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青炎紀  作者: 二十二郎
〈2〉破魔之役:金剛の従者
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17 捕縛

全身が怠い。




頭がくらくらする。




ここは一体何処だ?




私は、揺れている。




頭と腰に、硬い何かが擦れ続けている。




不快な揺れだ。




視界が覚束(おぼつか)ない。




体に、力が入らない。




寒い。




ここは…ここは…。




そして、彼女の意識は再び闇に堕ちていった。






ソーラが次に目覚めたとき、彼女の視界と意識は幾らか回復し、首を回して周囲の状況を確認することができた。


彼女は吹き曝しの檻馬車の中で、その格子に縛り付けられていた。

周囲には護衛と思しき、粗末な格好をした何人かの戦士の姿が見えた。

幾つかの飾りが施された檻馬車は、荒れた地面の上をゆっくりと進んでいた。ずっと彼女を悩ませていた揺れの正体はこれだろう。


檻の四方と天井は太く頑丈そうな黒い角材による格子の壁に覆われているが、そんなもので雨風が凌げるはずもない。

以前に酷い嵐にでも見舞われたのだろうか。彼女が座っている檻の床は半ば水浸しとなっていた。ずぶ濡れなのは彼女も同じであり、衣服や羊毛製のトラークップ(小さいケープ)は未だ湿り気を残して彼女の体を冷やし続けていた。


せめてトラークップだけでも脱がなければ、今は夏であろうが、それでも低体温は危険だ。

そう考えて、手をその留め具に回そうとした時、異変に気付いた。


(力が、入らない…!?)


四肢、というよりも首から下全体が、まるで彼女から完全に切り離されたかのように、全く言うことを聞かなくなっていた。

冷や汗が流れるのを感じつつ、彼女は必死に力を籠めようともがいたり、出来ることを探し始めた。


(コーフェルとハリージェは…使えるみたいですね。でも、それだけ…。)


左手に嵌った革手袋の中身を視界に映し出し、作業用の短刀を一つ出してみた。

あわよくばこれで拘束を解き…周囲の不埒な賊共に一矢報いてやりたい。


だが、それが左手の中に現れたとしても、それを操るためには当然ながら肉体を動かす必要がある。そして、今の彼女にはそれが出来ない。


(右手の紅玉の能力も、力が入らないのでは難しい…。随分と綿密に練られた計画のようですね。)


思えば()()()、睡眠薬と一緒に筋弛緩の薬でも盛られたのだろう。

彼女は、”秘所”での出来事を少しづつ思い出し始めた。


煙幕の中で何者かに背後から組み敷かれ、口に湿った布を当てられた。

突然の出来事に動転している内に、あっという間に意識が失われてしまった。

そして、気付いた時にはここで、このような醜態を晒している。


「おお?目ェ開けてね?」


そこで、彼女はそのような声を聞いた。

僅かに調子の上ずった、耳障りな声色であった。


声のした方に頭を巡らしてみると、そこには上半身裸で痩せぎすの男が立っていた。

背中には身に不相応なほどの幅広の剣を抜き身で背負っている。


「うっひょ~、もう既に興奮してきたぜェ~。」

「何者ですか。」

「うおっ、喋った喋った。おやっさ~ん、ブツが目ェ覚ましましたぜ~。どうしやす?もう一回薬盛ります?それともぉ、何か食わせてやりますぅ?」


ソーラの質問には答えず、男は檻馬車の斜め前方で馬に乗った大柄の人物に、(へつら)うように寄っていった。


男の問いに対し、馬上の人物は暫し考え込んだ後、檻馬車を含む一行を停止させ、低い声でこう答えた。


「飢えられても不都合だ。好きにしろ。」

「へいっ!!キタキタ~!」


男は鼻歌交じりの軽やかな足取りで檻馬車の後方に回り込んだ。

そして、体を動かせないため様子は見えないが、木樽らしき何かの蓋を開ける音がした。


くちゃくちゃ、びちゃびちゃという不快な音が一頻(ひとしき)り鳴った後、蓋が閉じられ、彼女の檻の横には再びあの男が現れた。


その手には、粗末な木の椀を持っていた。


「ほうら、ゴハンの時間だよ~?」


男は格子の一角に設えられた小さな跳ね上げ戸を開け、悪臭を放つ汁物の入った木匙を差し入れてきた。


「見える?ほらコレ。」

「ッ…!」


汁物に漬かっている”白茶けてブヨブヨした物体”の正体を察し、彼女は恐怖に目を見開いた。


「む、虫ッ…!」

「大丈夫。ちゃあんと火は通してあるからさ?ほら、お食べ?」

「い…嫌…ひいっ。」


何かの虫の幼虫が入った正真正銘のゲテモノスープを、男はニヤつきながらソーラの口に近づけてきた。

冗談じゃない。彼女は必死に頭を反らせて拒もうとしたが、体が不自由な状態ではそうして逃れられる範囲も高が知れていた。


「う…うぐっ…。ケホッケホッ。」

「そうそう。いい子いい子。へへっ、お替りもあるからねぇ~。」

「うう…。」


木匙を口に無理やり押し付けられ、口内には泥水と生ごみの混ざったような味の液体と、やけにぷりぷりした物体の感触が氾濫し、彼女は涙目で呻き、(むせ)た。


「いや~絶景絶景。この仕事やっててよかった~!」

「こ、この下衆が…!」

「んん?もっと欲しい?そうかいそうかいそりゃあよかったよぉ、はい、た~んとお食べ?」

「んぐっ…。うっ、っくぅ…。」


この男は、明らかにゲテモノを食べさせられて苦しむ自分の様子を楽しんでいる。

反吐が出るが、抵抗の手段は全くない。

今度は何かの虫の足が飛び出たスープを口に流し込まれ、仕方なく咀嚼しているうちに胃液がこみ上げてきた。


「おっ、吐きそうなの?吐きそうなんだね!?よしよし…!」

「やっ…!」

「ほーら、どんどんいっちゃお~。」

「んんっ!?うっ…オ゛エ゛ッ!」


されるがままに、彼女は服の上に嘔吐してしまった。


「あ~あ、吐いちゃったらまたお腹に食べ物入れないとねぇ…。」

「もう、やめて…!」

「おい、そろそろ終わらせろ。こんなところでいつまでも油を売っちゃあ居らんねえ。」


そこで、先程食事の指示を出した馬上の男らしき声が響いてきた。


「へいへい。じゃ、最後に一口…。」

「ふっ、ぐうっ…。」


地獄のような食事が終わり、ソーラは半ば放心状態で馬車に揺られていた。


感じるのは、まず寒さ、次いで酷い腹痛。それが冷えに起因するものなのか、はたまたあの食事に当たったからなのかは分からない。


周りの賊の会話から、彼女は自分が今置かれている状況を大方把握することができた。


彼女のことを、この不埒者たちは”ブツ”、あるいは”献上品”と呼んでいた。

それは何故かといえば、何でも彼女を捕らえた目的が、ここから南に行ったところにあるデイルダムという街を根城にする”ジャナール”という名の盗賊の頭に献上する為であるらしいのだ。


彼女はふと、頭を巡らして周囲を見た。

曇天の下、辺り一面には緑色の高草が風にそよいでいた。所々に廃屋らしき崩れた茅葺きの屋根が見える。どうやらこの辺りは放棄された耕作地であるようだ。

彼らは現在地についても喋っていた。それによれば、今は”サンゼール(中原)”中西部の街であるエンダントの西方を、かの街の廃墟を迂回するように南へ移動しているそうだ。


(エンダント…本当なら、もうカイラン山脈からは大分離れてしまっている…。)


生半可な距離ではない。一体何日の間意識を失っていたのだろう。


(アールンさん達は、無事でしょうか…。)


この輸送団には、彼女以外の捕虜は居ないようだ。だが、あの場にはアールンやアルアータ、メウナやネユーカの者たちも居た。彼らの安否は?


(もしも、”私”だけが目的なら、彼らは、彼は…!)


血の海の中にうち伏す彼らの屍を想像し、彼女は身震いして涙をこぼした。




それから暫く、輸送団は何もない平原を進んでいった。


団は時折魔物や他の盗賊の襲撃を受けたが、ソーラは護衛の戦士達が慣れた手つきでそれらに対処するのをただ見ているしかできなかった。

もっとも、今の彼女の状態では、彼らに守ってもらうより他無いのだが。


襲撃、移動、そして悪夢の食事時間の繰り返し。

悪臭を発する虫の汁物は、何度食べさせられても慣れるものではなかった。


また、人間というものは”摂取”だけが全てではない。

入れるものがあれば、当然()()()()ものもある。そして、彼女にはその用を足しに移動する手段も、力を入れて我慢する手段もなかった。


そうして、彼女の檻の床には雨水以外のモノも徐々に溜まっていく。彼女が最も理解に苦しんだのは、()()を目当てにわざわざ檻に上がりこんでくる者まで居たことだ。


「あ~あ、何であいつらだけいい思いしてんだよ。」


ある夜、野営地にて檻から引き出され、虚ろな目をして汚物を食べさせられているソーラと、その後方に停められている檻馬車の中で荒い息を立てながら寝っ転がる太っちょの男とを見て、護衛の戦士の一人が不満げに呟いた。


「ねぇおやっさん、ちょっとぐらい()()()()()しても、バレやしねえんじゃねえですかい?」


この団を指揮している騎馬の人物のことを、団の皆は”おやっさん”と呼んでいた。

顔に大きな傷のある、荒々しい壮年の男であった。がっしりとした体格なので若く見えるが、毛髪の白み具合や(しわ)の数を見るに、年齢はハルマラン辺りとそう変わらないと推測された。


「駄目だ。ジャナールに手前のイチモツをちょん切られたいのか?この仕事が終わったら給金は倍出してやる。その金で娼館でも何でも行って発散しろ。」

「へいへい。ちぇ、折角イイのが居るってのによぉ。」

「あのジャナールのことだ。どんな上玉でも、どうせすぐに飽きて娼館に払い下げられる。狙い目はそこだろ。」と、そこで別の戦士が口を出してきた。

「なるほど、お前頭いいな。」


ソーラは、汚物を満載した匙を口に突っ込まれながらも、彼らのやり取りを敵意の籠った眼で聞いていた。


嘗てアールンに言われた暴言が、彼女の脳裏によみがえる。勿論あれは彼の一時の怒りの表れに過ぎないのだし、今更それで彼を非難するつもりはないのだが、その一方でずっと心の片隅に残り続けていた言葉であった。


しかし、改めてこうした純粋なる意地汚い欲情の念に晒されることで、かえって彼女の中での彼の無実は今まで以上に確かなものとなっていった。





野営地の者達が寝ずの番を除いて粗方寝静まっても、檻馬車の車輪に縛り付けられていた彼女は眠りにつけずにいた。


口内には未だ不快な香りが残っている。


このような生活が、これからずっと続くのだろうか。

体を(ほしいまま)にされ、抵抗もできず汚されていく。

ジャナールとかいう者も、こんなことを命じるぐらいなのだから、どうせ碌な人物ではないだろう。


どうにかして、抜け出す方法は無いものか。


筋弛緩薬の効果は一向に切れる兆しがない。

余程効果の長い薬を使っているか、或いは毎回の食事に薬を混ぜられているのだろう。


いずれにせよ、逃げ出すには絶好の好機である今でさえも、彼女の体はピクリとも動かせなかった。


「ッ…。」

「ちょ…ちょっと…!」


その時、檻馬車の裏から小さな声がした。

声のした方を見ると、そこでは短槍を携えた気弱そうな青年が、馬車の裏から足を忍ばせてこちらに歩いてきていた。確かこの青年は、面倒な当直を先輩の戦士から押し付けられていた者であったはずだ。


「あ、あのさ、君…逃げたい…よね?」


唐突な質問に、ソーラは困惑しつつも頷いた。


「ま、全く、酷いもんだよね。人を玩具みたいに扱ってさ。…あの、もし宜しければ、手伝うよ、逃げるの。そう、逃がしてあげる。」

「…本当ですか。」


ソーラの問いに青年はおずおずと頷き、それから小刀を出して彼女の手を車輪に縛り付けていた縄を解いていくれた。どうやら本気のようだ。


「歩けない、よね?おぶるから、一緒に逃げよう。」

「…お願いします。」


情けない限りだが、そうでもしなければ動けないのが現実である。青年は彼女の体を抱えて背後に回し、落ちないようにしっかりと腰を両手で支え、前のめりになってゆっくりと歩き出した。

暫くすると青年の息が徐々に荒くなっていき、太ももの裏を支える手に力が入ってきた。


「重たいですか?」

「いっいや全然…大丈夫だから…。」


それに気づいた彼女の問いに、青年は少し焦り気味にそう答え、歩く速さをやや早めた。

これではこの先、魔物や賊の襲撃に耐えられるとは到底思えない。それまでにはちゃんと回復できるだろうか。


(でも、取り敢えずは、これで安心…。)


この青年には取り立てて異常な癖は見受けられない。一先ず難は逃れたと言ってよさそうだ。

あとは何処に逃げればよいかだが…それを考えるのは、またの機会でも良いだろう。


緊張の糸がほぐれ、徐々に瞼が下がり始めてきた。それでも周囲の警戒は怠らずに四半時(15分)程獣道を進んだところで、彼らは大地にただ一本生えた大木の元に辿り着いた。


「ちょっと休憩しよう。」

「はい。」


木の太い根の間に彼女を落ち着け、青年は警戒するように周囲を確認した後、彼女の前に正座で座った。


「…君、”紅玉の従者”ってやつなんだよね。」

「…はい。」

「はは、凄いな…でも、君は綺麗だし、ピッタリだよ。」

「そうですか。」


生返事しか返さないソーラに痺れを切らしたのか、青年は少し食い気味にこう言った。


「その…あのさ、僕と一緒に、逃げない?」

「可笑しい事を言いますね。こうして逃げているじゃないですか。」

「違うんだ。そう言う意味じゃなくて、その…二人で、どこか遠いところに行こうって…。」

「…?」


言っている意味が分からない。


(いや、まさか…。)


「まさか、私と駆け落ちしたいと?」

「そ、そう!駆け落ち!ど、どうかな…。」

「…お断りします。私には、成さねばならぬ使命が――。」

「そんなの…別にいいじゃないか。そんなものを押し付けられて、結果的にあんな怖い思いして、その”使命”とやらはそれに見合うものなのかい!?」

「ッ…!」

「僕にはそうは思えない。そんなものに束縛されるよりも、僕と一緒に逃げた方がずっとずっと幸せになれるはずさ。だから、ね?」


青年は信念の籠った目でソーラを見つめた。


「お断りすると言っているでしょう。助けてくれたことは勿論感謝しています。しかし、私にはその申し出を受けることは出来ません。ご理解下さい。」

「…君に、選択権があると思っているのかい?」

「は…?」


物腰を豹変させた青年に、ソーラは唖然とした。


「僕は、胸先三寸でここに君を置き去りにする事だって出来るんだよ?そしたら、君は何もできずに魔物に殺されるか、或いは”奴ら”に連れ戻されてジャナールに嬲られるかの途しか無くなっちゃうんだ。それでも丁重に行こうと思って、一応は提案の形を取ってみたけど…どうやら、少し勘違いをさせてしまったみたい…だね。」


そして、彼はじりじりと彼女に近づいて行った。

鼻息は荒く、月明りに照らされた頬は僅かに紅潮している。


(まさか、最初からこれが狙いで…!?)


「君は、僕の”荷物”…つまりは僕のモノだ。僕以外の誰にも渡したくないし、誰にも汚されたくない。」

「何をしてるんですか。離れてください!」

「ははっ、ゴヤムの奴の気持ちがちょっと分かる気がするな。ああもう我慢できない。」


彼女の視界を、徐々に黒い影が覆い尽くしていった。

その影の中で、青年の双眸だけが不気味な輝きを放っていた。


「ちょっと早い気もするけど、もうここで一緒になっちゃおう。僕と一つになって、もう僕の事しか考えないで…。」

「ちょっと、待っ、やめっ…!!」


嫌がるソーラの頭を両手でかっちり抑え、青年はそこに口を近づけていった。

彼女は目を瞑り、自分の不明を呪った。焦りのあまり目先に吊るされた餌に飛びつき、事態を更に悪化させてしまった。

叫んで助けを呼ぼうにも、ここは無人の荒野。近くには獣か、或いは魔物ぐらいしか居ないだろう。


誰にも気づかれず、ここでただ目の前の男のされるが儘になってしまうというのは、あまりにも悔しかった。


「ぐああっ!?」


その時、青年は唐突に叫び声を上げ、次いで血の吹き出す音がした。


「ひっ!?」


青年は大量の血を流しながら、ソーラの上に力なく覆いかぶさるように倒れ、その向こうには輸送団で”おやっさん”と呼ばれていた男の姿があった。


男の手には、血濡れの長剣が握られていた。


「…あ、ああ…。」


致命傷ではなかったのか、青年は背中を斬られつつも辛うじて起き上がり、慄きに腰を抜かして男から距離を取ろうとした。


「目先の快楽に流されたな。お前みたいなのは長生きしない。俺達に累が及ぶ前にここで炙り出せてよかった。」

「ゆ、許して…許してッ!ほんの気の迷いだったんだよッ!ぐあああ!!!?」


ソーラがぎりぎり頭を向けられる地点で、青年は腹に剣を突き立てられ、再び苦悶の叫び声を上げた。


「いや~、おやっさんの言った通りになりましたねぇ。こいつ、まさか本当に連れ出すなんて。そこまでのタマじゃねえと思ってましたが、こりゃ一本取られましたわ。」


青年に剣を突き立てたのは、先にソーラに手を出そうとして”おやっさん”に(たしな)められていた戦士だった。


そう言いながら、戦士は青年に突き立てた剣をぐりぐり回し、青年はやがて一言も発しなくなってしまった。


「フン。ブツを回収しろ。今度はちゃんと牢屋に入れておくんだぞ。」

「了解で~す。」


そして、戦士はソーラをまるで麻袋か何かのように肩に担ぎ、野営地に戻っていった。


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