10 仮初の刃
引っ込んでいく巨大なタコ足の上から飛び降りたアールンは、空中で身を捻りながら縦や斜め方向に突き出されてくる幾つもの足に飛び移っていき、ときにその上を走ったり滑ったりしながら地上へと降りていった。
ぬかるんだ腐葉土の上に着地すると、頭上や左右には次々に赤い渦が出現し、何本ものタコ足が木々を破壊しながら彼に向かってきた。
素早く近くの岩に飛び乗り、更に跳躍して木の太い枝に掴まって初撃と第二撃を回避する。
二本のタコ足が岩を粉砕したのを尻目に、彼は逆上がりしてその枝に飛び乗り、先程の空中戦よろしく木の枝を飛び移りながら、タコの魔物本体との距離を着々と詰めていった。
「わっ!?」
しかし、魔物とて馬鹿ではない。魔物は彼が次に飛び移ろうとした枝を完璧に読み切り、その傍に出現させたタコ足で即座にその木の幹を破壊。
メキメキという音を立てて足場は崩れ落ち、アールンは為す術なく地面に落下してしまった。
咄嗟に取った受け身から前転して落下地点を狙ったタコ足を間一髪回避すると、またも彼の前方左右に赤い渦が出現した。
「ッ!!」
アールンは目を見開き、剣を大きく横に薙ぎ払ってそれらの渦を同時に消滅させ、再び魔物に苦悶の唸りを上げさせた。
(こいつ…これだけでも結構痛いのか?)
彼はそのように考えつつもぬかるんだ地面を蹴って走り出し、岩や倒木を飛び越え、茂みを突き破り、幾多の隙を突くように繰り出されるタコ足を避け、弾き返し、赤い渦を斬っていった。
彼は、自分の血がいつになく沸き立っているのを感じていた。
雨風によって奪われるよりも速いペースで体温が上昇していく。むしろ、体を打つそれらのひんやりとした感覚が心地いいぐらいだ。
楽しい。
落ちてくる雨粒が、徐々に見えるようになってきた。
こちらに向かってくるタコ足の動きが、徐々に鈍くなってきた。
(”超集中”…!)
何と丁度いいタイミング。
アールンはにやりと笑い、走る速度を更に高めた。彼は斜面を這うように上っていき、ついに魔物本体の巨大な頭部の前まで辿り着いた。
「何ッ…!?」
しかし、魔物の頭部の肉質は異様に固く、歯を食いしばって放たれた一閃は綺麗に弾かれてしまった。
その動揺により”超集中”も切れてしまい、彼は魔物本体に繋がった足による直の薙ぎ払い攻撃によって街道方向に吹っ飛ばされ、坂道の遥か下まで吹っ飛ばされてしまった。
体中に重い衝撃を受け、2,3度撥ね転がった末に起き上がった彼の目の前には、凄まじい速さで向かってくる三本のタコ足があった。
「ダァッ!?」
回避する余裕は無く、辛うじて剣でそれを防いだものの、木をも破壊する凶悪なタコ足を三度も喰らい、ついに限界を迎えてしまった剣は、その刃の真ん中でバキンと折れてしまった。
それでも三本目のタコ足の勢いまでは殺しきれず、彼は胸のほぼ中心に強烈な殴打を浴びて再び後方に大きく吹っ飛ばされてしまった。
口内に落ち葉や土くれが侵入し、意識が朦朧とする。
戦い続けたいが、肝心の武器は壊れてしまった。もうおしまいなのか。
そんなの、あんまりだ。
『懐に、まだあるだろう?』
聞き覚えのある声に導かれ、彼はうつ伏せのままに自身の着物の懐をまさぐって青黒い色の”柄”を取り出し、それを見るやヘッ…と鼻で笑った。
こんなもので、一体何が出来るというんだ。
『まあまあ、騙されたと思って君の力を込めてみなよ。念じるんだ。』
言われるがままに彼が”柄”を握る両手に力を込めてみると、強い動悸に続いて、その手を起点に体中にかけて異様な”快楽感”が濁流のように広がった。
「くっ…まさか…!?」
荒い息の合間に”柄”を見れば、鍔の先からは徐々に青白い光の刃が生え始めていた。
「…ッ!?」
そこで、その現象に気を取られていたアールンは、左側から飛んできたタコ足に突き飛ばされ、斜面を大きく転がり落ちてしまった。
一瞬のうちに快感から解放されたことで、彼は自分が”柄”を手放してしまったことに気付き、ぐちゃぐちゃの地面を這い進んで近くに落ちていたそれを拾い上げ、物陰に身を隠して再び”霊気”を込め始めた。
「ぐっ…ううう…。」
永遠に続くかと思われた快楽の暴力にうずくまって耐えた末に、彼が瞑っていた目を開けると、そこには青白く輝く”刃”があった。
それはアルアータの”貫通”の能力のような、金属の剣に霊気の光を纏わせたようなものではなく、十割霊気、青白い光の結晶とでも言うべき見てくれであった。
「はっ…はっ…こいつ、俺の霊気を吸いやがった…。聖剣どころか、とんでもねえ魔剣じゃねえか…!」
『まったく失礼な人だ。でも、確かにこの刃は、君の霊体の霊気で構築・維持されている一時的なもの…言わば”仮初の刃”だよ。剣の基本的な性質は備えているけど、損傷時は再度君の霊体の霊気を吸い取って修復するから、あんまり長期戦をするのはおすすめしないかな。』
「…なるほど、つまり、聖剣を”試用”させてくれるってわけだ。嬉しいねぇ。」
いまだ動悸の続く体を押して立ち上がり、アールンは遥か上方にいるはずの敵の方を睨んだ。
「短期決戦だな。」
虚空に向かってそう言い、斜面を駆けあがり始めたアールンの近くに、二つの赤い渦が現れた。
足は重くなり、前方の斜面の上に発生したこともあって、先手を打って渦を斬りに行くことは不可能であった。
しかし、この剣ならば。
彼は目をカッと見開き、こちらに向かってくる二本のタコ足を十分に自らの間合いに引きこんでから、青白い光の刃を横に一閃。
木や岩、果ては鋼の剣を打ち砕けるほど強靭だった筈のタコ足は、まるで良く研いだ包丁で魚の身を切ったときのように、あっけなくスパリと横に斬れてしまった。
「ギィィィィィィぃィぃ!?!?!?!?!」
遥か頭上で、タコの魔物がそのような叫び声を上げているのが聞こえてきた。
しかし、彼はそこで攻撃の手を緩めず、上下二つに枝分かれして力なく垂れ下がった足を根元から切断し、その断面にさらに剣を突きこんだ。
足を出現させられる数に限度があるのかは知らないが、仮に限度があるならば、これで向こうの手数を減らせる筈だ。
(うっ…。)
ドクンという動悸がし、足がガクつく。
先程、ノルンの声が『損傷時は霊体の霊気を吸って修復される』と言っていたが、まさかほんの少しの刃毀れさえもその対象と言うわけか。
(こりゃあ、早急に片をつけなきゃだな…。)
彼は足を踏みしめ、再び山の斜面を駆け上がっていく。
道中何度も出現するタコ足を、力の抜ける感覚に耐えつつ何度も切り刻んでいく内に、彼の意識も朦朧としてきた。
(やべえ…これ相当吸われてるぞ。)
だが、もう少しだ。もう少しで、忌々しい魔物の本体の場所まで辿り着ける。
厳しい表情で林間を駆け抜けていった先で、アールンは遂に、その足の大半を切断されて満身創痍の状態となったタコの魔物と相対した。
全身に感じられる気怠さを我慢して、至近距離に出現したタコ足の突き出しを回避し、避けざまに逆袈裟斬り、返す刀で左袈裟斬りを放って切断した後、足の根元を踏み台にして跳躍。
「これで…終わりだッ!!!」
光の刃が魔物の外套膜を一気に切り裂き、赤く光る双眸の真ん中まで届いたとき、魔物の巨大な躯体は力なく辺りに崩れ落ちた。
「はっ…はっ…やったぞ…うっ!!」
束の間の達成感は、またも彼の霊気を吸って回復を始めた”護国の剣”に遮られた。
「チィッ…おいノルン、これどうやって戻すんだよ。まさかこのまま吸われっ放しじゃねえだろうな。」
「そんな訳ないじゃないか。」
彼の背後から、どこか飄々とした声が飛んできた。
振り返ると、そこには暫くぶりの金髪の少年が立っていた。
「でも…戻す前に、もう一つ提案というか…やってほしい事があるんだ。」
「んだよ。」
「”僕”で、この魔物の頭を解体してみてくれるかな。」
「ええ…?」
「すぐ終わるから。ね?」
もう一刻も早くこの厄ネタを仕舞いたい彼だったが、渋々剣を再び魔物の眉間に突き立て、出来る限り損傷させないよう慎重に刃先を滑らせていった。
「ん、これは…。」
魔物の白いブヨブヨした肉体の中には、両手に収まる大きさの灰色の石のようなものが埋まっていた。
「”魂石”か…。ちょっとデカいけど。」
これは、魔物を興味本位で解体したことがある者なら誰もが知っているものだ。
魔物の体内に埋まっている、何人たりとも壊すことも加工することも出来ないと言われている特異な素材で出来た石。”魔物の魂”という表現は言いえて妙である。
しかし、”不壊”・”不変”という性質は貴重なようで、人の営みに於いてはすこぶる使い勝手が悪く、運が良ければ物好きの金持ち蒐集家が買い取ってくれる事もあろうが、一般的には価値は無きに等しい。
「これが、どうかしたのか?」
「それを、この剣で叩いてみて。」
「えー…。」
先程は、慎重を期したことで「回復」を免れたが、剣を叩きつけるとなっては損傷は不可避である。
アールンは仕方なく、ため息をついて刀身を平らにして剣を構え、トンと軽く叩いてみた。
「そんなんじゃ駄目さ。もっと思いっきりいっちゃって。」
「ああ…クソ。」
もうどうにでもなれ。彼は大上段に振りかぶり、剣を石に思いっきり叩きつけた。
ガアンという音が辺りに響き渡り、灰色の石には徐々にヒビが入っていった。
「おお…割れる…。ッ!ハアッ、うう…。」
案の定回復を始めた剣に霊気を吸われる感覚に頬を紅潮させつつ、アールンはヒビが全体に回っていく石を見守った。
そして、遂に石の灰色の”外殻”が完全に崩落し、中からは赤黒く光る直方体の石が出てきた。
石の表面には黄光を発する線の幾何学模様が全体に施されていた。禍々しい光を発するその物体がどういうもの由来かは、彼には手に取るように分かった。
「これが…魔物の、魂?」
「魔物に魂はないよ。でもそんな感じの物さ。”制御装置”って言って伝わるかな?」
「成程…?」
”制御装置”を見つめるアールンの傍で、ノルンも身をかがめてそれを覗き込んだ。
「やっぱり、これ位の魔物だと、中枢制御装置の溜め込んでる魔力量もかなりのものだ。これなら何かに使えるかもしれないから、とっときなよ。」
「これ、持ってて大丈夫な奴なのか?」
「大丈夫大丈夫。君が変なことに使わなければ、これ自体が君に害を齎すことはないよ。」
「ほーう、つまりこいつは、只使うだけで霊気を吸い取ってくる今のあんたよりも数段良い奴ってことだな。」
「…あのね?僕の今の使われ方はあくまで緊急の起動方法、邪道なんだ。正攻法の使い方をすれば、僕の方が上。あ!ちょっと待って。霊気分解はしない方がいいよ。蓄積した魔力までは、霊気では再構築できないからね。」
「うへぇ、面倒臭いな…。」
何気なく左手に嵌った”ハリージェ”に制御装置を収納しようとしたアールンを見て、ノルンが慌ててそれを止めた。
さも当然のように手袋の仕組みを知っているこの付喪神の事は気になるが、それはそれとして、仕方なく彼は空になっていた麻袋に制御装置を入れてキュッと口紐を結び、懐に仕舞った。
「さ…じゃあ、改めて戻し方を教えてもらおうか。」
「分かった。そしたら、剣を逆さにして、左手で柄頭を握った状態でこう念じてみて。」
”タレーワン”
言われた通りに念じてみると、青白い光の刃は虚空に消え、後には元通り”柄”だけとなった”護国の剣”が残った。
「はー…二ッッッ度とやりたくねえ。」
「それは僕も同じさ。だから、早いとこ霊石と主を見つけて―。」
「その前に、ソーラだ。」
「はいはい。」
そして、自身の姿を青白い光として霧散させていくノルンを尻目に、アールンは下り道の先に目を向けた。メウナと馬たちは、無事に逃げ延びることが出来ただろうか。
「待たせちまってるかもな…。」
そう独り言ち、アールンは小走りで山道を下って行った。




