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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
20/57

19 残響

意識が戻っても、アールンは雲のような真綿の寝具に包まれ、暫くの間目を開けることすら惜しまれる心地であった。


(気持ちいい...。)


小鳥のさえずりが聞こえる。外界は既に昼近くのようだ。

外からの光を避けるように、唸りながら寝返りを打とうとすると、脇腹に鋭い痛みを感じ、彼は呻いて跳ね起きた。


「痛...。」


昨日の傷だろうか。傷口は既に塞がれているようだが、内部まで完全に回復しきっているわけではないようだ。


そこで初めて、彼は昨日の出来事を思い出した。


(俺が...エルドーレン、本当に?)


昨日のアラートの言葉が、頭の中に響く。


俄には信じ難い事だが、思い返してみれば、今まで不可解だったこともそれ一つによって辻褄が合うことも多いのだ。


近いところでは、暗殺者が「在野かつ無名」であったはずのアールンの名前を認知し、殺害を狙ってきたこと。

遠くは、愛馬クルキャスを買った時の母の異様なまでの頑なさや、資金の出処。

それもまた、大兵を統御する王族にとり必須技能である馬術を少しでも身につけさせておきたいという母の思いからであるのだろう。

母が嘗て妃の身分で王城に居たというのなら、馬を買うための金を用意することぐらい、隠していた私財を切り崩せばどうにでもなったのかもしれない。


母の言葉遣いや調子がガーテローの住民たちのそれと違っていたのも、母の言葉が王都のある”サンゼール(中原)”のもので、身分も全く異なっていたからであろう。


そんな事を考えていると、ふと彼の内に言いようのないやりきれなさが湧き上がってきて、彼は右の手を握りしめた。


「ああ、やっと目を覚ましましたね。」


その時、縁側の通路の方から声がした。

見ると、そこには再び正装に着替えたソーラの姿があった。


「あー...。おはよう。今何時?」

「もうそろそろ五ノ時(午前10時)です。」

「はぁ、そんなに...。あのあと戦いはどうなったんだ。」

「大丈夫と言ったでしょう...と言いたいところですが、アラートを取り逃がしてしまいました。...ごめんなさい。私があの者達の邪心を見抜けなかったばかりに...。」

「いやいや、しょうがないよ。それに逃がしたといっても、負けてないなら十分だ。見た所あんたは大丈夫そうだが、アルアータの方は?」

「あの子も無事ですよ。」

「そうかい...なら良かったよ。あの爺さんはかなり厄介だったからな。」


ソーラはアールンの座る蒲団の横に腰を下ろした。


「あ、そうだ。今更ですけど、”殿下”って()()()()()方が?」

「別にいいよ...。というか、その話、本当なんだな。」


アールンがそう言うと、ソーラも溜息がちに頷く。


「私も最初は信じられませんでしたが、グレンデル家の記録文書の記述にも、ちょうど今から20年前、”大災禍”の直前にアールンという名の王子が出生した記録が残ってましたし、母上様のお名前も...。」

「同じ、か。生まれ年も、今から20年前、俺と一緒だな。」

「アールンさんは今年20歳なんですか?」

「そういえば言ってなかったな。そう、次の年明けで21だ。」

「ふーん...意外と離れてたんですね。」

「え、あんたも流石に成人の儀は過ぎてるよな?」

「それはそうですけど...私今年17歳なんです。」

「なんだ、3歳しか違わないじゃないか。そんなんあっという間に過ぎるぞ。」

「ちょっと嫌なこと言わないで下さいよ...。」




その後、彼は一度ソーラを部屋から出し、寝間着から普段着、それでも身分相応の小綺麗な物に着替え、再び縁側近くに座ってソーラと話を始めた。


「...どうかしました?」


アールンが表情を曇らせたままでいるのに、ソーラは不思議に思ってそう尋ねた。


「いや...俺や母さんがエルドーレン朝の王族なら、なんで母さんはあんたらを頼らなかったんだろうなって思って。」

「私達...ヘイローダ(抵抗衆)ですか。」

「ああ。王都から避難してきたんなら、わざわざガーテローみたいな奥地まで行かずとも、軍隊が駐屯してるペルオシーであんたの父さんのお世話になったほうが安全に決まってるだろ。良いモンだってたんと食べられた筈だし、苦労の果てに死ぬことだって無かったはずなのに。」

「私はかの御方の為人(ひととなり)は知りませんが...都の貴人としての矜持がそれを許さなかったとか...ですかね。田舎者に庇護されるなどまっぴらだ、と思われたとか...。」

「母さんはそこまでお高くとまった人じゃない。それに、もしそうなら、まして辺境の市井で庶人に混じって生きるなんて尚更駄目だと思うけど...。」


些か手詰まり感が出てきたので思考を打ち切ると、今度は別の懸念が湧き上がってきた。


「はあぁ...俺なんかに務まるのかなぁ...。」

「王子の役目が、ですか?」

「ああ、よく分かったな。」

「まあ、その気持ちは分かりますよ。重みは違うでしょうけど、私もチロンの前夜には内心同じように思ってましたから。自分なんかがやって本当に良いのか...って思いますよね。」

「...お見通しか。」


アールンが笑いを含んでそう言うと、ソーラも頬を緩ませた。


「不安に思うのも尤もですが、何も全て一人で背負い込む必要はありません。...困った時は、いつでも私や周りの人間を頼ってくださいね。」

「ああ。是非ともそうさせてもらうよ。」



昼食後、アールンは”夕宵ノ宴”の頃よりも一段と豪華になった正装に着替え、館の議堂へと移動した。


議堂は中央に一段低い正方形の空間が存在し、その床にはタナオード一帯の地図が描かれた絨毯が敷かれていた。

その窪地を挟むように、何人かの高官達が左右に分かれて並んでいる。


左列の先頭にはコートが、序列の上では格上に当たるらしい右列の先頭にはソーラが立ち、ラディンは大広間の左端、出口付近に立っていた。


コートが前に進み出て膝を折り、それに背後の者達が続く。


「改めて...あの忌まわしき”大災禍”から20年、アルトル国王陛下の御子息が今日まで御存生なさったことをここにお慶び申し上げるとともに、私めが今こうして相まみえられましたこと、誠に恐悦至極に存じます。...既にご存知のこととは思いますが、私めはクローザンサンイン(内監中将軍)、タナオード公爵のコート=グレンデルに御座います。」


あらん限りの最高敬語表現に飾り立てられたコートの言葉に、アールンは照れくささを通り越して胸焼けするような感覚さえ覚えた。


しかし、それをおくびにも出さず、彼は頷いて応じる。


「ありがとう。でも、私は昨日までは一介の庶民に過ぎなかった身だ。素養は未だ足らず、そんな私にそのような礼は過分というもの。どうぞ頭を上げて、楽に話してくれ。」


内容はあくまで謙虚に、しかし卑屈さを感じさせないよう言葉遣いは相応のものにし、上下関係を明確にする。要はその均衡である、と彼は事前にソーラに教わっていた。


「寛大なるお心遣い、感謝します。しかし、そう御自身を卑下なさいますな。自身を天から見下ろし、至らぬ所を認められるというのも、また大器の片鱗と言えましょう。」

「ものは言いようだな。」


そして、彼は場の他の高官達にも目を向けた。

彼らもまた、武に於いては尉官級、文に於いては秘書官や法官、財務官の筆頭級ばかりであり、少し前のアールンからしたら考えられないような世界だった。


ただ、やはり将軍職はコート唯一人であり、文武の高官の役職も、国王というよりは封臣の幕僚の肩書である所に、義理堅くも旧王国の秩序を墨守している姿勢が見受けられた。


一通りの名乗りを受けた所で、アールンは改めて口を開いた。


「各々方、これからはこの至らぬ私をどうぞ支えて欲しい。」

『ははっ!!』

「...さて、ではこの議の本題に移ろうか。」




本題、それは他でもないタナオード城の奪回作戦である。


現在、かの城は”ホルネレーグ(家宰)”、サールドに半ば占拠され、私兵化された街の主力部隊2万によって守られている。


対して、領主派の戦力といえば、”聖域”の警衛を全て招集しても5千に届くかという所。明らかに劣勢である。


「力攻めで城を陥とすのは無理か...。」

「はい。加えて、街中で戦を起こせば民を動揺させかねません。」

「聖地の守備隊が任を放り出して何をしているんだ...と不信感すら抱かせかねないというわけだ。」

「ええ。そこで、一度城に入り、城内でサールドを大逆の罪で誅するのが宜しいかと。」

「お待ちを。私めにも考えが。」


そこで、コートの直ぐ後ろに立っていた、”ヤーレグタンエブン(進策小尉)”のイズレール=ファランなる背筋の曲がった長身の男が声を上げた。


「言ってくれ。」

「は。今殿下と閣下が仰られたこと、まさにその通りと言いたいところですが、一つ大事な事が抜けております。」


随分あけすけとものを言う人間だと思ったが、コートが苦笑しつつ何も言わないのを見るに、それが認められているほどの人材なのだろう。


「それは?」

「『戦後』です。戦いは何も敵を滅してハイ終わり、ではありません。殿下はこの戦いのあと、()()()()()()()()()()()()()()()()...とお見受けいたしましたが、違いますか?」


鋭い指摘に、アールンは思わず眉を上げた。

確かに、その達成は彼にとって理想的な最終到達点であった。


しかし、それに目の前の彼らが同意するかは全くの別問題だ。

事実、コートを含めたタナオード組の大半が、イズレールの発言を聞いて若干面持ちを厳しくしていたのを、アールンは見逃していなかった。

王子命令の力で従わせても、(ひずみ)は残る。


「...何故そう思ったんだい?」

「は。僭越ながら申し上げますと、私は前にそこの...ネイレード殿と話す機会が御座いましてね。流石にあの時は驚きましたよ。まさかこのような中枢部にハニスカの者が居るとは... 。」


そう、イズレールは出口付近に居たラディンを見ながら言った。


(げ、言いやがった!!!てかあいつ自分で口外しやがったのかよ!!)


ある程度事情に通じるアールンとソーラはぎょっとし、タナオードの面々に至っては血相を変えてざわめき、無意識に腰に手を伸ばす者まで出る始末であった。

当然だが佩剣を許されている者はコートとソーラだけなので、大半の者の手は空を切るに留まるのだが。

改めて、聖獣に手を出すことの重大さが感じられる。


「待て!静まれ!!」


アールンは必死に押し留め、イズレールに話を続けさせた。


「ともあれ、彼から聞く所によれば、殿下はタナオードでの事が全て終わった暁には、彼を伝手にハニスカへ向かわれるおつもりだったようですね?」

「...ああ。でも、今となっては出来るかは怪しいがな。」

「しかし、殿下はそれが、タナオードとハニスカとの和解が必要であるとお考えであることに変わりはないでしょう。何故なら、殿下もまた『タナオードの為の”王子”ではなくサンダの為の”王子”』なのだから。」

「...なるほどな。」


しかし、であるならば――


「ならば、先にハニスカとの協力体制を作るのか?それは正直微妙だと思うぞ。」

「仰せの通り。それでハニスカの部隊を街に入れようものなら、民は今度こそ我々を裏切り者と見るでしょう。よしんば城を奪還出来たとしても、民心の掌握は至難の業です。でも、それは奪還後の融和の模索にも同様のことが言えましょう。」


その通り。彼は頷いた。

人の意識というものはそう簡単には変わらない。頭がすげ変わったからと言って、信仰心由来の怒りに基づく反ハニスカ感情をいきなり捨てられる訳が無い。


「では、どうすると?」

「は。ここは領主派単独で、敢えて()()―街中は民の面前で決戦を行い、ホルネレーグ(家宰)の悪事を白日のもとに晒し、反ハニスカ感情をもまとめて全てを葬り去ってみては如何でしょう。」

「なるほど...?」



イズレールの作戦の委細を聞き、アールンはこの男の案を採ることとした。

行政文書起草の担当官である”ホルキーラ(司記)”に「議文」を書き記させる。


これは議の決裁内容を日付とともに記した記録文書である。

これをもとに正式な詔勅や法令が作成されたり、史官が史書編纂事業の時に参照する重要な資料にもなる、言わばサンダ文書主義の根幹とも言える仕組みなのだ...とソーラが言っていた。


伝統的には意見を提示した者が自ら筆を執って書くらしいが、今のタナオードでは独特の作法が存在する議文を書けない者のほうが多数派なので、書記官の代筆が通例化しているのだそう。


その後、彼は改めて高官達に向き直った。


「各々方の中には、私のハニスカとの和を目指す方針に納得のいかない者も居るだろう。当たり前だ。この街が何百年と守り続けてきた聖獣ケルパを殺されてしまったのだから。」


アールンの言葉に何人かの高官達が小さく頷いた。


「それに関しては謝罪が必要だろう。しかし、サンダ復興の大業の為には、かの街との融和が不可欠なのもまた事実。それを、ただ恨み、いがみ合っているだけでは、我々の真の敵の思う壺ではないか?」

「真の敵...ですか。」と、コートは首を傾げる。

「昨夜、ここを襲い来た者共のことを思い出すんだ。魔軍、そしてそれに与する者達。20年前、この国を無惨に蹂躙し、秩序を破壊した者達を。私は”サンダの王子”として、それらとの戦いを最優先に考えている。異議のある者はどうぞ反論して欲しい。私は正面から受けて立ち、筋の通ったものはちゃんと受け入れるつもりだ。」


その言葉に、居並ぶ群臣達はただ目の前の青年を見つめていた。


「...どうして異議などありましょうや。些か細事に拘り過ぎたこと、恥じ入るばかりに御座います。」


コートの言葉に、アールンは安堵して礼を言った。




会議が終わった後、アールンはソーラ・ラディンと共に居室へ戻り、どっかりと脱力するように座り込んだ。


「あ゛〜、緊張した...。」

「そうだったのかい?僕には堂に入ってるように見えたけど。」

「おいおいおいおいおい、半分ぐらいあんたのせいだからな。折角俺達が秘してたのに勝手に自白しやがって。ったくこっちがどれだけ焦ったと...。」

「ごめんよ。僕も出来る限り隠そうとはしたんだけど、あの人の誘導尋問に引っかかっちゃってね。」


恨みったらしくそう言うアールンに、ラディンは笑って応じる。


「でも...初めてなのに、議の場であそこまで主導権を握れるのは凄いですよ。ハニスカとの和解の道も(ひら)けたようですし。」


ソーラの賛辞に、アールンは照れ気味に頭を掻きながら部屋の外、少し日の傾いた空を見上げた。


「もし、この場に母さんや、父さんが居たら、もっと上手くやってたのかなぁ...。」


願わくば、国主たる父母の背中を見て、そのやり方をもっとちゃんと学んでおきたかった。


そんなアールンのつぶやきに、ソーラは一瞬何かを言いかけたが、直ぐにその口を固く結んだ。


「どうした?」

「いえ...ちょっと不謹慎な事を言いかけてしまったので。」

「何だよ。別に気なんて使わなくたって良いんだぞ。」


すると、ソーラは一呼吸置いた後、再度口を開いた。


「決して20年前の災禍を賛美する意図はないのですが...アールンさんが王位に就く前に”大災禍”が起きて良かったです。」

「おお...そりゃ随分と攻めた発言で...でも、何故?」

「だって、そうでなければ今のアールンさんや私たちは無いんですよ?仮に赤子のまま登極していれば、確実に城を枕に斃れていたことになるでしょうし、そうなれば私もここまで生きて辿り着けはしなかったし、タナオードとハニスカだって犬猿の仲のままです。そう思うと、これまでのことって凄い幸運なことなんだなって思ったんです。」

「まあな...でも、赤子に王位ってのは...ちょっと考えにくいけどな。」

「分かりませんよ。末期のサンダ王国では、高官の腐敗の中心に専権を振るう外戚がいましたから。傀儡には言葉も満足に操れぬ赤子が丁度良い...あ、でもサリー様は名門貴族の出では無いんでしたっけ。じゃあ大丈夫、でしょうかね...?いや寧ろ暗殺の対象?」

「うげ、そんなことになってたのかよ...。」


これは意外と崩壊したのも残当なのでは、とアールンはドン引きしつつ聞いていた。


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