37 東エーダの怪異
ヤイダ要塞北部シャル・セラン、その北側には厩があった。
北門から、ぬるい空気の満ちた緩い上り坂の地下道を上っていき、途中の三叉路を左に折れると、簡素な透かし彫り天井の廊下の左右に、木壁で仕切られた何十もの馬房が現れる。
その規模は嘗ての王国軍の駐屯地に相応しく、数にして五百騎はゆうに入る大きさであるが、ハニスカの軍は騎馬戦力を保有していないので、今は戦場につれてきていたアールンの愛馬クルキャスとソーラの愛馬ネルトレイフの世話をするためだけに、入口付近の2枠のみが埋まっているのであった。
ソーラが厩に入ったとき、ネルトレイフの房の前では馬飼のお爺さんが、彼の太い首に手を回して気の回りを確認している真っ最中であった。
ソーラは以前にも何度かこの場を訪れていたが、そのときの経験則として、この状態の老人には決して話しかけてはならない。彼にとっての最優先事項は目の前の馬たちの健康管理であり、その作業の邪魔をする者は例え目上の者だろうと等しく大目玉を食らうのだ。
老人がネルトレイフから離れたところで、ソーラは一歩進み出て話しかけた。
「...この子の調子はどうですか?」
「おや、従者様、お久しぶりです。ええ、とても元気ですよ。」
恭しく一礼してそう返答する老人に頷き返し、ソーラはネルトレイフの黒毛の身体を優しく撫でた。
馬は鼻をひとつ鳴らし、主人を歓迎するように頭をこちらへ回してくる。
その様子を、対岸に居る栗毛の馬が静かに見つめているのに、彼女は気付いた。
「...この子には、アールン殿下は顔を見せにいらっしゃるんですか?」
「いいえ...そのせいか、この馬は近頃悲しげな瞳をしとりますわ。」
「そう...。」
ソーラはネルトレイフの首を軽く叩いてから離れ、クルキャスの元へと足を運んだ。
かの馬にとっても既に彼女は顔見知りであるので、馬はこちらに歩いてくるソーラを見て、その表情を若干和らげたような気がした。
(暫く独りにさせてしまいますが、必ず戻ってきますからね。)
小声でそう言いつつ、彼女はクルキャスの首を撫でた。
そして、自身の愛馬の方に戻るや、彼女は馬飼に対しこう尋ねた。
「すこし、乗ってきても宜しいですか?」
「ええ、ええ。運動は大事ですからな。」
老人は快諾し、房の格子戸を開けて馬を中から引いてきた。
「ありがとう。」
ソーラは一礼し、手綱を引いて厩舎を後にした。
ネルトレイフは久々の外出に心を踊らせているようで、白い足の歩く調子はいつもより軽くなっているように思われた。
並んだ壁面燭台の炎の踊る下り坂を進んでいくと、やがて広い空間に出た。
天井は高く、そこへ伸びる柱や壁の上方は闇に包まれている。
北門内の馬溜である。
門を守護する兵士の一団がソーラに気づき、慌てて駆け寄ってきた。
「従者様、その...お出かけですか。」
「ええ。近場を、少し乗ってこようかと。」
「そうですか...外は暗いですから、お気を付けを。」
「分かりました、では。」
今は夜更けである。こんな時間に外出かと訝しげな表情をしつつも、兵士達はソーラを見送った。
(最近はそれほど走っていませんでしたから、先ずは準備体操ですね。)
門外に出るとソーラはネルトレイフに跨り、速歩で闇の中を進んでいった。
暫くすると夜闇にも目が慣れ、揃いの動きで風に靡く高草たちが月明かりに照らされ、その陰影が寄せくる波のように遠方から滑ってきて、彼女らの足元を過ぎていった。
「行きますよ!」
彼女は拍車を掛け、風を切って草原の中を走る。
草原を抜け、街道を横断し、馬の体が温まってきたところで一度要塞の明かりを目指して戻っていく。
門衛は彼女の帰還に安堵の表情で息をついたが、馬上から飛んできた一言はその感情を一挙に打ち砕くに足るものであった。
「少し遠出してくると、我が主に伝えて下さい。」
「え?ちょっ...従者様!?」
門衛の制止を振りほどき、ソーラは一路北を目指して駆けていった。
ヴェラードはアールンの執務室の前まで足音を立ててやってきて、番士に急ぎの面会の申し入れをした。
要件は、もちろん先に北門の衛士から連絡のあったソーラの脱走である。
内心では彼女に与するヴェラードとは言え、軍律を私情で曲げるわけにはいかない。
報告の義務は果たさなければならないのだ。
程なくして入室許可が下り、彼は黒木の扉の向こうのアールンと対面した。
「従者殿が北に奔ったぞ。」
「...口調には気をつけるんだな。立場を弁えろ。」
息せき切ってそう報告したヴェラードに対し、アールンは”主計部”の財務官より提出された戦の褒賞の素案を見ながら厳しい声で返した。
「それどころじゃねえだろ...!あんた、なんとも思わねえのかよ...!」
アールンの核心から目を背けるような態度に、ヴェラードは思わず声を荒げた。
それに対し、アールンはカッと眉間に皺を寄せてヴェラードを睨んだ。
その瞳は、怒りというよりも、追い詰められた動物が最期に見せる抵抗の意志に似た光を宿しているように思え、ヴェラードは思わず息を呑み、同時にソーラの話していたことが理解できたような気がした。
「...たとえ霊石の従者と言えども独断専行は許さん。浮艇に追わせろ。」
「...御意。」
一言そう言って、ヴェラードは部屋から出ていった。
四半時(15分)ほど街道を北に走ったところで、ソーラは項に何かヒリつくものを感じ、速度はそのままに振り返った。
後方からは小さな青白い光の粒が迫ってきていた。
(...追手!)
恐らくは、武装した偵察型であろう。
(どこまで命じられているのかは分かりませんが、最悪を想定して損はなさそうですね。)
まだ東エーダの平原には距離があるが、北に走ればいずれ森に入る。そうなれば、空からの捜索は容易ではないはずだ。
「急ぎましょう!!!」
ネルトレイフに更に拍車をかけ、彼らは街道を北西方向に外れ、草を踏み風を切りながら全速力で木々の中に飛び込んだ。
「はあ...はあ...ここまで来れば...!」
下馬して葉間から外を窺えば、偵察浮艇はすぐ近くまで迫っていたので、彼女はネルトレイフの手綱を引いて、森を奥へ奥へと逃げ延びていった。
森の中を、浮艇の発する探照灯の光が動き回っている。
地上でも、連絡が入ったのか灯りを手にした兵士の一団が数多く山狩りを行っていた。
光や声、浮艇の騒音を感知する度にそれらを避け、時に大木の裏や茂みに身を隠してやり過ごしつつ、ソーラは少しぬかるんで香しい匂いを発する腐葉土を踏みつつ、ひたすら北西の平原を目指した。
そして、視界は突然開けた。
細い川の対岸に広がる、ヤイダの北面の平原とは比べ物にならぬほどの広大な草原に対し、森はまるでその拡大を自ずから遠慮しているかのごとくぱったりと途切れていた。
背筋に感じた寒気は、冷たい夜風によるものか、はたまたこの先に居る”モノ”への恐れか。
「大丈夫。大丈夫ですから...。」
彼女は右手に力を込めた。甲の紋章が若干の光を発した。
ネルトレイフに乗り、意を決して平原に足を踏み入れると、程なくして金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。
この平原に居る者など、彼女以外には居ないはずであるのに、一体誰が...?
音のする方角は彼女の目指すのと同じ北であったので、彼女は行きがてらその正体を確認しようと思い、駆け出した。
(あれは...魔物の群れと戦っている?)
遙か先、月明かりに白く照らされる靄がかった草原に浮かび上がるように、幾つかの黒い影が見えた。
影の大半は異形の魔物、恐らくはヴォーダールとキアノードの群れであろう。金属の武器を装備しているのは珍しいが。
それらに囲まれているのは、一つの小柄な影であった。
(あの光は...!)
一体のヴォーダールが、青白い閃光によって身体を真っ二つにされた。彼女は、そのような見た目でそのような芸当ができる者を一人しか知らなかった。
即座に腰から短銃を抜き、霊気弾倉を確認してから襲歩で突進。呆気にとられるアルアータをよそに、馬上から3発の霊気弾を発砲。
しかし、疾走する馬上からの射撃は訓練とは全く異なり、戦果は一匹に留まってしまった
「無事ですか!?何故ここに!?」
「それはこちらの台詞で...いえ、先ずはこの魔物どもを!」
馬上からのソーラの呼びかけに、アルアータは言い返す言葉をそこで唐突に切り、残る魔物を睨んだ。
一匹のキアノードが、その長い腕を活かした凶悪な振り下ろしを放ってきた。
アルアータはそれをひらりと躱すが、魔物は身体ごと一回転し、硬い腕で彼女を殴打せんとした。
跳び上がって再びその攻撃を躱し、一閃。魔物の身体は縦に二分割されて崩れ落ちた。
それを確認するや、今度はヴォーダールが二体がかりで彼女を前後から挟み撃ちにしてきた。
「はあっ!!」
それに対し、彼女は斜め前に跳んで包囲から逃れつつ、気合の声とともに前から来ていた一体の剣を持つ右手を斬り落とした。
「グオオオ!!!」
痛みに呻き、魔物は後ずさる。地面は湿っていたので、魔物は派手に足をすべらせて尻餅をついた。その好機を見逃さず、アルアータは光る短剣を魔物の胸の中心に深く突き刺した。
すぐさま身を翻して、向かってきていた二匹目のヴォーダールの喉を、下から突き上げるように裂いた。
ゴポゴポと、裂けた気管から空気が漏れる身の毛のよだつような音を聞きながら、アルアータは血を浴びないように飛び退り、斬心しつつ次なる敵に備えた。
一方その頃、ソーラはネルトレイフで駆け巡りつつ、好機を見つけては短銃の光弾で魔物達の頭を貫き、近くは右手で剣を抜き、直に屠っていった。
身を捻って下からの攻撃を必死に躱しつつ、相手の武器を跳ね上げ、細身の剣で喉元を正確に一突きにしていく。こういう時の正確性は、ペルオシーでの武術の訓練が活きている数少ない場面の一つだと、彼女は感じていた。
最後の一体をネルトレイフに撥ね飛ばしてもらい、彼女はアルアータの方を向いて声を掛けた。
「...大事ありませんか。」
「はい。無事です。して...従者様は、何故ここに...?」
「...。」
どう話すべきか。そもそもアールンの最側近である”ハルムローディ”である筈の彼女が何故こんな荒野に一人で居たのか。
(私を追ってきたわけでは、無さそうですよね...。)
「その、実は―」
「お待ちを。」
アルアータはソーラの言葉を遮り、耳に手を当てた。
「この音...あそこから来るのは、浮艇?」
浮遊機関の駆動音でも聞こえたのだろうか。アルアータが指差した方向、南の森の上空には、こちらへ向かってくる一機の偵察浮艇が見えた。
「あれは...!すみません、ここで失礼します。」
「え、お、お待ちくだされ!これから何処へ!?」
「タナオードに向かいます。貴方は?」
「...!」
驚きに、少女の目が見開かれる。
「...同じにございます、が...。」
「貴女も...!?では、共に参りましょう、早く!」
「お待ちくだされ!」
アルアータは馬を進めようとしたソーラの前に立ち塞がり、厳しい声で諌めた。
「貴女様はこのような場所に居てはいけませぬ!あの浮艇に御身を引き渡させて頂きまする。」
「ッ...!」
背後を振り返れば、小型の浮艇との距離は着々と詰まってきている。
手綱を回して迂回しようとすると、アルアータもその進行方向を塞ぐように移動する。強行突破のために目の前の少女を撥ね飛ばすことは、ソーラには出来なかった。
(どうすれば...!)
アルアータとの睨み合いの中で、ソーラは焦燥のためか口の中に苦みが広がった。
しかし、次の瞬間、背後で轟音がした。
「何事!?」
アルアータの叫びと、ソーラが振り返り、後方すぐ近くまで迫っていた浮艇が橙色の炎を上げながら墜落するのを見たのはほぼ同時であった。
「何...あれ...!?」
彼女は、堕ちていく浮艇に喰らいつく「透明な何か」を見たような気がした。
刹那、再びの轟音と共に草原の向こうで赤黄色と青白色の混じったような爆炎が上がった。
「浮艇が...落ちた...?」
「状況を確認しに行きませぬか。事故ならば、生存者を救助しなければ。」
アルアータの提案は、ソーラにとってもやぶさかではなかった。助け出して恩を売れれば、見逃してくれるかもしれないという打算でしかなかったが。
「分かりました。行きましょう。」
焦げ臭い匂いが強くなってきた。丘の向こうの夜空は、炎に照らされている。
この丘を越えればもう墜落現場だ。
ソーラとアルアータは周囲に注意しつつ、ゆっくりと徒歩で草の斜面を上っていった。
「これは...ひどい。」
丘の頂点から顔だけを出したアルアータは、その先の浮艇のむごたらしい様相を見て思わずそう呟いた。
浮艇の残骸には、まるで巨大な獣に食い破られたかのような大穴が空き、頑丈な金属の骨組みや隔壁はひしゃげ、そこかしこから炎が見え隠れしていた。
本体の周辺には破断した部品が散乱し、地面は抉られ、焼け爛れて異臭を発してた。
「あ、あれは...!」
浮艇本体の影から、一人の兵士が地面を這って姿を現した。下半身が無くなって出血をしているが、それでもギリギリ生きているようだ。
「生存者!行きましょう。」
「ま、待って!!」
丘の陰から出ようとするアルアータを、何か嫌な予感がしたソーラはその袖を引いて引き留めた。
「早く助けなければ――」
「ぎゃあああああああああああああ!!!!???」
アルアータの抗議は、生存兵の悲鳴によってかき消された。
兵の後ろから、青白い半透明の、魚面の怪物が現れた。
その眼は瞳孔が開き切り、なんの感情も読み取れなかった。
魚面の怪物は、怯える兵士を鋸のような歯で咥え上げ、頭を振って天高く跳ね上げた。
半身のみの兵の身体は血を吹き出しながら宙を舞う。怪物は細長い体躯をのたうたせて飛び上がり、それを空中で再びキャッチした。
そして、怪物は地面に降りるかたわら兵士の身体を2,3度咀嚼し、それが発し始めた青白い光の渦を自身の身体に吸収していった。
「あれは...体内の霊気を吸い取っている... !?」
「それは...まさか、あれが...。」
「ええ、恐らくは、”怪異”...この地に伝わる霊気の怪物そのものでしょう。」
その時、”怪異”の虚ろな目が、二人に向いた。
そこからの”怪異”の動きは速かった。身を左右にくねらせて2人の居る丘まで即座に肉薄する。その目はまるで、新たな”獲物”を見つけたような鈍い光を放っているように感じられた。
「ッ!!!」
既のところでソーラは光の壁を展開して怪異の攻撃を防いだが...。
「早ッ...!?」
怪異の常軌を逸した力により、桃色の光壁には体感では10秒も経たないうちに大きなヒビが入り始めた。
「はああああ!!!」
その脇からアルアータ飛び出し、青白く光る短剣で怪異の側面、魚で言えばエラに当たる位置を切りつけた。
その一撃は幾分か効果があったようで、怪異は光壁への攻撃を停止したが、逆に言えばそれだけであった。
「断ち切れない...!?」
アルアータは自らの能力を鼻に掛ける質ではないが、それでも今までどんな物でも貫いてきたこの”光の刃”をたのむ気持ちが無いわけではなかった。
それがどうだ。断頭を狙った渾身の一撃は、怪異の「エラ」に若干の細長い窪みを残すのみ。それは彼女を恐れ慄かせるには十分すぎた。
「そんな...嘘...。」
「ならば、これなら...!」
ソーラもそれを見て、自分の短銃を左手で抜いて片手で撃ってみるが、同様に効果は微々たるものであった。
「ッ...!!」
ソーラは歯を食いしばり、光壁を展開しつつ頭上に幾つかの「光槍」を生成した。
先の攻城戦の時の鎖ほどではないが、これも彼女にかかる負担は決して小さくはなかった。
動悸と気だるさに耐えながら、ソーラはその槍を壁の向こうの”怪異”に向かって投射した。
光の槍は一目散に飛んでいき、怪異はそれらを身をくねらせて避けようとするも、幾つかは避けきれずに命中した。
光槍は霊気の体躯の奥深くまで侵入し、そこで霧散した。
「やった...!」
怪異は口を若干開けた。どうやら確かな痛みを感じていたようで、魚面は怒りに荒ぶりながら再び光壁に向かってきた。
「くっ...まだまだ...です!!!」
次に、ソーラは攻城戦のときよりも少し短いが、両端に返し付きの「杭」を付けた鎖を2つ、光の壁を攻撃する怪異の頭上に生み出した。
高負荷に彼女の視界は闇に包まれかけるが、彼女はなんとか踏みとどまった。
「はあっ!!!!」
ドシャン、ドシャン。
掲げていた右手を振り下ろすと、二組の光鎖と光杭は音を立てて丘の地面に突き刺さり、怪異の動きを封じた。怪異は拘束から逃れようと身をのたうたせ、鎖はぎちぎちという音を立てた。
「今です!!!一度では断ち切れずとも、数をこなせば!!!!」
ソーラはそれを確認すると、それまで呆然としていたアルアータに叫んだ。
それを受けて少女は我に返り、短剣を握り直して荒れた草の斜面を蹴って怪異に向かっていった。
「おらっ...このっ...!!!」
刃を握る手に力を込め、光を曳きながら右からの横薙ぎ、返す刀でもう一閃、更に大上段からの振り下ろし、そして下からの突き上げ。
アルアータは一心不乱に、鎖で地面に縫い付けられた怪異の腹に一撃を放っていく。
普通の魔物や人間なら、既にその原型など想像もつかないほどバラバラになっている程の激しい攻撃であるが、怪異の半透明の身体は深い傷こそ入れども未だその形状をしっかりと保っていた。
これでは、まるで通常の攻撃を獣や魔物に当てているみたいではないか。いや、自分のこの能力が、この化物に対する”通常攻撃”なのか...?
「こちらへ!!!」
ソーラの声に反応し、アルアータは光壁の後ろに退避した。
その刹那、鎖が弾け飛び、怪異は再び自由になった。
細長い魚のような見た目の怪異は尾をうねらせ、壁の側面に回り込もうとした。
ソーラは必死に光の壁をそちら側にも展開するが、それはフェイントであった。
怪異は丘の天辺に身体を打ち付け、空高く飛んだ。
正面が駄目なら上。合理的な判断である。
ソーラはアルアータを蹴って突き飛ばし、自身も間一髪の所で頭上から迫ってきた鋸歯から逃れ、即座に先の「光槍」を二本形成して、それらを着地の隙の生まれた怪異に打ち込んだ。
怪異は体勢を立て直してソーラに突撃するが、それは光の壁に阻まれる。
そして、壁に激突して動きを止めた僅かな瞬間にねじ込むように、アルアータが青白い剣撃を2,3加え、即座に飛び退っていった。
(効いてきている...のでしょうか?)
動きの鈍くなってきた怪異を見てソーラは寸分安堵したが、同時に力不足も感じていた。
決定打が撃てないのだ。アルアータの剣撃の威力にも、ソーラの右手の能力で生成できる攻撃手段にも限りがある。
このまま殴り続ければ、いつかは勝てるかもしれない。しかし、持久戦に持ち込まれれば不利なのはこちらだ。
ソーラはそこで、一つ息をついた。
いや、決定打が撃てないのではない。撃つ勇気が無いのだ。
この右手の能力の”創造性”は、無限だ。
身体への負荷を度外視すれば、どんなものでも作り出せると、彼女は信じていた。
だが、それは文字通り身命を賭した大いなる博打である。
しかし、撃たねば負ける。
先の兵士のように咥え上げられ、弄ばれた末に霊気を吸い取られる自らを想像すると、それまで彼女の中に無かった「覚悟」が湧いてくるような気がした。
怪異の攻撃を壁で防ぎ、アルアータを光壁の中に下がらせる。
そして彼女は息を呑み、目をいからせ、右手に一段と力を込めた。
先ず生み出したのは、先程と同様の杭の付いた鎖。
それらで怪異の身体を拘束するが、怪異はもうこの手は通用しないと、身体を大きくくねらせて拘束具を瞬く間に摩耗させていく。
しかし、これで終わりではない。
襲い来る頭痛に耐えながら彼女が生み出したのは、一つの巨大な槍であった。
長さも太さも、怪異と同程度はあった。
目の前で銅鐘が打ち鳴らされているかの如く、頭痛が眉間にがあんがあんと響く。
ソーラが震える右手を振り下ろすと、鋭い穂先が怪異に向かって一直線に攻めかかった。
それに対し、怪異は身体を融解させ、ドロドロの霊気体を四方八方に広げる。その姿は夜空に咲く青白色の花のようであった。
怪異の”花”は、その蕾を閉じるように大槍を包み込んだ。
「ならば...これで!!!!!!」
ソーラはそう叫び、頭の中でこう念じた。
弾けろ。
エイローアの火砲や、サンダの戦闘艇の砲撃に抉られた地面のように。
力を解放し、飛び散り、周囲を切り裂け。
それはもはや、形状のイメージですら無かった。具体的な手順などは何も規定されていなかった。
しかし、その無茶振りにも右手の能力は応えてくれた。
槍は桃色の光を一段と強くし、巨大な怪異の体内で膨れ上がった。そして、瞬間的に収縮した。否、圧縮された。
そして、夜空を覆い尽くさんばかりの怪異の半透明の霊体の中心で、小さな光の球は一瞬きらめき、内包した荒ぶる力を解き放った。
ソーラとアルアータの視界は一瞬にしてまばゆい白い光に包まれ、何が起きているのかを把握することは不可能であった。
世界が心地よい暗がりを取り戻してくると、彼女らは恐る恐る目を開けて、眼前に霧散する青白い霊気を見た。
もはや恐ろしい「捕食者」の姿はどこにもなく、大平原の中に2人はポツンと取り残されていた。
「勝っ...た...?」
ソーラは呆然と風に吹かれ、掠れ声で呟いた。
「ええ、ええ!やりましたぞ!」
彼女の背後から、アルアータが彼女の背を支えるように手を触れつつ、励ますようにそう言った。
「無事ですね...良かった...。」
「私めは大丈夫ですから、お気を確かに...!」
アルアータの手から離れ、ソーラはその場の草の上に腰を下ろした。仄かに焦げ臭さも感じるが、それでも冬の冷たい夜風に吹かれつつゆっくりと深呼吸していると、徐々に頭痛は引いていった。
この怪異は魔物とは無関係であり、いわば遥か太古の昔から存在していた、人間にとっての「天敵」のような存在です。
東エーダ平原のそれは一般的かつ低級な個体ですが、上位の個体には一定の知性を持ち、意思疎通が可能な者も存在します。
それが人間の味方であるなどという保証はありませんが。




