプライズを用意した! 先ずはこれをご覧あれ!』
手を前に掲げたジャナールがそう言うのと同時に、それまで微動だにしなかった黒ずくめの男が手元の小さな機械をいじり、客席と戦場とが赤い靄のような壁で仕切られた。
(未知の術…! いや、あれは仕掛け…?)
しかし、次に見えた物にはソーラも見覚えがあった。
靄の壁越しに見える戦場の砂地に、幾千もの光の筋が走る。そこから湧き上がってきた”蕾”が緩み、隙間からは異様に大きなタコの足のような物が現れた。
――魔物だ。
『これらは嘗て、山の向こうの朝廷を纏めて瓦礫の下に葬った”魔”の力だ! だが皆の者、安心するがよい。魔物共の攻撃は諸君らの前に展開されている”魔力壁”に阻まれ、諸君らに届くことは決してない。』
ジャナールの言葉に、眼下の民衆からは感心や興奮の声が沸き起こった。
自分達が安全だと分かった途端、これである。この場の熱気にあてられて正気を失っているのだろうが、愚かしいことこの上ない。
『あの惨禍から苦節20年! 我らは遂に”魔”の力を操る術を手に入れた! 今宵は我らの新しい力をとくと見よ!!』
その言葉と共に、靄の壁に囲われた戦場の中で何本ものタコ足が暴れ始め、砂塵を巻き上げ、くぐもった轟音が響き始めた。
今まさにあの中で、アールンとメウナ、そして名は知らぬもう一人の仲間の男が、絶体絶命の危機に陥っている。
片や自分はここで、ただ座っているしかない。四肢は未だ言う事を聞かず、彼らが嬲り殺されるのをただ見ていることしか出来ない。
彼女は目を潤ませ、怒りに歯を食いしばった。しかし、それが彼女に出来る全てだった。
ジャナールと黒ずくめの男は眼前の狂騒を満足げに眺めていたが、その余裕は唐突に打ち砕かれた。
タコ足によって宙に吊り上げられたメウナが、手にしていた何かを起動した。
すると、そこから雷にも似た幾筋もの深紅の閃光が放たれた。
閃光は靄の壁を貫通して闘技場全体の壁や床に達する。賓席にも二筋ほど突き刺さったが、幸い人に害はないようだった。
それと時を同じくし、ズウウウンという重低音と共に靄の壁やジャナールの握っていた小さな機械の光が消えた。その光景を前に、黒ずくめの男が初めて余裕の色を失った。
「Overload…?」
「何が起こっている!?」
男は咄嗟に何かを口走ったようだが、それは狼狽したジャナールの声にかき消された。
それに対し男は顔を上げ、厳しい面持ちで答えた。
「どうやら、我々の術の一部が敵に流出したようです。ここは一先ず退くべきでしょう。あれは私の”部下”に対処させます。」
「何だと!? くっ……分かった。」
「ではこちらへ。安全な場所までご案内致します。」
黒ずくめの男の先導に従ってジャナール達は賓席を出、デイルダム城の入り組んだ暗い地下道を進んでいく。
しかし、少し行ったところで、一行の行く手は先の曲がり角から姿を現したヨラに塞がれた。
「あれは一体どういう事でございますか。」
彼女の眉間には深く皴が寄り、右手は腰の曲刀の柄に掛かっていた。
「何の話だ。」
「とぼけなさるな。これまで20年もの間、何とか魔物の侵入を防いでこられたというのに、この期に及んで魔を街に招き入れてしまうとは、一体どういうおつもりか!?」
ヨラは凄まじい剣幕でまくし立てる。
それに対し、ジャナールは気だるげに、諭すように返した。
「ああ、確かに君にとっては受け入れ難いことだろうのう。だが、これは災禍の類ではないのだ。あの力は我々の統制下にある。案ずることはない。」
そう言いつつ、ジャナールは横の黒ずくめの男を一瞥した。
男は依然として無言である。
「無論、危うき力であるのは私とて理解しているつもりだ。だが、だからといって忌み嫌い目を背けているばかりでは、進歩はなかろう。私が君を買ったときも、同じように考えたものだが。」
「……。」
無言で俯く女の肩を、ジャナールは軽く叩いた。
「世は常に移ろいゆく。そしてそれは往々にして、辛く苦しいものよ。」
そして、ジャナールはヨラの傍を通り過ぎていった。
それから三つの曲がり角を過ぎたころ、唐突に黒ずくめの男の姿が消えた。
「あの男は何処に行った?」
「わ…わかりません。」
ジャナールは護衛兵にそう問うが、兵も困惑して左右を見回すばかりであった。
「フン、まあよい。ここまで来れば大丈夫だろう。」
その言葉は、全くの不正解であった。
突然、兵士の群れが曲がった先の左右にあった扉から雪崩れ込んできた。
彼らは一様に襟部の大きい黒い札甲と兜を纏い、非常に短い槍や小刀を携えている。
一目見て、このような狭い屋内での戦闘を想定した強襲部隊と分かる装備であった。
「何だ…グアッ!?」
「敵襲! 敵襲!」
兵士たちはすぐに手近なジャナール配下の兵に飛び掛かり、虚を突かれた警護兵達は一人、また一人と倒れていき、狭い地下道の床は瞬く間に血の海と化した。
そして、残るはジャナールとソーラ、そして彼女の車椅子を押していた哀れな使用人一人となってしまった。
「くっ、誰の手の者だ貴様ら!!」
追い詰められたジャナールに、兵士たちは尚も警戒を解かず、得物の切っ先を揃えてじりじりと距離を詰めていく。
「くっ、まあいい。おいヨラ君!! さっさとこの者どもを片付けろ!!!」
そこで、ソーラは後ろにあの紫がかった黒髪の女戦士がついてきていた事を初めて認識した。
しかし、返答は無かった。
「おい!! 何を突っ立っている!! 主人を守るのがお前の務めであろう!?」
「……。」
「きっ貴様!! まさか恩を忘れ、裏切った――ガアッ、うう…!」
ジャナールの言葉は、自身の発した苦悶の断末魔に遮られた。
背中から大量の血を流し、男はソーラの車椅子の足元に崩れ落ちた。
意識が途切れる間際、ジャナールはソーラの白い足に向かって手を伸ばしたかに思われたが、それが達せられることはなかった。
しかし、ソーラはそれには目もくれず、襲撃者達を睨み続けていた。
この者たちの素性が知れない以上、その目的に自分の殺害が入っていないと断ずることは出来ない。
そうだとしても、彼女には抵抗の術はないのだが。
しかし、兵士たちの目はまだソーラには向いていなかった。
「降伏しろ。従えば危害は加えない。」
兵士たちの中で、一際目立つ羽飾り付きの兜を被った指揮官格の者が声を上げた。
対象は、勿論ソーラの背後で沈黙を続けるヨラであった。
対して、彼女はひとつ息をついた後、静かに口を開いた。
「所属と目的は?」
「我々は、ここにおわす”紅玉の従者”様を、穢れし賊の手から解放するために来たのだ。」
「誰の命令だ。」
「……サンダの”タルエレメーン”様だ。」
「そうか……。」
そして、ヨラの姿がソーラの車椅子の左側に現れた。
「残念だが、これは渡さん。」
「なっ、何故だ!?」
「渡したくないからだ。以上。」
「くっ……ふざけおって……! 貴様、我らに盾突くということがどういうことか、分かってるんだろうな!? 素直に従っておけばセムラン家の再興も――。」
「言葉に気を付けろ。山向こうの似非貴族風情が。」
その時、それまで平坦そのものだったヨラの口調に、僅かに怒気が含まれた。
「チッ、ならばここで死んでもらう。皆の者、やれ!!」
「応――。」
その時、ヨラに向かって刃を振り下ろそうとした兵士たちの多くの首が、一瞬にして体と分離し宙を舞った。
襲撃部隊にはヨラに対抗しうる”超集中”型の憑き人も配備されていたようだが、ソーラの体感時間にして10秒ほどの「戦闘」の後、血の海の上に立っていたのはヨラ一人であった。
「……あ、ありがとう……ございます。」
ソーラがおずおずと礼を述べると、ヨラは事も無げに腕で曲刀の血を拭いつつ周囲を見回した。
「礼はいい。すぐにいずれかの増援が駆けつけてくるだろう。逃げるぞ。」
「…! ならばその前に一つ、頼みたい事が。」
「何だ。」
「アールンさん……先程の試合に出ていた者です。彼らの元に連れて行って頂けませんか。」
自分は、なんて事をしでかしてしまったのだろう。
アールンは、自分の人を見る目の無さを呪った。
嘗て、人を買いかぶりすぎて裏切られたこともあった。
しかし今度は、目の前の人物を過小評価し過ぎ、連れてきてはいけない場所に引き摺り込んでしまったのだ。
その結果が、これである。
アールンは、自らの前に横たわる少女の顔を、滲んだ視界の中に捉えた。
この少女は、確かに民に安寧を齎す素質を持っていた。
故郷の街では誰からも愛され、他者を慈しみ癒しつつも、時に厳しくも優しい言葉で進むべき道を確かに指し示してくれた。
それを、王者の器と言わずして何と言えようか。
彼女は素晴らしい器の持ち主である――それは右手に”翡翠の霊石”の主を示す紋章が現れる前から薄々感じていた事だった。
それでもなお、心のどこかには、相変わらず『自分ならば守れる。』などという傲慢な自信があった。
結局、チロン峠で大事な仲間達を失った時から、”ネユーカ”の秘所でソーラが攫われた時から、自分は何も学んでいなかったのだ。
それが、この国の、世界の希望を失うという大惨事を招いてしまったのだ。
果てしなき自己嫌悪。
その渦は、ざっ…ざっという不規則な足音に遮られた。
「……!」
顔を上げ振り向くと、そこには血濡れの衣を纏ったヨラの姿があった。
その腕の中には――。
「ソーラ……。」
「アールンさん……。ッその、まさか。」
彼女の視線は、アールンの膝の前に横たわるメウナの亡骸に向けられていた。
「ああ。駄目だった。それに……。」
アールンは亡骸の右腕を優しく取り、ゆっくりと持ち上げ、その手の甲を彼女らに示した。
「ッそれは、まさか……!」
「なっ……。」
それだけで、二人は何が起きたのかを理解したようだった。
ソーラは勿論、ヨラさえも軽く狼狽えた様子を見せる。
「それが現れたのは、いつ……?」
「ついさっきだ。”魔”の手先にやられて瀕死のときに。俺は、俺はとんでもないことを……!」
「そっ、それはアールンさんだけの責任じゃないですよ!! 大体――。」
ソーラは自分の右腕の”霊石”を見た。
これと同じように、翡翠の霊石にも”御霊”が居るのなら、なぜもっと早くにメウナが選ばれたことを知らせてくれなかったのか。そうすれば、彼女を守る為の何らかの策を講じることも出来たはずなのだ。
紅玉や金剛とは異なり、翡翠の霊石の主を確定させる術……聖獣や試練、”祝福”といったものの情報は全くと言っていいほどない。今初めて紋章が現れたというが、この場所がタナオードの”聖域”に比するとは到底思えない。
つまり、自分達にメウナの正体を知る術はなかった。
そのことをソーラはアールンに伝えたが、彼は首を横に振った。
「あんたはカイランの山で別れたきりだっただろうが、俺はその後もこの子と一緒にいた。気付く機会なんて幾らでもあったはずなんだ。」
「それでも、貴方は”アトーヤーディ”でもないんですから、ご自分を責めたってどうしようもないじゃないですか!!」
「死んじまったことには変わりねえだろ!!!! 俺の、俺のせいで……!」
そこで、二人とも押し黙ってしまった。
「おい、お前はどういうつもりなんだ?」
その時、それまで黙っていたドールが口を開いた。
その目はまっすぐヨラを睨んでいた。
「見て分からないのか? 望みのものを連れてきてやったんだ。感謝しろ。」
「もちろん存分に感謝していたことだろう……お前がジャナールの奴隷戦士でなければな。反逆か、或いは何か狙いあってのことか。どちらだ?」
「……私の主は既に死んだ。それだけだ。」
「死んだ? ジャナールは殺されたのか?」
アールンの問いに、ヨラはゆっくりとうなずいた。
「城内にサンダの兵が潜んでいた。その者たちにな。」
「サンダ……まさか、南の?」
「だろうな。向こうの”大輔政”が、正規軍の一個部隊と”超集中”型を一人送り込んできた。警報一つ鳴らさず城内の奥深くに侵入していたのを鑑みるに、作戦は相当綿密に練られていたようだ。」
「じゃあ、その目的は……。」
「無論、”紅玉の従者”の奪取だろう。」
「という事は、あの蛮人はそれに巻き込まれて殺されたというわけか。全く哀れと言う他ないが……それでも尚お前が生き残っている理由は何だ? 死してなお主人、いや持ち主を守るのが、剣たるお前の”忠誠”なのではないのか?」
ドールのあざ笑う様な冷たい言葉に、ヨラは無表情を僅かに歪めてこう答えた。
「忠誠? 私は確かにあの男にこの身を預けたが、心まで捧げたことは只の一度もない。そして魔に魂を売った愚か者を守るつもりなど毛頭ない。」
「ほう……?」と、ドールが興味深そうに顎を掻いた。
「思うに、支配者がどんな出自だろうが、民を守れる力があるのなら誰だっていい。能力ある者が責務を果たすのは良いことだし、力不足ならば一刻も早くその座を適任者に譲るべきだ。しかし…あの男は有能ではあったが、魔と結ぶという大過を犯した。20年前のあの日の王都で、私の目の前で両親と、生まれて僅かひと月の実弟の命を奪っていった”魔”そのものと……!」
そう語るヨラは、今までにない程怒りに打ち震えているようだった。
そこで、ソーラがはっと何かに気づき、口を開いた。
「まさか、貴女は…。」
「ああ。私の本名はヨラ=セムラン。嘗てこの街を””治めていた””デイルダム公爵家、セムラン家の娘…今となっては、その末裔と言った方が正しいな。」
ソーラも、「何の関係もない他人の昔話」という体でヨラからこの街の領主の末路、王都への参内時に折悪く”大災禍”に巻き込まれて家が壊滅してしまったという話は聞いていた。
そして、先程の襲撃者の発した「セムラン」という家名と、それに対するヨラの侮蔑の言葉。あれは、紛れもなくプライドの高い中原貴族のそれであった。
「あの男自体に恨みはなかった。他でもない我が一族の失政によって混乱状態にあったこの街に、あの男は曲がりなりにも秩序を齎し、我らとの関係もそれほど悪くはなかったのだからな。尤も、それは対立勢力の勃興を恐れてのためであろうが。しかし、私の、我が一族の仇敵と手を結んだというのなら話は別だ。」
そこで、彼女は一度言葉を切った。
「もともと私があの男を守るも見捨てるも、全ては私の一存だったのだ。今までは、あの男を守って得る利益も見捨てて被る損失も共に甚だしかったから、守らないという選択肢は論外だったが、それも最早ここまでだな。」
「何と言うか、意外に冷たいんだな。」と、アールン。
「この街に真の忠義など存在しない。それに、自由意志と損得勘定はサンダ貴族の伝統だ。」
「そうか……。」
そこで、アールンはそれまで握っていたメウナの右腕を静かに置き、立ち上がった。
「……?」
「一つ確認したいんだが、あんたが最も嫌ってるのは”魔”って事で合ってるか?」
「……ああ。」
「なら……俺たちと組まないか。」
「組む?」
突飛なアールンの申し出に、ヨラは顔を軽く顰めた。
「別に馴れ合おうってんじゃねえよ。”魔”はあんたの仇で、俺の仇でもある。なら同じものを目の敵にする者同士、協力し合うべきだ。そうだろ?」
「……フッ、確かにな。」
ヨラは鼻を軽く鳴らしてそう言い、二人は頷きあった。
ヨラの先導のもと、アールンは歩けないソーラを負ぶってデイルダム城内の隠し通路を進んでいった。そして厩に辿り着き、二人の愛馬――クルキャスとネルトレイフ、加えてドールとヨラの馬を回収した後、一行は城の北正門から外に出た。
城門を出ると、外は既に陽が落ち、大気は湿り気を含んでいた。
まもなく雨が降るのだろう。
その中を、鬼火――慷慨と怨嗟に満ちた青い炎が、ゆらゆらと進み出ていった。




