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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
10/18

9 陽光を背に

「おはようございま〜す...って、ああ、お取り込み中でした...?」


翌朝、早くからお節介にも起こしに来たリンに変な勘違いをされつつ、2人の新たな一日が幕を開けた。


階下に降りると、既に起きていたレーミーがソーラに間に合わせの普段着を着せた後、早速2人を仕立て屋に連れ出した。


自らの職場に向かう工人や農夫、それらに昼食用のトレイウル(握り飯)などを売りこむ商人たちでごった返す朝の通りは、沢山の話し声で満ちている。

通りで話されている千差万別の話題の中には、どこから伝わったのか昨日のアールンと何とか言うダサい名前のチンピラ集団との暴力沙汰の噂もあった。


(思ったより広まってるな...。顔まで割れてないと良いんだが。)


そう思いつつ、彼はソーラとレーミーに促して足早に通りを進んでいった。



仕立屋”フェルナームス(春の風)”の店舗は、アドルイェール商会の商館よりは一回りも二回りも小さいものの、それでもかなりの大きさの、二階建て石造りの建物であった。


「ここが、私の知る中で一番の品揃えの店だよ。店主さんとも知り合いだから、遠慮なく行っちゃって。」


そう言って、レーミーに促されるままに3人は開け放たれた商館の大扉の中に入った。

入ってすぐの場所には年季の入ってそうな黒い会計台がある。

会計台の上にはこれまた古そうな帳簿やメモ書きが山のように載っていて、その奥には背の曲がった老年の男性が座っていた。


「いらっしゃいませ...おやおや、レーミーさん。」


老人はこちらに気づき、その皺だらけの顔をにんまりと歪ませた。

その形相は少し不気味なもので、初対面のアールンとソーラは思わず少し後ずさった。


「どうも、サイルさん。今日はこの娘の服を仕立ててもらいに来たのよ。」


レーミーはそう話しながら、ソーラの背中を押してサイルと呼ばれた老人の前に出した。


「おや、これはこれは随分な別嬪さんだことで...。では、早速採寸を致しましょうかねぇ。」


そう言って、老人はすくっと立ち、会計台を出て奥へ向かって「セアンさん!」と声を掛けた。

すると、裏方からスラッとした雰囲気の女性が現れ、「では、こちらへ。」といってソーラを店の奥、色とりどりの反物が並ぶ展示台の向こうへ連れて行った。

レーミーも一緒に行ってしまったが、アールンは会計台の前に老人と共に取り残されてしまい、2人の間に気まずい空気が流れた。


不意に、サイルが口を開いた。


「しかし...あの娘さんは本当に”美しい”ですな。」

「何だ、急に。」


感慨深げな口調に、アールンは若干警戒した。


この老人も、昨日のチンピラ共のようにソーラに偏執する者なのかもしれない。

しかし、彼の表情が固くなったのを察してか、老人はゆっくりと補足する。


「ああ、決してやましい心からではありません。しかし、彼女には”美しさ”がある。外見、纏う雰囲気、私にはそのぐらいしか分かりませんが、その全てに人を惹きつける何かがあるように感じられるのです。」

「はあ...。」


話が見えず困惑するアールンだったが、サイルはそのすぐ横まで歩いてきて、耳を近づけるように合図した。


「...惚気で言っているのではない。ひょっとしたら”従者”である可能性がある...という話だ。」


耳元で、早口かつ口調も豹変した無声音が響く。

その突飛な情報に、アールンは弾かれたように頭を上げ、信じられないといった風に老人を見た。


”従者”とは。


それは、伝説に語られる、霊石を携え王に使える2人の人物のことである。

”紅玉の従者”は、世界で最も「美しい」者、”金剛の従者”は、世界で最も「強い」者が選ばれ、”翡翠の霊石”を携えし「賢き王」に従い、国難を打ち払い大業をなす...というのがその伝説の伝える所だ。


老人の文脈からすると、ソーラはそのうちの”紅玉”に当たる、ということか。

とは言え、おとぎ話のようなその話をそう安々と鵜呑みにできるわけではない。


「あまり適当なこと言うなよ。」

「...あくまで老人の想像、もしやの話です。信じるも信じないも貴方次第。ですが、このことはくれぐれも他言なさらぬほうがよろしいかと。」


彼は、信用ならないといった目で老人を見下ろした。


「百歩譲ってそれが本当だとして、何でそれを俺に言うんだ。直接彼女に言ってやればいいじゃないか。」

「これは重責です。無闇に話せば、忽ちにそれに押し潰されてしまう。その時機は、彼女の近くに居る貴方に見極めてほしいのです。...信じられないのも重々承知の上です。もしそれを確かめたいと思うなら、ここより東の地、オードの山々に住まう聖獣の元を尋ねると良いでしょう。そこでなら、きっと全てが分かるはずです。」

「...もう少し具体的な場所を教えてくれないか。その山のどこに行けば会えるとか...。」


アールンは少し興味が湧いたので、更なる詳細な情報を聞き出そうとサイルに尋ねた。


ひょっとしたら、仮にソーラがその”紅玉の従者”であると分かったならば、その権威は「ベルハール家の後継者」のそれに匹敵するものになるだろう。

そうすれば、昨夜彼女が涙ながらに語ったような事態は、幾分もマシになるはずだ。


「ふむ、ご興味がお有りのようで...、ならば、この街から東に伸びる街道を行った先にある、オードの山麓の街、タナオードに行ってみると良いでしょう。かの街は聖獣を祀る山中の神殿の門前町。手がかりも見つかるやもしれませんな。」


まあ、かの街も今は何やらきな臭くなっているようですが。と最後にそう付け加えて、老人は言葉を切った。


「...ありがとう。」


アールンがそのように礼を言った時、店の奥から明るい声が聞こえてきた。


「そろそろ向こうも終わったようですな。」


サイルがそう言うのに、彼も頷いた。



布地の選定は終わったが、着物の出来上がりは明日になるだろうというので、彼らは一度家に戻り、その日は終日家の中でのんびりと過ごした。

そしてその夕方、アールンはソーラの部屋に行き、彼女にとある提案をした。


「東へ、行かないか?ちょっと足を伸ばしちまうことになるけど...。」


当初の目的、エーダの偵察からは完全に逸脱した旅なので、彼は少し遠慮がちにそう言った。


「東...そうですね!良いと思います。」


どうやら、ソーラにも何か考えがあるようなので、彼はそれを聞いてみた。


「昨日の夕方、フージェンの乗った”浮艇”を見て、あれをヘイローダにも導入できたら、きっと役に立つって思ったんです。それで、レーミーさんが言うには、『あれはハニスカで造られている』と。ならば、一度伺ってみても良いかもしれない...と思ってたんです。」


なるほど、確かにハニスカという場所は気になっていたところではある。

しかし―


「でも、レーミーさんはハニスカは南にあるって言ってたぞ。東とは方向が違うんじゃないか?」


そう懸念を伝えると、ソーラは自信満々に答えた。


「大丈夫です!多分、彼女の言ってた”ハニスカ”というのは、恐らく王国時代に霊気採取を行っていた、”ハニスカ大採取場”のことだと思うんです。今でも人が居るのは驚きですが、とまれ、エーダからそこまで行くには、東行してタナオードという街を経由し、そこで南に折れるより他ありません。つまり、方向はそこまで違わないはずなんです。...アールンさんは、東には何の目的で?」

「ちょうど今あんたが言った場所だ。タナオード、そこに行ってみたい。」


アールンの言葉に、ソーラは不思議そうな顔をした。


「...?あそこは一応オード山地の門前町ではありますけど...アールンさんって意外と信心深かったりするんですか?」

「いや、別に巡礼とかそういう目的じゃねえんだけど...。」


アールンは、そこで次の言葉を言うのが無性に恥ずかしくなったが、意を決して口を開いた。


「あのな、これから少し大事な話があるんだ。」


真剣に目の前の少女を見据えると、ソーラも思わず息を飲んだ。


「今日の朝の仕立て屋の爺さん、覚えてるか。」

「ええ...でもそれが?」

「実はな、あんたが採寸に行った後、あの爺さんから、あんたがひょっとすると”紅玉の従者”なんじゃないかって言われたんだ。」


アールンのその発言に、ソーラは途端に目を見開いて赤くなった。


「こここ、”紅玉”...!?」


当たり前の反応だろう。それは自分がこの世で一番綺麗とされる可能性がある、なんて言われてるのとほぼ同義なのだから。


「ただ、これは完全に予想の域を出なくて、全く収穫無しってことも大いに有り得る話なんだが...。」

「ちょっと、それはそれで傷つくんですけど。」

「はは...兎も角その爺さんが言うには、あんたが本当にそうなのかは、タナオード、いやその奥のオードの山々に棲む”聖獣”に会えば分かるらしい。それで、仮にそれが真実だったら、その権威は何物にも替え難いものだろ。」


そこで、彼は言葉を切り、窓の外を見る。


「たとえ、あんたがペルオシーで居場所を失ってたとしても、その力がありゃあ、人並みぐらいには扱ってもらえるんじゃねえか...って思ってな。まあ、それだけに頼ってばかりもいられねえだろうが。」


その言葉に、黒い髪の娘は穏やかな表情を見せた。


「...本当に、不思議な人ですね。貴方は。」



その翌朝早く、”フェルナームス”から、完成したソーラの着物が届いた。

まだ太陽が地平から顔を出したばかりの頃、彼女の着替えを隣部屋で待っていたアールンのもとに、真新しい装束を身に纏ったソーラが現れた。


「おお...。」

「に、似合ってますか...?」


彼女の今の出で立ちは、金色に縁取られた襟付きの黒色の長袖とスカートの上に、厚手の温かそうな赤色の帯を巻き、金色の留め具の付いたベルトを帯締めとし、肩には青い矢羽の柄入りの灰色のトラークップ(サンダ伝統の、薄手かつ襟無しのケープ)を羽織っているといったものである。


長袖の袖と腰帯には複雑な紋様が施され、且つその意匠や色は統一されているので、全体的に彼女の整った印象をより引き立てているように感じた。


「良いんじゃないか。さっぱりして、普通の庶民の旅人って感じで。」

「良かったです。」


それから程なく、彼らは階下に下り、事前に言って用意してもらっていた早めの昼食を摂った。


サンダの習慣では普通こんなに朝早くから食事を摂ることはなく、正午ごろの「昼食、昼餉」と日が落ちてからの「夕食、夜餉」の一日二食が一般的だが、朝から出発する旅人などは、このような「朝食」を摂ることも珍しくない。


「しかしねぇ、もうちょっとゆっくりしてっても良いんじゃないの?」


「朝食」に供された川魚の塩焼きとコルタッチェ(青菜と大根、細く切った人参などを混ぜて作った酢漬け)などを白米と合わせて口に運ぶアールンとソーラに、レーミーは名残惜しそうにそう言った。


「確かに、お金だけを払わせるような形になってしまったのは申し訳ないんですが...私達には色々行きたいところが出来たので...。」


ソーラが伏し目がちにそう言うのに、レーミーも諦めたように嘆息した。


「まあ、引き留めるのも野暮よね。くれぐれも、気をつけてね。外は危ないって言うからさ...。」



「ありがとう、短い間だったけど、お世話になりました。」


既に街の周囲を取り囲む田園へ働きに出る農夫や女たちで混雑し始めたエーダの東門の脇で、見送りに来てくれたレーミーに、アールンは改めて礼を言った。


「まあ、東門で別れるなんてちょっと縁起悪いけど、大丈夫よね!貴方達強いから。」

「そんな大層なもんじゃないっすよ...。では、行ってきます。」

「あ!待って!」


そこで、レーミーははっとして2人を呼び止めた。


「どうしたんだ?」

「ここから東に行くなら、カイランの大河を渡ったら街道から外れない方が良いわよ。」

「カイラン川...しかし何故です?」


唐突なその忠告に、ソーラが首を傾げて問い返す。


「私もそんなに行ったことは無いから嘘か真かはわからないんだけど、『東エーダの原っぱには人食いの怪物が眠ってる、命が惜しくば街道から外れるな。』っていう言い伝えがあるのよ。」

「分かった。気をつけるよ。」


あまり現実味のない言い伝えだが、先人の教えをわざわざ無視して命を危うくするほど馬鹿げたことはない。ここは素直に覚えておくことにした。


2人は顔を見合わせて頷き合い、馬首を巡らす。

そして、抜けるような青空のもと、西のかたエーダの大路の向こうから昇る太陽の光に背中を暖められながら、彼らはゆっくりと歩みを進めはじめた。


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