35 衝突
目を開けると、灰色の石材の天井がいっぱいに広がった視界の端に、燭台の炎がひとつ、踊っていた。
「お目覚めになりましたか。」
聞き慣れた声にソーラが身を起こそうとすると、頭に鋭い痛みが走った。
呻きながら脱力する彼女の背を、少しひんやりとした手が支えた。
「ご無理なさるな。私はここに居ります。」
そう言って、再び仰向けになった彼女の視界にアルアータの顔が現れた。
「...戦は...?」
「勝利でございます。」
「そう...ですか。被害のほどは...?」
「...死者は3千人に届くかというところ。地上部隊の被害が大半を占めているようです。負傷者を含めれば、軍全体の半数ほどが...。」
劇的な勝利とは言えない。しかし、城攻めならばこの規模の被害は御の字なのだろうか。
「...アールンさんは...今、何を...?」
「殿下は、今は...。」
そこで、アルアータは躊躇うように口をつぐんだ。
「無理して言わなくてもいいですよ...彼も忙しいでしょうから、私達は、私達のすべきことを。」
既に陽は落ち青と黒の入り乱れたような空の下、ヤイダ要塞のセランの上の屋外では数多の大きな焚き火が焚かれ、それを銃を抱え防寒布に包まった兵士達が幾重にも取り囲んでいた。
下士官や兵、軍属のための「暖かい部屋」は台郭内部に存在する。
しかし、先の戦ではその内部でも激戦が行われたため、死体を片付けても悪臭はしぶとくこびりつき、とても休まれるような環境ではない。
アールンやソーラ、諸軍団の長など高位の者達には、要塞の楼閣内に辛うじて暖かい部屋が準備できたが、流石に軍全員分の部屋の掃除を昼の内に終わらせるのは無理があったのだ。
そして、そのような劣悪な環境で一晩過ごすよりはと、せめて新鮮な空気の満ちる屋外を選ぶものが多くいたのだが、そうはいってもやはり外は寒い。そのため、兵士達は少しでも暖を取ろうと炎を取り囲んで布にくるまり身を寄せ合っているのだった。
「トレイウルです。」
その中を、防寒着を着込んだソーラが握り飯が満載の盆を持って歩き回っていた。
「じゅっ従者様!?」
「一つ...一つ頂けますか!」
「お、俺にも!!」
兵士達は、この場に出てきそうもない人物の唐突な登場に驚くが、それはそれとして腹は減っているらしい。彼らがただ手を出してくるだけで、握り飯を求めてこちらに殺到しないのは幸いであった。
「はいはい。一人一つですよ〜。」
「ほふほふ、中は魚の塩焼きか。」
「俺ァ握り飯のネタは塩辛のほうが好きなんだがなぁ。」
「これだって十分塩っぱいだろ。」
「ったくこの馬鹿舌め、お前が味付けとんでもなく塩っぱくしねえと文句言うって、嫁さんぼやいてたぞ。」
「ははは...。」
兵士達の会話を聞きながらソーラが握り飯を配って回っていると、ふと後ろから肩を軽く叩かれた。
「ん、どうかしまし...た?」
振り返ると、そこには先の戦ぶりのヴェラードの姿があった。
厚い防寒衣を纏ったこの男は、一回りほど大きく見えた。
「戦で倒れたばっかだってのに兵達に飯配って回ってるたぁ、驚いたな。上の暖かい所に居ればいいのに。」
「...自分だけ何もしないというのも、悪い気がしまして。」
加えて、何もしていないと自然と嫌なことを考えて、気分が塞いでしまうというのもあるが。
彼女の返答を聞いたヴェラードは、表情を険しくして彼女にこう切り出した。
「...あとで、大事な話がある。南の物見櫓跡まで来てくれ。」
「話...?」
困惑する彼女を置いて、ヴェラードは何処かに歩いていってしまった。
「従者様にまで手ェ出すたぁ、さすがは我らが”エンナーディ”だなぁ。」
「従者様、気をつけるんですぜ。あの人手も早いが乗り換えるのも早いから、なんてな!はっはっは!」
「おい...不敬になっても知らないからな...。」
あの男の声色からすれば、浮いた話ではないだろうが、一体何を話そうとしているのか彼女には分からず、取り敢えず四半時(15分)ほど掛けて盆の握り飯を配り終えてしまった後、彼女は帯剣して一人、南の物見櫓跡まで歩いていった。
二棟の巨大な武器倉庫の間を抜けると、闇に包まれた黒い塊が見えてきた。
脅威と判断されたことで、攻城戦の折に強襲部隊に先行した偵察小型浮艇によって火が放たれ、見るも無惨な姿と成り果てた木造の物見櫓の残骸の横、篝火の隣で城壁の縁の欄干にもたれかかっていたヴェラードは、ソーラの姿を認めると意外そうに少し眉を上げた。
「繊細そうに見えて、意外と豪胆な所もあるんだな。こんな暗くて人気のないところに呼び出されて、護衛の一つも無しとは。」
「いざとなれば、これがありますし。それに貴方はそのような方ではない...という信用が故ですよ?」
剣の柄を叩きながら口だけで笑った彼女に、ヴェラードは肩をすくめた。
「愛想笑いでもそれたぁ、あの王子様がイチコロなわけだ。で、どうなんだ。最近あの人とは。」
「...それを話すために呼び出したのですか。」
本題を切り出さず、逆に彼女の問われたくない話題を出してきたヴェラードに、彼女は若干の苛立ちを込めてそう問い返した。
「いや...あいつに近いあんたに、緊急で頼みたいことがあるんだ。」
「頼みたいこと...?」
「そうだ。単刀直入に言えば、あいつにヤイダからの撤兵を進言して欲しい。」
その求めに、ソーラの中にふつふつと怒りが湧き上がってきた。
「...今更ですか。散々出兵を主張し、私やアールンさんを困らせ、挙句の果てに反乱まで起こし...!」
そして、彼をあのような状態にまで至らせた原因である貴方達が。
どの口が、今更撤兵など求めるのか。
彼女の地雷を踏んだことを察したのか、ヴェラードは目を見開いて首を竦め、申し訳なさそうな顔をした。
「兵を引きたいなら、貴方達が自分で彼に頭を下げたら良いでしょう。我儘を言ってすまなかったと。」
「...確かに、出兵は俺達”主戦派”全員の責任だ。だが...おそらくあいつ...殿下は、もう俺達の声には耳を貸さんだろう。俺達には殿下を裏切ってきた過去があるからな。でも、だからって兵をここに駐屯させておくことも出来ない理由があるんだ。」
「理由?」
怪訝そうに尋ねるソーラに、ヴェラードは懐から『軍糧目録』と題された一冊の本を出した。
「今、この遠征軍は慢性的な食糧不足に陥っている。ここに居る3万幾らかの軍を継続的に食わせられるだけの兵糧となると、本土との往還輸送浮艇だけじゃとても消費量に間に合わないんだ。生産力でも、街の人口の四割が出張ってきてるって考えれば、ガタが来るのは火を見るより明らかだろ。」
ヴェラードは本を閉じて再び懐にしまった。
「普段は屯田兵的に軍団兵も労働力として使えるんだが、ここで胡座をかいてるだけの4万弱を食わせていけるだけの力は、ハニスカには無かったんだ。このままじゃ、今は昼夜で配給されてる握り飯もいずれどっちか一度きりになり、最終的には食えるもんが無くなっちまう。」
「そんなの...だったら鼻から征戦なんて無理じゃないですか!!!!なのに...!?」
「すまねえ。まさか、募兵がこんなに多いなんて、思わなかったんだ。」
「募兵...?」
「当初の計画では、多く見積もっても臨時の支援要員は多くても7千居れば十分、戦が終われば大部分は帰すとされてたんだが...それが、『敵前では大人数で迅速に陣地を造らねばならない。』っていう、他でもない殿下の助言があって、倍の規模にまで拡大されたんだ。確かに陣地建設の速度とかは向上していたが、それだけだ。今じゃそれも必要が無くなったってのに、未だ募兵は一人も欠けずにこの軍にぶら下がって、糧食を消費し続けている。」
「彼が、そのような指示を...?」
それでは、まるでアールンが意図的に食糧の消費量を増やさせたみたいではないか。
ソーラは薄ら寒いものを感じ、ヴェラードに向かって頷いた。
「...分かりました。彼に会ってきましょう。」
「有り難い。」
その翌日、要塞で最も大きな楼閣に入り、全面石造りの冷たい廊下を通ってアールンの部屋の前まで来ると、その扉を守っていた二人の衛兵に止められた。
訪問の許可を求めると、兵士の片方が扉を若干開けて中にその旨を伝言し、返答を持ってくる。
「暫し、お待ち下さい。」
そして、彼女は1分ほど扉の前で待たされた。近頃は、部屋に入るだけでも毎回これである。
「どうぞ、お入り下さい。」
衛兵が扉を押し開けつつ脇にどき、彼女はやっと執務室へ入ることが出来た。
「身体は大丈夫なのか。戦で負傷したと聞いた。」
アールンは、部屋の中に設えられた執務卓に頬杖をついて、手元の何かの資料を眺めながら片手間に彼女にそう声を掛けてきた。
その目に光はなく、心ここに在らざるかのような雰囲気を醸していた。
「ええ。もう元気です。」
「そうか。で、何の用だ。」
アールンの問いに、ソーラは意を決して話しだした。
「現下の補給状況を鑑みるに、このヤイダから兵を引くべきであると考えます。せめて、臨時徴募兵だけでもハニスカに帰すべきかと。」
その言葉を受けてもアールンは眉一つ動かさず、手元の資料を一枚めくった。少し前までは文字も満足に読めなかった彼なだけに、今文字のびっしり入った資料に目を通す彼はまるで別人のようであった。
いっそのこと別人であったらどれほど良かったか。
重苦しい沈黙を挟み、アールンは徐ろに口を開いた。
「...まあ、遠からず募兵は帰すべきであろうな。しかし、まだやることは沢山ある。味方の死体の埋葬や、敵の死体の処理、要塞の防御設備の復旧に、近隣の哨戒任務も。どれも人手が必要なものばかりだ。」
「遠からずではなく、今すぐにです。このままでは、城内の者が皆飢えてしまうんですよ!?」
「そうならないための方策も考えている。あんたは黙って見ていろ。」
「なっ...!?」
あまりにも乱暴なアールンの言葉に、ソーラは思わず顔を顰めて声を上げた。
「いい加減にして下さい。いつまで現状も満足に把握できない阿呆共の肩を持つんですか!?貴方の使命は徒に戦を煽ることでしたか!?」
その叫びに、アールンは初めて表情を硬化させた。
「...俺はあんたの望みどおりに動く操り人形じゃない。俺の使命は、タナオードとハニスカとを合一すること。そのために、必要だと思ったことは何だってやる。たとえ、それがあんた等の望ましくない方向だったとしてもな。」
アールンは持っていた紙束を机の上に置き、立ち上がって背後の大窓に目を向けた。
それに対し、ソーラは俯いたまま、拳を握りしめて声を絞り出した。
「あの叛徒共に言われたことを、まだ気にしているんですか。」
アールンは振り返った。その目には少しの驚きと、本音を言い当てられたことへの不快感と警戒の色が浮かんでいた。
「ヤートルさんにお願いして調べてもらったんです。ハニスカでは、エーダに、”魔”に繋がりのある者達が暗躍していた。あの反乱事件も、私の外出のきっかけの一つである頭布の贈り物も、それ以前にハニスカの反タナオード感情も!全ての裏にはその者達が潜んでいた...!それで貴方が変わってしまったら、それは既に、統一の機運を挫こうとする彼らの思う壺なんですよ...!」
ソーラは必死に訴えるが、アールンは表情を緩めない。
「その”者達”に、あんたが入っていないとどうして言える?」
「私が!?」
彼女は絶望感のためか、足に力が上手く入らなくなった。漆黒の髪を震わせながら、それでも尚僅かな可能性に縋る。
「何故そんな事を言うんですか!?先の戦いでは、私だって前線で魔物と戦ったんですよ!?」
「分かった。あんたとエーダの繋がりはないとしよう。だが、それはあんたが俺の味方であることの証明にはならない。」
「は...?」
「大悪たる魔の敵が常に正義の者とは限らん、嘗ての中央朝廷がいい例だろう。そもそも正義と悪に二分できるのはお伽話の中だけだ。だから、俺はその理由だけであんたを信用しはしない。むしろ、諸事の原因を”魔”だけに帰そうとしてるあんたが怪しくすら思える。」
「私は...ッ!」
食い下がろうとするソーラを手で制し、アールンは言葉を継いでいく。
「心配するな。王たる者は清濁を併せ呑まなければならん。信用を置けないからと言って、何もすぐに処刑したりするわけじゃない。ただ、俺は”王”になるために、変わることにしたんだ。......恨むなよ。」
最後の一言は、彼の本心の一瞬の発露のように、ソーラには感じられた。
「...では、撤兵はなさらぬおつもりなんですね。」
「そうだ。」
「...では、失礼します。」
そう言って、彼女は部屋から出ていこうとしたが、扉の前まで来たところでふと立ち止まり、執務卓に再度腰を下ろしたアールンを振り返った。
その両の目元は赤くなり、目尻からは一筋の光の痕があった。
「私は、まだ貴方のことを信じていますから。」
そう言い残し、彼女は執務室の黒木の扉を押し開け、出ていった。
ドンッ
誰も居なくなった昼前の執務室の中で、アールンは卓を叩いた。
これは必要な犠牲なんだ。払う覚悟を持て。持たねばこの世界に飲み込まれるぞ。
幾ら自分に言い聞かせ押さえつけても、心の奥底には抵抗するもう一人の”アールン”が居た。
これで良いのか。これは正しい選択なのか。
心の中のもう一人の彼は、常にそう問い返してくる。
情に動かされてはならない。狡猾さと勇猛さを併せ持ち、鉄の理性で大局的に最善の選択を行うのが”王”の理想形だと、彼は信じていた。
だが、それの正しさを、自分の正気を保証してくれる者など存在しないのもまた事実であった。
そして、それに最も近いと思われる者に、今さっき、彼はとんでもない言をぶつけてしまったのだ。
それは、間違っていたような気がした。
否、間違っていると思いたかった。しかし、間違いだと言うこともまた彼には出来なかった。
仮にそれが正解だったとしたら、王というのはなんと物寂しい運命なのだろう。堂々巡りの思考の中で、彼は未来への暗鬱たる気持ちとともに、そう独り言ちた。
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