閑話1 川辺のひととき
この枠は章間の小話、オフの話のような位置づけになってます。
時系列的にも、『紅玉の従者』と次章の合間に当たる場面を描いていきます。
太陽は既にオードの青い山々の背後に沈み、田園にはまもなく夜の帳が下りようとしていた。
そんな中、川沿いの畦道には一つの松明の明かりが浮かび、その光はそこに近づく革の外衣を纏った人物を照らしていた。その人物は片手に少し黒ずんだ竹竿を、もう一方には取っ手のついた木箱を持っていた。
「あれ、誰か来ますよ。」
「んん?」
薄暗い川の方から声がした。
見れば、そこには松明の方を指す少年と、その少年と同じぐらいの背丈の老人が居た。老人の方は手に竹竿と、釣り針の付いた糸の束を握り、少年は網を持っていた。2人はこの辺りの水域を仕事場にする漁民である。
老人は革の外衣の人物を見つけると、その相貌を歪ませて興味深そうに顎を掻いた。
「ほう...最近忙しくしとったそうだが...。」
「え...カルさんの知り合いなんですか?」
「そう言えば、お前さんは会ったことなかったな。驚いて川底に頭打つんじゃねえぞ?」
外衣の人物は松明の元で立ち止まり、外衣の被りを取ってその長髪を顕にした。
その姿は、タナオードの民ならば知らぬ者など居ない姿だった。
「こっ...公爵様ァ!?」
老人の横で、少年は驚きの声を上げた。
それに対し、タナオード公コートは羽織っていた外衣を脱ぎ、一般の漁民のような質素な格好となって長い髪を後ろで結びつつ、老人に向かってこう呼びかけた。
「カル殿!しばらくぶりですな。」
「久しぶりだなァコー坊!お前さん、見ないうちにまた背が伸びたんじゃねえか?」
「よして下さいよ、もう子供でも無いんですから。」
コートはそう言って、土手を川の方まで降りてきた。
「どうですか、今年の出来は。もう釣れました?」
「いいや、でも、まだ雪解け水も出きってねえんだで、これからよ。で、お前さん、道具は忘れずに持ってきたか?」
「ええ。すぐに準備します。」
「おう、早くしろよ〜。先に”入り穴”見つけちまうぞ。」
老人と別れたコートは、再び土手上の松明の近くで持ってきていた木箱を開け、中から釣り針付きの頑丈な糸の束、それから精巧な銀細工で口を留められた小さな麻袋を取り出した。
麻袋の中には、城の厨から取り寄せた生の白身魚の切り身が、細かく切り分けられて大量に入っていた。
彼はそれを一切れ取って釣り針に刺し、それらを更に竹竿に引っ掛けて糸を引き、しっかりと固定する。それから麻袋を自らの腰にくくりつけ、いつでも追加を取れるようにした。
そして、まだ冷たさが沁みる川に裸足で入り、目を闇に慣らしてから、岸辺で特に流れが強く川岸が抉れている場所を入念に見て回った。
その一角に釣り針付きの竹竿をゆっくりと突っ込んでみるが、手応えはない。
「ここじゃないか...。」
竹竿を抜き、彼は別の場所へと移動して再び竿を入れてみるが、またも目当てのものは見つからなかった。
水をかき分けかき分け移動しながら試行錯誤を3,4度続けた後、ついに竹竿の先端を何かが突っつく感触が伝わってきた。
嬉しさに思わず口角が上がったが、ここで焦ってはいけない。コートは静かに竹竿を抜いた後、糸を握る手に力を込める。
そして、機を見計らってゆっくりと釣り糸を引いた。しかし、手応えは途中で無くなってしまい、水面から引き上げられた釣り針には、綺麗に針の部分を避けて四分の三ほど食いちぎられた餌が引っ掛かっているのみであった。
「ああ、駄目だ...。少し大きすぎたのか...?」
彼はめげずに腰の麻袋に手を伸ばし、今度は小さめの餌を取ってもう一度竹竿を穴に入れてみる。
再び強い食いつき。今度はダメ押しに少し竹竿を捻ってみた後、それを引き抜き糸を引く。
手応えは最後まで無くならず、やがて水面には強い波が立ちはじめ、水しぶきとともに”それ”は上がってきた。
「よしっ...!カル殿ー!!!上がりましたぞーーー!!!!」
コートは歓喜の声を張り上げて老人に成功を伝えた後、改めて糸を高々と引き上げ、その先端に吊り下がり暴れている、月明かりに照らされて輝くぬめりを持つ準円筒形の魚、ウナギを達成感に満ちた表情で見つめた。
カルと少年の方もウナギを二匹捕まえていたらしく、木桶には三匹のよく肥えたウナギが身をくねらせていた。
「大漁ですな。」
「お前さんも、今年は今日が初めてのくせに、もう釣っちまうとはなァ。」
コートと老人は、桶の中を覗き込みながら満足気に言い合った。
「あの...その、公爵様はカルさんとどういったご関係なので...?」と、そこで少年が遠慮がちに口を開いた。
「コー坊は、言うなればお前さんの兄弟子だわなァ。」
「兄...弟子?」
「ええ。小さい頃から城を抜け出しては、カルさんに釣りの技を教えてもらっていたんです。」
コートは頷いて、少年の方を見た。少年の黒く短い髪が、松明に踊る炎に照らされて輝いていた。
「おう、紹介するぜ。こいつはローエンってんで、最近...お前さんが聖域守護で居なくなっちまった後に入った俺の弟子だ。」
「ローエン殿か、初めまして。あと...ここでは無礼講ですから、そこまで気を張らずとも大丈夫ですよ。」
「はっ...はい!!」
3人は水に浸かって冷えた足を布で温めながら、土手に座って暫しの休息に入った。
「そうだ、オーレの奴は元気にしてるのかい?」
「ええ。今は自領の復興に勤しんでいるようです。」
オーレ=シルファーンは、コートの旧友としてカルに師事していた人物である。
その出自は、タナオード北方に位置するカシダの街の公爵家の嫡子であるが、かの街は”大災禍”後に海賊に占拠され、その一大拠点となり、シルファーン家はタナオードに亡命していたのだった。
アールンはエーダ半島平定の最後のピースとして、オーレを新たにカシダ公に封建し、同時にコートに一時的な外交委任の証である”トアン”を与えてカシダ一帯での広範な軍事外交権を認め、2人に陸空総勢5万の軍を与えて海賊征伐に赴かせた。
海賊は抵抗したが、最新兵器で身を固めた大軍に敵うはずもなく、数千の首級が上がる戦の末に同地は平定され、シルファーン家は久方ぶりに故郷の土を踏むこととなった。
「そうかいそうかい、しかしなァ、あいつがもうここには来ねえって思うと、少し寂しくなるな...。」
嬉しさと寂寥感の入り混じった声色で言う老人を見て、コートはふとあることを思いついた。
「もしかすると、今度の”デール・テオンベッツ”の儀のときに、また集まれるかも知れませんな。」
”デール・テオンベッツ”とは、田畑、特にウロ稲の種まきが行われる”ベッツプル”の月(4〜5月)の初日に行われる、その年の豊作を大地に祈願する儀式である。
その儀式はサンダにおいて地を表す方角である東郊―都の東側で行うのが習いであるので、本来はアールンの所在地であるエーダの東の郊外で行うのが自然だが、今度の会ではエーダ半島全体の豊穣を祈願する意味合いも込め、半島全体を一つの街に見立て、その東に位置する聖都タナオードで開催する運びとなったのだ。
儀式は恙無く終わり、出席した公卿達が各々帰途につき街が騒がしくなる中でも、街から距離のある田園地帯では相変わらずのんびりとした時が流れていた。
「お!来たかァ!コー坊にオーレ!!」
土手上を歩いてくるコートと、横の黒髪の総髪姿の男性の姿を見て、老漁師が叫んだ。
「お久しぶりにございます。カル殿。」
「おうおう、その硬っ苦しさも変わってねえな!...んん?そっちは...?」
そこで、カルはコートとオーレの後ろに付いてきていた、背中に大きな折り畳み式の机を背負い、左手に風呂敷の包を持って革の外衣の頭を深く被った人物に気がついた。
すると、2人は悪巧みを成功させた少年のような笑みを浮かべて顔を見合わせた。
外衣の人物は手でクイッと被りを上げ、顔を出した。
「どうも、カルさん。アールン=エルドーレンだ。」
「は...?」
「え!?」
脇に居たローエンだけでなく、老人までもが驚き狼狽した。
「ほ、本物...?」
「ええ。城でオーレと話していたら、たまたま通りかかった殿下がご興味を持たれまして。」
「突然すまんね。でも、ニィローキと聞いたら我慢できなくって。殿中に上がってくるのは夏頃になっちまうし...。」
すると、カルはコートとオーレを彼のもとに引き寄せ、小声で捲し立てた。
「おいおい...!王子様が来るなんて聞いてねえぞ...!というか、あの人穴釣りなんてできんのかァ...?」
「いえ、殿下は今日は漁をしにいらっしゃったのではなく...。」と、オーレ。
「え、そうなのかい?でも、それじゃあ只ぼーっと見てるだけかい?」
「いえ...。」
振り返ると、そこには嬉々として机と火鉢を並べているアールンの姿があった。
コートとオーレが取ってきた二匹のウナギを、アールンは慣れた手つきで木桶のきれいな水に入れ、泥を抜いていく。この辺りの水は非常に清冽なので、泥抜きの作業は短時間で終わらせることができた。
そして、腹を割いて臓物を脇にどけた後、身を開いて骨を取り、串を五本水平に差して火鉢の上の金網に乗せた。
「蒲焼にしようか。ホーロウェル(煮凝り)にしても良いんだが、あれ時間がかかるからなぁ...。」
火鉢の前にしゃがんで串を裏返しながら焼き目を見つつ、小瓶の甘辛タレを刷毛で塗り込めていく。その後もじっくりと焼いていくと、やがて芳醇な香りがしてくる。頃合いを見て、彼は蒲焼を火鉢の上で串ごとに等分し、木の皿に盛ってコート達に差し出した。
「ほい、取り敢えず一品目!一人一本な。」
「では、遠慮なく...。(ホフホフ)流石の出来ですな。」
「かたじけない。...う〜ん、やはりウナギは良いですなぁ!」
アールンとコート、オーレは自らの串に齧りつき、口の中に広がるまろやかな香りとフワフワの食感を思い思いに楽しんだ。
「どうした、食べないのか?」と、遠慮がちにそれを眺めるカルとローエンに、アールンがそう言った。
「わ、私らも良いんですかい?」と老漁師。
「五本あるだろ。まあ、お腹空いてねえってんなら貰っちまうけど。」
「じ、じゃあ頂きます!!!」と、ローエンが一目散に蒲焼の串に飛びついた。
アールンが打ち笑みつつその様子を見ていると、やがてカルもおずおずと自らの分の串を取った。
「うまっ...!」
「おお...殿下は料理がお上手なんですなァ。」
「喜んでもらえて何より何より...。でも、もうちょっと焼き目を少なくしたほうが良かった気がするな。(ホフホフ)こりゃちと香ばしすぎて、好みじゃない。」
蒲焼の串はそこそこに、アールンは二品目の”肝吸い”の準備に入った。
先程除けておいた肝から苦玉や血合いを取り除き、水洗いの後塩を振ってから火鉢の上に乗せた鍋で湯通しし冷ましておく。
その傍ら、彼が以前からエーダの座所の厨を借りて作りおきし常備していた特製のだしを火鉢で温め、5つの椀に先程の肝とさっと湯通しした三つ葉を入れ、温かいだしを注げば完成である。
彼はこれらの道具や材料を、左手に嵌めた”ハリージェ”に収納してきていた。左手を青白く光らせては何かを取り出すアールンを見て、事情を知らないカルとローエンが目を剥いたのは言うまでもない。
「ほい、肝吸い完成!」
温かい吸い物は川の漁で冷えたコート達の四肢に沁み渡り、その場の皆の腹と心をふやかすかのようだった。
「あの王子様...本当にエルドーレン家の人なのか...?」
食事が終わり、ローエンと共に食器や道具を川で洗うアールンの背中を見つめ、土手の斜面に腰を下ろしたカルがそう呟いた。
「それは、どういう...?」と、隣のコートは訝しげに聞き返した。
「いや、そんな大したことじゃないんだがなァ...あの人のあの親しみ深さと、お高く止まった王家の出っていうのがどうしても結びつかなくてな。」
コートは頷いた。
この老人は、自分以上の長きに渡り旧王国の秩序、階級社会で暮らしてきた過去を持つのだから、その違和感を持つのも理解できた。
「確かに血は高貴ですが、人生の大半を市井で苦労して育った方ですから。」
「そして、そうした殿下の為人が、我らの慕う所の一つでもあるのです。」と、オーレが継いだ。
「へぇ...まあ、主君があれでお前さん等がそうなら、この国も安泰だわなァ。儂もロー坊も、ずっとここで漁を続けられそうで良かったわ。」
カルは空を仰ぎ、穏やかにそう言った。
洗い物を終わらせたアールンは、戻って来るや否やカロに向かってこう申し出た。
「折角だから、俺にも”穴釣り”の技術を教えてくれないかい?」
「教える...?」
「そう。コートやオーレにやったみたいにさ。こっちも経験がないわけじゃないんだが、如何せんコツが掴めなくて...。」
「そりゃあ...分かりました、しかし、やるからには本気で行かせてもらいまずぜ。」
「カロ殿の教えは厳しいですぞ。」
コートの野次に、アールンはにっと笑ってこう返した。
「望む所だ!」




