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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
6/18

5 落ち武者狩り

陽は既に地平の向こうに姿を消し、夜の帷がおりかけている高草だらけの湿地帯を、アールンとソーラは黙々と歩いていく。


案内役ということで先を歩くソーラの歩みに迷いはないようだが、もう何時(なんとき)も歩き続けていることを考えると、不安になるなと言う方が土台無理な話である。


「おい、大丈夫なのか。」


アールンの問いに対し、ソーラは振り向かずに答える。


「口を動かしている暇があったら足を動かしてください。暗くなりきって何にも見えなくなる前に湖にたどり着きたいんです。」


彼女が向かっているのは、この湿地帯の南にあるという「エーダ湖」という湖らしい。

そこにさえ辿り着ければ、その湖に沿って南下して遥か南のまだ人が住んでいる大きな街に迷うことなく向かえる...というのがソーラの説明だった。


「へいへい。」


気を抜くとすぐ痛みだす足に活を入れながら彼は歩みを続けつつ、時折周囲への警戒も忘れずに行う。


(今のところ魔物の姿は見えないし、馬の嘶きも蹄の音もしない。まだ安全のようだが、いつまで持つか...。)


腰の剣の柄に手を掛ける。


今の状態で襲われてしまったら、正直言って勝てる自信はない。

脚を負傷して機動性も低下しているし、先の戦いの疲労もそのまま残っている。

ソーラの案内に不安はあるが、今はたとえ迷っていたとしても兎に角動き続けたほうが良いのは確かだ。

彼は目をいからせて暗い中を見回しながら、僅かに焦りのこもった足取りで少女の後について行った。




それは夜もだいぶ更けた、黄色い光に満ちた大きな秋の月が夜天に昇った頃だった。


「...あれは。」


アールンは高草の合間からわずかに見える2つの影を見て、そう呟いた。

同時に、クルキャスと”ネルトレイフ(白い靴)”というらしいソーラの馬も異変を察知したように頭を上げ、鼻を鳴らした。


「どうしたんですか?」

「...慎重に、音を抑えて行くぞ。敵さんがおいでなすった。」

「!」


2人は身をかがめて、高草の風に揺れる音に紛れてゆっくりと進んだ。

遠方の魔物、あれは長腕の種だろうか。それは月の光に淡く照らされながら、彷徨うように高草の中の2人を捜索している。

カートを殺した魔物の姿が脳裏にちらつき、アールンは顔を顰めて俯く。


しかし、今はその感傷に浸っている時ではない。


彼は顔を上げ、これからどう動くかを考えだした。

魔物は一般に視力は良いが聴力に関しては人間より弱い。

魔物にとっては茫々たる高草草原のなかで得意の視界が制限され、風に揺れる葉の擦れる音のせいで足音や呼吸の音を聞き取ることもままならないであろう今の環境は、逃げるアールン達にとってはかなり有利な状況だといえる。


(馬にでも乗って上から見られたらひとたまりもないだろうけど、奴ら騎馬の習慣はなさそうなんだよな...。)


魔物がこっちに来る。

気づかれないことを祖霊と、居るかは知らないが土地神とに祈りつつ、彼は興奮して嘶かないように馬をなだめつつ追ってから距離を取ろうとする。

しかし、足を忍ばせ馬を抑えながら慎重に歩くのと、大股で闊歩するのとではどちらが速いかは言うまでもない。

魔物たちとの距離はどんどん縮まっていく。


(これは...やるしか無いか。)


眉間に皺を寄せ、彼は剣の柄を握る。


そうと決まれば先手は確実に取らなければならない。見つかることを恐れて身を出来るだけ隠そうとすれば、たちまち相手に主導権を握られてしまう。


相手との距離が僅か半ラール(3メートル)程に縮まる。この距離ならば、高草を薙ぎ払って相手の意表を突き、すぐにその喉元を掻き切れるだろう。

意を決して彼は抜剣し、瞬時に横に払って目の前の草を宙に舞わせ、魔物の前にその身を晒す。


「何してるんですか!?」


突然の出来事にそう叫ぶソーラを無視し、彼は足の痛みに顔を顰めつつ魔物の懐に飛び込み、その胸に剣を突き立てる。


「グィアアアア!!」と魔物は苦悶の声を上げる。


剣を引き抜き返り血を浴びつつ、彼はそのギラリとした目を魔物の相方に向ける。


「死ぃー、ねぇ!!!」


魔物が防御態勢を取る前に剣を投げる。

剣は魔物の下腹部を切り裂き、魔物は血しぶきを上げる傷を手で押さえつつ膝をついた。

そうして両手が塞がった長腕の魔物に近づき、剣を拾って瞬時にその首を刎ねた。

事が終わると、彼は残心をとって周囲を見回す。


他に仲間はいないようだ。取り逃がしたら、後々面倒なことになる。


「ふう、終わった終わった。」


アールンは伸びをしつつそう言った。

血まみれになったその容貌を見て、ソーラは若干引きつつ声を掛ける。


「凄い格好ですね。大丈夫ですか?」

「ああ。こんな格好で街には入りたくはねえけどな。」



その後は特段といった遭遇もなく、彼らはついにそれと思しき大きな湖に辿り着いた。

月の光に照らされ、風に薙ぐ湖面には数多の白い光が踊っている。


「ここまで来れれば、もう実質街に着いたも同然です。後少しですよ。」

「待てよ。なんであんたはそんなに急ぐんだ。」


そう言って先を行こうとするソーラを、アールンは気怠げに制す。


「だって、街に到着して宿に入らないことには何も始まらないじゃないですか。」

「それにしたって、こっちは1日中戦いと移動でクタクタなんだぞ。近くに敵はいないようだし、今夜はここで野宿しようぜ。」


彼の体中は痛み、限界の叫び声を上げているようだった。

しかし、長い黒髪の少女はその提案にここで?有り得ない!とでも言いたげに蒼白になって首を横に振った。


「ああ、ちゃんと離れといてやるからそこは安心しろ。子供でもないんだから、流石に一人で寝られるよな?」

「いや、でも、本当にここで?こんな、虫とか、蛇とか、何が出るか分からない場所で...?」


そこで彼は気付いた。いや、思い出した。目の前の娘が生粋の”お嬢様”であることを。


彼女の普段の生活は庶民のアールンには推し量るべくもないが、その庶民の想像で語るとすれば、晴天に浮かぶ雲の如き柔らかさと暖かさの寝台に布団、遠征や狩猟の催しなどで出払っているときでも、そこには最上級の寝具の備えられた天幕がついて回るのだろう。


薄くて硬い敷布団で眠ったことなどあるはずもなく、まして地面の上で、荷物や岩にもたれて眠りに落ちたことなどあるわけがない。


「あー...一応布ならあるぞ。布団とはいかねえけど、地べたに寝転がるのが嫌なら使うと良い。虫は...我慢してくれ。どのみち俺はこれ以上動けんし、無理すると明日に響いちまうからな。」

「...じゃあ、借ります。」


渋々、ソーラはアールンがクルキャスの背に丸めて積んでいたツギハギだらけの粗末な布を受け取り、湿った地面の上に敷いてその上に恐る恐る横になった。

それを尻目に、アールンは先が思いやられる心地がしながら距離を取る。

うんざりするほど水気を含んだ地面に崩れ落ちるように寝そべると、ほどなく意識の糸が切れた。



「...!...!」


誰かが、呼んでいる。


目を開けると、目の前には茶色がかった長い髪の、煤けた薄緑色の着物を纏った女性が立っていた。

ぼんやりとしてはいるが、その懐かしい姿を彼は間違えるはずがなかった。

ああ、寝坊したな。仕事に遅れちまう。

彼は体を起こし、欠伸をし腕で目をこすりながら言った。


「ふぁああ、すまん、母さん。おはよう。」


しかし、次に目の前にいたのは母ではなかった。


「何を訳のわからないことを言ってるんですか。私はあなたの母上さまではありませんよ。」と呆れたような声。


そこには、目の下に若干隈のできたソーラがいた。


「...チッ。」


寝起きの悪い機嫌のままに、彼は舌打ちした。


「はあ、こっちは背中が痛くて痛くて眠れなかったというのに、そんなに泥んこになってよく眠れますね。」


ソーラの言葉に、彼は自分の体を見る。

寝返りを打ちまくったのか、彼の服は湿地の泥と昨日の血でとんでもないことになっていた。


「へっ、泥は柔らかいからな。下手に布を敷くよりも心地よく眠れるんだぜ。まあ、お高くとまったお嬢様には辛すぎるかもしれんがな。」

「...はあ。街に入るまでにはどうにかしてくださいよ。じゃないと只の浮浪者です。」



日は既に高くなっていた。

昨日とは打って変わった晴天のもと、2人は馬に乗って湖畔を進む。

徒歩と比べて見つかりやすくなるが、それ以上に2人には差し迫った問題があった。

ぐゅるると、どちらのものとも何度目かも分からない腹の虫の不満げな鳴き声がした。


「は、腹減った...。」


そう、空腹だ。


出発前に、ペルオシーで買ってわずかに残っていた小さなアフタート(乾パン)を2人で分け合ってからというもの、彼らは何も口にしていなかった。

そんな状態ではろくに歩けるわけもなく、2人は体力温存と少しでも先に進むためにそれぞれの愛馬に頼ることにしたのだ。


(こんな見通しの利かねえところじゃ、狩りも出来たもんじゃねえし...。)


カートの形見である”巻狩の弓”と残り数本の矢の入った矢筒は持っているので、生き物の姿さえ見えれば狩りも出来ないことはないのだが、この草が茫々と生えた湿地帯ではそれは至難の業だった。


「鳥...は、流石に無理か。」


空を進む雁の列を見て、彼はそう呟いた。


「それです!!」

「え?」


唐突にソーラが反応した。


「空の鳥を矢で射抜いて落とすんですよ!」

「いや、無理だろ。」

「やってみなければ分かりません!!」


彼女も空腹は同じ事。必死に訴える彼女に根負けして渋々”巻狩の弓”と矢を1本渡す。


「二本目の矢はいらねえのか?」

「初矢がなおざりになってしまうと師が言っていました。」


そう言うや彼女は矢をつがえて弓弦を引いていく。

その引きやすさに少し眉を上げて弓を見たが、すぐに目線を上空を飛んでいく雁の一団に向けた。

暫しの静寂の後、フォンという音を立てて矢が空を裂き、見事雁列の左翼中程の1羽に命中した。


「おお。」


中々の腕前に、アールンは思わず感心して声を上げた。


「...。」

「...。」


不運な雁が力なく草原の中ほどに落ちていくのを、2人は黙って見守る。

そして落下地点を確認するや、

「「肉だーーーー!!!!」」と2人は同時に叫び、馬を降りて”肉”の場所へ急いだ。


しかし...。


「なあ、こいつ焼くときに、煙出るよな。」


雁の薄茶色の羽毛の生えた首を掴みながら、アールンは言う。


「出ますね。」

「それって、追手に『ここにいるぜ!!』って言ってるようなもんだよな。」

「はい。」

「......。」

「......。」


どんよりとした目で、2人は顔を見合わせ、はぁとため息をついた。



申し訳程度に塚を作って哀れな雁を地に返すと、2人はまたも空きっ腹に耐えながらの旅を再開した。


暖かい日差しがまだ救いだった。これが曇りや雨の日だとひどい寒さが空腹にこたえるのだ。

もはや一言も発しなくなり、ひたすら街を目指して湖畔を南下し続けていると、ふとアールンは西の方から草をかき分けてやってくる黒い影を見つけた。


(こんなときに追手かよ...。いや、あれは人か?)


真っ黒な被り付きの長衣を纏った人影はまっすぐこちらへ向かってくる。


「どうします?魔物には見えませんが。」

「人間だからってまともとは限らない。警戒は怠らずに行こう。」


魔軍が人間の殺し屋を雇うなんてことは聞いたことがないが、知らないだけということもある。あの人間も”落ち武者狩り”の一人でないとは言い切れない。

そうでなくても、悪徳商人、追い剥ぎ、窃盗、傭兵くずれなど、”まともじゃない人間”の例など枚挙にいとまがないのだから、警戒するに越したことはないだろう。


2人は馬から降り、アールンは剣の柄を握って何時でも抜剣できるような体勢を取ってから、黒づくめの人影にそう声をかけた。


「おい、何者だ。」


すると、黒づくめの人影は、身の毛もよだつような甲高い声でそれに答えた。


「いやあ、私は単なる旅人でさぁ。」

「旅人?ここは道も何も無い湿原だが。そんなところになんの用があって来たんだ。」


アールンの問いに、人影は被りのしたからニッと並びの悪い歯を覗かせた。


「へへへ、それはこっちの台詞でさぁ。あなた達こそ、なんでこんな辺鄙な場所にいらっしゃるので?ねえ、アールンさんに、ソーラさん?」


名前を知っている!

それは、彼に抜剣させるのには十分すぎる理由だった。


「なんで俺達の名を?」


しかし、人影はその問いには答えずに、手元の短刀をちらつかせながらこちらへふらふらと歩み寄ってくる。


「へへっ。大人しく殺されてくれよ〜?こっちは腹減ってんだ。あんたらを狩ればオーワン・ローデ(常接組)に戻ってよぉ、たらふく腹も満たせるようになるんだからなぁ!」


そう言うや、人影、声からして男は突然その凶刃をソーラに向けて走り出した。

だが、その刃が彼女に届く寸前で、アールンの突き出した剣に阻まれた。

短刀が甲高い音を立てて弾かれ、「くっ!」と男が声を上げる。


「やらせるかよ!」


男は数歩後退して距離をとり、ターゲットをアールンに変更したようだ。

数度の突き込みを体を捻ったり剣で弾いたりして躱しつつ、彼も反撃の機会を伺う。


「しぶといやつだなぁ!!」


男は苛立ちの声でそう叫ぶ。

今度はアールンが先手を打って斬りかかり、それを男が受け、躱す。

手数は劣るが威力に勝る長剣での一撃は、短刀で防ぐには少々荷が重すぎるようで、男は攻撃を受ける度に厳しい表情をしていた。


刃が陽光を受けて煌めき、白い軌跡を曳きながらぶつかり合う。

数合の打ち合いのあと、男は再び後ろに飛び退って体勢を立て直し、こう叫んだ。


「こんなものまで見せてやるつもりはなかったんだけどなぁ!仕方ねえ!」


男は両の腕を大きく開き、大きく息を吸った。その状態で膝をつき、まるで古代の祈祷者のように天を仰いだ。


「我が”シャール()”よ、汝が威を示さん、我に力を!!!」


そう叫ぶや、男の両腕は赤黒くブヨブヨした”何か”に包まれ、元の何倍もの大きさに膨れ上がった。


「不遜なる簒奪者、僭称者とその従僕共に、真なる主の断罪を!!」


高らかにそう宣うと、異形の両腕がパッと赤い光に包まれ、不定形の物体から定型の「腕」に変化した。


「何だ...?」


状況の理解が追いつかず、アールンは絞り出すようにそう呟く。

かの男の変身は、その禍々しい赤黒い色から察するに魔の類の術なのだろうが、その魔物の範疇をもゆうに超えているように感じられた。

男は巨大化した「拳」を握り、アールンの居る場所へ振り下ろす。


「くっ!!」


間一髪のところで左に飛び退り事なきを得、そのまま着地点で踏み切り前方に跳んで距離を詰めようとするが、先程地を穿った巨大腕を横からぶつけられて吹っ飛ばされてしまった。


「グハァッ!!」


口の中に血の味を感じる。


「覚悟ッ!!」


いつの間に後ろに回ったのか、男の背後に剣を振り上げたソーラが跳び上がった。

しかし―。


「見えてるヨォ!!!!」


男は常識では考えられないような曲げ方で巨大腕を背後に回し、空中のソーラを殴打する。

巨大すぎる拳による打撃はもはや”衝突”であり、ソーラはくの字になって吹っ飛ばされながら「クハッ!」呻き、血反吐を吐いた。


「う〜ん、危なそうな方を先に殺っちゃいたかったけど、先に頭数減らしたほうが良いかもねぇ。」


僅かに調子の外れたような喋り方をしながら、男はソーラの倒れている方へ歩いていく。


「チッ...この野郎...!」


よろよろと立ち上がりながら彼は男に向かってそう呻く。

気に入らない。

人知を超えた圧倒的な力、一矢報いることすら許さない圧力に捻り潰されようとしている。

それは、圧殺される側にとってはこの上なく不愉快で、悔しいものなのだ。


しかし、それに対抗できる武器がない。


その事実は有無を言わせず現前し、なんの感情も籠もっていない視線で地を這いつくばる彼らを冷たく見下ろしている。


そのこともまた、彼は気に入らなかった。

歯を食いしばり、剣を握る手に力を込めた。


その時、ドクンと視界が揺らぎ、男の足取りが止まった。


いや、()()なった。


(これは...!)


彼はにやりと口元を僅かに歪ませる。目には目を、だ。


自分はこの力を使いこなせてはいない。それは自覚していた。

そもそも自分の制御下に置けてすらいないのだから、「自分の」力という形容すら烏滸がましいことだろう。

そのため、彼は”それ”を天佑、何か目に見えぬ何者かの助けであると解釈し、その存在に心のなかで礼を言った。


(ありがとよ、これであいつと”戦える”ってもんだ。)


彼は低速となった世界の中を駆けた。

異変に気がついたのか男は若干振り返ったが、その首と腕を寸分動かすだけの時間でアールンは男に肉薄しその肩を斬り、凶悪な両腕を胴から切り離した。

傷口からは、鮮血が赤い塊のようになってゆっくり溢れ出す。


無力化を確信し一息ついたところで、時間は再度加速していく。この現象は自分の集中と関連しているのだろうか。


「ギィヤァァァァァァァ!!!!」


距離をとり、彼は苦痛にのたうち回り叫ぶ男を見下ろす。

本体から切り離された腕は巨大な干し肉のように萎びて黒ずんでいる。


「おい、誰の命令だ。」


転げ回る男の顔を覗き込み、アールンはピシャリとそう問うた。


「ぐうう、誰って、何だぁ?」と、男は額に脂汗を浮かべながら答える。

「誰の命令で俺達を狙ったかって聞いてんだよ。」

「うう、誰に言われたかって...?そりゃあ...。」


男は何かに気づいたかのように目を見開き、全身をがくつかせ始めた。


「は...?」

「グゥ、ふ、ふ、ふ、クゥゥ、うう...。」


そのように呻きながら、まるで何かの痛みに耐えるかのごとく体を丸めた後、身体が徐々に黒ずみ萎み始めた。


やがて、男の身体全体が炭のように黒くなって痩せ細り、頭髪は抜け落ちて頭の周りに散乱し、まさしく人間が”枯れてしまった”かのような状態と成り果てた。

敵とはいえ、目を疑うような光景にアールンは絶句する。

それは、その死体の向こうでへたり込んでいるソーラも同様だった。


「何なんだ...。」

「...。」


アールンは辛うじてそう絞り出したが、ソーラの方は放心状態のままじっと男の死体を見つめている。

彼は彼女に近づき、肩を軽く叩いて言う。


「立てるか。...あまり見ないほうが良い。こいつは敵、それだけ考えてろ。」



移動を再開しても、陰鬱な気分は中々抜けていかなかった。


あの男は、まるで一瞬にして幾つも歳をとってしまったかのように急激にその体が萎れていった。いったい


そんなことが有り得るのだろうか。


それも自分のあの現象のせいなのか?


それとも、相手が魔の術を用いて身体を異形に変化させたことの代償か何かだろうか?

疑問は尽きなかったが、今この場でどうこう悩んでも不毛なだけだと、アールンはそれを思考の隅に追いやった。


「あの男...妙なことを言ってましたよね。」


ネルトレイフに乗って先行するソーラが、ふとそう言った。


「妙なこと?」

「はい。”シャール(主人)”がどうとか。...私、正直怖いんです。」


漆黒の長髪の少女は俯き、こちらには向かずに続ける。


「私達、自分たちが考えているよりもずっと危ないこと、危ない場所に足を踏み入れようとしてるんじゃないかって。」


それは、彼も同感だった。

そもそも、会ったこともない黒尽くめの男に、ヘイローダ(抵抗衆)首長の娘であるソーラは兎も角アールンの名前までも割れていて、且つ殺害目標になっていたことからして何か変なのだ。


何か、知らず知らずの内にとんでもないことに巻き込まれようとしていて、もう取り返しのつかないところまで来てしまったのではないか。

その疑念も、彼の中に確かな存在感をもって燻っているのだ。


「...多分、そのとおりだと思うぞ。」

「...じゃあ、今からでもやっぱりワンデミードに...。」

「でも、あの手の殺し屋は、たとえハントナー山地の向こう側に逃げても手を変え品を変え人を変え追って来るだろうな。」

「じゃあどうすれば良いんですか!?」と、ソーラは悲痛に叫んだ。


それに対し、アールンは落ち着いた、半ば諦念を含んだ声で答えた。


「戦って、敵に打ち勝ち続ける。それしか無いだろ。あんたはまだ気に入らねえが、さっきの戦いではよく動いてくれたと思う。お陰で敵に隙も出来たしな。まるっきり希望がない訳でもねえと、俺は思うけどな。」


その言葉に、ソーラは初めて振り向いた。


「じゃあ、貴方も生きて、一緒に戦ってくださいよ。貴方が私をこの地獄に引き込んだんですから。」

「なんつー言いようだよ。ま、誠心誠意努力はする。」


そう軽く言いつつ、彼は前のソーラを見た。

午後の日の柔らかい光に照らされたその姿に、アールンは初めて魅力を感じた。


それは、ちょうどその日の空模様のような、晴れた秋空の如き透き通った美しさだった。


アールン達「現代の」サンダ人は、祖先崇拝や精霊信仰を基調とした世界観の中で生きています。もっとも、遥かな昔は違ったかもしれませんが。

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