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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
15/19

14 奸謀

昼下がりの白い陽光にあてられて煌めく銀の肩当てと灰色の長衣を纏った儀仗兵が、左右にニ列で槍を立てて並び、濃い赤地に金の模様の入った幟旗が各所ではためいている。


旗の模様には、ソーラの右手の紋様と同じ意匠が施されていた。どうやらあれが”紅玉の従者”の印のようなものらしい。


兵列の向こうには、槍列の間から重厚な白い殿閣が見えた。

五層の楼閣は上層になればなるほど大きくなり、分厚い屋根の四隅の反り上がりは、まるで天に向かってその手を広げているように見えた。


「ここが、これから貴女様にお使い頂く、”イスム・ナハラール(薔薇殿)”に御座います。」


サールドに先導され、彼らは殿閣の中に入った。


殿閣の正面玄関の先は中庭となっていた。

その広さはかなりのもので、沙石や丸い岩と整えられた芝とが入り混じる庭の中の至る所には回廊が渡され、その先の五層の楼閣に通じていた。


「おっとと、ったく何だよ。」


サールドとソーラに続いて、アールンとラディンが回廊に入ろうとすると、左右に控えていた衛兵が屋内用の短槍を交差させて待ったをかけた。


思わずそれにぶつかりかけたアールンは、不満げに抗議した。


「この先は従者様のお使いになる主閣だ。侵入はまかりならん。」

「ああ...。」


冷たい衛兵の言葉に、しかし反応したのはアールンとラディンでは無かった。


「構いません。通しなさい。」


ソーラの命令に、衛兵達ははたはた困り果てたようにアールン達とソーラの方を交互に見る。

見かねたサールドが諌めるように言う。


「従者様。この先は仮とはいえ生活の場にございます。仮にも他人、まして男を入れたとあれば、それは貴女様の沽券に関わりましょう。」

「彼らはそのような者たちでは...!」

「そういう御事情もありましょうが、この街の民はそのようなことは存じ上げますまい。悪評は秋の野火の如く広まりましょうな。」


すると、流石のソーラも反論できずに黙ってしまった。

それを確認すると、サールドは衛兵に指示して2人を離れに連れて行かせた。



薔薇殿の端に位置する離れの建物は、五層の主閣に比べるとこじんまりした造りであったが、庶民のアールンにしてみれば、それでも尚石造り且つきちんと畳敷きの空間もあるという「恵まれた」環境であった。


「ソーラさんの方は大丈夫かな。」

「まあ、多分大丈夫だろ。」


主閣の方の様子を伺っているラディンの言葉に、アールンは畳に寝っ転がりながら答える。


「随分適当だね。君たちはずっと一緒に旅してきたんじゃないのかい?」

「そりゃあ、大事には思ってるがな...。」


自分の力量以上の心配をした所で、守り通せる訳でもないのだから、虚しいだけだ。

彼はそれを、今までの旅路で痛いほど身に沁みて理解していた。


「そうだ、君はさ、どんな人が好みなんだい?」


唐突に、ラディンはそんな事を聞いてきたので、アールンは驚いて


「何だよ急に。」と聞き返した。


「いや何、あんな可愛い娘と旅してて浮ついた話の一つもないような人間は、一体どんな嗜好を持ってるんだろうなって、純粋に気になってさ。」

「ええ...?」


アールンは困惑しつつ、自身を省みる。


「...思えば、余り誰かを特に好きになることは無かったな。それどころじゃなかったってのが主な理由なんだが。」

「というと?」

「仕事が忙しい。食い扶持を稼がにゃならん。...強いて言えば、大昔一度だけ、エイローアから来た商船に乗ってた女の子にときめいたことがあったな。多分、5つか6つの時だ。」

「ほう!」


アールンの言葉に、ラディンは目を輝かせた。なぜこの青年はこんなにもその手の話に興味を示すのだろうか。


「あの子は...ちょうどソーラに似たような雰囲気だったはずだ。無論髪色はぜんぜん違うがな。まあ、あの時は北方の言葉はてんで分からなかったから、碌に話しかけられもせずにトレイギャド(蒸しパン)を贈るだけに終わっちまったけど。」


アールンは苦笑気味にそう言い、ラディンにもそっちはなにか無いのかと聞き返した。


「僕かい?僕は無いなあ。逆にあると思うのかい?」

「ったく、いつも俺にだけ語らせるくせに、あんたは何にも言わねえのな。」

「そんなこと言ったって、無い袖は振れないだろう?それに、今の話に僕の恋話は関係無いはずだよ。」


のらりくらりと躱すラディンに、アールンは呆れて溜息をついた。


(...んん?今何か気配がしたような...?)


ふと、首筋にピリッとしたものを感じ、彼はすこし顔を上げた。




日中とは思えないほど薄暗い巨大な空間には、水が張られていた。


部屋の中軸上には、大小二つの円形の小島のような陸地があり、空間の出口から向かって手前側の小さい方と外界とは一本の踏み石の道だけで繋がっていた。

重苦しい空気の中、小さい島に立つ”ホルネレーグ(家宰)”サールドは、面前の大きな方に立った黒尽くめの被り付きの人物を見据え、軽く頭を下げた。


「では、お願いいたす。」


すると、黒尽くめの人物は頷き、背を向け両手を掲げてなにかよく分からない言葉をぼそぼそと口ずさんだ。


すると、人物の手から赤黒い瘴気のような靄が溢れ出、それが立つ島の縁部に吸い込まれていく。

程なくして、ゴオオという地鳴りのような音がしたかと思うと、島の縁部がゆっくりと四つに分かれて本体から分離し、次に島の中心から円柱状の物体がせり上がってきた。

刹那、天井から身の毛もよだつような音が聞こえてきたかと思うと、赤黒い節くれだった「手」が伸びてきて、”円柱”を掴み上げた。


円柱の底面は複雑な模様が施されていて、その細かな隙間の一つ一つから赤光を発している。

光線は島の上に、朧気な座椅子の形を形成した。


サールドは息を呑む。この現実離れした光景と、これからそこに”現れる”人物についてとの双方に。


新たな光の筋が、人の形を成した。


「お久しゅうござる、フージェン殿。」


サールドの挨拶に、赤光の人影は頷く。


『どうも。それで...例の人たちはいらしたかい?』

「ええ、確かに”黒”でしたよ。今はきちんと私の管理下に置いていますがね。」

『仕事が早くて助かるねぇ。では、機を見て処理してくれたまえ。出来るだけ早くお願いするよ?』

「...了解しました。」


フージェンの人影は座椅子に腰掛け、まるで王かなにかのようにサールドを見遣る。


『そうだ、”従者”についてきてる男がいただろう?あれもきちんと殺して欲しいんだけど、彼結構手強いと思うから、特別に”銃兵隊”も使わせてあげるよ。』

「良いのですか。」

『うん。でも、最低限で、使用分はちゃんと報告すること。じゃないと”霊気弾倉”の補充ができないからね?』

「分かりました。」


その返事を聞くやいなや、座椅子に座ったフージェンの姿は塵と消えた。



フージェンとの”会合”が終わると、”手”は石柱を元あった場所に丁寧に嵌め込み、またも気持ち悪い音を立てて天井に引っ込んでいった。


それを確認すると、それまで大きな島の端に控えていた黒尽くめの人物も何処かに姿を消した。


サールドは改めて空間を見渡す。

ここは、”大災禍”の直後に、タナオード城のセラン(台郭)の最も低い地下階の更に下に見つかった空間である。


サールド自身その発見には驚いた。地下にこれほどのものがあろうとは。


巨大な空間の壁面には、サンダのアレ(文字)とは異なるよくわからない文字で呪文のような何かが書かれている。

あれは、ここを造った者達の文字なのだろうか。サンダ人と異なるのならば、それは何者なのか。それらは何一つ分からなかった。


「...っ!」


サールドは、周囲に誰もいないのを確認してから歯を食いしばった。


ここを使うことで、彼はさっきのように、エーダの顔役でありエーダ半島の”魔軍”の頭目でもあるフージェンと連絡をとり、かの者と協調する事ができた。


表面上は、通商を主軸とした協力関係。しかしその実は、従属と傀儡化であった。


男には、その立場に甘んじるだけの理由もあった。


しかし、男の矜持――伝統あるイーラ家の当代としての誇りは、成り上がり者共に、まして穢れた魔の勢力に従い諂うことなど良しとはしなかった。


「エレーネ...そなたは正しく生きていてくれ...。」


男は、ほぼ口内から出ないほどの小声でそう呟き、身を翻してその空間を出ていった。




結局、アールンが感じた気配の正体は分からずじまいに終わってしまった。

正午近くになって下女がやってきて、彼とラディンを主閣まで連れてきた。

主閣の一階では饗宴の支度がなされていて、3人分の膳に色とりどりで華やかな料理の小鉢が並び、中央の大きな座卓には、大皿のサンガ牛肉の蒸し焼きや魚の詰め物料理などが鎮座していた。


「これ...ほんとに3人で食うのか...?それとも誰か追加で来るとか...?でも膳は3人分しか無いし...。」


座卓の向こうには、太鼓やシャリオヤ(弦が左右に4本ずつ2組あるサンダの琴)に鐘など、余興の音楽のためかと思われる楽器群が並んでいた。


正に上流の饗宴といった感じで、アールンとラディンは共に少し気後れしてしまった。


「あ!こっちですよ!」


ソーラは既に、横に3つ並んだ内の中央の膳の前に座り、2人を待っていた。


「いやはや...凄いな。いかにも賓客って感じだ。」


アールンが感慨深げにそう言いつつ、2人はソーラの両側に座った。


「あまり浮かれないでくださいよ...何が入ってるか分からないんですから。」

「何がって何だよ。」

「毒とか、色々ですよ...私には毒見役が入るようですが、アールンさん達には入らないんですからね。」

「うわぁ...それにも気をつけにゃならんのか。ったく一気に冷めたわ...。」

「まあ、私よりは命の危険は薄いはずですが...。」


ソーラはそう言っているが、アールンとしては全く無警戒というわけにもいかなかった。

事実、チロンの敗戦の折に遭遇した刺客は、ソーラだけでなく何故かアールンまでも標的にされているらしかったのだ。

理由はわからないが、自分もまた決して安全というわけではない。



「それでは、どうぞ心ゆくまでお楽しみくだされませ。」


しばらくしてサールドが現れて3人の近くに腰を下ろし、そう言って宴の開始を告げた。

宴が始まると、先ず下女達がそろそろと出てきて、3人の側に控えつつ、中央の大皿から料理を小皿に分けて持ってくる。


取り分けられた肉料理を有り難く受け取りつつ、アールンは慎重に小さく一口食べてみた。

口の中に、甘辛いタレの旨味と香りが満ちる。


(...美味い。大皿には特に変なものは入ってなさそうだな。)


その後も、アールンは警戒しつつ一通りの皿に手をつけたが、毒の類は確認されなかった。

どうやらラディンの方も同じようで、青年の箸を進める速度はみるみる上がっていた。


一方、大皿から取る料理も分ける度に毒見を経なければならないソーラは、その安全の代償として冷え切った食べ物ばかりを食べる羽目になっているようで、保温機能付きの大皿から取る温かい料理を直接食べられるアールンとラディンの方を度々恨めしげに見ていた。


饗宴の始まりから四半時(15分)ほど経った頃、大皿の座卓が端に寄せられ、宴の場に楽団と踊り子達が入ってきた。


銅鐘の澄んだ音を基軸として、せせらぐ小川のような弦楽器の音色や、空を一直線に飛んでいく鳥のような笛の音、勇ましい太鼓の音などが織り交ぜられ、それらは宴の場に満ちていく。


踊り子たちは、楽人達の奏でる音楽に合わせ、口の広いゆったりとした袖を振って踊っている。

音楽は、軽快なものから重厚なものまで様々で、それに合わせてくるくると舞う妓女達の様子は見ているだけで楽しかった。


それらが一通り終わると、今度は何と腰に剣を佩いだ四人の男たちが入ってきた。


アールンはその物騒な見た目に思わず眉を顰めたが、ソーラは落ち着き払っていた。


「これは剣舞ですよ。」


男たちは円になって剣をパッと抜き放ち、中央でその切っ先を交わらせる。


一呼吸置いて、4人は散開し、一対一、二対二、三対一、四つ巴など、様々な”戦”の状況を再現したような舞を披露しはじめた。


舞では、剣の払いや突きとそれを躱し防ぐ動きとが一体となり、全体として調和した一つの物語を形成していた。


(随分物騒だが...綺麗ではあるな。)


それは、戦の”美しい部分”を切り取ったようなもので、彼にとっては些か違和感があるものの、その美を理解することはできた。


しかし――


(近付いて来てる...?)


タンッ...タンッ...と足を踏み剣を振るう傍ら、男たちとアールン達3人の居る場所との距離は次第に縮まっていった。


それはソーラやラディンも気づいているらしく、この場で唯一帯剣が許されているソーラは、徐ろに脇に置かれた自身の剣に手を伸ばした。


そして、ついに刃の交差が目と鼻の先にまで至った所で、ソーラの

目の前で背を向けていた身体の大きな男が、自らに向かって正面から突き出された剣を()()()()()()()()()


当たりどころを失った刃は、一直線にソーラに向かっていく。


だが、ソーラは咄嗟に抜剣し、それらを弾き返した。

弾いたままの姿勢で停止し、荒い息のまま男を冷たく睨むソーラに、男達は呆気にとられて硬直している。

彼女の刃の神速たるや、アールンでも目で追えないほどであり、彼も一瞬何が起きたのかを理解できなかったが、すぐに我に返って叫んだ。


「おい!何してんだ危ねえだろ!!!」


脇に控えていたサールドは黙っていたが、やがてはぁと一つ息をついて警衛を呼んだ。


「事故とは言え、聖なる従者様の御身を危うくしたことは、並々ならぬ罪である。沙汰は追って申し付ける。連れて行け。」


そう言って、サールドは衛兵に、剣士達の内、ソーラに剣を向けた男とその剣撃を躱した男を連行させた。

残りの2人は何が起きているのか理解が追いついていない様子で、なすすべ無くその様子を見ていた。


「申し開きのしようもございません、従者様。事前に私めの方で、腕に覚えのある芸人を厳正に審査し選抜しておりましたが、まさかあのような粗相をしでかすとは...。」

「...今後は、よく注意しなさい。」


大仰に陳謝するサールドに、ソーラは平坦な口調でそう言って終わりにした。


(ったく、『暗殺失敗して残念〜。』の間違いじゃねえのかこの野郎。)


その様子を見て、アールンは辟易して溜息をついた。



剣舞は中止となり、饗宴はどこかよそよそしく不満が残る雰囲気のまま(たけなわ)となってしまった。

アールン達が先に広間から出ていこうとすると、ソーラはそれを呼び止め、サールドに向き直ってこう言った。


「この者達は、やはり側に置いておくこととします。」

「...恐れながら、理由をお聞かせ願えますか?」

「エフラムの戦陣に於けるローハン王や、”仰星宮の宴”のアルホード輔政など、古来より剣舞を装った暗殺の奸謀は、その成否を問わず枚挙に暇がありません。警戒するなと仰る方が無理がありましょう。」

「...分かりました。」


流石のサールドも、この事件を受けては素直に引き下がるしかないようだ。


(一先ず3人でまとまれたな。これ以上何も無いと良いんだが...。)




離れに置いてきていたそれぞれの荷物を回収し、アールンとラディンは主閣に移った。


宴の片付けの終わった主閣の一階で暫しのんびりしていると、ラディンが厠に行きたいと言い出した。


「場所はどこだったかな。」

「確か、正面玄関の方にあったはずだ。」

「了解!」


ラディンがそう言って出ていった後、ふと、彼はソーラに言った。


「しかし、あんたのさっきの動き、凄かったな。」

「さっきとは...?」

「ほら、剣士の刃を弾いた時の。バッ、カキーンって、速すぎて目で追えなかったぞ。」


往時の再現を再現するかのごとく腕を振るアールンに、ソーラは照れ気味に返す。


「もう、やめて下さいよ...。」

「すまんすまん。でも、良い反射だったぞ。俺もあそこまでは出来ないんじゃねえかな。」

「いやいや...そんなこと無いと思いますけど...。」


面映ゆくなって顔を背けるソーラを、彼は微笑ましく見ていた。

しかし、そのようなゆっくりとした雰囲気は唐突に断ち切られた。


「お〜い、おふたりさん、()()()()()()()()()()()()

「いや、まあまあ大きかったし、そのぐらい分かるだろ。」


そう言いながら、ほとほと困り果てた様子で帰ってきたラディンに、アールンは訝しげにそう返した。


「いや...それがね、どうにもそれが見つからないんだ。」

「はあ?」

「ちょっと来てくれないかい?」



既に夕刻となり、薄暗くなって燭台に火が灯りはじめた回廊を3人は歩いていく。


「ここで一周してきた筈だが、確かにどこまで行けども壁、壁、壁...って感じだな。」

「だろう?まるで玄関が()()()()()()みたいなんだ。」

「そんなことってあるかよ...。」


アールンは困惑したが、ソーラは若干顔色が悪くなっていた。


「どうした?」

「...もしかして、私達”ファヤル(夢王)()レガントール(宮殿)”に閉じ込められてしまったんじゃないかって...。」


『夢王の宮殿』とは、サンダの古いお伽話に出てくる出口のない宮殿のことである。

もしも子供が3回以上連続で悪さをすれば、夢の中でそこに住まう”夢王”に連れて行かれ、その宮殿の中で永遠に王の無聊を慰める役回りをさせられる... などという、よくある親たちの”脅し”の物語である。


「んなわけ...。でも、なんで急に出口が消えたんだ?」

「考えられるのは、仕掛け壁とかかな。出口の傍らの壁が横に動いて、出口を塞いでしまったとか。」

「...いずれにせよ、これを仕組んだのは間違いなくこの城の今の主だよな。」

「ああ。」

「...ですね。」


これは、もはやほぼ”黒”と言っていいだろう。


「主閣の最上階に上がっておこう。最悪の事態のために。そこまで上がれば、千の兵でもそう易々とは攻め寄せられないだろ。」


アールンの提案に、2人も頷いた。




主閣の最上階である五層の広間の中には、黒い装束と頭巾を纏い、同じく黒い布で顔を隠した小柄な人物が居た。


「...誰ですか。」


ソーラはそう問うが、アールンは抜剣してその前に立ち塞がる。

しかし、黒装束...とはいっても草原で遭遇した長衣の刺客とはまるっきり異なる、動きやすそうな格好の服の人物は、広間の中央にちょこんと正座したままゆっくりと頭を下げた。


その深さからいって最敬礼の姿勢だろう。


「避らぬ事情により、このような形での参上と相なりましたこと、平にご容赦を。...お初にお目にかかります、”従者”様。私めはこの街の領主家であるグレンデル家にお使え申し上げております、”アルアータ”と申します。」


言葉遣いは文句無しに丁寧だが、その声の高さからして、この”アルアータ”と名乗った人物は女性、それもかなり年若い者のようだ。


(アルアータ...”夜鷹”?なんとも変わった名前だな。)


「それで...貴女は何用で参ったのですか。」


ソーラの問いに、”アルアータ”は顔を上げて、顔を覆う黒布の向こうから3人をじっと見つめた。


「貴女がたを、我が主のもとへお連れするために御座います。」

「貴女の主...領主殿ですか。今、グレンデル卿は聖域警備でお忙しいと聞きましたが。」

「あの”ホルネレーグ(家宰)”の言葉を真に受けてはなりません。あの男は今のタナオードの混乱に乗じて殿を城から追い出し、政の実権を奪わんとしている不届き者に御座います。」


ああ、やはり自分の予測は正しかったか。あまり当たってほしくは無かったが。

アールンは剣を仕舞いつつ、ソーラに耳打ちする。


(彼女の話に乗ろう。さっきも事故と言っていたとはいえ、あの家宰はかなり怪しい。ここは対立勢力と結んどくのが常道だ。)

(同感です。)


そして、ソーラはアルアータに向き直り、こう告げた。


「分かりました。では、先導をお願い致します。」

「ご理解頂き、恐悦至極に存じます。」


アルアータはそう言って再度低頭した。

だが、アールンはさらに少女に問うた。


「一応聞くが...ここは敵地のど真ん中だ。もしも戦闘になったら、どうするつもりだ?」

「...その時は、この私が命に代えても皆様方の御身を守り通す所存。」


しかし、その答えに彼は厳しい顔をして首を横に振った。


「ったく、乱戦の中で1人で3人も守れるわけねえだろ。俺達も戦わせてもらうぞ。」


そして、彼はラディンの方へ向いてこう訊いた。


「俺とソーラは大丈夫だが、あんたは戦力として数えていいのか?()()()()()()?」


その問いに、ラディンは一瞬戸惑いの表情を浮かべた。


この場には、生粋のタナオード人である”アルアータ”も居る。彼の「武器」を出せば、衝突は必至だろう。


その逡巡を察し、アールンはこう付け加えた。


「...あんたはこの場で喧嘩になるのを恐れてるんだろうが、今はそうも言ってられん。戦力は多いほうが良い。使えるもんは何でも使いたいんだ。」

「...分かったよ。でも、この場で叩き斬られないようにだけ気をつけてくれよ?」

「分かってるさ。」


すると、青年は革の外衣の裏から”ハリージェ”を取り出し、左手に嵌めた。


それを見て、やはりと言うべきか、動揺し腰の短剣を抜かんとする者がいた。


アルアータが背筋を伸ばし、その細い腕が剣の柄に向かうのを視認した瞬間、アールンの知覚する世界の速度は一気に減衰した。


(こんな所でなってもな...まあいいか。)


不遜な考えを抱きつつ、彼はアルアータの腕を掴んだ。


周囲の時間の流れが再加速する。


「待て。」

「...この者は聖獣を害せし者達の一味ですぞ。それが従者様の御側に隠れていたとは...この場で誅殺するのが妥当でしょう!?」


何故邪魔をするのか、と反感の眼差しでそう言うアルアータに、アールンはソーラの方を向く。

この手合いは、理屈ではどうにもならない。ならば、この場で最も権威ある者を利用するに限る。


「ケルパの誘拐にはラディンは関わってない。むしろ彼はハニスカとの仲立ちを買って出てくれた。それはあんたも承知の上だよな。」


「...はい。」と、ソーラも頷く。


「と、いうわけだ。...この人は決してタナオードの為の”従者”じゃなく、サンダの為の”従者”だ。あんたらばかりに肩入れして対立を助長したいわけじゃない。確かに納得いかない部分もあろうが、ここは一つ我慢して共闘してくれないか。」


アールンの言葉に、アルアータは渋々といった風に頷いた。


「じゃあ...何が使えるん――」


ラディンの方へ向いてそう尋ねようとしたが、その言葉は甲高く物騒な笛の音に遮られた。


「!?」


その場の四人は一様に外を見る。


その内、ラディンを除く3人は、その笛の音の意味を理解していた。


『前進。』


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