12 ナーレンダム
”ナーレンダムの街”は、南東に向かって滔々と流れるヘローラム川の上流部、俗に”辺境”と呼ばれるハリアンド山脈山麓にある、粗末な防壁に囲われた大小の掘っ立て小屋の群れであった。
曇天の下、どこかハニスカの街並みを彷彿とさせる、狭く入り組み配管に覆いつくされた街路を、メウナは片手でイーセンの手を引き、もう片手でクルキャスの手綱を引いてズンズンと進んでいった。
「よう!久しいな!帰ってたのか!」
「レウンさん、ただいま!」
「って、イーセンお前また怒られてるのか?それと、そっちの人は誰だ?」
「あー…ごめん!ちょっと今急いでるんだ!」
「っとと、すまんね!」
「おや、おかえり。」
「ヨラさん!今の用事終わったらトレイトク(黍で作った蒸しパン)食べ行くね!」
「はいはい!いらっしゃいな。」
道中で三人と行き会う住民達は、まずメウナに挨拶をしたりイーセンに茶々を入れたりするが、その後ろに続いてくる、ネルトレイフを連れたアールンに気付くと、必ずと言っていいほど奇異の視線を投げかけてきた。
そのような視線に耐えつつ、彼は会釈してメウナ達に着いていく。
「…顔が広いんだな。」
「それほどでもないよ。さ、この角を曲がったらもうすぐだよ!」
永遠とも思える路地の旅の果てに、一行は錆びついた鉄板を壁とした、屋根の低い小さな家屋の前に辿り着いた。
入口はその屋根よりも更に低く造られていて、アールンはおろかメウナでさえも身を屈めなければ入れないような造りであった。
「頭上注意ね。」
「分かった。随分と小さい扉だな…。」
その入口に潜り込むと、薄暗い中に蠟燭の明かりが一つ。その橙色の光に照らされて、頬こけた老人の顔が薄暗闇にぼうっと浮かび上がっていた。
「うおっ。」
「何じゃ何じゃ、魔物とかち合ったような声を出しおって。」
思わず声を上げて僅かにのけぞったアールンに、老人は顔を上げずにそう言った。
「だいたい、勝手に入ってきたのはそっちじゃろ。一体何用じゃ。」
「ごめんホロ爺、私だよ私。」
「おお、メウナか!いきなりこの変なのが入ってきおったから、びっくりしてもうたわい。それで、今日はどうし―。」
アールンへの応対とは打って変わった気さくな声色は、ドンッという鈍い音によって打ち切られた。
「おお…乙女の一撃は痛いのう…。」
「冗談はいいから!!ホロ爺またイーセンに危ない依頼回したでしょ!!やめてって何度言ったら分かるの!?」
「ほ、バレた。」
「”バレた”じゃないよ…!はあ、すぐに取り下げて。今すぐにッ!!」
「分かった分かった。そんなに叫ばんでも聞こえとるわい…。」
ホロ爺と呼ばれた老人は左頬を擦りつつ、背後の闇の中から証書と思われる一枚の書類を引っ張り出し、蝋燭の明かりに照らして内容を確認し始めた。
それが終わると、彼はイーセンを呼んで証書に拇印を押させた。これにて契約解消といった所だろうか。些かあっけなさすぎる気もするが。
「しかしのう…今は何かと人手が足りんくてな…若い者どもは粗方南に行ってしもうたし…。」
「ロアンさんとか、ベイラン兄さんも?」
「ベイランの奴は真面目だからまだ残ってるが、大抵はな。」
「”南”か…。」
最近は、何かと『南に』という言葉をよく聞く気がする。一体そこでは何が起きているのだろうか。
「ひょっとすると、ソーラさんと何か関りがあるかもね。」
「ソーラって、誰?」
イーセンが振り返り、アールンに向かってそう尋ねた。
「彼女は俺の旅仲間だったんだが…少し前、攫われたんだ。」
「へぇ…それは災難だったね。」
「何か軽くねえか。」
「え?、ああ、気を悪くしたんなら謝るけど…。」
「…いや、いい。それで、俺は彼女の行方を追ってるんだ。だが…今の所、『南に連れていかれた』以外の情報が無くてな。」
「そうだ、ホロ爺何か知らない?情報屋でしょ?」
すると、ホロ爺は顔を上げ、じっとアールンの顔を覗き込んだ。
それから何か考えを腹の中で巡らすように暫し俯き、右手を軽く握って親指を動かしながら何かぶつぶつと言った後、再度すっと顔を上げた。
「思い当たる節が無いわけではない、が…。」
「が?」
アールンは食い気味に身を乗り出した。しかし、老人は頭を横に振ってこう言った。
「勿論タダでとはいかん。」
「はあ…!?」
「頼むよホロ爺…私からも。」
「幾らメウナの頼みでも、それは無理じゃな。こちとら情報屋じゃぞ?その最大の商売道具を手放すんじゃ。善意の申し出なんぞハナからしとらんわい。」
「…代金は?」
そう言って、アールンは渋々”ハリージェ”からワール金貨のたんまり入った袋を取り出した。
青白い光と共に現れた大金の袋を見て、イーセンとホロ爺は流石に少し目を見開いた。
しかし、それはその現象自体に対する驚きであったようで、アールンが中から取り出した一握りの金貨を見るや、ホロ爺は呆れたように首を振った。
「旧王国の金貨か。そんなもん、廃墟を漁れば腐るほど出てくるわい。うぬのその…珍妙な手袋の方がまだ価値がありそうじゃな。」
「いや、これはダメだ。」
警戒して左手の”ハリージェ”をひっこめたアールンに、老人はため息をついた。
「分かっとる分かっとる。時に、うぬはこの街の新参者と見たが…この街でもっとも大事な事柄二つ、何と何かわかるか?」
「大事な事柄…?」
「”信用”と、”希少性”…だよね。」
メウナの答えに、ホロ爺は満足げに頷いた。
「そうじゃ。そして、今のうぬにはそのどちらも無い。対価として手放せそうな物はのう。」
「それは…。」
その通りだ。だが、それを得るために奔走しているようでは悠長すぎる。
彼の言外の意を汲んだのか、老人はこう続けた。
「じゃが、今ならそれを一挙両得できる機会もあるぞ。」
「一挙両得…?」
ホロ爺は再び背後の書棚をまさぐり、一枚の紙を取り出した。
「それ…さっきの依頼書!?」メウナが驚きの声を上げた。
「の、写しじゃ。ちゃんと依頼者とイーセンの署名も入っとる。これがある限り、依頼受注は、破棄されているとも、破棄されていないとも言えるのじゃ。」
「あ!確かに、そういえば二枚署名してたよな!!」
今になって気付いたイーセンの声に、ホロ爺は頷いて続けた。
「まあ…イーセン一人で行かせるのは無茶が過ぎたが、どうじゃ、うぬがこれをやってみるというのはどうじゃ?」
「…この依頼、結構危ないヤツなんだろ。目標は何だ?」
「魔宮に侵入し、ある品物を取ってきて欲しい…という話じゃ。詳細を書いたのはイーセンが持っとる。何じゃ、まさか日和ってもうたのか?」
「いや…兎に角、それを受けたらソーラの行方に関する情報が貰えるってことで良いんだな?」
「え?アー…ルーウィン本当に行くの??」
信じられないといったメウナの問い返しを意に介さず、アールンはホロ爺を見つめた。
「二言は無い。”信用”は大事じゃからの。」
「分かった。受けよう。」
「ほう…ならば、この依頼書の、イーセンの名前の隣に署名するのじゃ。書けないなら儂が代筆してやるが。」
「問題ない。」
彼は鉄棒で出来た細い筆を取り、墨に浸してから慎重に、”ル”、”ー”、”ウ”、”ィ”、”ン”と書いていった。
「ふむ…これは偽名じゃな?」
「ッ…なんで、そうだと思ったんだ?」
「うぬはこの文字列を書き慣れておらんと見た。筆致が不揃いじゃし、筆の運びも仄かにおっかなびっくりしとる。自分の本名で、それはまずなかろう。…そう警戒せずともよい。何か理由があってのことじゃろう。詮索するつもりなどないわ。」
このお爺さん、なかなか油断ならない所がある。
彼が心の中で安堵感と感心とを覚えていると、その隣からメウナも手を出した。
「私も行くよ。」
「ほう…?」
「あそこに行くなら、戦力は少しでも多かった方がいいよね。」
「それはそうじゃが…。」
「速攻で探索して、目当ての物見つけて、速攻で帰ってこよ?」
彼女はそう言って、アールンにウインクした。
出発前に疲れを癒そうという話になり、アールンはメウナとイーセンに着いて二人の家に向かった。
二人はどうやら実の姉弟であるらしい。その家は、街の中にある方錐形に近い丘の中腹にあった。向かう道中で買ったトレイトク(黍蒸しパン)を頬張りながら、三人は丘を登っていった。
「お母さ~ん!!帰ったよ~!!」
メウナが手作り感溢れる木製の扉に声を掛けると、ダンダンダンッという大きな足音、次いでガッシャーンという何かが沢山割れる音と共に、勢いよく扉が開かれ、中からは黒髪総髪の中年女性が飛び出し、メウナとイーセンを掻き抱いた。
「おかえり…!よく戻ってきたねェ!!!」
「むぐぐ…苦しい…。」
「ちょっと、お客さんいるんだって…。」
「お客さん?」
そして、母親は二人を抱きしめたままアールンの方を向いた。
「この人…?」
「そう!そう!だから一回放して…!」
二人の母、フォリーナ=キャルラ=エルドーレンは、陽気だがどこか抜けたところのある人となりであった。
彼女が出てくるときに服の裾で倒してしまった食器の棚の周りに散乱している皿の破片の片づけを手伝っていると、家の奥から寝起きと思われる大柄な壮年男性が出てきた。この人は、ここで寝起きしているということは父親か何かだろうか。
「何の騒ぎかと思ったら…また派手にいったな。おっと、そちらは誰だい?」
「お邪魔してます。俺は、えーっと…メウナさんの、友達?の、ルーウィンと申します。」
「友達…友達ね…。」
(なんかすっげえ警戒されてる…。まあ、当然っちゃ当然か。)
アールンがそう名乗ると、男性は眉間にしわを寄せて、彼を品定めするような視線を送ってきた。
「大丈夫よあなた。この人見かけほど危ない人じゃないわ。」
「え、俺そんなヤバい奴に見えますかね…。」
「ふむ、まあいいだろう。ローシャンだ。宜しく。」
「ローシャンさん。これから少しお邪魔させていただくことになりますが、どうぞ宜しくお願いします。」
「それで…ルーウィン君は、わが娘とはどこで?」
「北のほうから、カイラン山脈の少数民ネユーカの集落に向かう道中ですね。彼女に、集落までの道案内をしてもらいました。そこからも、ここまでの道案内までしてもらって、本当に助かりました。」
「ほう…それは、娘と君の二人で?」
「カイラン山脈を出てからは、ですね。ただ、それまでに同行していた仲間が賊に攫われてしまって、それを探すためにこの街まで来たんです。」
「人攫い…最近は、何かと多いって聞くわね。」
フォリーナの言葉を聞きながら、アールンは俯いた。
先程のホロ爺の家のときもそうであったが、やはりソーラのことを思い出すと、無性に胸が詰まる思いがする。自分はここでこんなことをしていていいのだろうか。今のこの道が彼女への最短距離であると自分に言い聞かせても、どこかで不安感が勝ってしまう。
「俺もそこまで長居はしないつもりです。行方に関する情報が手に入ったら、すぐにでもここを立ちますから。」
「ふむ…しかし、何事も焦りは禁物だ。情報が集まるまではここを我が家と思い、しっかり腰を据えて物事にあたるといい。」
「…いいんですか?」
「ああ。今の問答で、君の為人は大体分かった。もはや君はよそ者ではなく、ここの正式な客人だよ。」
そう話すローシャンの表情には、先程の警戒心の色は疾うに消えていた。
昼にフォリーナが割った陶製の皿の代わりに木器となった夕餉の皿には、ダトル(牛肉の煮込み料理)が並々と盛られていた。香辛料が入ってこないのか味は北のそれと比べるとかなり薄味だが、香草の優しい風味がきかされていて大変美味であった。
「しかし、こんな夕食は20年来だな。」
唐突に、ローシャンが口を開いた。その横で、フォリーナも頷いた。
「あの頃は、ご近所同士で一つの卓を囲むのがあたりまえだったわよね。」
「そういえば、ルーウィン君は北から来たのだったかな。北は、今どんな状況なんだい?」
その問いに、一心不乱にダトルをがっついているイーセンの横で、メウナが心配げにアールンの方を見た。
「北は、大分復興の兆しが見えてるんですよ。その…エルドーレン朝のアールン殿下…を旗印に、復興を行ってるんです。配霊なんかも復旧してて…。」
自分で言うと、大変恥ずかしい。
すると、ローシャンとフォリーナは驚いてわずかに目を開いた。
「アールンか…そんな名前を聞いたのもいつぶりかな。」
「あの王子様が生まれたときの大赦だものね。」
「え…?」
「へ?」
二人の言葉に、アールンとメウナがほぼ同時に思わず声を出した。
「ルーウィン君には誤解させてしまうかもしれないが、ここは元々強制労働刑の現場でね。私も妻も、元は刑徒、罪人だったんだよ。」
「罪人…!?」
ありえない、目の前の二人は犯罪を働くような人間には到底見えなかった。
「当時は本当にひどい時代だった。当時の有力貴族は訴上権を濫用し、裁く方も同じような貴族だから、公平な裁定など望むべくもなく、庶民が逆らえば只では済まなかった。私も妻も、その手の罪でこの辺境に送られてきたのだよ。」
「そんな…。それで、ここでは一体どんな労働を?」
「陵墓づくりよ。ちょうど今この家が建っている丘が、その墳墓になる予定だったものなの。これは後から聞いたんだけど、この墓はアールン王子を産んだお妃様が入る予定だったらしいわね。」
「ッ!?」
アールンは目を見開き、息を呑んだ。
ここに、母さんが…?
「どうした、お腹でも痛いのかい?」
「いえ、大丈夫です。」
「でも、ちょっと様子が変よ。何かあったの?」
「…お二人を信じて、打ち明けさせてください。」
アールンは意を決して口を開いた。
「なんだい、藪から棒に。」
「今まで、嘘をついてしまっていたことをここにお詫びさせてください。俺の本当の名前は、アールン。アールン=エルドーレンと申します。」
その言葉には、さすがのローシャンとフォリーナも驚いたのか、ダトルをつつく箸を止め彼のことをじっと見つめた。
「…驚いたな。親戚だったのか。」
「本当に、あなたなの…?」
「はい。あの…このことは、ここだけの話にしていただけませんか。」
「分かったわ。でも、どうせなら言っちゃえばいいのに。この街の人の多くは、あなたが産まれた時の大赦で刑から解放された人たちなのよ?きっと、あなたが来たと分かれば皆歓迎してくれるわ。」
「赦されたのに、ここに留まったんですか?」
「そのあとすぐに、”大災禍”が起こってしまったからな。今は離散するよりも一つにまとまったほうが生き残れると踏んだ結果だ。建設作業に使う予定だった残りの資材をかき集めて、陵墓の上や周りに皆の家と防壁を建てたんだ。それが我ら”ナーレンダ”の興り…みたいなものだ。」
「なるほど…。」
「そうだ、それなら改めて、”殿下”って呼んだ方がいいかい?」
「いえ、アールンでいいです。この家では、ただの”客人”ですから。」
彼の謙遜に、フォリーナが笑って言う。
「客人というよりも、新たに子供ができたみたいね。」
「あ!お母さんもやっぱりそう思うでしょ?姓も一緒だし、何だかお兄ちゃんみたいって。」
「こらこら、二人とも王子様に失礼だろう。」
メウナや両親たちの会話を、アールンは微笑ましく見つめていた。これは、彼が度々夢見ていた”家族”像そのものであった。それが、実母の陵墓となる予定であった場所で見られ、且つ自分もその輪の中に入れているという事実は、運命の悪戯とでも言うべきものだろう。
夕餉の後、彼は薄暗い中、家近くの斜面の草むらの中に寝っ転がっていた。
「こんなとこに居たの?探したよ~。」
「おう、どうした?」
メウナの声に、彼は体を起こした。
「どうも?ただ、暇になっちゃったから。」
「そうか。…食事の時のこと、あんたは知ってたのか?」
「いや、陵墓だったのは知ってたけど、誰のかまでは。…この下に、アールンのお母さんが眠ってたかもしれないんだって考えると、不思議な気持ちになるよね。」
「あんたもか?」
「うん。」
彼女は、アールンの近くに腰を下ろし、地面を撫でた。
しばらくの無言の時を挟んだ後、彼女は手をパンと叩いて立ち上がった。
「さ、そろそろ寝ないと、明日には出発だよ!」
「分かった。俺はもう少ししたら戻るから、あんたは早く寝とき。」
「分かったけど…あんまり夜更かししたら駄目だよ?」
「はいはい。」
家に戻っていくメウナの背を見送ってから、彼は再び大の字になって夜空を見上げた。
彼の背に触れる土は柔らかく、仄かに温かかった。




