16 伝令
時は少し遡る。
その背にアルアータを乗せた”大翼のネユーカ”レイサは、”秘所”の前でアールン達と別れた後、カイラン山脈の高く険しい山々の間で安定飛行に入った。
アルアータはどんどん過ぎ去っていく眼下の景色に暫く圧倒されていたが、ふと目を空に向けてみたとき、ある違和感に襲われた。
「失礼、レイサ殿!!」
「なんだい!!?」
「その、これでは北ではなく東に向かっていませぬか!!」
アルアータは自分達が昼過ぎの太陽に向かって飛んでいることに気付き、レイサに方向の修正を求めた。これでは、幾ら飛んでもエーダには辿り着けない。
だが、大翼を落ち着いたペースで羽ばたかせる壮年女性は、首を横に振った。
「まずは”里”に寄るからね!!!」
「何故ですか!!?一刻を争う事態なのですぞ!!!」
「だからだよ!!いいから黙って乗っときな!!!」
ネユーカ達の里に戻り、レイサは戦士たちの帰りを待つ女たちを宥めつつ、アルアータを連れて自分の竪穴式の家に戻った。
「どこだったか…お、あったあった。ほれ、これ着けな。」
そう言って彼女が物置の奥から引っ張り出してきたのは、下半分が長い嘴形に尖り、広い目出し穴には硝子板が嵌った小さな面だった。
「これは…。」
「”防風面”だ。飛んでる時の凄まじい風圧から、あんたの顔を守ってくれるよ。」
「かたじけない。しかし、これを取りに立ち寄ったのですか?飛んでいるときは、然程の風圧は感じませんでしたが…。」
「空を舐めるんじゃないよ。本番はこれからさ。」
そうして、レイサは自分の分の防風面―彼女の物は上半分が無く、口だけを覆うものだった―を着け、再び屋外に出た。
防風面を着けたアルアータがレイサの背に再びとりつくと、彼女は翼を大きく羽ばたかせ、一気に空高く、周囲の山々よりも更に高くに飛び上がった。
(ッ!!!)
アルアータは顔を含む全身が風に打たれる感覚を覚えた。
凍れる空気を切り裂きながらどんどん高度を上げていくレイサの背中に必死に掴まっていると、あるとき突然レイサは上昇を止め、速度を落とした安定飛行に入った。
「どうだった!!?」
「こ…これは…!!」
「ははっ、やっぱりそのお面が必要だったろう!だが、まだまだこれからさ!エーダまでかっ飛ばすよ!!!しっかり掴まってな!!!」
「えっ…うわあああああああ!!!?」
アルアータの返答を待たず、レイサはひとつ大きく羽ばたいて急加速した。
今度は体を後方に引っ張られるような感覚と共に、正面から凄まじい風圧が襲ってきた。
嘴型の口部を持つ面によって空気抵抗は比較的抑えられているものの、かえって頭の向きが固定されてしまい、左右を見まわそうにも僅かしか動かすことが出来ない。
何とか目線だけを下に向けてみると、眼下の灰色や緑の山々は、山間を飛んでいたときとは比べ物にならぬ速さで前から後ろに過ぎて行っていた。
「ほらほら、エーダはまだまだ先だよ!!こんなとこでへばってんな~!!」
「ッ…!」
アルアータは吹きすさぶ風の中で何とか体を低くし、前を向いてレイサと一体化するような姿勢となる。そうすることで、風圧は幾分もマシになった。
「ほう、初飛行で何も言われずにその姿勢をとれるなんて、中々筋がいいじゃないか!!」
レイサはこの風を正面切って受けていても、まだまだ余裕そうだ。
彼女の防風面には目から上が無かったはずだが、この環境下で、その装備で、そのような軽口まで叩けるほどの余裕っぷりとは、”大翼”のネユーカ恐るべしであった。
その日はそれから一日中、一晩中飛び続けた。
陽光の暖かさが無くなる夜は、昼よりも更に過酷な環境であった。多少の防寒装備は元から纏っていたアルアータであったが、上空の寒さはそれでは到底追いつかない物であった。
唯一の慰めといえば、雲の上を飛ぶ二人には夜空に煌めく満天の星が良く見えたという事だ。
白や赤、青、橙など様々な色の星々を硝子越しに眺めていると、行く手は北の空の奥から、手前に向かって飛んでくるひとつの白い流星が見えた。
「あれは…。」
アルアータがつぶやくと、先程の流星のほど近いところにもう一条、光が流れて消えていった。
「クルタ・フェウテイス…。」
そうか、もうタン=エルユの月(七月)も終わり。これから暑さの極まる”タルテイス”(八~九月)がはじまるのだ。幾ら目上の先方からの召喚とは言え、この時期にただでさえ常夏の南方に殿下を行かせたのは、だいぶ失敗だったかもしれない。
眼下には雲が立ち込めていた。これでは、この星を地上の者たちは見れまい。
「何か言ったかい!!?」
「あ、いえ!!流れ星が見えましたもので!!!」
「ああ、あれのことか!!願い事はしたかい?」
「願い事ですか?」
「ああ!サンダにはそういう話は無いのかい??”大翼”のネユーカの古〜い言い伝えじゃあ、流れ星を見ながら願掛けすれば、それが叶うっていわれてるんだよ!!」
「はぁ…。」
全くもって根拠も何もあったものではないが、ものは試しとアルアータは次の流星を目を凝らして待ってみた。
そして、北の夜空に再び光が煌めいたとき、彼女は心の中でこう念じた。
(殿下と…何より従者様が、御無事でお戻りいただけますように…。)
西から朝日が昇る中、エーダ近郊の田園地帯の上空を低速で飛んでいたレイサとアルアータに、武装した哨戒艇が接近してきた。
「あれ、あんたらのとこのかい?」
「はい。哨戒用の武装浮艇です。」
「武装って…まさか撃ち落とされたりしないだろうね。」
「大丈夫、私が対応致しますので。」
アルアータはそう言って防風面を取り、近づいてくる浮艇を見つめた。
『こちらはサンダ王国軍”ケルーケン”である!!何者だ!!!』
(飛行部隊…なら、話は早い。)
新式の拡声器による誰何に、アルアータは叫び返した。
「私はアールン=エルドーレン王子殿下が”ハルムローディ”!!アルアータ!!至急シルスレン卿に、エーダの諸卿を”ターフトールレード”に集めるよう、ご連絡願う!!」
『ア、アルアータ様ですか!!?りょ、了解です!!!』
拡声器の声はそう言った後、回頭して速度を上げ、エーダの西側に位置する空軍基地に向かって飛んで行った。そこにある霊信機で連絡を行うつもりなのだろう。
「いっや~、少し見ない内にサンダも変わったねェ…。」
四つ足から青白い光を噴出させて飛んでいく浮艇の後ろ姿を見て、レイサが感慨深そうに呟いた。
エーダの街の上空に入ると、眼下には仕事場に行こうと街路を歩く市民たちや、その合間を縫うように駆けまわる子供たちの姿が小さく見えた。
街の至る所で、節々から青白い光を発する機械が動いている。配霊復活の恩恵で、今まで埃をかぶっていた旧王国時代の霊力機器が再び日の目を見ているのだ。
また、ハニスカで開発された新たな器具も、半島諸都市の中で最も普及してるのはこのエーダの街であった。暖房器具や冷凍保存設備、霊気灯、有線霊信機、小規模運搬用の浮遊台座などなど、ハニスカで二十年培われた”民生用”の霊気運用の知恵は、確実にこの街の人々の生活水準も向上させていた。
夜でも白い灯りが煌々と灯り、表通りには街灯なども整備されたこの街は、いまや他都市の住民から(羨望と若干の侮蔑、負け惜しみを込めて)”不夜街”と呼ばれるまでに至っている。
「街も、元気そうだ。あの王子の統治もちゃんとしてたみたいだね。」
下を見まわしているレイサの呟きに、アルアータは無言で頷いた。
エーダの旧代官邸、フージェンの商会の本拠地を経て、今はアールンの座所となっていた街中央の殿閣の中庭には、すでに報せを受けたヴェラード、ディエル、イズレール=ファラン、カイロー=ハルマランなど、エーダに残っていたアールンの主要な幕僚たちが集結していた。
彼らは巨大な翼を羽ばたかせて着地したレイサを驚愕の目で見つめた後、視線をその背中におぶられていたアルアータに移した。
「一体どうしたって言うんだよ…。それに、この人は…?」
「この方はネユーカ族が一人、”大翼の”レイサ殿です。カイラン山中から一晩中飛び続け、私をここまで運んできてくれました。」
ヴェラードの困惑した呟きももっともである。アルアータは荒れに荒れた髪を手で乱暴に整えながら、その問いに一つづつ答えていった。
「ネユーカ…!この、方が…。」
「私は角が生えていると聞き及んでおりましたが、翼なのですね…。」
「今はそれよりも、大事なことがございます。今から言う事を心して、くれぐれも他言無用で聞いていただきたい。」
アルアータの神妙な面持ちに、レイサを除く場の面々は息を呑んだ。アルアータは周囲を見まわして聞き耳を立てている者の不在を確認したのち、ヴェラード達の前まで移動して小声でこう切り出した。
「…従者様が、誘拐されました。」
それを受けて、
「うっわ、マジかよ…。」と、ヴェラードが、
「なっ…。」と、ディエルが、
「何ですと…!?」と、イズレールが、
「ああ…!」と、カイローが、驚愕と落胆、そして若干の”言わんこっちゃない”の念が含まれた声を発した。
「待て、誘拐なのか?戦死ではなく?」
「はい。あの場に、従者様の亡骸はございませんでした。何処か…我らの見立てでは、中原の方に連れていかれたものと。」
「…それで、あいつは…。」
「現地で出会った協力者と共に、それを追っていかれました。」
「…はぁ、何と言うか、あいつらしいな。」
ヴェラードの失笑に、ディエルは顎に手を当てて考え込んだ。
「しかし、我らはどうすれば…。」
「この際、考えるべきは魔境たる中原にほぼお一人で向かわれた殿下の支援でしょうな。」と、カイローが冷静に言った。
この老将にとって、自らの主君の失踪は二度目である。そうであるから、彼は心配する一方で、場の他の者たちよりもいくらかの冷静さも保っていたのだった
場で最年長(レイサを除く)の彼の言葉に、ディエルやイズレールなどアールン幕下の参謀達も幾らか平静を取り戻した。
「その、”協力者”というのは何者でしょうか?」
イズレールの問いに、アルアータは頷き、メウナのことを掻い摘んで紹介した。
「ネユーカの集落に滞在していた、中原出身のサンダ人です。エルドーレン朝の傍系の出であり、カイラン山脈以南の地理によく通じている様子でした。魔との繋がりは確認されませんでしたので、身元は大丈夫かと。」
「ほう、傍系ですか…”大災禍”の生き残りが、まだ中原にも居ったのですな。」
「土地勘がある人間が一緒ってんなら、まるっきり絶望的でもなさそうだな。」
「その…殿下には緊急用の霊信装置をお持ちいただいていた筈ですが、それでも貴殿を寄こしたのには、何か理由が…?」と、ディエルが言った。
「そうだな、本来、あんたはあいつの第一の護衛の筈だろ。」
「霊信装置は、従者様がお持ちになっていましたので。」
「ああ…成程。分かった。」
そして、少し黙って考えてから、ヴェラードは全員の前に立ってこう言った。
「今、俺たちに出来ることは少ない。勝手に魔軍と戦端を開くなんてことはもってのほかだ。俺が思うに、今すべきなのはカイラン山中の今一度の捜索だろう。」
「カイラン山脈、ですか…?」と、アルアータは思わず聞き返した。
「ああ。あんたやあいつの見立てを間違ってるなんて言うつもりはないが、従者殿を誘拐したのが山中の賊ではないという確証はあるのか?」
「…。」
鋭い指摘に、アルアータは返す言葉に難儀した。
確かに、”南に行った”という情報の出所は、元はといえば”秘所”に現れた”荒野の魔王”なる男だ。自分達を救い出してくれたことで少し信用しすぎていたが、情報源としては心許なさすぎる。
「だが、山中の捜索は人一人の足じゃ到底無理だ。そこで、俺たちの出番って訳よ。」
「成程、浮艇での上空からの捜索…ということですな。」
「そうだ。あいつが南に探しに行ったのなら、俺たちのやるべき事はその足元をきっちり確認すること。もしそこで見つかれば、それでおしまい。多分、あの従者様はまた殿下を追っかけてくと思うけどな。」
ヴェラードの言葉に、ディエルが苦笑した。
「そして…霊信機を従者殿が持ってるってんなら、危急の折には従者殿と一緒にこっちにかけてくるはずだ。だから、俺たちは当初の想定通り、軍を臨戦態勢にしてそれを待つ。これでどうだ。」
「異議はありませぬ。」
「それが、現実的でしょうな。」
「しかし、補給は如何にしますか?幾ら小型の哨戒浮艇とはいえ、カイラン山中を飛び回ってエーダに帰投できるほどの霊気容量はございませんよ。」
ディエルの指摘に、ヴェラードは「問題はそこなんだよなぁ…」と唸った。
そして、空軍を司る大男はぱっと何かを思いついたように目を軽く見開き、レイサの方に向き直った。
「あんたらの集落に、霊気の貯蔵基地を建設してもいいか?配霊網をそこまで延伸して、浮艇の給霊拠点にしたいんだ。決してあんたらの邪魔はしない、小ぶりのものにするから―。」
「何だそんなことかい。改まって何をと思えば…。」
ヴェラードの申し出に、レイサは拍子抜けしたように答えた。
「”盟友”の仲間の頼みなら、里の皆も気にしないはずさ。…そうだ。どうせ作るなら、たんとデカいのを作っておくれよ。それで、里の皆にも、あんた達が使ってるような便利なものを分けてやってくれ。それなら、喜んで協力しようじゃないか。」
「お、おう…そりゃ有難い…。おい、向こうで何があったんだ?」
今度はヴェラードの方が拍子抜けし、アルアータにそう耳打ちした。
「まあ…色々あったのですよ。」
返答に困った彼女は、取り敢えずそう返し苦笑いを浮かべた。




