29 気分転換
「それで、これはどういう事だ?」
アールンは苛立った声で、右手の紙の束を目の前の小男...農業部部長のミラク=アシャラーンに示しながらそう尋問した。
紙には、農業部の生産場に潜入させたアルアータから上がってきた、奴隷の使用に関する報告が書かれていた。
「こっちは何度も何度も禁令と解放令を出してるんだ。それなのに、この昨日付けの報告書にすら”ヌアチャルテ奴隷”の使用がしっかり確認されてんだが、これは一体何だ?」
アールン達がハニスカ入りしてからまず最初に取り掛かったのは、奴隷制の廃止であった。
しかし、アールンは奴隷の禁令こそ出したものの、ヌアチャルテ達を解放して故郷に帰せとまでは命じなかった。
ハニスカのサンダ人労働力だけでは、この十万都市が到底回らないというのも、アールンには理解できた。
そこで彼は、奴隷を庶人に格上げしたうえで当面の衣食住を保障し、使用するならばきちんと適正な給与を払え...という旨の「解放令」を発令したのだ。
「確かにサンダ人債務奴隷の使用は止めてるようだが...それでほとぼりが冷めるまで待つつもりか?」
「しかし...いきなり庶子に格上げして給与を払うというのは...財政面で些か厳しいものが...。」
「そのための”ムーデウロムヴァーン”だろ。”サーグワーン”の改定で得られた増収分も追加でそちらに回しているんだが。」
ミラクが汗を拭きながらそう言うのに、アールンはすかさず反論した。
”墾田令”とは、アールン達の考えた奴隷解放政策の二本目の柱である。
まず農業部が公有していた田畑を一部切り取り、それらと農作業具を新たに庶人となった元奴隷に利息付きで貸与し、当面の間そこで、農業部の監督下で耕作をさせる。
これだけでは元奴隷達は結局債務奴隷のままになりかねないが、墾田令のミソはここからだ。
今は農閑期。土地と道具を貰っても時機がズレているため、仕事はあまりない。そこで、アールンは解放奴隷達に別の働き口を提示した。
新田開発である。
しかも、あくまで公が指定するのは開発の広さと区画割だけで、実作業は農業部の指導を受けた解放奴隷達に一任し、給金だけ支払った。
解放奴隷達は区割から自分の場所を選んでそこの開墾に励むことになるわけだが、極めつけはそうして開拓された田畑が月賦も何も無い、その奴隷たちの個人所有物―永業田になるということだ。
その対象は何も解放奴隷だけに限られず、ハニスカ市街地から出てきたサンダ人労働者にも同様に適用された。
アールンはこの施策によって農業労働人口そのものの増加、奴隷に頼らない健全な食糧生産を狙ったのだった。
また、彼は徴税の方式を一部改めた。
今までは、租税の徴収と人々の収入は完全に分別され、納税の義務は個人にあった。
しかも、税額は収入によらず一律であったため、高位の者からは期待値よりもかなり低くしか徴収できていないのが実態であった。
彼はそれを、まずは「部」つまり公共事業に携わる元奴隷も含めた公に勤める人々に限り、定率の給金天引き、つまり累進課税方式に変更するよう、サーグワーンを改定した。
そうすれば、租税が賦課されない奴隷を大量に抱えるよりも、”自由民”からの税収の増加が見込まれる。
ディエルの第二軍団や資源管理部の第七軍団の実力を以て納税監査も徹底したこともあり、秋の税収はそれまでの倍に伸び、アールンはその増収を奴隷解放で出費が増す農業部や、鉱業を司る資源管理部などへの補償に回していた。
ハニスカに着いてからというもの、ソーラやラディン、アルアータ、旧体制を知るゲルトやディエル、ヤートルを交えて皆で頭を捻り、ようやく纏まった政策であるだけに、それに従ったうえで意見苦情を言うならまだしも、黙殺されてしまっているらしいというのは、彼を大いに苛立たせていた。
「...もういい。あんまり禁令を無視するようだと、関係者の追捕も考えるからな。」
こんなにも態度の悪い発言を自分がするとは思わなかった。
額の汗を小布で拭いながら一礼して執務室から出ていったミラクをよそに、アールンは窓辺の小上がりにどっかりと腰を下ろし、大きなため息をついた。
最近目に掛かるようになってきた前髪を乱暴にかきあげ、彼は窓の外を眺め物思いに沈んだ。
一体何が気に入らないのだろう。
短期的に見れば多大な出費を強いられてしまうことが、そんなにも嫌なのだろうか?
或いは、彼が今与えられるものだけでは満足できないのだろうか?
もしもそうならば、彼にはいよいよ打つ手は無くなる。彼にはこのハニスカでどうにか捻出できるもの以外に、与えられる物などないのだから。
(タナオードとの仲介の件も、全然進んでねえし...。)
奴隷の禁令は、その問題に比べればずっと些細なことであった。
特に厄介なのが、例の第一軍団の”ツェレシャーダイン”、マイエン=オルケールである。
下馬評通りの強硬姿勢は、アールンを前にしても一向に崩れることがなかった。
アールンには”サンダの”王族に対するものとして一応の礼節を保っているものの、タナオードを「外夷」と呼んで憚らず、彼はいよいよ抜剣しそうになるアルアータを抑えるので精一杯であった。
(あれを説得して、更には皆でケルパ殺したことをタナオードに謝るなんて、逆立ちしたまま硬貨投げて足の爪先に乗せるほうが簡単だろ。)
窓辺に寄り掛かりながら足の爪先をくいくいと動かし、その様子をぼーっと眺めていると、執務室の締め切られた引違い戸が唐突に叩かれた。
「紅玉の従者様がお越しです。」
「ん、はいはい、どうぞ。」
外の衛兵の言葉に空返事でそう返すと、ソーラが扉を静かに開けて中に入ってきた。
手には、謎の布束を抱えている。
「お疲れですね。」
「そりゃそうだ。あの農業部長、やっぱりしらばっくれて来やがった。そろそろ実力行使も視野に入れなきゃだな...。」
「...煮詰まっちゃってるなら、ちょっと気分転換しません?」
「気分転換?」
すると、ソーラは手にした布の束を床に置き、その半分ほどを取って広げ、頭に被った。
サンダの旅用長衣についている被りのような口の広いものとは違い、顔や頭をしっかりと包み込むので、それを纏うソーラは随分雰囲気が異なって見えた。
「なんだそれ。」
「”ネイゼール”産の被り物らしいんですけど、これ丁度いい具合に顔が隠れるんですよ。アールンさんのもありますよ?」
「はあ...それはそれは...。」
「で、はいここで問題です!私達みたいなのが顔を隠してやることと言えば?」
「ええ?うーん...収賄?」
「違いますよ。もう...お忍びですよ!お忍び!」
工業施設の隙間を埋めるように造られたハニスカの街では、表通りと言えども幅はかなり狭く、タナオードのタルクームの十分の一、エーダの表通りの三分の一程しか無いように思えた。
それでも交通量だけは多く、道を歩けば、宙に浮く台車や道行く人とぶつかりかけるのは必至である。
「なあ...これ本当に大丈夫なのか...?えーと、セルカ?」
「ふふん...一度やってみたかったんです。ルインさん。」
そんな中を、西域風の被り物を頭に巻いたアールンとソーラはそう話しながら歩いていた。
(偽名まで使うとはなぁ...。)
民の前でいきなりアールン、ソーラと呼び合ってはとんでもないことになると言って、ここに来るまでにソーラは2人の偽名まで作っていた。
「私は、そうですね...”セルカ”にします!」
「はあ...珍しい名前だな。何と言うか、響きがエイローアの女の子みたいだ。」
「『カ』で終わるの可愛いですよね〜。一度名乗ってみたかったんですよ。アールンさんも考えましょうか?」
「ふーむ。頼んだ。」
ソーラの提案に、アールンは暫し悩んでいい感じの名前が思いつかなかったので、彼女に丸投げすることにした。
「じゃあ...”ルーウィン”っていうのはどうです?」
「へえ、『真っ直ぐに育つ』か...。まあ、ありそうか。」
その後、衛兵の目を盗んで政務部の大廈から抜け出し、2人はハニスカの「大通り」を、とある場所を目指して進んでいった。
「あ、この辻を曲がればもうすぐ”学院”ですよ。」
石段を降りていき、巨大な角灯様の飾りを看板に掲げた店が面した四つ辻を右に曲がって暫く行くと、向かって左側に大きな二階建ての白い石造りの建物が現れた。
前庭に続く小さいが立派な門の右の柱には、「マルーム・ハニスカ」の札が掛けられている。
「これ、一般人でも入れたんだっけ。」
「確か、見学は大丈夫にしてたはずですけど...。」
恐る恐る入ってみると、前庭で球を投げて遊ぶヌアチャルテの子供たちの姿が目に入ってきた。
歳は、どの子供も10に達するかというところ。服はサンダの子供のものを纏っている。
大自然の中で育っただけのことはあり、彼らはサンダの大人顔負けの身体能力・反射神経で暴投された球すらも軽々とキャッチしていた。
「まさか、あんな小さい子達まで連れてこられてたとはなぁ...。」
アールンは哀れみを込めてそう呟いた。
ここは、奴隷としてこの街で働かされていたヌアチャルテの少年少女達を引き取り、養育しながらサンダ語、サンダ文字など、社会で生きていくための基礎的な能力を磨いていくための場所だ。
「貴方が、自分も世話人として参加するなんて言い出した時は驚きましたよ。」
「まあ…今のこの忙しさを考えると、流石に無理があったな。」
もうお察しかもしれないが、これは嘗てアールンが勤めていたガーテローの孤児院を基にした考えである。
親から引き離されて遠くハニスカまで連れてこられたこの子供たちの身寄りのなさが、コアル達ガーテローの孤児たちと重なり、彼は居ても立っても居られなくなったのだ。
(第六軍団の兵舎が、こんな所で役に立つとはなぁ。)
この建物、今は子供たちの宿舎兼教室となっている二階建ての建物は、もとは奴隷交易を行っていた第六軍団レンルーンの兵舎である。
しかし、「直系王族に刃を向けた」第六軍団は廃止され、兵士達は反逆罪スレスレのところを罪一等を減じられて謹慎処分の上他軍団に分割吸収されたのだった。
そうして空き家となった兵舎が嘗ての奴隷の子供たちの養育の場となったというのは、運命も皮肉なものである。
やがて、子供たちは入口付近で様子を見守っていた2人に気づき、遠慮がちに近づいてきた。まだ奴隷だった頃の思考回路が抜けきっていないらしく、どうしてもサンダ人に対して気後れしているようだ。
「...やあ、こんにちは。」
その様子を痛々しく思いながらも、アールンはふっと笑顔で挨拶した。
「...コンニチハ。」
片言のサンダ語で、子供たちは挨拶を返してきた。
「ここの生活は、どうだい?」
「...タノシイ。デモ、オボエルコト、オオイ、ムズカシイ。」
「センセイ、オニ!」
「ははは...でも、ここで先生に教えてもらうものは、将来役に立つものばかりだ。頑張るんだぞ?」
手近に居た男の子の坊主頭を撫でながら、アールンは笑ってゆっくりとそう言った。
子供達と別れて、2人は回廊を通って学院の奥へ進んだ。
室内では、多くの子供達の前でサンダ人の教師が壇上で講義を行い...それをヌアチャルテの言葉に訳しているのは例の元奴隷商、オルレンであった。
子供たちは時にオルレンに口答えをして、その度に彼の頭を抱えさせていた。
今は文字の授業なようで、文字の練習に移って暇になったと思われるオルレンが、その細目を外から覗いている2人に向けた。
アールンが軽く被り物をめくると、男は慌てて外に出てきた。
「殿下!」
「しっ...今日は非公式の訪問だから...。ヌアチャルテの言葉を操れるってことで抜擢したんだが、受け入れられてるようで良かったよ。」
アールンが、廃棄間際の文書や記録の裏に文字を練習している子供たちを見ながら穏やかにそう言うと、オルレンも苦笑した。
「いやはや...彼らには無限の体力があるようですからね...ナリャンの野郎なんかは二日目で音を上げちまいましたよ。まあ、あいつも今では慣れたようで、よく肩車をしてやって遊んでいますが。」
「ははは、ちっちゃい子なんてのはそんなもんよ。」
そして、アールンはソーラの方を向いて、
「な?やっぱり生かしといて正解だったろ。」と勝ち誇ったような表情で言った。
「まあ、そうですね。」
「あっ、従者様もご一緒で...。」
この男は、まだソーラに対して苦手意識を持っているようだ。まあ、一度は激怒して自らの処刑を望んだ人物であるから、それも無理もないだろう。
「何か、不足してるものは無いか?その...教師の数以外で。」
「それを真っ先に言おうと思ってたんですがね。」
そもそもサンダの”マルーム”、教育の場というのは教師一人につき二三人、多くて四五人の教え子がつく少数指導が普通であるのだが、そもそもハニスカには師になり得る人物が少ない。
頭が良いだけでは教師というものは務まらないものだ。
加えて、そうした人物は基本的に、サンダ人の子供たちを教育する地元の個人塾を経営しているのが殆どで、わざわざこの新しい、しかも文字はおろか言葉すらも満足に通じない子供たちを教えるために名乗りを上げる者は僅かであった。
そんなわけで、ここでは教師一人が受け持つ子供の数は20人以上に上るという、それまでの常識では考えられないほどの多人数制を敷いているのだった。
「まあ、給金もそれなりに出してるはずだからさ、ここは耐えてくれ。」
「ま、一応軌道には乗ってきたんでね。何とかしてみせますよ。」
「それは頼もしいな。さて、邪魔も程々に、そろそろ出発しようか。」
「これからは、どちらに?」
「...決まってないんだが、適当に街を巡ってみるつもりだ。」
すると、オルレンは小走りで前庭に出て太陽の位置を確認した。
そして、南南西からの陽の光を浴びた後、戻ってくるなり彼はこう提案した。
「もうすぐ昼餉の時間のようですが、外でお召し上がりになるのなら、このあたりだと”半月亭”がおすすめですよ。」
「ほう?」
「”半月亭”...?」
聞き慣れない店名にアールンとソーラが聞き返すと、オルレンは惚けた表情で答えた。
「ええ。あそこのタルサ(根菜類を肉で包んで焼き目をつけ、甘辛いタレを付けた料理)は本当に絶品でねぇ。私らも勤務が終わった後の酒盛りは大抵そこと決まってます。あー...駄目駄目。思い出すと腹が...おお...。」
「へえ...覚えとくよ。」
半月亭の場所を示した近隣の地図を貰った2人は、それでもまだ昼までは少し時間があるということで付近を散策することにした。
「ルーウィンさんって、本当に子供が好きなんですね。」
歩きながらふと、ソーラが呟いた。やはり偽名で呼ばれるのは慣れないものだ。
「そ...そうだな。」
ハニスカの盆地に流れ込む水を排水するための水路に架かった大橋に近づきながら、アールンは取り敢えずそう返した。
「え、気持ち悪かったか?」
「いえいえ、いいと思います。子供は未来の人材ですから、統治者として慈しむのは当然のことです。」
「そこまでは、考えてねえんだけどな...。」
その時、アールンは橋の中程の欄干にもたれかかって話している、黒い羽織の人物と使い走りのような格好の少年に注目した。
「あの服...霊学者か?」
黒い羽織の人物...黒く長い髪はソーラのそれとは似ても似つかないほどボサボサであるが、どうやらその人物は女性のようであった。
女性は結構な大声量で話していたので、少し近づいただけで話の内容は丸聞こえであった。
「でさ??あんのクソ男、挙句の果てに私の髪指して、”シャクシャ”みたいだって言ってきたんだよ??マジで酷くない??これに関してはどうしようもない生来の髪質なのにさ?ねえマジで傷ついたんだけど。一瞬持ってた霊気抽出器最高出力にしてぶっ刺してやろうかー!って思ったけど、まあ私優しいから、『ふふ?あんまり舐めたこと言ってると本当に殺しちゃうかもよ?』って感じで笑って終わらせてあげたんだけどさ〜。そしたらあいつ更に調子乗ってきちゃって。はー、なんでここの男ってあんなのばっかりなんだろ。どっかに美男子で優しい王子様転がってないかな〜。」
”美男子で優しい”かは分からないが、王子様なら居るぞ。とアールンは心の中で呟いた。
「王子様なら今来てるじゃないですか、ここに。」
女性の脇に居た少年の返答に、2人は一瞬ドキッとした。
しかし、彼らは別に2人に気付いたというわけではなさそうだった。
「えー...まあ、でもあの人には何か既に美人の従者様が居るし...なんかいい感じらしいし...今更私なんかが取り付ける島なんて無さそうっていうか...。てかそもそも政務部あんま行かないし...。」
女性の言葉にソーラは目を見開いて赤面し、顔を少し伏せた。
ただならぬ雰囲気を察知したのか、少年はふと振り向き、その時初めて彼らはアールン達2人を認識した。
「ちょ、ちょっと、声大きすぎっすよ!」
「え?あっ...。あっ。」
アールン達と目が合うと、女性は先程の威勢は何処へやら、すぐにキョドりだして視線を泳がせた。
「あー...すみません。」
「ちょっ、ちょっと待って!」
アールンがそそくさと立ち去ろうとすると、女性はそう叫んで2人を引き止めた。
「...?」
「あの、どこまで...?」
「?」
「あっ、ど、どこまで、いや、違うどこから、聞いてた...?」
急に随分と口下手になったもんだ。アールンは聞こえてきた会話を一つずつ思い出していった。
「えーっと、確か、髪の毛を馬鹿にされた...”シャクシャ”みたいとか何とか言って。そっからだ。」
「うわ...。」
「すみません、盗み聞きするような真似してしまって。」
ソーラが頭を下げると、女性は必死に手を振って、「いやいや、大丈夫です...。大声で話してたこっちも悪いし...。」とボソボソ声で言った。
「貴方がたは...見ない格好ですけど、旅人さんですか?」
場の空気を一新しようとしたのか、少年がそう尋ねてきた。
「ん...ああ。まあ、そんなところだ。」
「タナオードの人じゃないか...西域のトット(ラクダ)隊商の人みたいな格好ですね。」
ごく自然に、タナオードの密偵を疑われた。この被り布を巻いてなかったら一体どうなっていたんだろう。
「貴女は...研究者の方なんですか?」
ソーラが女性に向かって尋ねても、女性は上の空でしばらく彼女を見つめていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あっ、ご、ごめんなさい!うん、確かに私は研究者...だよ。専門は霊体学っていう、人間の...俗に言う”魂”...私達の身体の中にあるもう一つの身体...についての学問かな。」
ラディン曰く、広く霊気を扱う学問と言っても、霊気工学、霊気力学、霊気生物学など幾つもの詳細な分類があるという。霊体学もその一つである。
「ああ...確か、人間とか動物の肉体には、それに重なるようにして実体のない霊気で出来た”霊体”が存在してて、その性質や働きを明らかにすると同時にその利用を目指してる、霊気工学なんかと親和性が高い学問...だっけか。」
ほぼ、あのボサボサ茶髪の受け売りで恐縮であったが、目の前の女性はそれでも十分満足であったようだ。
「す...すごいよく知ってるね。」
「ああ...一応予習はしてきたから。」
「それ予習の範囲逸脱してないかな...。」
「友達に”専任”の研究者がいるんだよ。基本的にはそいつの受け売りさ。」
”変なこと口走らないでくださいよ”という目のソーラに睨まれながら、彼は慎重に言葉を選んだ。
「へえ...誰だか知らないけど。じゃあこれは知ってる?」
彼女は負けん気を感じたのかそう言って、左手に見覚えのある光を発する器具付きの革手袋をはめた。
「あ、それ。」
思わずアールンはそう呟いた。
「え、知ってる...の?」
「はい...確か、それでほぼ無制限にモノを持ち運べる...みたいな機能でしたよね?」
ソーラがそう言うのに、女性は今度こそ狼狽して2人を交互に見、やがてある結論に至ったようだった。
「何で...?あ!まさかその友達の研究者って!」
「...。」
共同作業で墓穴を掘っただけに、2人はどちらを責めることも出来ず、ただ為されるが儘に黙っていた。
「あー...あんの野郎...機密漏らしすぎだよ...。ちょっと、何処まで知ってるのか、じっくり聞かせてもらっても...いい?」
「...はい。覚えてる限りは。」
ソーラが申し訳なさそうにしていると、女性は一度歩きだそうとしてから不意に立ち止まった。
「そうだ...一応名前、私ティナ、ティナ=エルクラートって言うんだ。そっちは...?」
(どうする、正直ここで偽名使ってもあんま意味ない気がするぞ。)
(はい、どうせラディンさんに話行くと思いますし...でもここは小声で行きましょう。)
2人は一瞬の作戦会議の後、ティナと名乗った女性に向き直り、その至近距離までずいずいと近づいた。
「ちょっと、近い気がするんだけど...。」
「すまんね、あまり大声では言えない話なんだ...俺の名前はアールン。アールン=エルドーレンだ。」
「ええ!!?エ、エルむぐっ!?」
案の定大声を上げかけたティナの口を、ソーラが瞬時に塞いだ。
「ごめんなさい。今は非公式の散歩...所謂”お忍び”中なんです。」
「ぷは、じ、じゃあ、貴女は...。」
「はい、紅玉の従者、ソーラ=ベルハールと申します。」
ソーラは首に汗を浮かべながら、それでも努めて笑顔でそう名乗った。




