43 憑き人
前殿の参詣用祭壇には、前と変わらず香や花、貴金属の装身具や宝石などが置いてあった。
異なるのは、その空間の静寂が、今は足音と札甲の擦れる音とで掻き回されているという事だ。
「本殿はこの奥か...。」
前殿の祭壇の奥から伸びる渡り廊下を走っていくと、突き当りには重厚な石造りの大扉があった。
「行くぞ。」
「はい。」
「「「「はっ。」」」」
兵士たちが2人の前に立ち、門扉を押した。
本殿の大広間の中心には、巨大な灯籠のような形の祭壇が鎮座していた。
その、灯籠であれば火袋に当たる位置には硝子の箱が嵌り、箱内部には赤い光を発する”何か”が浮かんでいた。
「あれが...ッ待て。何か足音が...。」
アールンは足を止めた。しかし、足音は広間内に反響して出処が掴めない。
しかし、その主はすぐに明らかになった。
「そっか〜、結構強いのを出したんだけど、やっぱり君たちを倒すには役不足だったようだねぇ。」
「フージェン...!」
祭壇の裏手からゆったりと現れた褐色の商人は、人の良さそうな笑みを浮かべて手をパンと叩いた。
刹那、2人の周囲に居た重装兵達の首がほぼ同時に跳ね飛ばされ、生暖かい鮮血が迸った。
「なっ...!?」
「ッ!!」
2人は目を見開き咄嗟に抜剣した。鼓動が早くなっていく。
「大丈夫、君たちにはまだ手を出すつもりはないから。」
そう言うフージェンの隣の景色が揺らめき、前庭で彼の横に居た大柄な護衛が薙刀を持って虚空から姿を表した。
(透明化...?いや、あの風圧は、まさか...。)
アールンは、背筋に悪寒が走った。先に彼の矢を神速で叩き落としたあの離れ業といい、もっと言えばレーミー宅での横槍のときも、あの大男はやはり...。
「...何が目的だ。」
「目的?」
「俺達だけを残して、脅して何か要求でもするつもりなのか?」
アールンの問いに、褐色肌の艶めかしい男はわざとらしく口に手を翳して考えるふりをしてから、こう言った。
「そうだねえ...じゃ、君だけは死んでもらおうかな。」
「!?」
刹那、風圧と背筋がヒリつくような殺気を感じ、アールンは歯を食いしばりながら、ほとんど直感に頼って剣を持つ腕を動かした。
視界の時の進みが遅くなっていき、徐々にこちらに向かって駆けてくる大男の姿が見えた。
低速となった世界の中で、アールンの剣と男の薙刀が交差する。
「チッ...!!やっぱりかよ...!」
「フン...王子ともあろう者が”憑き人”か。聖なる血が、聞いて呆れるな。」
「何だ、それ...!」
鍔迫り合いの末、アールンと大男はほぼ同時に背後へ飛び退り、即座に再び肉薄、剣撃を何合も重ねていった。
(クソ、向こうは大丈夫なのか...!?)
男の得物を払い上げて容赦なく金的を蹴り上げ、それで生まれた僅かな隙をついてアールンはソーラの方を確認した。
彼女はほぼ動いていない。向こうからすれば、今までの時間は数秒ほどの間でしかないのだろう。その事実は、彼に軽い絶望感をもたらした。
「よそ見をしている暇があるのか。」
「しまっ―グアッ!?」
側方から太い足で飛び蹴りされ、アールンは広間の壁近くまで吹っ飛んでしまった。
「クッソ...。」
彼はすぐに立ち上がり、剣を構え直した。
「この世界は、我々のような穢れた者だけにしか至れぬ境地だ。助けを求めても無駄だぞ。」
それに対し、大男は即座に薙刀の先をアールンに向けてそう言い、大股三歩で飛ぶように彼に接近して大上段からの振り下ろしを放ってきた。
アールンは横に一回転してそれを回避し、その場で本能的に体勢を低くして力を溜め、落下最中で無防備な大男の脇腹を切り裂こうとした。
しかし、男は驚異的な身体能力を以て薙刀を回して地面に突き刺し、それを軸に空中で身を回転させて彼の剣撃を回避し、その勢いのままに再び蹴撃を放ってきた。
予想外の動きを咄嗟に宙返りで回避したアールンだったが、一方でその首筋には冷や汗が伝っていた。
(体力落ちたな...。)
息が上がり、四肢は徐々に重さを帯び始めている。
思えば、カイラン川でのあの戦闘以前、彼は碌に戦っていなかったのだ。
ヤイダでも、ひたすら後方での指揮に徹していた。
加えて、ヤイダ陥落後の不毛かつ馬鹿げた断食によって、筋肉も往時より落ちていることだろう。
カイラン川での戦闘は早期に決着がついたので、そのときは自分の劣化はさして感じられなかったが、この持久戦では話が別だ。
「クッ...。グウッ...!」
上下左右多彩な方向から繰り出される突きや薙ぎ払いに彼は対応しきれず、傷は一つ、また一つと増えていった。
大きく後ろに飛び退って傷を押さえたアールンに対し、男は尚も攻撃の手を緩めない。
(クソ、こっちの間合いに入れねえ...!)
当然ながら、剣は薙刀よりも間合いが小さい。
まるで一つの城壁のようにも感じられる薙刀の連続攻撃の向こうで、男の冷たい目が光っていた。
ふと、彼の鼻先すぐそこに刃が現れた。
それに、彼は射すくめられてしまった。
「諦めろ。楽に死なせてやる。」
アールンの頭の至近距離に薙刀の切っ先を突きつけながら、その周囲を円を描くように歩きつつそう言う男の声は一分の淀みも無かった。
もはやここまでか。
(クソ、俺が駄目なら、ソーラは...!)
歯を食いしばって、彼は相変わらず動きのないソーラの方を見た。
彼女の横では、余裕綽々の笑みを浮かべたフージェンが立っていた。
(ふざけやがって...。)
アールンがソーラと目を合わせると、彼女の表情に僅かに変化があった。
恐らくは、足を止めた状態ならば外界からでも一定の認識は可能なのだろう。だが、こちらに干渉できるわけではない。
飛ぶ矢さえ歩く程度の速さにしか感じられないのだから、こちらからすれば外界からの如何なる攻撃も気付いてからの回避が可能だろう。
しかし、だからこそ、ここでこいつを倒さなければ。
それが、自分の責務だ。
「覚悟。」
彼の背後で、大男が薙刀を大きく振りかぶってそう言った。
「させるかよ!!!」
アールンは石の床を蹴って、薙刀の横払いを小さく跳んで躱し、着地点で再び背後に飛んで距離を取る。
刃毀れの激しい剣を構え直して立ち止まったアールンに対し、男は彼との間合いと機を見極めるように、距離を保って数歩歩いた後、不意に地を蹴った。
アールンは飛んできた銀の切っ先を既のところで体を捻って躱し、動きそのままに左手でその黒き柄を掴み、体全体でしがみついた。
「グウッ!!!ブフッ!!」
「小癪な...!」
大男は自身の得物に取り付いたアールンの頭や肩を何度も蹴るが、彼は衝撃と痛みに耐えつつ尚しがみつく。不格好に、必死に。
そして、右手に握った長剣で大男の薙刀を握る手に斬りつけ、痛みに力が抜けた僅かな隙にそれを奪い取った。
すると、男は奪われた自身の武器には目もくれず、後ろに跳んで一度距離を取った。
「...!どうしたよ、こいついいのか?」
「フン、得物に拘る戦士は二流だ。」
男の薙刀を左手に持って見せるアールンに、男はそう答えて拳を構えた。
「そうかい...!」
睨み合いながら、アールンは考える。
長期戦になれば自分は更に不利になっていく。なんとかして、場の流れをこちらに引き込まなければ。
体格も、体力も、膂力も全て相手が上回っているこの状況で、自分のできることは...。
「そうだな、確かに、武器に拘ってちゃいけないよな。」
アールンは笑ってそう言い、右手に剣、左手に薙刀を持って走り出した。
そして、タイミングを見計らって左手を大きく振りかぶり、勢いよく薙刀を男の足元に向かって投げつけた。
「ッ!」
男は虚を突かれた顔で、しかし瞬間的に彼にとっての最適解を導き出す。
前方に高く飛び、薙刀すらも飛び越えてアールンに肉薄、拳を振り下ろした。
だが、アールンは床に身を投げるように転がってその拳撃を回避し、男の拳は轟音を立てて床に激突した。
その背後でアールンは飛び起きて反転し、男の後背を大きく斬りつけた。
「くっ!?」
背中が赤く染まり、大男は思わず呻いた。そこまで深くはない傷だが、確かなダメージである。
アールンはこの好機を逃すまいと、近くに落ちていた薙刀を拾い上げて、男の背中めがけて突き込んだ。
大男は前に跳んでギリギリ回避したが、着地時に再び男は呻いて全身を痙攣させた。
血はその背中から止め処無く流れ出し、男の飛んでいった軌跡を示すように空中に留まっていた。
血は自分達の体を離れた瞬間から、外界の速度と同期して低速状態となる。
その光景は不吉極まりないが、どこか幻想的でもあった。
「はっ、はあっ、はあっ。」
アールンも体力と集中力の限界に近づいていた。しかし、時の流れは未だ元に戻らない。
「おい。」
「...何だ。」
アールンの呼びかけに、男は掠れ声で答えた。
「”憑き人”って、何だ?」
「...鼻つまみ者、穢れた殺し屋、猟犬、暗部。戦のために生まれ、戦のために死ぬ人間だ。これで満足か?」
「...なるほどな。」
何となく、だが。
自分のこの”低速時間”の能力は、常人相手ならば無類の強さを誇るだろう。
ちょうど、前に大男がアールン達の護衛の重装歩兵達の首を一瞬にして刈り取ったように。
そして、それが恐れられ、”穢れ”などと忌み嫌われる理由も。
「...回復しないのかよ。あるんだろ?”魔”の力。」
アールンは男を指差した。魔の力を使えば、そのぐらいの傷など瞬く間に塞がるはずだ。
「黙れ。俺はあんな物に手を出すほど落ちぶれてはいない。」
男は走り出し、アールンの至近距離で左斜め前に跳び、右の拳を側方から放ってきた。
しかしその動きは以前より精彩を欠いていた。
アールンは男の動きをしっかり見極め、体を捻って拳撃を回避し、そのまま剣を前に突き出した。
「グァハッ!!!」
彼の切っ先は男の喉元に突き刺さり、気管が破れて息が漏れる。
血が徐々に、粘り気のある泡のように傷口から溢れ出した。
「...。」
肩で息をするアールンが剣を引き抜くと、男は一言も発することなく倒れた。
首は掠れた血の尾を曳いていく。
屍の崩れ落ちる速さは一旦遅くなった。男の仮称”低速時間”の能力が切れたのだろう。
しかし、その落下はすぐに再加速した。




