23 森の民
「では、お気を付けを。」
ムルターン川の畔に建つ簡素な石積みの狼煙台の守備隊長に見送られながら、アールン達五人は簡素な舟橋を慎重に渡って対岸の広葉樹の森の中へ入っていった。
(荒れているな。)
街道の側に建つ家屋は等しく朽ち、もぬけの殻となっていた。
ところどころ、老朽化では説明のつかぬ傷や破壊の跡、そしてシミや人骨らしき物体を見つける度に、アールンの心は痛んだ。
チロンの戦いよりこの方、訪れた主要な街は意外にも、無事に文明を保っていたことが多かったので、彼は知らず知らずの内にその平穏に慣れてしまっていたようだ。
これこそが、今の現実なのに。
「キエエエエエエエエ!!!!」
ガサガサという葉擦れの音、そして身も凍るような絶叫と共に、五人の目の前には肋骨が露出した猿のような見た目の魔物が二体現れた。
「早速何か出やがったぞ。」
「ここは私にお任せを。」
「僕も行くよ。」
アルアータと荷物を置いたヤートルとが立ち塞がり、剣を構える。
「ギャッ。」
すると、魔物達は2人を注視しつつ一つ啼いて跳ね上がり、脇の木の太い枝を足がかりに変則的な軌道をとってアールンに向かってきた。
「チッ...!」
アールンは咄嗟に剣を抜かんとするが、その前に横のソーラが右手を掲げた。
手の甲の紋章がパッと光り、彼と彼女自身を守る光の壁が立ち現れ、魔物達は突然目の前に生じた障害物に激突した。
「おお!」
アールンはそう叫び、すかさず落ちた魔物の一体に自らの剣を投げてとどめを刺した。
もう片割れの息の根を止めたのは、振り返ってきたアルアータであった。
「その技、使いこなせるようになったのか?」
下馬して剣を抜きつつ、彼はソーラにそう尋ねた。
「はい。時々、戦の時の感覚を思い出しながら練習してたら、多少は如意に出せるようになりました。」
「練習か...。」
参考にすべきかもしれないな...と思いつつ、アールンはクルキャスの鞍に手を掛けた。
「この魔物は...”ヤゼルフォラ”ですね。」
アルアータが伏した魔物を見ながら呟く。
「あまり見ない種類だが、知ってるのか。」
「はい。偵察任務の折に、何度か見かけたことは。交戦は初めてでしたが。」
「ハニスカの近くでもたまに見かけるよ。人間大の図体のくせにすばしっこくて厄介な敵さ。」
魔物の亡骸を足蹴にしながら、ラディンはうんざりしたように言った。
「気をつけて進もう。こんなのに奇襲されたらひとたまりもない。」
「少なくとも街道から外れるまでは、警戒してないとだね。」
ヤートルの言葉に、4人も頷いた。
今は秋も深まり、木々の葉は緑・黄色・赤色など多様な色を見せ、枝々の下を埋め尽くす草は薄茶に萎んでいる。
五人は、街道の両脇の草陰に注意を払いながら進んでいった。
馬に乗っていては目立つ上に、いつ魔物の投石や矢が飛んでくるか分からないので、アールンとソーラも愛馬の手綱を引きながら徒歩で移動していた。
落ち葉に埋め尽くされ、周りの地面と区別がつかなくなっている街道を暫く進んでいると、唐突に視界がひらけ、巨大な谷が現れた。
せせらぎの音が谷底から響いてくるが、暗がりの中の底の様子は見えない。
「ここは”ターホゼルの谷”だよ。」
谷に掛かった木橋は古ぼけていて、先頭を行くヤートルが一歩足を踏みしめてみると、橋の板はギイイという不穏な音を発した。
「本当に大丈夫か?この橋。」
「大丈夫大丈夫、今まで何度も通ってるけど意外と落ちないから。」
「それで寿命がすり減ってるかもしれんだろ...。」
ヤートルは太鼓判を押すが、それでもやはり渡る順番には注意しなければならないだろう。
仮に、重い馬を連れたアールンとソーラが一度に橋上に来ようものなら、橋は瞬く間に均衡を失って崩壊し、谷底に真っ逆さまだろう。
トタトタと余裕綽々で渡ったヤートルに続き、まずはクルキャスを連れたアールンとラディンが一歩一歩渡っていく。
幸いにして、男性2人と馬1頭ならば、橋はギリギリ耐えられているようであった。
しかし、それよりも軽いはずのソーラ・アルアータ・ネルトレイフの組の番になって、橋は限界を迎えてしまった。
2人と1頭が中程までやってきた時、橋はその欄干の下からグググググという一際長い音を発し、彼女らの足元には深い亀裂が現れた。
直後、橋は音と煙を上げて崩落を始めた。
「ッ走れぇ!!!!」
アールンは思わずそう叫んだが、対岸にはどう考えても間に合いそうもない。
(クソ、駄目なのか...!?)
しかし、ソーラは傾き続ける橋の上で即座にネルトレイフの尻を叩き、対岸へ走らせた。
足の白い馬が嘶き、巨大な亀裂を越えて安全な場所まで走り抜けたのを確認すると、彼女は隣りに居たアルアータの頭を掻き抱き、垂直に近くなった橋の欄干に足を掛けて、滑落を防ぎつつ落下に備える姿勢をとった。
そして、橋は遂に袂と分離し、彼女らは瓦礫とともに谷底へ向かって落ちていった。
「ソーラ!!!アルアータ!!!」
アールンは谷底へ向けて呼びかけるが、返事はない。
聞こえていないだけかもしれない。それ以外の可能性は、考えたくなかった。
谷底を覗き込むアールンの横で、ソーラの愛馬ネルトレイフも、自らの主人の身を案じているのか鼻をひくひくさせながら闇を見つめていた。
「クソ、探しに行くぞ。」
「でも、この高さだよ...。」
「五月蝿い!!!大体あんたが渡るっつったんだ!責任取って谷底への道ぐらい教えろよ!!あんたならそんぐらい知ってんだろ!?」
ヤートルに怒鳴ると、彼も申し訳なさそうな顔で辺りを見回した。
「ここは谷の南岸だから...ここからだと谷川の上流に向かって二時は移動しなきゃだめだ。北岸なら少し西に行った所に下り道があったはずなんだけど...。」
「クソ、俺が残ってりゃあ...。」
主君に殿をさせる臣下が何処に居る、と言われて渋々2人を後ろに回した事を、アールンは只ひたすらに後悔した。
「そしたら、君と僕が落ちてただけだ。そして、彼女らは恐らく今の僕らと同じようにするはず。結果が変わり得ないのなら、進むしかないよ。」
ラディンはアールンの様子を見ながら、極めて冷静にそう声を掛けた。その言葉に毒気を抜かれ、アールンも深呼吸した後にヤートルに向き直った。
「そうだな...じゃあ、ヤートル、道案内頼む。」
「分かったよ。でも、恐らく”ヌアチャルテ”の領域にかなり深く進入することになるよ。無用の衝突に時間取られたくないなら、木に掛かった赤や黄色の布とか、地面に置かれた神像や捧げ物の皿の類には絶対に触れないでね。良い?」
「「分かった。」」
そして残された3人と2頭は、街道を逸れて乾燥した森の中へと入っていった。
落下時の浮遊感の中で正気を保つのは至難の業である。
アルアータの細く小さい身体を抱きながら、ソーラは落ちていく橋の欄干に精一杯掴まっていた。
(不味い、このままでは...!)
残骸もろとも、谷底に衝突して粉々になってしまう。
何とか善後策を考えようとするが、回らぬ頭では妙案など浮かぶべくもない。
(いいえ、どうせ死ぬなら!!)
下から上がってくる暴風と塵に打たれ、目尻に涙を浮かべながら、彼女は右手に意識を向けた。
彼女の光壁は、その展開状態を自身のイメージによって多少操作することも出来た。
と言っても、練習時は外縁部を若干丸めたり伸ばしたりする程度で、大きく形を変えたりは出来なかったのだが、その変化の”大きさ”は念の強さによって上下しているようでもあった。
ならば、命の危機に瀕している今ならば。
「しっかり掴まっててください!!」
彼女はアルアータの頭に向かってそう声を掛ける。
少女がそれに応え、彼女の胴に回された腕の力が強まったのを確認するや、ソーラは欄干を掴む手をパッと放し、同時に瓦礫を蹴って離れ、落下を始めた。
「ーーッ!?ーーッ!!」
突然の凶行にアルアータは混乱したようで、手足をバタつかせソーラの胸の中で声にもならぬ声を上げているが、ソーラはそれは無視して右手に念を込めていく。
(丸く、包み込んで...。私達を守って...。)
すると、落下する2人を大きな光球が包みこんだ。
光球は落下速度を少しずつ落としていったが、軟着陸にはまだ少し距離が足りなかったようで、球は谷底の礫の河原に激突して跳ね上がり、何度もバウンドした。
「きゃあっ!!」
「ーーッ!」
落下の衝撃こそ伝わらなかったものの、激しい上下の感覚はしっかりと伝わり、2人は球の中で悲鳴を上げ、両人ともに気を失った。
バウンドが収まると球は静かに霧散し、河原には仰向けになって瞑目するソーラと、その上に覆いかぶさったアルアータのみが残された。
足に枯れ葉を踏む独特の柔らかさを感じながら、アールン達は森の中を進んでいった。
空は彼らの心を映すかのように徐々に雲量を増やしていき、陽光が黄から白に変化した森の風景はひどく寒々としたものであった。
(頼む、間に合ってくれ...!)
3人と馬2頭は黙々と歩みを進めていたが、その沈黙は不意に破られた。
彼らの眼前の木には細長い洞が空いていて、そこにはなんと髑髏が嵌っていたのだ。
「これは...。」
その髑髏は綺麗に洗い磨かれているようで、不思議と不気味さは感じなかった。
「この先に行くと”ヌアチャルテ”の集落があるはずだよ。まあ、僕らが行っても歓迎はされないだろうけど。これはその入口というか...境界を示してるんだ。」
「死人の髑髏を使うなんて...罰当たりな気がするが。」
「彼らにとっては違うんだろうね。まあ、骨を洗って村の入口に掲げて荒魂除けにするのは、僕らも昔はやってたけど。」
その「昔」とは、一体何百年前の話なんだろうか。
「ん?」
その時、ラディンが声を出した。
「どうした?」
「いや...今その木の裏から誰かが見てた気がして。気のせいかな。」
「...怖いこと言うなよ。」
少し遠くにある大木を指さすラディンに、アールンは背筋に悪寒を覚えながらそう返した。
髑髏の目印を通り過ぎ、3人は更なる森の深みへと進んでいった。
地形は徐々に険しくなり、奇岩や洞窟も目立つようになってきた。タナオードの”聖域”のような、オード山地の奇景に近づいているのだろう。
事件は、彼らが先程の深い谷底に通じているという緩やかな下り道に足を踏み入れた所で起きた。
道の左右は急坂で、まるで堀底道のような地形であった。
その坂の上方から、突然多数の人影が現れた。
「なんだ...?」
アールンは警戒しつつ、敵意は悟られまいと努めて剣の柄に伸びようとする手を抑える。
彼らを囲む者達の装いは、小麦色の肌に麻布らしき腰巻きと首飾りのみを纏う、如何にも原始人といった風体であった。
「あれ...例の奴らか。」
「...うん。”ヌアチャルテ”達だ。」
”ヌアチャルテ”は口々によく分からない言葉を叫び、手にした短槍を大盾に打ち付けている。
「何か、とても不味くないか、これ。」
「少なくとも、歓迎されているわけではなさそうだね。」
「なあヤートル、一応だが、仮に攻撃されたら、反撃して良いんだよな?」
「...彼らは見かけよりも数が多いんだよ?こんな不利な場所で戦っても袋叩きにされるだけだよ...降伏したほうが身の為。第一まだ敵対と決まったわけじゃないんだから、無闇に動くのは良くないよ。」
「クソ...やっぱり軍を連れてくるべきだったか。」
アールンは自らの誤算を大いに悔いた。
そもそも兵を連れてきていれば、人手を使って谷に橋を掛けられ、ソーラとアルアータを見失うこともなかったはずだ。
「ん、あれって...おいラディンさんよ、ちょっと良いか。」
アールンの意識は囲みの一角、筒状の武器を構えて片膝をつき、やけに姿勢を低くしている者達に集中していた。
「...なんだい?」
「こいつら、ここら原住の蛮夷なんだよな?」
「そうだけど...今更?」
「じゃあ、なんでそんな未開人が、”霊気銃”なんて持ってんだ?」
「は...!?」
ラディンはいつもの飄々とした雰囲気を捨て去り、急いでアールンの見ている方を見て、息を呑んで目を剥いた。
「なんで...?流出した...?」
「廃墟から取ってきたのかもな...!」
「いや、あの形と大きさは...あれはタナオードの銃兵部隊のよりも新しい、ハニスカで開発されて現役で使われてる型式のやつだ!構えの形も”防衛部”のと同じ...。どういうことなんだ...?」
「おい、ヤートル何か知らないのか!?」
「知らないよ!僕だって彼らとこんなに接触したことなんて無いんだ!!」
”ヌアチャルテ”の槍持ちと銃持ちが3人と2頭に近づいてきて、包囲は徐々に狭まっていく。
しかし、原住民たちには戦闘の意思は無い...というよりも彼らを無傷で確保したいという思いが強く感じられた。
「アスチャヤ、二スチャラ!!」
戦士たちの中の、多数の装身具を身に着け熊皮を纏った男が、得物のしっかりした造りの槍の石突で地面をドシドシ叩きながら捲し立てた。
「何を言ってるんだ...?」
「多分、『降参しろ!!』とかじゃないかな。」
ヤートルの推測を信じ、アールンは腰の剣を、ラディンは懐に入れていた”囮”の短剣を差し出した。
「ニスケフルナヤ!!!!オレ、オレ。」
「おい、ちょっ、ぷはっ何すんだ!!このっ。」
しかし、熊皮の男はそれでは満足しなかったようで、彼は一つ癇癪を起こした後、仲間に命じて3人を地面に押し倒させ、その手を縄で縛り上げた。
口の中に枯れ葉のザラザラした感触を感じながらアールンは必死に抗議するが、それを意に介さず、”ヌアチャルテ”達は今度は3人の持ち物、ヤートルの荷と2頭の馬、クルキャスとネルトレイフを持っていこうとした。
しかし、荷は重すぎ、馬の方は足を踏ん張り頭を振って抵抗したので、囲んでいた男達は接収を諦めたようだった。
「ケッ残念だったな...!」
「オシャヤ、イマヤシカ...ウサ。」
またもヌアチャルテ語で配下になにか言った後、熊皮の男、恐らくこの場の指揮官であろう男はアールン達を無理やり立たせ、森の奥へと引っ立てていった。
「はあ...僕らこれからどうなるんだろうね...。」
「ごめん、多分この感じ、僕らこの部族の捕虜になっちゃったんだと思う。」
ラディンが嘆息して言うと、その後ろを歩いていたヤートルが申し訳無さそうに応えた。
「縛られて歩かされてるんだから、まあそりゃそうだろうな。」
「部族の間の戦いで、負けて戦場から逃げそびれた哀れな戦士がこんな感じで捕まってるのを見たことがあったんだ。その行方は知らないけど...。」
その行方は、考えないほうが良さそうだ。
(クソ、こんな事してる暇なんて無えのに...!ソーラ達が...!)
少しでも歩速を落とせば、後ろで手を縛る縄を持った戦士に槍で突かれ、片時も休まる暇のない道のりであった。
頑強に抵抗していた2頭の馬達も、主達が移動すれば付いてこない訳にもいかず、それぞれの手綱を大柄な2人の戦士に引かれ、渋々といった雰囲気で彼らに追従していた。
「う、う〜ん。」
ソーラはうめき声を上げながら、ゆっくりと起き上がった。
まだ落下時の浮遊感が四肢に残っているような気がした。
「生きてる...。」
胸に手を当て再び目を瞑り、彼女は暫しの間生の感覚を喜んだ。
しかし、それが終わると今度は現実的な焦燥がやってきた。
「ここは...どこ?」
「谷底に御座います。」
「わっ!!」
不意に背後から声がしたので、彼女は素っ頓狂な声を上げて背後を振り返った。
「失礼しました。」
「いえ、大丈夫ですが...アルアータさん、大事ありませんか?」
「はい、貴女様のお陰で...この通り、五体満足に御座います。」
「それは...良かったです!」
2人は立ち上がり、辺りの荒涼とした谷底の様子を見回した。
彼女が寝ていた位置のほど近いところには、岩の間を縫うように冷たい水が流れていた。
周囲の崖は高く切り立っていて、碌に登れそうもなかった。
「どうしましょう...早くアールンさん達に合流して無事を伝えないと...。」
「取り敢えず、登れそうな場所を探すより他ありますまい。移動するとして、上流か、下流か...。」
ソーラは前に見た地図から、この谷の情報を思い出す。
この”ターホゼルの谷”を流れる川は真西に向かって流れていた筈だ。となれば、下流部の方が平野で脱出も容易そうだが、魔物との接敵も多くなるだろう。
「戦力の少ない今、魔物の多い西の下流部に近づくのは危険だと思います。先ずは上流に向かいましょう。」
「了解しました。」
そして、ソーラとアルアータが東の方へと歩き出して四半時(15分)が過ぎた頃、2人は眼前の大岩の上に一つの小柄な人影を認めた。
髪を後ろで一つにまとめた日焼け肌の人物は、2人の足音に気づいたように、こちらへ顔を向けた。
腰巻一丁の姿だが、胸には若干の膨らみがあった。まさか女性なのか。
「あなたは...?」
ソーラは意を決してそう尋ねたが、人物はただ首を傾げるだけで返答はない。
恐らくは言葉が通じていないのだ。
ソーラが身振り手振りを交えて誰何を繰り返すと、やがてその人物は一つ頷き、ニンマリと笑って口を開いた。
「ルフワ!ウノイー、ルフワ!」




