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青炎紀  作者: 二十二郎
〈2〉破魔之役:金剛の従者
59/70

9 下山道にて

夜の森の中、葉間から漏れ出る月明りに薄っすらと照らされつつ、アールンは剣を猿面長爪の魔物から引き抜いた。


返り血で赤い斑模様の入った頬を腕で乱暴に拭いつつ、彼は辺りを見回し、少しよろめきつつも茂みをかき分けて近場で戦っていたメウナのもとへと歩いて行った。


「あ、そっちも無事だったね。」

「そっちも大丈夫そうでよかった。ったくこれで何度目だよ…。」

「これはまだ少ない方だよ?」

「うへぇ…。」


それは、これから自分達が向かう場所と比べて、という意味であろう。

カイラン山脈の西部、”サンゼール(中原)”を流れる大河川の一つであるアズロナ川上流部の、土砂崩れで所々寸断された山道を迂回しつつ下っていくにつれて、魔物との遭遇回数は徐々に増え、今では一時(いっとき)おきに戦闘を挟んでいるような状態であった。


まだ山を出ていないのにこれとは、一体中原とはどれ程の魔境なのか、


「ねえ…そろそろ休まない?」

「…急ぎたいんだ。もう少しだけ進もう。」

「それもう十回目だよ?夜も遅いし、いい加減寝ないと明日に響いちゃうよ…。」

「…。」


アールンとしては、一刻も早くナーレンダムに辿り着き、ソーラの行方に関する情報を集めたいというのが本音であった。だが、ここでメウナを置いて先行するという選択も、彼には出来なかった。


「…分かった。」




焚火は魔物に気づかれるのを避けるために焚かず、二人は暗闇の中で、それぞれの剣を抱えて横になった。


右手で柄を握り、わずかでも異変を察知すればすぐに抜き放てる態勢だ。


背後でメウナが寝息を立て始めたのが聞こえてきても、アールンは地面に横たわって背を丸めたまま、一向に眠ることが出来ずにいた。


今、ソーラは何処で何をしている…、いや、()()()()()()()のだろうか。


(意外と、もう脱出してるかもな。)


例え両手両足が縛られていたとしても、彼女の霊石由来の右手の能力は遠隔操作が可能だ。光の槍か、或いは回転する刃でも出現させれば、周りの賊を血祭りにあげることぐらいなんてことはないはず。


(そう、きっとそうだ。)


彼は自分にそう言い聞かせ、目を閉じようとした。


(…ああもう、駄目だ。)


寝転びながら、彼は頭をぐしゃぐしゃと掻いた。

その時、背筋に何かの気配を感じて、彼は静かに体を起こした。


「え…?」


思わず小さな声を上げた彼の視線の先、野営地の端の茂みの前には、青白色に光る一把の野ウサギが居た。

輝く躯体の中にぽつりと浮かび上がった黒い目に見据えられ、彼は固まってしまった。


暫くすると、ウサギは勢いよく背後の茂みに飛び込んで消えてしまった。実体がないのか、茂みはただ風に揺れるばかりであった。


その時、彼はある恐ろしい考えに喰らいつかれた。

今まで彼は、賊が、誘拐犯が、今もソーラを()()()()()()という暗黙の前提のもとに思考を働かせていた。


よくよく考えてみれば、そんな確証など何処にもないのに。


「嘘だろ…!?」


アールンはバッと立ち上がり、涙に目を滲ませながらウサギが消えた茂みをまさぐり始めた。

何か、何か残ってないか。そうではない証か、或いはこの際そうである証でも。

何か、何か。


「え…ちょ、ちょっと、何やってるの!?大丈夫!?」


ガサガサという音に目を覚ましたメウナに肩を掴まれ、アールンはそこで漸く我に返った。


「…。」

「そこに、何かあるの?」

「…ウサギが居たんだ。」

「ウサギ?」


メウナは困惑してそう聞き返した。


「光るウサギだ。幽霊みたいな。…それが、ソーラの幽霊なんじゃねえかって…。」

「…。」


返答に窮するメウナをよそに、アールンは再び茂みに手を伸ばした。


「きっと、俺に怒ってるんだ。()()危ない旅に連れ出して、案の定こんなことになって、だから、化けて出たんだろ。」

「まだそうと決まった訳じゃないでしょ!!」


背後からの一喝に、アールンはどきりとして振り向いた。


「落ち着いて、深呼吸して。…きっと、ウサギさんはここの土地神か何かで、急に入ってきた私たちの様子を見にきただけだよ。それ以上でも、それ以下でもない。」

「…でも―ムグッ!?」

「はい!!そこまで!」


厳しい表情で尚も食い下がろうとしたアールンの口を、メウナの手が塞いだ。


「今はとやかく考えてもしょうがないよ。これは私のお婆ちゃんの言葉なんだけどね、『時には目を瞑らなきゃ、見えてこないものもある。』…きっと今がその時なんだと思うの。」


そして、少女は野営地の真ん中に戻り、落ち葉を集めて作った彼女の寝床の上に腰を下ろした。


「明日か、明後日か、どこかでソーラさんの手がかりを見つけるために、今はちゃんと休む!だからさ、まずは横になって、寝よ?」

「…そうだな。」


アールンも頷き、自身の寝床に戻って彼女の方を向いて横になった。


「…あんたは強いな。」

「どうしたの?急に。」

「そのまんまの意味さ。俺なんかよりずっと強くて、賢い。ひょっとすると、あんたの方が”女王”が似合ってるかもな。」


微笑みつつそう話すアールンを見て、メウナは照れ気味に頭を掻いた。


「よしてよ…私、(まつりごと)とか、儀式のことなんてなーんにも分かんないし。」

「俺だって最初はそうだった。でも、あんたは俺よりも何というか…”芯”がしっかりしてる気がするんだ。」

「ふふ、何よそれ。」


そして、彼女も腕を後ろで組んで枕にし、仰向けになった。


「冗談を言ってるわけじゃないさ。そうだ、無事にソーラを助け出したら、俺たちについてエーダに来る気はないか?さっきみたいな感じで、これからも傍で色々助言してくれると心強いんだが…。」

「…その申し出は嬉しいけど、やめとこうかな。私は宮仕えよりも、野山を駆けずり回ってる方が性に合ってそうだし。」

「そうか…。残念だけど、まあ無理にとは言わないよ。」


すると、彼女は寝返りを打ってアールンの方に向いた。


「あと…あんまりそういう事、軽々しく他の女の子に言っちゃ駄目だよ?」

「そういう事って何だ。」

「あ、自覚無い感じなのね…質悪いやつだ。まあ、私は別に気にしないけど、アールンにそう言われちゃったら、本気にしちゃう女の子も出るかもよ?」

「おい、何か変な想像してねぇか?別に俺はそんなつもりじゃ…。」


アールンの弁明を、メウナは指をさして遮った。


「つもりじゃなくても。もう…ソーラさん妬いちゃうよ?」

「なっ…そこまでの事なのか?てか何でソーラが出てくるんだよ。」

「…もしかしてアールン、あの人の気持ち全然分かってない感じなの?」

「え、いや……そんなことは、ない、ないはずだ。俺もソーラを尊敬してるし、大事に思ってるし、それはソーラも多分同じのはずだ。だが…。」


そこで、彼は口ごもった。

好意に気づいていないわけではない。それは素直に嬉しく思っている。


だが実のところ、彼は「それを如何に受け止めるべきか」が分からないのだった。それは、彼の長年の癖、或いは職業病とでも言うべきもののせいであろう。


故郷のガーテローにて、成人の儀を終えてまもなく始めた孤児院の世話役の仕事では、彼は年下の女子から何度も何度も「告白」を受けていた。


その大半は、一週間も過ぎればすっかり無かったことになっているような一過性のお遊び、或いは尊敬や友愛の少し大げさな表現でしかなかったので、彼も最初は意識的に、やがて無意識に右から左へと受け流すようになっていた。

そして、肝心の恋愛経験がほぼ無かったことも(あいま)って、彼のその方面の感覚器官は完全に麻痺し、最早自分に向けられるソーラの好意を()()にしてよいものなのかどうかも、彼には判断がつかないのだった。


仮に彼女の好意が思いやりや友情の表れであったとしたら、それを自分が勘違いして先走り、彼女を”汚す”ような真似は断じて許されない。そうなれば、彼女との今までの関係も一切合切が水泡に帰してしまうことだろう。


「ま、それは私から言う事じゃないか。無事に助け出せたら、その時にあの人の口から聞きなよ。」

「…そうだな。」





翌日はひどい暴風雨であった。

一人用の油紙の雨具を二人で被りながら、アールンとメウナは馬を引きつつ滑りやすくなった山道を徒歩で進んでいた。


(怪我の功名というか…。)


吹きすさぶ雨風には、徘徊する魔物に気付かれにくくなるという意外な長所があった。

魔物も人間と同じく視覚や聴覚で目標を捕捉するのだが、このような悪天候ではそれらはままならないらしく、昨日と比べて接敵回数は目減りしていた。


欲を言えば洞窟などでやり過ごしたいが、距離を稼ぐにはまたとないチャンスである。

立ち止まっている訳にはいかない。


「これ…”ウーグス(台風)”だよ!! 海路選ばなくて良かったね!!」


強風や全身を打つ雨粒に耐えながら、メウナはアールンに聞こえるぐらいの声量でそう叫んだ。


「ああ!!…待て!何か居る。」

「え!?」


風雨に霞む林道の先に、にょろにょろと動く何者かの影を見たアールンは、思わず足を止めた。


「ほら、あそこ…何か変なの動いてねえか。」

「…あ、本当だ。」

「…道は、この先だよな。」

「…迂回は、出来なさそうだね…。」


覚悟を決め、足を忍ばせながら近づいてみた。

茂みの隙間から様子を窺ってみると、そのにょろにょろの正体は地面から生えた四本の”タコ足”であった。


「ありゃあ…魔物か?」

「本体は、地面の下かな…。」

「すると、”秘所”の前にいた”ワーレトン()”と同じような奴か。ただ、どうする…?」


ここにソーラが居れば、”秘所”の時よろしく蛸壺でも作ってもらえるのだろうが、今の彼らにそんな便利な能力は無い。


「いつでも逃げられる準備しておけ。」

「え…?」


メウナに警告した後、彼は手近な石を拾い、タコ足の近くの木に投げ当ててみた。

石は木の幹にぶつかって軽い音を立て、タコ足はその音に反応するように動きを止めた。


「ちょっ…!!」

「しっ…。」


息を潜めて様子を見ていると、タコ足は吸盤の数多付いた足先を音の鳴った木の方へ(おもむろ)に向け、先ほどの緩慢な揺らめきとは見違えるような豪速で足を動かし、その木を打ち砕いた。


バチィンというような音、そして倒壊する大木に、二人は同時に息を吞んだ。


「うっわ…。」

「あいつ、やばいよ…。」

「今日が暴風雨の日で本当によかったな。晴れてたら普通に気付かれてたぞ。あとは…あいつに”目”があるかだが…。」


これは記憶からの推測だが、あのタコ足も、”秘所”の前のワーレトン()も、視覚は無いか、或いはそれほど強力ではないのだろう。

そもそも目に当たる部位が見当たらないし、先の破壊もあくまで音に反応し、その出所を突いたに過ぎないことからも、その仮説は大いに説得力があるものに思えた。


「静かに、行くぞ。音を立てちまう雨具は無し。濡れちまうが、生きてりゃ幾らでも乾かせる。」

「わかったよ。」


アールンは慎重に油紙を畳み、ネルトレイフを出来るだけ宥めてから、その轡を引いて進みだした。

後ろから、メウナもクルキャスを引いてゆっくりと歩いてきた。


髪や肩がずぶ濡れになりつつ、二人は徐々にタコ足との距離を縮め、その至近距離を迂回していった。


どうやら本当に目が見えていないようで、アールンが通り過ぎざまに何度か投げた囮用の石がタコ足を挟んで反対側の木に当たるたびに、足はそちらの方に反応して破壊をばらまいていた。


(ここまで来りゃあ…。)


跳ね打つ鼓動や上がる息を抑えながら、アールンはそっと後ろを振り返った。

既に彼我の距離は彼らが初めて”タコ足”を視認したときのそれよりも広がり、ここまで来れば流石にどんな音を立てても大丈夫なように思われた。


それでも用心を重ねて歩を進めていた時、それまで彼らを守ってくれていた雨風が唐突に牙を剥いてきた。


「ぐうっ!!」

「きゃっ!?」


側方からの、大量の木の葉や枝を巻き込んだ突風をもろに受け、二人は思わず声を上げ、二頭の馬も大きく嘶いてしまった。


それは、とても林間の環境音では言い訳のつかないものであった。


恐る恐る振り返ると、タコ足は地面に這いつくばるように伏せられ、その奥からは巨大な”頭部”がのっそりと持ち上がってきた。


目が赤色に光っていなければ、只のデカいタコである。


「クソ…気付かれたな。走るぞ!!」


急いで距離を取れば、まだ何とかなる。走り出した二人の淡い希望を、巨大タコは無慈悲に粉砕した。


「ッ!!」


走る彼らの真横に、縦長の赤い渦が現れた。

渦の中心からはタコ足が現れ、足は一直線にメウナに向けて突き出された。


直撃する寸前、それは彼女の前に立ち塞がったアールンの剣に防がれた。


「馬たちを頼む!!逃げろッ!!!」

「アールンは!!?」


足を受け軋む刃を両手で支えながら耐えるアールンの背中に、メウナが叫んだ。


「俺がここで食い止めるッ!!」

「そんな、無茶だよ!!!」

「うるさい黙ってさっさと行けッ!!!死にたいのか!?」


凄まじい剣幕に押され、クルキャスとネルトレイフを連れてよろよろと退避していったメウナの至近に、またも赤い渦が現れた。

しかし、アールンはその渦の前に急行し、今度は足が出現するより前にその渦に斬りつけた。


『ギィぃィぃィぃィ!!?』


遠くで巨大タコのものと思われる苦悶の叫びが聞こえ、彼の前の渦は消滅した。

そして、今度は彼の周りに二つの渦が発生し、二本のタコ足が交差するように突き出された。


すかさず前に跳躍してそれを回避すると、今度は空中に巨大な四つの赤渦が出現し、豪速のタコ足たちが空間を切り裂いていった。

それでも、アールンは体を捻り、ときに巨大な足を足蹴にして、その間を縦横無尽に跳び回り、横に突き出されたタコ足の上に飛び乗って、眼下の巨大タコを見下ろした。


「ヘッ…相当お冠じゃねえか。」


肩で息をしながら、それでも彼は魔物を睨んだ。


今、彼はこの怪物を、たった一人で倒しに行こうとしている。

後ろの(メウナ)を守るために。


確かにメウナの言った通り、それは無茶で向こう見ずな、蛮勇と言わざるを得ない行為かもしれない。

責任ある統治者、主君の行動としては、もう下の下であろう。


だが、むしろそれでいい。


(固よりそんな柄じゃない、馬鹿にはお似合いの勇気だろ。)


アールンは心の中でそう言って、剣の切っ先を遥か下方、地を這う巨大なタコの魔物に向けた。


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