39 真意
2026年一発目の投稿です!
今年もよろしくお願いします!!
ヌアチャルテの一団と別れた後、夜通しの行軍の末、ソーラ達は明け方近くになってようやく街道にたどり着いた。
地平の果てまで続く道に張り巡らされた怪異除けの結界も、既に無用の長物となってしまったと考えると一抹の物寂しさがあった。
「そう言えば、貴女は何故タナオードに...?」
ソーラは向かって左手に常緑樹の森を抱える街道を進みながら、傍らを歩いていたアルアータに尋ねた。
「...私は殿下に、ある書状を公爵閣下に渡せという命をお受けしまして。」
「アールンさんが、グレンデル卿に...?その要件は?」
ソーラが再び尋ねると、黒装束の少女は首を横に振った。
「分かりませぬ。状が認められているのはこの”ファルセ”で、渡されたときには既に封印が施されておりました。」
アルアータはそう言いながら、懐から木板が二枚重なったような見た目の物体を取り出した。
板の中心に彫られた溝に通された濃緑の紐が二枚の板を束ね、その結び目には、複数の線と点の組み合わさった複雑な意匠の印章付きの蝋封印が施されていた。
これはソーラも知っている。二枚の板の内下側の”大札”に文章を書き、その上から”小札”で蓋をし封印を施すことで、使いやその他の第三者には決して中が見えないようになるものだ。要は密書である。
「この封印の印章は、アールンさんの...?」
「恐らくは、エルドーレン家の”ネライフェ”でしょう。ハニスカに残っていたものかと。」
ソーラは顎に手を当て、小さく唸った。
内容として考えられるのは、ハニスカ側に歩み寄れという命令じみた「提案」か、或いは...今の弱体化した遠征軍の状況を教え、出兵を促すものか。
要塞駐留部隊の慢性的な飢餓状態は、恐らくアールンの意図するところであろう。臨時募兵の増員指示や、撤兵上申時の異様なまでの頑なさを考慮すれば。
ひょっとすると、彼は要塞の軍が弱り進退に窮している所をタナオードの兵に包囲させ、ヤイダ陥落で最近息を吹き返しはじめている急進的な”主戦派”の出鼻を挫き、且つその場で仲裁に入ることで調停者としての自身の地位を確立しようとしているのかもしれない。
「...いずれにせよ、グレンデル卿のもとに急がねば。書状の中身はあの方にお聞きしましょう。」
「ええ。」
背後から昇る太陽が徐々に彼らの背中を暖めはじめた頃、ソーラは草原の遥か彼方、霞の向こうにタナオード城の白亜の楼閣群の姿を認めた。
街への入口である”西ノ大門”の前には、相変わらず呑気な門衛達が居た。
門の脇に立っていた槍持ちの門衛は、遠くからやってくるソーラ達に気づくと、額に手をかざして目を凝らし始めた。
彼女らが更に近づくと、その衛士はやがて頭を掻き始めた。
「お嬢ちゃん達、巡礼かい?ご苦労なこったが、出来ればもうちょっと早く来るべきだったなぁ。」
どうやら、この衛士はソーラとアルアータの正体に気付いていないらしかった。
ソーラの右手の紋は、偶然にも衛士から見えない位置にあった。
「...というと?」
言わんとすることはだいたい察しがついたが、馬上のソーラは一応問い返してみた。
「ひと月半ぐらい前は...”紅玉の従者”さまが現れたとか、魔物の手先の悪しき家宰が正義の王子様に討たれたとかで、この街もお祭り騒ぎだったんだが...今は一転、ハニスカの軍勢が攻めて来るかもしれねえって言ってなぁ...。」
衛士の言葉にただ苦笑するソーラとは対照的に、アルアータが大きく溜息をつきつつ懐から”ファルセ”を出した。
「ここにおわす御方こそが”紅玉の従者”様です。そして、これはアールン殿下からの火急の文。この二件、至急公爵閣下にお伝えを。」
「こここっ紅玉の従者ァ!!?貴女...様が!?」
衛士は上ずった大声を出し、その声を聞いた別の衛兵達が門の後ろから顔を出した。
「なんだ...って、マジで従者様じゃん。ハニスカに向かわれたんじゃ...というか、お前この御方に向かってさっきまで喋ってたのかよ。普通に不敬じゃん。」
「お前西ノ大門に居すぎて従者様見たこと無かったのかよ...ああもう、今からちょっと城に走ってくるわ。」
衛兵仲間の一人が、幅の広いタルクームを公爵コートが居るであろうタナオード城の方へ走っていった。
「し...しかし、なにゆえ南ではなく西からいらっしゃったのですか...?貴女様は南へ向かわれたと...。」
大声を出した衛兵は我に返り、丁寧な口調で再度尋ねてきた。
それに対し、ソーラは若干返答に困りつつも、こう返した。
「ええ...しかし、諸事情により、西から回り込んで来たんです。」
「西って...西の平原には”怪異”が居るでしょう?そいつはどうしたんです?」
その問いに、彼女は曇る表情を笑顔で抑えた。
そして衛兵に返す言葉が見つからないでいるままに、彼女らは西ノ大門を潜った。
大道には、誰も居なかった。
時折吹く強い北風が、石畳の上に残った砂塵を巻き上げている。
かつて初めてこの街を訪れた時は人で溢れかえっていたのに、この不気味なまでの静けさは...。
「戦を恐れ、城内か、或いは聖域にでも避難しているのやもしれませぬな。」
アルアータが、風にその短い髪を揺らしながらポツリとそう呟いた。
敵軍が勢力境界のすぐ外まで迫っているというなら、そうなるのも頷ける。
同時に、彼女はいたく申し訳ない気持ちに襲われた。幸いにもムルターン川以北への進軍は禁止されているものの、それでも尚既にこの街に迷惑を掛けてしまっている。
ソーラはネルトレイフの歩速を若干速め、誰も居ない城への道を急いだ。
城に近づくと、道で歩兵や軽装・重装騎兵の一団とすれ違う回数が徐々に増えてきた。
通り沿いには軍旗がはためき、家々は接収されて軍営や倉庫として使われていた
まさに戦支度、厳戒態勢である。
既に”紅玉の従者”の帰還の報は広まっているらしく、彼らはソーラの姿や右手の紋章を目にすると、少し驚きつつも姿勢を正し、右手を平らにして胸に当てる敬礼の動作を行った。
同様に敬礼を返して先へ進み、彼女らはついにタナオード城の中に入っていった。
「これは...驚きましたな。」
タナオード城内、公爵の居館である”イスム・ネルキレン《白水殿》”の広い畳敷きの部屋にて、軍服姿のコートは懐から出した書刀の柄頭で蝋封を素早く割り、紐をスルスルとほどいて中身を確認するや、そう呟いた。
「一体、何が書かれていたのですか?」
ソーラの問いに、コートは黙ったまま慣れた手つきで大札の文章が書かれているであろう部分を書刀で削り、そのカスを傍らの火鉢に放り込んだ。
「...ふむ、いずれ全軍に知らせる事ですから、言っても差し支えありますまい。殿下は...ヤイダ要塞に食糧を運び込むよう仰せです。」
「食糧を...?」
ソーラは僅かに眉を顰めた。
「私も、同じ事をコート殿に申し上げようとしていたのですが...。」
「貴女様は...殿下の使いではないのですか?」
「はい...平たく言えば、脱走してきたのです。今、ヤイダに駐留するハニスカの軍団は慢性的な食糧不足に陥っています。このままでは...いや。」
そこで、ソーラはあることに気が付き、言葉を切って2,3瞬きした。
アールンは、最初から”融和”を目指していたのではなかろうか。
「...取り敢えず、コート殿は軍に出動命令を。一刻も早く、要塞に兵糧を届けなければ。」
「しかし...幾らタナオードは豊かな地とは言え、現下の状況で”敵軍”にこちらの食糧を送ることを、民は良しとしますかな。」
コートは頭を掻き、外を眺めた。昼前に街に着いたときには晴れ渡っていた空だが、今では分厚く巨大な幾つもの雲によって満たされようとしていた。
雲の底は僅かに暗い。あれは雪雲だろうか。
「...ならば、こう触れ回りましょう。『ハニスカの軍は強行軍の末に食糧状態が極度に悪化している、そこに我らが救いの手を差し伸べれば、彼らは必ずや改心し、戦は避けられるだろう。』と。」
食糧を送らなければならぬ理由を端的に述べ、ハニスカに対するタナオード市民の優越感をくすぐり、おまけに戦争への恐怖感も突いていく。
(それでも、ハニスカ側には独力で魔物の巣食う要塞を陥したという確たる功績がありますから、これで平等というところでしょうか...。)
深淵を見れば、どちらにも優越を与えないよく出来た策である。これで、タナオードの民は自分達には叶わぬ「城攻め」を成し遂げたハニスカの軍事力を知り、ハニスカの民、特にこの遠征軍の主体となった”主戦派”の者達は、自らの限界を知ったというわけだ。
ソーラは身震いした。これを、アールンは全て見通して動いていたというのか。
「は。では、すぐにでも。諸将に、至急白水殿に参じるよう伝えよ。」
コートは頷き、背後に控えていた自らの侍従にそう命じた。
厳寒のムルターン川沿いの草原を、ソーラとアルアータは鉄仮面で顔まで覆った重装騎兵の護衛達に囲まれながら進んでいく。
不意にソーラは手を掲げて集団を停止させ、彼女らから少し離れた場所を進む荷車の列を見つめた。
幟旗が北風にパタパタと音を立ててはためく中、急ごしらえ感の残る道を、大樽に米や保存の利く乾燥食品などを満載した荷車の列がのろのろと進んでいった。
「あちらが、例の新街道ですか。ファラン卿?」
ソーラの問いに、彼女らと共に居た参謀のイズレールが頷いた。
この男とは、解放戦時の作戦会議以来、久々に顔を合わせたような気がする。
「ええ。いやはや、貴女様があの”怪異”を討たれたと聞いたときは...我が耳を疑いましたよ。しかし、そのお陰で危険な谷を迂回してこの道を開拓できた訳ですから、感謝してもしきれません。」
「それは...どうも。」
イズレールの賛辞に、ソーラは一先ずそう答えた。
旧街道の先には、深き谷が横たわっている。そう、ソーラとアルアータが落下したあの谷だ。
寸断された旧街道に代わり、”怪異”亡き後の東エーダ平原に進出したタナオード勢は、その豊富な人手を活かし、ムルターン川西岸沿いに新しい街道を急ピッチで建設したのだった。
「しかし...不可解なのは向こうの動きです。斥候の調べでは、我々がこの地に進出したのと時を同じくして、ムルターン川以南のハニスカ兵が忽然と姿を消したということですが...。」
「ええ...一先ず、アイロまで注意して進みましょう。」
ソーラはそう返し、再び馬を進め始めた。
北東方面に流れるムルターン川に複数の小河川が流入して形成された湖の東岸、アイロはそこにあった小さな村で、”大災禍”により破壊・放棄されていた。
しかし今、この廃村は新街道の終点、東エーダ平原南部開拓の拠点として、徐々に息を吹き返し始めている。
「オウオウ!!年明けまでに壁作り終わらせんぞォ!!お前らァ!!!」
「「「「おう!!」」」」
作業に携わる大工や兵士達の声が、灰色の空に響く。
湖畔の比較的しっかりした地盤の土地は綺麗に均され、既に空堀と、一部未完成ではあるものの先の尖った丸太で造られた簡易的な円城が築かれていた。
円城の中には、これからヤイダ要塞に届けられる物資の数々を乗せた馬車が並んでいた。
一度ここで物資を集積し、道中の安全が確認されてから要塞に運び込むというのが、タナオード側の計画であった。
(要塞の兵達が飢える前に、届けられると良いんですが...。)
円城の城壁に上っていたソーラは、眼下の大樽群を眺め下ろしながら心のなかで独り言ちた。
「んん...?」
彼女は遠方、南東の方角の空から、幾つもの小さな黒点が徐々にこの砦に向けて迫ってきているのに気がついた。
「あれは...浮艇?」
そう呟いた直後、甲高い警笛が砦内に鳴り響いた。
アイロの城外に着陸したのは、一機の輸送浮艇と五機の武装偵察浮艇であった。
輸送浮艇の扉の両側には、霊気銃を携えたハニスカの儀仗兵が並んでいる。
ソーラ、アルアータ、そしてタナオード兵を指揮していたイズレールともう一人の将校が、一個重装騎兵部隊を背にそれを出迎えた。
音を立てて扉が開き、中からアールンの姿が現れ、儀仗兵達は一様に銃をおろして敬礼した。
「...ッ!」
その変貌した姿に、ソーラは思わず息を呑んだ。
アールンの両の眼の下には大きな隈があり、髪と肌は見違える程に荒れ、姿勢は前傾していた。顔つきも、こころなしか痩せているような気がした。
それは隣りに居たアルアータやイズレール達、背後のタナオード騎兵達も同様であった。彼らは事情を深く知らないだけに、その衝撃はソーラとアルアータの比ではないだろう。
アールンはソーラと目が合うと、一瞬目を見開き瞳を揺らめかせたが、すぐに元に戻って口を開いた。
「...ご苦労。では、ここの糧食を要塞に運び、腹をすかした兵達を救ってやってくれ。」
「でっ殿下は...大事無いのですか!?」
イズレールと共にタナオード兵を率いていた将校が、浮艇に戻ろうとしたアールンの背にそう叫んだ。
「...私は大丈夫だ。しかし、疲れた。要塞までの道は開いておいたから、後は任せたぞ。」
僅かに振り返りそう言って、彼は輸送浮艇に戻り、鉄扉を閉めた。
それまでの対立が嘘のように、ハニスカの要塞駐留軍は歓喜の声を上げてタナオードの軍勢を迎え入れ、彼らの炊き出しに一目散に飛びついた。
食糧不足は、遂に目に見えるほどまでハニスカの兵達を蝕んでいたようだ。
こうなっては、”主戦派”も”講和派”も何も無い。この要塞内に限れば、そうした派閥対立の感情は既に消え去っていた。
「ごめんなさい。思いの外、時間が掛かってしまって。」
ソーラは既に瓦礫が撤去された”南の物見櫓跡”にて、欄干にもたれかかるヴェラードに対してそう謝った。
「まあ...平和裏に終われて良かったな。やっぱり、それが一番だ。」
後半は、自らに言い聞かせるような声色であった。
「...俺が言うのもおかしいかも知れんが、あの王子様を恨まんでやってくれ。あいつ...アイロの村に来た時、顔色悪かったろ。」
「はい...何かあったのですか?私が出たときは、あれほどでは無かった筈ですが...。」
「う〜ん、あれは、ちょうどあんたを追っていった浮艇が”怪異”に落とされたときだな。あの報告をした後から、あいつ、断食始めたんだよ。」
「断食...!?」
浮艇から降りてきたときの、顔色の悪く痩せた姿を思い出し、ソーラは思わず声を上げた。
「ああ。でも、変化の原因はそれだけじゃねえ。夜も遅くまで起きてるし、一日に処理する文書の量もどんどん増えてるらしいからな。でも、あいつの心のなかにあるのはただ一つ...”後悔”だろ。あんたを行かせたことへの。」
ヴェラードはそう言って、大きく息を吐いた。
「取り返しのつかない所まで行っちまわねえと良いんだが...。」
ソーラは俯き、両手を握る力を強めた。右手の紋章がちらつく。
この数日、アールンには言葉にしてもしきれないほどの心労がのしかかっていたのだ。ヴェラードは知り得ないだろうが、断食の理由もソーラだけでなく、この要塞で彼の手によって飢えさせられていたあらゆる将兵に対する罪悪感からの行いであろう。
不眠状態もそのせいであろうし、過労もその罪悪感を紛らわせるためかもしれない。
大計を冷徹に実行するということは、一人の力だけでは到底為し得ぬ業である。
むしろまともな為政者としては、それを為し得なかった方が良いまであると、書は説く。
徹底した政治の教育を受ける貴族の世界でさえそうなのだから、まして数ヶ月前に突然この世界に放り込まれた彼には、例え彼が聖王の卵であったとしても耐えられる筈がないのだ。
だからこそ、こちらに寄りかかって欲しいのに。
「...もう一度、彼のもとに行ってみます。」
扉の向こうの衛兵が、遠慮がちにソーラの来訪を伝えてきた。
それに対し、アールンが溜息を吐きつつ入室を許可すると、すぐに黒い長髪の少女が現れた。
ソーラの白い肌は、前よりも若干荒れ、日に焼けたような気がした。しかし、その整った双眸や高い鼻は微塵も損なわれていなかった。
「何だ。撤退はもう良いだろ。急がずとも、近い内に兵は退かせる。」
アールンは窓辺に寄り掛かり、黄色い日差しを浴びながら言った。
しかし、ソーラはつかつかと彼のすぐ横まで歩いてきて、そこに腰を下ろした。そして持ってきていた包の結び目を解いた。
「最近、アールンさん何も食べてないって聞きました。これ...軍糧と同じですが、出来立てホカホカですよ。2人で食べません?」
包の中には、大ぶりの茶色いトレイウルが2つ入っていた。ソーラはその一つを取り、早速口に運ぶ。
アールンは、食欲が起きなかった。腹が減っていない訳では無い。しかし、この握り飯だけは食べたい気が起きなかった。
何故、この自分に、今になってこれを差し出してくるのだろう。――もう一方の握り飯の中には、一体何が入っているのだろう。
「...食べないんですか?」
「いい。食欲ないんだ。」
「...そうですか。」
そう言うや、ソーラはもう一方の握り飯にも齧り付き、2つとも平らげてしまった。
アールンがその様子を凝視していると、ソーラははぁと溜息をついた。
「別に、変なものは何も入ってませんよ。」
行き過ぎた疑念を見透かされたような気がして、アールンは顔を顰めた。
しかし、それを気取られてはいけないと、彼は話題を変えた。
「報告書にあったぞ。東エーダの”怪異”を倒したそうだな。よくやった。あの平原は良い穀倉になるだろうからな。」
「...はい。」
彼女はそこで何かを言いかけたが、口に出かかる手前で抑えたようだった。
どうせ碌な事ではないだろうが、聞くべきか、聞かないべきか。
しかし彼女は暫くの逡巡の後、再び口を開いた。
「...アールンさん、無理してないですか。」
「無理...?」
「はい。貴方の目指す所はもう十分理解しましたし、それにとやかく言うつもりはありません。でも...。」
そこで、ソーラはじっとアールンの目を見た。
「でも、もしもそれに疲れて、いっとき戻って来たくなったら、いつでも言ってください。信が置けないというのなら、私じゃなくてもいいです。誰か、王子ではない貴方を知る者を頼ってください。...どうか、取り返しのつかなくなる前に。それだけを、言いたくて来たんです。」
そう語る彼女の目には、二心はないように思われた。
アールンは、胸の底が痛むような思いがし、喉を震わせて辛うじてこう返した。
「...何でだよ。」
「え...?」
「何で...俺はあんたを拒絶しちまったのに、何であんたはそれでも俺に、そうまで気遣ってくれるんだよ。」
「...。」
目頭を押さえながら、アールンはまくしたてた。
「だいたい、あんた達にとっちゃ俺なんて、降って湧いたお飾りの旗印、正統性や権威の印でしかないんだろ。黙って求められた政策を令に成文化して布告していればいいだけの存在だ。それが気に入らねえから、俺は違う道を、自分で決めた道を選んだんだ。」
目を覆う手の力が徐々に強まり、目尻が滲む。
「でも...取捨選択で俺はあんたを捨てたんだから、あんたは俺を思ってくれる義理なんて欠片もないはずだ。なのに、なのに何で...。」
すると、黒い視界の向こうで、鼻をすする音、そしてふふっと笑う声がした。
「これ、あの時と一緒ですね。」
「...あの時...?」
「ええ、立場は逆でしたけど。という訳で、あの時に貴方がくれた言葉、そっくりそのままお返ししますね。」
目を開けると、そこには目尻を赤らめて微笑むソーラが居た。
「言葉...。」
彼は焦点の合わない目で、ぼんやりと繰り返した。
そもそも、”あの時”がいつの何か分からない。
「はい。”友達”だから...です。」
「...。」
そこまで聞いて、やっと彼の頭にもあのエーダの家の夜の記憶が蘇ってきた。
訳が分からない。頭がどうにかなってしまいそうな心地がした。こんな無責任な言葉を昔の自分は投げかけていたのかと、今になって彼は呆然とした。
「...下がってくれ。頼む。」
アールンが命令なのか懇願なのかも分からぬ支離滅裂な言を発すると、ソーラは一つ頷き、黙って午後の陽の差し込む執務室から出ていった。




