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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
7/18

6 安穏の街

地下深く、石造りの湿気に満ちた長く暗い廊下にて。


錆びた壁掛けの燭台に灯った炎の光が、男の浅黒い右の手の甲に刻まれた青黒い紋章を、次いで右の頬に刻まれた紅い紋章を照らし出した。


男は右手の紋章を見て、少し顔を顰めた。これを見ると、嘗ての輝いていた日々が思い出され、ひどく寂しい気持ちになる。


次に、男は右頬の紋章がある場所に触れ、頬を弛緩させた。


これが、今の自分だ。


自分の無二の存在価値の証明。


男は、壮麗にして強力な街の守護者として、その街の多くの住人から尊敬を集めていた。

屋敷に居れば金持ちが財物を寄進しにやってくる。街を歩けば若き女たちがこちらを見、ときに話しかけられたり、簪や耳飾りの類を渡されたりする。


それらを、男は体面だけは感謝感激するように応対していたが、内心では辟易して溜息をついていた。

常人にとっては並々ならぬ幸せなのだろうが、男はそのようなものには興味がなかった。

むしろ、当人たちは知らないであろうが、かつては自分たちを未開の蛮族として扱ってきた者たちが今更そのように媚びへつらってくるのは、男にとっては不快でさえあった。


今の男にとって快いものとは、右頬の紋章が齎す”力”の証明、そしてこの世界を影から操り支配しているという優越感だけだった。


いつの間にか後ろに現れた下男が、何かぼそぼそと報告する。


それを聞いて、男はにやりと笑う。


報告を聞き終わり、下男が退出すると、自らも廊下を歩き出し、独り言ちた。


「フフフ。扇動は上手くいっているようだねぇ。今やカシダ、タナオード、ハニスカは犬猿の仲に等しい...。次はペルオシーとガーテローを仲違いさせてみようかねぇ。ハントナーの向こうだからチョイと骨が折れるが...。」


そこで、男はあることを思い出して立ち止まり、顔を上げた。


「おっと、いけないいけない。もう要らなくなったヤイダの魔物共をどかさなきゃ。...そうだ!上手い具合に戦の機運を煽って、タナオードとハニスカの連中に同時に攻めさせようか。戦場で三つ巴になったらこの上なく面白いけど、どちらかがヤイダの要塞を手に入れてしまっても、ただ飯ぐらいの魔物どもはどのみち廃棄できるし、要塞を手に入れられなかった方に恐怖感と恨みを発生させられるから、それで更なる魔力の収穫が望める...!」


男は悦に入った表情で天井を仰ぎ見た。


「はあ、これこそ醍醐味よ。自分で戦うことしか脳のない南の愚か者もちょっとは見習ってほしいものだねぇ...。」


そう言って、男は再び足取り軽く、廊下の奥、何か身の毛のよだつような叫び声が伝わってくる暗がりへ歩いていった。




黒尽くめの男の襲撃から一夜明けた早朝、2人はようやく目的地である「エーダ」という名の街が見えてきた。

青い空と、その青をそっくり写し取った湖面に挟まれて、苔むした白亜の建造物が見える。

湖の対岸に延々と続いているあの建物は、かなり距離の離れているここからでもはっきりと見えるので、高さもそれなりにあるのだろう。


「あれは...なんだっけ。」

「エーダムレーグ神殿ですよ、流石に忘れるの早すぎません?」

「ああ、そうそう、それを言おうと思ってた。」

「どうだか...。」


ソーラによれば、あの建物は”僧坊”と言って、神殿に勤める神官や使用人、訪問する巡礼者などが寝起きする場所であるらしい。

エーダムレーグ神殿では、神体である”紅玉の霊石”が安置されている本殿を守るように、この僧坊が四方を囲むように配されている。


「でも、あの中で人が寝起きしてるなら、今は朝早いんだから飯炊きの煙ぐらい上がっててもおかしくないだろ。なのにあれは至って静寂って感じだけど、もしかしたら今は誰も居なくなっちゃってるんじゃないのか。」と、アールンは僧坊を見ながら言う。


「そんなはずはありません。むしろ、斥候部隊のなかではエーダは最も”好評”な街だったらしいですから。」

「その”好評”ってのがまた胡散臭えんだよな...。」


とはいえ、相変わらず腹の中に何も入っていない2人は進むしか無い。まるっきりの廃墟でも無ければ、街の中には食べ物の一つや二つぐらいあるだろう。

2人は馬を進め、ついに街へと続くと思われる街道へ出た。


「やーっとこの鬱陶しい草とおさらばできるな。」


アールンは恨めしげに後ろの高草の生えまくった湿地帯を見て言う。

その道を更に南下していくと、やがて周囲は薄黄色の草原から黄金色の田園地帯となった。


「あ!もしかしてこれ...やっぱりウロ稲ですよ!」


ソーラは突然目の前の田園を興奮して指さした。


「稲...?ああ、南では小麦じゃなくて稲なんだっけ。」

「はい!稲ですよ稲!サンダ人の古からの主食!ワンデミードでは寒すぎて育たないので、実物は見たことなかったんですよね〜。」


風に揺れて、稲穂がさざなみを作る。

稲の収穫はワンデミードの麦よりも遅いようで、田んぼでは所々で収穫が始まっているが、まだ沢山の黄金色の穂が残っている。

収穫を行う大人たちの近くでは子供たちが無邪気に遊び回り、ときに作業を手伝う子もいた。

アールンはその光景を前に、ひとつ深呼吸をした。


「...平和だな。戦乱なんてどこにもないみたいだ。」


彼はふと、胸の詰まるような思いに襲われた。

たかだか少し南に来ただけで、世界が違いすぎる。

かたや、北では子は親を失い、若者が戦場で泥に塗れ刃に倒れ血を流しているというのに。


ここで平和に暮らす人々にも不幸になれと言いたいわけではなかった。

そのある種の不満は、理屈ではなく、極めて身勝手な感情に過ぎない。だから、彼はそれを表に出すまいと決めた。


「行くぞ。いい加減街に入って腹ごしらえがしたい。」


ソーラにそう声を掛け、彼は街の方へ進んでいった。



街の境はもうすぐかといったところで、彼らは大量の稲を籠に入れて畦道を街道の方へ歩いてくる壮年の女性を見つけた。

女性の進行方向、2人の行く手には大きな馬車が停められていて、既に借り入れ済みの稲が大量に積まれている。

街道よりも低い高さの畦道から馬車のいる街道へ登ろうと女性が土の斜面に足をかけた時、不運にも足場の土が崩れ、女性はつんのめって籠の中身も辺りに散乱してしまった。


「あ。(ダッ)」

「まずい。」


アールンがそう呟いたときには、ソーラは既に馬を降り、その女性のもとへ駆け寄っていた。


「大丈夫ですか!?」


ソーラに手を貸されて立ち上がった女性は、軽く足についた土を払って彼女に笑いかけ、こう感謝を述べた。


「ありがとうねお嬢ちゃん。でも大丈夫よ。」


その後、女性が周囲に散らばった稲を拾い集めだしたので、ソーラとそれを追ってきたアールンもそれを手伝った。


「あらあら、ごめんねぇ。水路に落ちちゃったのは、落ちると危ないから拾わなくていいわよ。」


申し訳なさげにそういう女性に、ソーラは「はい。」と明るい返事をした。


取れる稲を全て籠に入れ直し、それを馬車の荷台に積み終わると、女性は改めて2人に礼を言った。


「何から何まで、ありがとうね、本当に。ソーラさんに、アールンさん?お二人はご夫婦か何か?」


その言葉に、ソーラが間髪入れずに答え、訂正する。


「いえいえ、こちらが勝手にやったことなので。あと、この人とはなんの関係もない他人同士です。」

「ああ、そうなのね。それは失礼したわ...。でも、ソーラさん、貴女凄い格好してるわね...。ごめんなさい、失礼のないように言いたかったのだけど、まるで戦士みたいな...。」

「そ、そうですね...。」


今のソーラは、鎖帷子の下に無骨な軍服と長靴という、この平和な場所にはおおよそ似合わないような出で立ちであった。

ちなみにアールンは昨日の夜の野宿の前に、汚れた服を湖水で一通り洗ってあったので、ただの旅装と言ってもぎりぎり違和感のないナリである。


少々面倒な感じになりかけたので、アールンは待ったをかけた。


「これには色々深〜い理由があるんだ。あまり探らないでくれると助かるんだけど...。」

「あら、そうなのね。でもそれは、少なくともこの街では年頃の娘が着るようなものじゃないわ。今それは着てなきゃいけない物なの?」

「それは...そんなことはないんですが...。」

「じゃあ、一緒に街へ行きましょう?それで、私のお仕事が一段落したら服屋に行って、貴女に似合う服を見繕って買ってあげるわ!」

「え!?いい...んですか?」

「遠慮することないのよ!今手伝ってくれたことのお礼をさせてちょうだい。」

「じゃあ、お言葉に甘えて...、ありがとうございます!」

「俺からも、ありがとう。」


2人が感謝を述べると、女性は照れて目を逸らした。


「いいのいいの、まあ、貴女可愛いから何でも似合いそうだけどねえ。」




チロン関などと同じような、外側に反りだしたサンダ様式のエーダの外城壁は、しかし関所の外壁に見られたような傷やすす汚れはほぼ無かった。


馬を引きながら混雑した表通りを進んでいる間も、木造の民家や石造りの商店が入り混じった街の中には、ペルオシーや故郷ガーテローにすら感じられた平穏の裏に潜む戦いの気配が全くと言っていいほど感じられなかった。

それらに違和感を感じてしまうのは、きっと自分が戦いのある世界というものに慣れすぎたせいなのだろう。


「レーミーさん、この街では、戦はなかったのか?」


アールンはそう、馬車を御している名をレーミーと言うらしい女性に尋ねた。


「いくさぁ?そうねぇ、もう随分と前に”サンゼール《中原》”が大変なことになったときは、この街にも幾らか魔物が出て大変だったけど、それくらいかなぁ。少なくともフージェン様がいらっしゃってからは、神殿とか裏街に残ってた魔物も全部追っ払われて、今じゃこの辺は平和そのものさ。」


(”フージェン”か、初めて聞く名前だ。)


「へえ、”フージェン様”か。」

「フージェン様が気になるのかい?」

「そりゃそうだ、聞けば、まるでその人がこの街に平和を齎したみたいじゃないか。」

「そうねぇ、まあそれも強ち間違いじゃないのかもね。あの方はアズロムラーンの朝廷が無くなったときの大混乱から、この街を救ってくれたようなもんだからねぇ〜。西の方から来て、今じゃこの街の顔役さ。租税は砂粒ほどしかないし、悪代官はいないしで、この街に限って言えば今は前の王国、エルドーレンの御世よりもいい時代だねぇ。」


エルドーレン朝とは、大災禍の前のサンダ王国の王統のことである。


600年以上前、始祖デイル王によって創業されて以来大サンダ半島を統治し、大災禍の前夜では周辺国の追随を許さない圧倒的な栄華を誇っていたと言うが、同時にその朝廷では文武の高官や貴族の腐敗も進み、 地方における権力者の私的な収奪も盛んだったという。


フージェンの政治がどんなものかは知らないが、レーミーの言ったことをそのまま受け取るならば、昔よりもかなりマシな統治と言えるだろう。


「そういう貴方達はどうなのさ。随分と喋り方が訛ってるようだけど、どこからおいでに?」


今度はレーミーがそう尋ねてきた。

確かに、レーミー含め、道を行き交う人々が話すサンダ語はアールン達が慣れ親しんだワンデミードの発音とはだいぶ異なる。


その喋り方にアールンは何故か懐かしさを覚えたが、その理由ははっきりとは思い出せなかった。


「あー、喋り方か...。まあ、俺達は共に北のワンデミード半島から来たんだ。そこと南との境界付近では魔物との戦いが激しくてね...。彼女が物騒なナリだったのも、その辺りを無理やり押し通ってきたからでな。」


彼は嘘を言ったわけではない。伝える真実を選び、ソーラが北の貴人であることは伏せつつできる範囲で語っただけだ。

これは用心のための行動だったが、そうでなくてもあの戦いのことはなるべく余人には語りたくないのが彼の心情だった。


ともあれ、隣で同様にネルトレイフを引いているソーラもアールンの意図に気づいたのか、一瞬訂正しようという動きだけは見せたものの口には出さなかった。


「やっぱり外はまだ大変なのね。ここに居ると実感が湧かないわ...。っと、おい!そこどきな!邪魔だよ!」


そこで、彼らは路上を塞ぐようにたむろしていた若い男たちのせいで行く手を阻まれ、立ち往生してしまった。

レーミーの一喝によって男たちの注意はこちらへ向いたが、その視線はあらぬ方向へ向かってしまった。


「ああ?お、君、可愛いね!どこから来たの?」


男たちはソーラに気づき、すぐにその周りに群がり始めた。

それに対し、彼女はチロン峠の戦いのあとの、激昂したアールンの脅しを受けた時並の軽蔑の目でもって男たちを冷たく拒絶しようとしたが、どうやら男たちの中には「そっち」の趣味の者も居るようで、むしろ逆効果とさえ言えた。


「邪魔です。私は貴方達には全く興味がないので、さっさと道を開けなさい。」


慢性的な空腹感により張り詰めたソーラの堪忍袋の緒が今にも音を立てて千切れようとしているのを感じ取ったアールンは、むしろ男たちへの慈悲のために割って入る。


彼はソーラに手を伸ばそうとした黒い短髪の男の手をすんでの所で掴んで制止した。

男の訝しげな視線に、アールンは落ち着いて答える。


「待てよ、反応で脈の有る無しぐらいわかるだろ?ここは引き下がっといたほうが身のためだ。」

「チッ、男連れかよ...。」


そう吐き捨てて、男たちは往来の向こうに消えていった。


「は〜、ったく見てるこっちがヒヤヒヤするんだよ。」


アールンはそう言って、ソーラの方へ振り返った。


「おう、大丈夫か。」

「...。」


ソーラは何も言わず、ただ首を縦に振った。




通りでの諍いの後、幾つかの曲がり角を経て道を暫く行くと、彫刻が施された立派な漆喰塗りの大門をくぐり、端から端まで17ラール(約100メートル)はありそうな広場に出た。


広場には仮設の櫓が幾つも組まれ、無数の稲束がそこに掛かっている。

稲束の少ない櫓の周りには子どもたちや女たちが集まっていて、運ばれてきた稲束を小さく小回りの利く身体を活かしてどんどん櫓に掛けていっている。


「ここは”干場”って言ってねえ、普段はなーんにもないただの広場なんだけど、この時季はこうやって賑やかになるのさ。」

「干し櫓か。稲でもそういうのやるんだな。」


アールンが感慨深げにそう言った。


「知ってるんですか?」と、ソーラ。

「ああ。逆にあんたは知らんのか。小麦でも刈入れのときは、こんな感じで干し櫓組んで乾かすんだ。そうしねえとカビが生えるわ美味しくないわで大変だからな。まあ、あの櫓組むのも一苦労なんだけど。」


天日干しの期間は結構長い。

その間雨風に耐えられるよう櫓はそれなりに頑丈に作る必要があり、材料の木材もかなり重いのだ。

櫓づくりの手伝い、資材の荷運びで肩に青痣を作り足腰を痛めた苦い経験を思い出し、彼は苦笑いした。


「もうすぐ家につくよ。今は小さい息子たちとお世話の下女のリンさんしかいないと思うけど、彼らには私から言っとくから、仕事が終わる夕方までゆっくりしててね。」


レーミーの一家の住む家は、干場に面した木造二階建ての大きな家だった。

家の前に馬車を停め、レーミーは中へ向かって呼びかけた。


「リンさんや!今出てこれるかい?ちょっと大事な話があるんだ!」

「は〜い、只今!」


中からそう声がしてから然程間を置かず、随分と小柄なひっつめ髪の女性が母屋の玄関から出てきた。この人が「リンさん」だろうか。


「あれ?おかみさん、そのお二方は...?」


女性はそう言って2人を物珍しそうに見た。


「こちらはソーラさんとアールンさん。話ってのはこの二人のことでね。暫くウチに泊まることになったのよ。」

「ええ!?」


驚くのも無理はない。2人だって最初からそんなにお世話になるつもりはなかった。

しかしレーミーに色々言いくるめられたのと、襲撃や落ち武者狩りなどを考慮すると暫く街から出るのは危ないだろうという2人の予測も相まって、当分の間はレーミー達”トラーウェム家”に居候させてもらう事になったのだ。


アールンとソーラは申し訳なくなって頭を下げる。


「いっやぁ〜別に構わないですけど、この前たたき売りの米仕入れられたので食べ物は大丈夫そうですし。でも、びっくりしましたよ〜。」


とりあえず、迷惑がられはしてなさそうなことに、2人は安堵した。


「じゃあ、リンさんはお二人に家の案内してあげて頂戴。寝所は2階の空き部屋あてがってあげて。あ、貴方達にも紹介するわね。この人が下女のリンさんよ。」

「初めまして。ソーラ=ベルハールと申します。」

「アールンです。よろしく。」

「は、はい...。リン=カラークと申します。」

「じゃあ、私は干場に戻るから、ごゆっくり〜!」


そう言って、陽気な壮年の女性は去っていってしまった。


「行ってしまった...。」


それを見送ると、アールンはリンの方へ向き直り、改めて挨拶した。


「じゃあ、改めて、これからお世話になります。」

「いえいえ...そんな固くならんで下さいよ。もう貴方たちは家族の...一員?みたいなもんなんですから。じ、じゃあ案内しますね!ささ、こちらへ...。」


そして、3人は母屋の方へ歩き始めた。



「お邪魔しまーす。」


開け放たれた戸の敷居を越え、三和土(たたき)の玄関で2人は靴を脱ぎ、居間に上がる。


居間では5〜6歳ぐらいの2人の男の子が、足に車輪のついた馬の玩具を互いに闘わせるように転がして遊んでいた。

2人の内、短髪の方の子は猪突猛進な質のようだが、もう一人の目に掛からんばかりの長い髪の子の方は策士タイプなようで、突撃してきた短髪の子の玩具に対し長髪の子が横腹から攻撃を仕掛けるなど縦横無尽に動いて戦っていて、中々見ごたえのある戦いだった。


「だれ〜?」


短髪の子と目が合い、その男の子は不思議そうに首をかしげながら尋ねてきた。


「アールンっていうんだ。しばらくここに居ることになったから、よろしくな。」

「ふうん、オイラはミーディ、ミーディ=トラーウェムっていうんだ!」

「ミーディか。良い名だね。」

「うん!皆からはミーって呼ばれてるけどね!で、こっちはネイロ、僕の双子の弟だよ!」


ミーディと名乗った少年は、隣の長髪の子を指してそう紹介する。

それを受けて、その少年も緊張気味に挨拶を述べた。


「こ、こんにちは...。」

(兄弟か。随分と性格が違うんだな。)

「ミーディに、ネイロだな。改めてよろしく!こっちは...ってあれ?」


そこで、彼は背後に居ると思っていたソーラを紹介しようとしたが、そこには誰もいなかった。


「後ろの人、さっきリン姉ちゃんと一緒に2階に行っちゃったよ。」

「マジか。じゃあ俺も行かなきゃ。またあとでね!」

「「はーい。」」


そして、駆け足で居間の奥まで行ったが、階段の場所が分からなかったので一度居間に戻った。


「ごめん!階段ってどこか分かる?」

「階段?えーっと、そこを行って、こう!」

「...玄関から真っ直ぐ行って、廊下の突き当たりを右。」


ミーディが手振りで説明してくれたが要領を得ず、すぐにネイロが説明してくれた。


「お、おう。助かった!」


2人に礼を言い、彼は2階へ向かった。



2階に上がると、既にソーラは自分の部屋に入り、リンがアールンを待っていた。


「ああ、すみません。下の子達とちょっと話しちゃって。」

「いや〜このままずっと来ないかと思っちゃいましたよ。じゃあ、この部屋使ってください。ずっと使ってなかったもんでちょっと埃っぽいかもですけど。」

「気にしませんよ、居候の身ですから。」


木の引き戸を開けると、明るく広い空間が現れた。

流石に宿ではないので、先程までは本当に只の空き部屋だったと思われるその部屋には調度のひとつもなくがらんとしているが、それでも日当たりの良い板張りの空間は居心地が良さそうだった。


「最近はずっと土か草しか踏んでなかったから、これでも安らぐ...。」


アールンは荷解きをして最低限の整理をした後、隣のソーラの部屋に行った。

戸を叩くと、中から許可が返ってきたので遠慮なく開ける。彼女の部屋もアールンのそれと同じようなものだった。


「で、どう思う。この街。」


戸をパタンと閉め、アールンは神妙な面持ちでソーラに問うた。

この街に感じる違和感。それは彼だけの思い込みなのか、それを確認したかった。


「うーん...基本的には皆穏やかですが、失礼な人はやっぱりいて、あと全体的に何かが変なような...。」


ソーラは少し顔を顰めてそう言った。先のナンパ事件のことを引きずっているのだろう。

それには触れず、彼は話を進める。


「ここには”フージェン”って顔役が居るらしくて、そいつがまるでこの街の救い主みたいに言われてるんだ。...俺にはどうも、そいつが怪しくてたまらねえ。」


その言葉に、ソーラも何か思い出したように相槌を打つ。


「あ、そうですよ。それに、この街って魔物の一大拠点になっている”ラオミ要塞”という旧王国軍の要塞に、チロン関よりも近かったはずなんです。」

「ええ、そうなのか?」

「はい。ここに来る前は防備を固めて抵抗していると思っていましたが、どうも戦はしていないらしいですよね...。至って平和。悪く言えば弛緩しきって戦慣れしてないように見えます。」

「そんな近場の街、言わば肥え太った豚を襲わずに、魔軍がわざわざヘイローダが守ってるチロンまで攻め寄せる理由か...。」

「フージェンという人物がこの街の頭ならば、なにか繋がりが有りそうですよね。」

「同感だ。でも、まだまだ情報が足りないからもう少しこの街のことを知りたいな。それで、そいつが魔物を操っている人間の一人だったとしたら...殺そう。絶対に許さない。」


アールンは拳を握りしめる。

先の襲撃者のように、もしかしたらフージェンも魔を操る力を持っているのかもしれない。

仮にそうならば、魔物をけしかけてチロンを襲わせ、コアルやクレール、カートを死なせた根本原因は其の者ということになる。

そんな人間、彼らの仇を、彼は見過ごすことなどできなかった。


「待ってください、ここで殺すのは駄目だと思います。」

「何でだ。」とアールンは低い声で不満げにソーラに返した。


ソーラはその気迫に押されつつ、冷静に食い下がる。


「よく考えてください。今かの者を排除すれば、この街の平和は失われ、レーミーさんやリンさんに子供たちの平穏な日々を奪ってしまうことになりませんか?」

「...。」


アールンは返答に詰まる。

ソーラの言う通りだ。フージェンに非があったとして、それはこの街で平穏無事に暮らす者たちにはなんの関係もないことだ。それを私事で天蓋を廃し、この街に混沌を齎してしまえば何の咎も無い者たちが苦しむことになる。そんなことをしてよいことがあろうか。


「そこで、これからのことについて提案があります。」


ソーラは改まってそう言った。


「提案...?」

「取り敢えず暫くは、情報収集に専念しましょう。そして、有益な情報を持って無事ペルオシーに戻れたら...貴方をオロクハルム(近衛)の位に取り立てます。軍議への参与も許可しましょう。そして...私と貴方で兵を率いて再度本気で南に攻め込み、この街を平定する。そして、そのときに貴方に仇討ちの機会を与えましょう。時間はかかりますが、そうすればフージェンの死後もヘイローダの兵力を以ってエーダの民の平穏を責任持って守る事ができます。それで如何ですか。」


ソーラの眼は真剣そのものだった。

アールンはしばしその目を見つめていたが、やがて溜息を一つついて口を開いた。


「随分俺に良くしてくださるんだな。」

「勘違いしないでください。最善の策を言ったまでです。」

「まあ、そりゃ分かるぜ。安定を保ってた街の頭を殺してあとは野となれ山となれってのは、無責任が過ぎるもんな。分かった。それに乗ろう。」


その言葉に、ソーラも安堵したように頷いた。


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