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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
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1 北端の軍都

―”大災禍”―かつてこの地、大サンダ半島で繁栄を極めていたサンダ王国が、正体不明の怪異である”ウーグ(魔物)”の軍隊によって一夜にして崩壊した事件のことを、世人はそう呼ぶ。

王国内、特にその中枢である大サンダ半島中央部”サンルゼール(中原)”を中心に、多くの都市や村、要塞が突如現れた魔軍の襲来を受けてなすすべなく陥落し蹂躙されたが、辺境にあったとか要害に守られていたとかで、奇跡的に大きな被害を免れた地域もあった。


大サンダ半島の北辺に位置するワンデミード半島、その更に北の果てのというまさに辺境に位置するペルオシーの街もその一つである。


かつて、山がちなワンデミード半島の奥深くまで入り込んだレー湾に突き出した岬に築かれたしがない漁師町であったこの街は、今やワンデミード全域を支配下に収め、南から侵攻してくる魔軍に対抗する軍事勢力である”ヘイローダ(抵抗衆)”の本拠地となっていた。


ペルオシーに着いたアールンたちは、先ず街の南の端にある”レーウィ・ナーム(同志の溜まり場)”に赴いた。

幾ら徴募に応じて来たとはいえ、そこでレーウィの証を貰わなければ、ただの街をうろつく怪しい人間になってしまうからだ。


レーウィ・ナーム(同志の溜まり場)の入口は大きな木戸であった。左右の建物はヘイローダ(抵抗衆)の兵の詰め所兼受付になっているが、建物の形から察するにもとは商店かなにかだったのを接収して使っているようだ。


「どうも、私はアールンと申します。姓はありません。徴募に応じ、ガーテローから参りました。」


アールンの名乗りに、受付の兵士は鷹揚に頷き、後ろは?とコアルたちを指す。


「同じく、コアル=レンメノルです。」

「同じく、クレール=オクス。」

「同じく、ミーカ=アスファールと申します!」


3人が口々に名乗ると、兵士は頷きながらそれぞれの名前を手元の紙に記していく。それが終わると、机の下の箱から明るい橙色の布切れを四枚取り出して彼らに差し出した。


「この腕帯がレーウィの証だ。特に戦場では絶対こいつを付けといてくれよ?じゃないと、誰に斬りかかられても文句は言えんからな。」


兵士は冗談めかしてそう言った。

腕帯を受け取り、彼らはそれぞれ左右どちらかの腕に緩めに巻いて結ぶ。これにてひとまず

ここに来た目的は果たしたことになる。


「じゃあ、次は宿選びだな。」

「「「りょーかいっ!」」」


3人は元気よく返事をする。やはり外泊というのは心躍るものだ。

とはいえ、財布にもさほど余裕があるわけでもないので、レーウィ・ナーム(同志の溜まり場)近辺でレーウィに対する割引が利く安宿を選び、アールン・コアル・クレールの3人部屋とミーカの1人部屋に分かれて泊まることとした。


「まあ、悪くない部屋だね。」

「贅沢は言えねえもんな。」


コアルとクレールが、木造で奥に北向きの窓が1つあるだけの狭い部屋を見て落胆気味にそう言い合うのを見て、アールンも苦笑いした。


「一応これで今日やらなきゃいけないのは一通り終わったから、あとは自由行動だ。3人で飯でも食ってくるといい。ミーカにもそう伝えといてくれ。ただ、街からは出ないでくれよ?」

「はーい。メルーウィ(先生)。」

「アールンはどうするんだ?」

「自分は、まずはヘイローダ(抵抗衆)の兵営に行くかな。剣を研いでおきたいから。それから適当に食事かな。では解散!」



街の中心街に近づくにつれ、人通りが増してきた。戦が近いのもあってか、半島中から集められたヘイローダ正規兵やレーウィたちが戦の前のこの僅かな余暇の時間に街に繰り出し、更にはそれらをターゲットに利に聡い商人たちも集まってきている。


露天商は兵士たちを相手に武器や防具、乾飯、丸薬、軟膏などを、他の商人に向けても南北の珍妙な宝物や特産物、華やかな柄の毛織物や絹織物、綿織物、香辛料や陶磁器など、多種多様な品を通りに並べていて、見ているだけでも大いに楽しめる。


しかし、人が集まれば、当然ガラの悪いのも増えてくる。

商店や露店の店主相手に何やら怒鳴り立てている兵士たち、逆に、買収したらしい4,5人の兵士を使ってカモを取り囲み、本来なら仲介人などを通して行うような高額取引をひどい条件で行わせようとしている悪徳商人などを見かけ、やはりコアルたちに付き添っておいた方が良かったかと、アールンは今になって後悔し始めたが、どうしようもない。


(うわ、雑兵にあんな大層な壺絶対要らねえだろ...ご愁傷さまなこった...。)


その手の諍いには明確な目的無しに関わっても損しか無い。したがって見て見ぬふりをしつつ、彼はペルオシー中心部のヘイローダ兵営に向かった。



ヘイローダ(抵抗衆)の兵士は、大きく分けて3種に分類される。


一つ、アールンたちのような臨時徴募兵であるレーウィ(同志)である。ヘイローダはいつも何万もの大軍を備えておけるほどの財政的余裕はないので、戦時の一時的な戦力増強策として平民の中からナーエンフェーン(募兵官)によって徴兵される。


次に、平時に辺境にて監視を兼ねた屯田を行うシャンラーウィ(哨士)。これは扱い的には軍役というよりも平民に対する労役の類であり、戦闘技能も要求されない。しかし、いや、なればこそだが、戦えない者が前線近くに送られるために危険度も非常に高い。そのため、シャンラーウィとして送られるものは一般民よりも刑徒などが主体となっているようだ。


最後に、ヘイローダの軍団の中核を成す、1万の正規兵軍団”ルムオロクエンダ(側護軍)”である。もとはサンダ王国のワンデミード守備隊であったらしいが、大災禍前夜の王国の政の混乱状態のなかで、名前は覚えていないが時の守備隊長だった(なにがし)=ベルハールが中央の官吏を追放して半独立状態となってからは、ヘイローダの顔役であるベルハール家の私兵部隊のような状態となっている。

通商により鈍重だが良質な北方の兵器や鎧を揃え、その精強な武力でもって半島を20年の間守り抜いてきた職業軍人たちだ。


今、アールンはヘイローダの「兵営」つまりルムオロクエンダ(側護軍)の駐屯地に来ている。

夕方近くなって少し晴れてきた空のもと、急ごしらえの感のあったレーウィ・ナーム(同志の溜まり場)とは対照的な、巨大で重厚な白亜の石造りの大門をくぐろうとすると、門衛に呼び止められた。


「待て。ここはヘイローダの兵営だ。なにしに来...。」


しかしそこまで言いかけて、門衛はアールンの腕に巻かれた橙色の麻布に気づいた。


「って、その腕帯はレ―ウィ(同志)のか。これは失礼。だが、念の為要件を聞いても?」

「ああ、ペルオシーに来る途中に魔物に遭遇しまして。交戦中に剣が少々刃毀れしてしまって、それを研ぐための道具を借りに来たんです。」

「何っ魔物!?どこだ?何匹いた?種類は?」


門衛は驚いてそうまくしたてる。安全なはずの後方に敵が現れたのだから、そのような反応も無理はない。


「遭遇したのは南の植林場の丸太置き場です。数は二匹。遭遇時にどちらも倒したので一先ずは大丈夫です。種はヴォーダール(山羊)でした。」

「南の丸太置き場、二匹、全て無力化、ヴォーダールね。報告感謝する!ああ、砥石は入って右手奥の雑具庫に入ってるはずだから、入口にいる倉庫番に言って取ってもらうんだぞ。」

「案内感謝します。」


門衛に礼を言いつつ、アールンは兵営の中に入っていく。背後で先程の門衛が別の兵士に伝令を頼む声が聞こえてきた。



倉庫番の、物静か過ぎてこっちの要件が伝わってるか自信がなくなるお爺さんに何とか砥石を持ってきてもらい、彼は広い練兵場の端に陣取って剣の刃を研ぎ始めた。


ガリガリと直方体の砥石の上に刃を擦り付けて磨きつつ、時折その刃先の研がれ具合を確認する。

日がかなり傾き薄暗くなった中、何度目かの確認の時、だいぶ磨かれて周囲の風景をよく映すようになった刃の向こう側に、背の高い白髪交じりの初老の男がいるのにアールンは気付いた。

上品な金細工付きの漆黒の長衣を纏っているあたり、かなり身分は高そうだが、武人然とした風体のその男は穏やかにこちらを見ているままなので、彼はきまり悪くなって思わず自分から沈黙を破った。


「あー...どうかしました?」


すると、男はふっと笑みを浮かべて口を開いた。


「失礼。我が家のお転婆孫娘を救ってくれた者が来たと聞きましてな。」


一瞬なんのことかと話が読めなかったアールンだったが、すぐにあの丸太置き場で魔物に襲われていたお下げ髪の少女のことを思い出し、いやいや、当たり前のことをしただけですよ、と頭を掻きながら言った。


「あなたは、あの子の...お祖父様ですか?」

「その通り。儂はヤーレグタルエブン(進策大尉)のカイロー=ハルマランと申す者。改めて、礼を言いたく参った。感謝する。」


エブンフェーン(尉官)...!しかもその最上位だ...。)


かなり高位の者だとは認識していたが、まさか尉官級の人物だとは。

ヘイローダにおいては、一軍の総大将ほどではないが、その幕僚として数千の部隊を預り軍議に参画するような位である。


「とんでもないことです...しかし。」


そこで、彼はそれでも尚言わなければならないと思っていたことを、意を決して口に出した。


「無礼を承知で言わせてもらえば、このペルオシーの中でさえガラの悪いのが沢山いる今の状況で、大事な娘さんを外に出すのは些か...不用心が過ぎませんかね。」


言い終わって恐る恐るカイローの顔を見ると、特に気を悪くした様子はなく、むしろああ、と苦笑気味に納得したような雰囲気だったので、アールンはホッと胸を撫で下ろした。


「そこまで心配してくれるとは、ありがたい限りですな。確かに危ない行動だとは分かっているのですが...。外に遊びに行きたいと、あの子が言うもので。戦が近くなると、どうしてもあの子のお願いを聞いてやりたくなる。それを多分あの子も理解してるのでしょうな。出征が近くなると、一段と我儘(わがまま)を言ってくる。まあ、此度酷い目にあって、あの子も少しは身にしみただろうがね。」


カイローはそう穏やかに笑った。

アールンもつられて頬が緩む。この老将にはそんな魅力があった。


「大尉様も此度の戦に?」

「ええ。勿論、あまり詳しいことは言えんがね。」

「ああ、申し訳ありません。でも、その気持ちはなんとなく分かる気がします。もう二度と顔を見られないかもしれないからこそ、大事の前には落胆の顔じゃなく喜びの笑顔を見ていたい...。という感じですかね。」


アールンの言葉に、老将はおお、と目を見開いて彼の顔を覗き込んだ。


「いやはや、若いのに、随分と親心というものを理解していらっしゃるようだ。もしかして、既に妻子をもうけていらっしゃるのか?」

「いや、そういうわけではないのですが...。」


無論、彼に妻子は居ない。今年20、あと3ヶ月ほどに迫った年越しを過ぎれば21となるので、世間的にはもうそろそろ良き相手を見つけて腰を落ち着けてもいい歳ではある。

しかし、そもそも彼自身にそのような願望はなくなってしまったし、何より結婚とは、嫁や婿の一族が自らの家の命運を相手やその一族に託す重要なイベントだ。

それを、このような身寄りも財産も無い、水面に浮いた枯れ葉のような男にと思う親が、一体どこにいるだろうか。


しかし、そんな彼でも、先にカイローが語ったことは理解できる気がした。彼もまた、ガーテローに襲い来る海賊との戦いを前にして、病の床の母や孤児院の子どもたちに対してそれに似たような感情を抱いたことは何度もあった。


「...ときに、若人殿よ。」


アールンの隣に腰を下ろし、改まったように老将はそう言葉を発した。


「?」

「そなたならば、自分の子、あるいはそれ同然の者が危険な場所に赴こうとしている時、それを安全な場所に留めておきたいと思うだろうか?」


そう問う老将の眼はまっすぐとした光を放っている。


「...思いはするでしょう、当たり前です。しかし、思ったことを全てそのまま行動に移すだけが人じゃない。私なら...。」


頭の中に、午後の穏やかな陽光に包まれ、日当たりの良い窓に面した座台に座る母の声がこだまする。


『アールンなら大丈夫。あなたの行く手は確かに厳しいものかもしれないけど、あなたには生きるための力があるはずだし、何より私とあの人の子供だもの。』


それを聞いた頃のあどけなき少年の心ではいまいち要領を得なかったが、今の彼には分かる。


「その子にその難局を乗り越える力があると思うならば、それを引き止める理由はありません。その子を信じ、ときに共に歩み、或いはそうした挑戦のあとに安心して帰ってこられる場所を堅守する。何だか答えになってないような感もありますが、私ならきっとそうするでしょう。」


その答えに、老将は頷く。


「確かに、武の道の言葉にも『勇者を信じぬは同輩の恥』と言うしな。しかし、人の口から改めて聞けるとやはり安心する。ありがとう。」



その後も幾つかとりとめもない話をしている内に、辺りはだいぶ薄暗くなり、兵営の広場も人気はだいぶ少なくなった。

そんな時、唐突に彼の腹が大きく不満げな音を立てた。

あまりの恥ずかしさに赤面して押し黙るアールンに、カイローは笑った。


「はっはっは。いや、すまなかったね。君のような聡明な若者と話せる機会もそう多くないもので、ついつい長話で引き止めてしまった。」

「いえいえ、こちらこそ有難き光栄でした。」



兵営を出、既に吊り灯籠の灯りだした市場を歩きながら、アールンは兵営で話した老武人のことを思い出す。

思えば、母の葬礼から今まで、これほどの長きに渡って誰かと親身になって話したのは久々かもしれない。

彼は、あの武人の中にも今の自分と同じようなものがあるのを、朧げながら感じ取っていた。

あの武人にも、子か孫か分からないが、誰か大事に思っている人がいて、恐らくその人もこの戦に参ずることになっているのだろう。


その共感が、彼の心を少し軽くした。


市場は暗くなっても相変わらず人でごった返しているが、アールンにとってはその喧騒もさほど気にならず、むしろ頬に感じる熱気と夜の冷気の入り混じった夜風が気持ちよかった。

どこか良さげな屋台を探して食事にありつこう。早くしないとコアルたちに心配かけてしまう。

そんなことを考えながら、彼は早足で人混みの中を駆けていった。


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