16 山颪の館
「...!...!」
呼び声に、アールンは目を開ける。
「アールンさーん!起きてください!着きましたよ〜!」
「ん、ああ、分かった分かった。」
彼は眠い目をこすりながら起き上った。
暗闇に慣れた視界に飛び込んできた眩しい篝火の光に、思わずその目を細めた。
ようやっと周囲の明るさに慣れてくると、そこは森の中を流れる川岸の小さな桟橋だった。
金糸の幾何学模様の入った濃緑色の軍旗が各所に垂れ、揺らめく炎に照らされている。
「ここは...。」
「この辺りは領主派の勢力圏ですよ。ここから少し歩けば、公の現在の拠点である”ローム・ヴォーメース”だそうです。」
ソーラに続いて、アールンは船を降りて桟橋の袂で待つラディンとアルアータのところまで歩いていった。
「では、参りましょう。」
アルアータに先導され、4人は桟橋の警衛に会釈しつつそこを出発し、ところどころに明かりの灯る森中の道を進みはじめた。
秋の虫の音と、篝火のパチパチという音が混ざり合っている曲がりくねった小径を抜けると、唐突に石畳の広場に出た。
そこには自立式の大盾や幟旗が並べられ、長槍や弓を手にした警備の兵の数も多く、さながら戦陣のようであった。
その「陣」の背後には、うすらでかい白亜の建造物が建っていた。
4人の姿を認めると、陣中の兵士達は大盾を脇にどけ、奥の建物の正面の、ちょうどエーダの神殿の南大門と同じような作りになっている大門への道を開いた。
「この先が、”山颪の館”の前大庭になります。」
アルアータがそう言うのとほぼ同時に、大門がギイイという音を立てて開いた。
門を抜け、アーチ型の天井の幅の広い通路を抜けると、眼前には広大な沙石の庭が広がった。
そこでは等間隔に並んだ儀仗兵の後ろに、領主派と思われる百官や軍団が整列し、皆一様に4人に熱い視線を送っていた。
列の各所には金属製の火袋付きの篝火が配され、その灯りは官吏や兵士達の顔をぼうっと照らし出していた。
(うわ...視線が痛い。)
ピィィと、甲高い笛の音が一筋鳴った。
「エアン・ハー・ルメーディ(従者様に栄光あれ)!!」
『『エアン・ハー・ルメーディ!!』』
「タロント・サンダ・トールベーン(サンダ王国万歳)!!」
『『タロント・サンダ・トールベーン!!』』
「タロント・ハー・タナオード・レーブ(タナオード公爵閣下万歳)!!」
『『タロント・ハー・タナオード・レーブ!!』』
儀仗兵の合図に合わせて、整列した群臣から一斉に歓呼の声が上がった。
しかし、それはタナオードの市民のそれとは違い、整然とした迫力があった。
道の先には、”山颪の館”の前殿と思われる三層の楼閣、その背後には五層の楼閣が見えた。
前殿の前には、灰色の長衣を纏った長髪の男が、背後に2人の側近を連れて立っていた。
男は首から二枚の金色の板を縦に連ねた装身具を身につけ、左耳に小さな耳飾りをしていたが、サールドに比べれば、それでも些か質素な装いである。
「お初にお目にかかります。私めはクローザンサンイン、タナオード公爵のコート=グレンデルに御座います。この度は、聖なる”紅玉の従者”様に相まみえられましたこと、誠に恐悦至極に存じます。」
コートと名乗った長髪の男は、顔を伏せながらも目を閉じて人の良さそうな笑みを浮かべた。
「”紅玉の従者”、ソーラ=ベルハールと申します。此度、”ホルネレーグ”一派からの私達の救出に尽力していただいたこと、誠に感謝しています。」
「なんの。奴がタナオード城に貴女様方を連れ込んだ段階で、何か奸計があろうことは手に取るように分かりました。惜しむらくは、貴女様が聖域からお出ましになられた時に、直ぐにお守り申し上げられなかったことです。」
コートは、残念そうに肩を軽く落とした。
「ともあれ、先ずはお疲れでしょうから、この”山颪の館”でどうぞごゆるりとお休みくだされ。」
そう言って、長髪の公爵は、いつの間にか姿の見えなくなっていたアルアータを除く3人を屋敷の中へ導いた。
そうして、彼らの”山颪の館”での生活が始まった。
”薔薇殿”の扱いとは異なり、アールン・ラディンとソーラとは居室こそ違えど、互いの部屋には何時でも自由に出入りすることが出来たので、3人も特段の不満もなく過ごしていた。
”従者”の地位とは、神話の時代より連綿と続く伝統ある役職である。
その第一目標は「救世」とは言え、それだけのために好き勝手動かれては秩序が乱れてしまうし、一人では出来ることも限られているので、人脈や地盤固めというのも必要不可欠なのだそう。
些かまどろっこしいが、現実は神話や伝説の英雄譚ように単純明快というわけではないのだ。
館に入ってからというもの、ソーラは領主派閥の高官、経済基盤となる豪農や商人などと精力的に面会を重ね、彼らと繋がりを作っているらしいが、一介のお付に過ぎないアールンとラディンはそれらに同席することはなく、久方ぶりの平穏無事な日々を謳歌していた。
屋敷で出される料理はどれも味が良く、寝具や調度の類も使いやすく、居心地は文句のつけようが無かった。
ひとつ気になったのは、屋敷に入って以来アルアータの姿を見ていないことだった。
タナオード公に仕えているというのだから、この館に居てもおかしくない筈だが、何処にいるのかは皆目見当もつかなかった。
「夕宵ノ宴?...それに、俺も出るのか?」
「はい!前にアールンさんの事を話したら、是非とも一度お会いしたいと仰ったお方がいて。」
館に入ってから1週間ほど経ったある日、ソーラから今度行われる大晩餐会である、”夕宵ノ宴”に出てみないか、という提案を受けた。
「僕は?」
「ラディンさんのことは、特には...。何か話せば絶対ハニスカへ言及しちゃうことになるので...。」
「なるほど...まあ、ちょっと寂しいけど、楽しんできなよ。」
「う〜ん、楽しめたら良いんだが。」
明日の宴は、高貴な社交の場である。
そんな場所に、礼も見様見真似で場当たり的かつ付け焼き刃のものしか持ち合わせていない自分が出ても、恥をかくだけではなかろうか。
例え目をつけられるような粗相がなくとも、こちらが気を遣ってしまって食事や会話を楽しむどころでは無いだろう。
「多分私と一緒に動くことになるでしょうから、基本的な応対は私がしますよ。アールンさんは時が来るまで私の後ろに隠れ...コホン、待機しててください。」
「...まあ、そうするしかないだろうな。」
ソーラの言葉に、アールンは渋々頷く。
「あと...一応言っときますけど、勘違いしないで下さいね。」
終わる間際、ソーラは少し照れ気味にそう付け加えた。
アールンはその意を測りかね、「何をだ?」と訊きかえしたが、彼女はそれには答えなかった。
”夕宵ノ宴”は、”タル=サーク”の月の最終日に行われる習わしとなっている。
なんでも、会場の各所に分けて配置された大皿の料理を、皿を持ち歩いて巡って立食いするという、聞けば大層奇妙な様態の宴であった。
加えて、この宴のミソは、各食卓の料理を取るために様々な種類のお題に答えなければならないという点である。
お題は大別して二種類。二行四句の短い詩作と、古典や風土に関する当て物である。
(あ゛〜まずい、何も分からん。)
アールンは、”山颪の館”の裏手にあるオード山麓の森の中の遊歩道を散歩しながら、心のなかで嘯いた。
当て物ならまだしも、詩作などは彼には丸っ切り縁のないモノであった。
彼が今この小径を散歩しているのも、少しでも風流心を鍛えておこうかと思ってのことであるのだが、常緑樹の森の清冽な空気の中に潜り、鳥や獣の声を聞きながら一作吟じてみようと思っても、彼の頭には一向に何も浮かんでこないのであった。
石段を上り切ると、そこは切り立った崖の上であった。
眼下には、森中に鎮座する”山颪の館”の白い殿閣が、傾いた秋の太陽の、白と黄色の混じったような光に照らされているのが見えた。
「んん?」
先の方、小さな岩の上には一人の少女が座り、遠い目をして景色を眺めていた。
少女は肩丈に髪を切り揃え、”山颪の館”の使用人のものである薄緑の着物を纏っていた。
「あー...君は、館の人かい?こんな所で油を売ってて大丈夫なのか?」
アールンが声を掛けると、少女は彼の方へ向き、意外そうに少し眉を上げた。
「ああ、あなたは...。」
どこか、聞き覚えのある声だった。
「あれ、その声はもしかして...。」
「ええ、お久しぶりです。アルアータです。」
「やっぱりか。へえ、あの黒布取るとそんな感じなんだな。」
アルアータは、感心したようにそう言うアールンから目線を逸らした。
「がっかりしましたか。」
「いや?寧ろ隠しちまうのが勿体ないぐらいだ。で、あんた使用人なんだろ。戻らなくて良いのか。」
「いいのです。...どうせ戻っても碌なことにならない。」
アルアータの言葉にただならぬものを感じ、彼はそれを指摘したものかと暫し逡巡した。
「...そうかい。」
彼はアルアータと少し距離をとって腰を下ろした。
「あなたは、侍従長辺りに言われて私を探しに来たのですか。」
「いや...そういうわけじゃないんだけど...。今度の”夕宵ノ宴”に向けて、詩作の練習でもしてみようかとね。」
「詩作...宴というと、ロユナハークですか。」
「ああ。しかし、からっきしで。」
「...少しならば、お教えできることがあるかもしれません。」
「!心得があるのか?そりゃ有り難いな。」
アルアータの提案に、アールンは渡りに船だとばかりに声を上げた。
「まずは...取り敢えずこの景色で一作つくってみてください。」
「ここでか...。」
アールンは、改めて眼前の午後の森の景色を見渡し、息をひとつ吸って口を開いた。
ファロー・シラシャ、ランス・イナー・ガナン。
(森は輝き、東風は寒気を運ぶ。)
ト・クステ・ロー・アヌン、ト・ツィ・アナ・ケアン。
(苦労して登ってきたが、私は休まりはしなかった。)
「...笑いたいなら笑えよ。」
「いえ...でも、幾つか気になる点が。」
アルアータ曰く、彼の詩は主に3つの良くない点があるらしい。
・一行目の各句の語数が合っていない。不揃いな印象は減点対象。
・対句を意識できていない。少し句を長くして対句にすれば好印象。
・表現が直接的過ぎる。意外性のある表現を検討しなければならない。
以上をもとに手本を求めると、アルアータは崖の向こうを見つめて暫し黙考した後、ふっと口を開いた。
ファルナ・ホウン・アランタ・フナン・クヤッル・イー、
(木々は雫を湛えて光を留め、)
メース・シャータ・レフー・エスタ・モヤ・イスマ。
(颪は肌を薙いで楼閣の間を過ぎる。)
ト・ツィ・ダーシャ・オルシャン・メナク・オレーン・アヌン、
(私は息を切らし崖上に至ったが、)
ラグル・スターファ・アナ・フユン・グラータ・ツィ・マール。
(心中の風車はとどまることなく我が身を潰している。)
「...なるほど、『光を溜める』に『肌を薙ぐ』ねぇ...『心中の風車』は山颪に掛かってるのか。よく思いつくな。」
「内容は貴方の作からそれほど変えませんでしたが、言い方次第なのです。」
「確かに...少しコツが分かった気がするよ、助かった。しかし、あんたにそんな特技があったなんてな。」
アールンが感心してそう言ったが、それに対しアルアータは少し顔を曇らせた。
「詩作は一人でも出来ますので。」
そのような顔を、彼は見たことがある。遠い昔の記憶だが、これは...。
「その...俺の見当違いかもしれねえけど、もしかして、あんた誰かに嫌がらせでもされてんのか?」
「...なぜそう思うのですか。」
「その目だ。遠くて、重そうな。」
アールンの指摘に、アルアータはその小さな肩を落とした。
「...隠しても仕方ありませんな。」
少女はアールンの方へ向く。
「私の名前...”アルアータ”と申しましたね。」
「ああ。」
「どう思いましたか。」
「どうって...まあ、少し珍しい名前だな...とは。ほら、普通、名前って親の願いが込められてたりするだろ。俺だって”アー・ルン”だし。それが...『夜鷹』って、どういう意図で付けたのかな、とは思ったな。」
「...。」
少女はそれを聞き、一息つく。まるで覚悟を決めたかのように。
「実は、それは偽名なのです。」
「偽名...?」
「はい。表向きは使用人として、その実はタナオード公の暗部として出仕するに当たって自作したものなのです。隠密行動を生業とする者にはピッタリでしょう?」
「暗部...”薔薇殿”への侵入もその任務か。」
「はい...そして、私の真の名は、エレーネ=イーラというのです。」
イーラ。聞き覚えのあるその名に、彼ははっと目を見開いた。
「まさか...あんたサールドの...!?」
「はい。確かに私はイーラ家の一人娘です。しかし、私は君臣の序を超えて専断を働く父を看過できず、グレンデル公の元へ奔ったのです。」
”アルアータ”と名乗った時に、苗字への言及が無かったのもそのためか。
あまりにも自然に飛ばされていたので、あの時は誰も気に留めなかったが、考えてみれば苗字がないというのは特異なことである。
これは自分にも刺さる話ではあるが。
「だから、館で孤立していると。裏切り者だから?」
「いえ、まだそこまで身元が割れているわけではないのですが...素性が知れないというのはそれだけで恐れられるのです。」
「...使用人仲間にも、か。」
「はい。日々気味悪がられております。」
反吐が出る。彼女には何の罪もないというのに。しかし、親の罪が子に及ぶという理不尽もこの世の常ならば、彼女の厳しい境遇も致し方なしなのか。
あのタナオード公だって、理解とは言うがどこまで本心なのか。
”薔薇殿”への侵入とソーラの救出という任務は、あの長髪の公爵のアルアータに対する信任の証と取れなくもないが、一方で彼女の忠誠心を試しているかのようにも見える。
大悪の対立者は、必ずしも正義とは限らない。
あの公爵とて”ホルネレーグ”相手に勢力を維持して立ち回れるのだから、十割清廉潔白で純真無垢というわけにも行くまい。
「まあ、城で直に共に戦った俺達はあんたに二心なんて無いことは分かってるからさ。何か辛いことがあったら遠慮無く頼ってくれ。...まあ、どこまで出来るかは分からんが、最悪一緒に落ちられるぐらいには皆も覚悟決まってると思うぜ。少なくとも俺はそうだ。」
まあ、ソーラには公人としての立場があるからちょっと難しいだろうけどな、とアールンが屈託無く笑いつつそう言うと、アルアータも初めて頬を緩ませた。
「...そうやって、従者様も落としたんですか。」
ふっと鼻を鳴らしてそう言ったアルアータに、何のことかとアールンは一瞬腑に落ちなかったが、直ぐにその意を理解し目を見開いて立ち上がった。
「いや、いやいや、別にそんなやましい意図は無くてだな...!俺はただ、あんたが悩んでそうだったから...!」
「どうだか...それに、従者様の部分は否定しないんですね。(笑)」
「あのなぁ...!というか大体なんでソーラが出てくるんだよ!」
「さあ、何故でしょうかな。」
冷や汗をかきながら必死に弁明を試みるアールンを、アルアータは面白そうに眺めていた。
「...少し元気がでました。有難う御座います。」
「へいへい、そりゃようございましたね。」
「という訳で、詩作の練習に戻りますか。」
「え、まだやるのか?」
「まだ貴方の一作を添削しただけじゃないですか。技というのはそんな簡単に身につくものではありませぬ。場所を変えて、もう一作作ってみるのです。」
「ぐええ...。」
こういうところは、やはり名家の息女なだけあるのかかなりストイックだ。
アールンは予想外に長丁場になりそうなことに肩を落としつつ、立ち上がって森の奥へ歩きだしたアルアータの後に続いた。
「今更だが、これからも”アルアータ”って呼んで良いのか?それとも本名で呼んだほうが?」
「...本名はあまり公言しないで頂きたい。」
「悪い悪い、ただ、ちょっと気になってな。」
それから、2人は森の中の大木の根元や沢の小さな滝の側など、幾つかの場所で詩作の練習を行った。
その日の後も、アールンは折を見て”山颪の館”の裏に出向き、剣の鍛錬などの傍らで、アルアータの教えを思い出しながら度々詩を作っては、夕方頃に決まって例の崖上に現れるアルアータに講評を頼んでいた。
「よくもまあ、こんな短期間でここまで持ってきましたね。」
「おお、もしかして才能ある?」
「いえ、だいぶマトモな形になってきたという意味です。」
と、このように毎度妥協のない辛口な回答を頂いているが、アルアータの言葉通り、彼の詩作の腕ははじめの頃よりはだいぶ人前に出して恥ずかしくない出来に仕上がっていた。
「まあ、それなら明日の宴ではなんとかなるだろ。」
「ええ。頑張ってきてください。」
「あんたは...流石に宴の場には出ないよな。」
「はい...有力者達の中には、『エレーネ』を知る者もそれなりに居ますので。」
そう言えば、アールンが宴に出る主たる理由も、彼に会いたがっているという領主派の名士と会うためであった。
(どんな感じだろうな...。)
頭の中に、偏見のみでゆったりとした羽織を纏う恰幅の良い中年男性の姿を浮かべつつ、彼は明日の”夕宵ノ宴”に思いを馳せた。




