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青炎紀  作者: 二十二郎
〈1〉破魔之役:紅玉の従者
1/18

序 山のあなたにて

峠の頂に達すると、眼前にひんやりとした深き緑の谷が広がった。

遥か上方にはまだらに白の混じった灰色の峰々が、眼下に広がる針葉樹の海から絶えず湧き上がる霧によって透かされ、かすかにその姿を見せている。

北の方角、曇りの日の冷たい陽の光に照らされた幾重にもわたる濃緑の尾根の連なりの先に目を凝らしてみると、うっすらと広い黄金色の小麦畑が見えた。


「疲れたか?」


長く続いた上り坂で疲れ切った自らの栗毛の馬、クルキャスから一度降りて彼を休ませながら、アールンは振り返ってそう声をかけた。


「まだまだ!!」

「こんなの屁でもないぜ!」

「はあ、私はちょっと限界、、、。」


後ろからは、まだ15か16、成人年齢に達して日が浅くあどけなさが抜け切らない少年少女たちが3人ほど歩いてきた。

その内二人の男の子は平気そうに振る舞ってはいるが、彼らも若干息が荒くなっているのを見るに、限界は近いだろう。


当たり前だ。この峠は”エーフ(脚破り)の坂”と呼ばれている有名な難所であり、この辺りの狩人や山師の間では「永遠に続くかとも思われる峠の上り坂を登る者は、数時の内に膝下の筋肉が破裂してしまいそうな痛みを感じはじめるだろう。」と言われているのだ。


アールンも以前何度かこの峠道を通った事があるが、馬を伴わずに来たときは毎度脚の痛みに悩まされていたものだ、ましてその彼よりも4つか5つは若い彼らならば尚更この峠はきついだろう。


「よし、少しここで休憩するか。」

「「「りょうか〜い。」」」


待ってましたと言わんばかりに3人はその場に腰を下ろした。道のど真ん中だが、こんな道では人通りなど多いはずもない。邪魔になることもないだろう。


馬の背に麻縄で括り付けていた油紙の袋の中から一枚の紙切れを取り出す。そこには大雑把だが、これから向かうペルオシーの街と、彼らが出発してきたここより遥か東にあるガーテローの街、そして山間を縫うようにしてそれらを結ぶ街道が描かれている。

この峠を過ぎれば、あとは目的地までなだらかな下り坂が続くだけだ。日が落ちる前には到着できるだろう。


アールンははぁと小さく息をつき、地面に脚を広げて座っている三人を見やった。


(しかしなぁ、これじゃ体の良い口減らしじゃないか。)


少年たちの内、黒髪を後ろで小さく縛っている子は名をコアル=レンメノルと言い、3人のまとめ役的存在である。もう一人の、北方の人々の血が混じっているらしい銀の短髪の子はクレール=オクスと言い、3人の中では最も腕っぷしが強い。紅一点である赤毛の総髪の子はミーカ=アスファールと言う。三者三様であるが、共通点もある。それは3人とも最低限の戦闘訓練を受けているということと、全員が何らかの理由で身寄りを失っているということだ。


アールンの住んでいたガーテローの街に、この地を支配するヘイローダ(抵抗衆)の使いであるナーエンフェーン(募兵官)がやってきたのは、かれこれひと月も前のことだ。なんでも近々南で大きな戦があるとかで、臨時の募兵であるレーウィ(同志)を募っているそう。

もとよりガーテローの街は南から海を渡ってやってくる賊の襲撃が多く、辺境の街であることも相まって、それなりに戦える者を4人程出してくれれば十分ということになったらしいが、問題はそれからで、肝心の戦場に出す4人の選考で議は大いに紛糾した。


誰だって稼ぎ頭、非常時には一家の守り手である夫や自分の可愛い子を進んで戦場に送り出したくはないのだ。親や家内の者たちが自分の夫や子を守ろうと、何かと理由をつけて兵役を別の者に押し付けようとし、押し付けられた者やその親もまた違う者へそれを押し付けようとする。結果として、そのしわ寄せは守ってくれる後ろ盾のない孤児たちに向かったのだ。


アールンも、三ヶ月程前に母であるサリーを失った。幼い頃から女手一つ、仕事を掛け持ちしてまで自分を育ててくれていたが、アールンが16で遅めの成人の儀を終えてからは緊張の糸がプツリと切れてしまったかのように体調を崩してしまった。


それからは、今度はアールンが漁の手伝いや山での狩り、孤児院での子どもたちの世話など多くの仕事を掛け持ちして日銭を稼ぎつつ懸命にサリーの世話をしていたのだが、今年になって病が悪化し、ついに世を去ってしまったのだ。


僅かばかりの知己や近所に住む者達だけを呼んで小さな葬礼を執り行ってからというもの、彼は生きる意味が見出せなかった。心の一番大事な部分がすっぽりと抜け落ちてしまったかのようで、今まで母のためにこそ頑張ってきた仕事にもまるで身が入らなくなり、ただぼーっとしているだけで一日が過ぎてしまうことも珍しくなかった。


そんなときに例の募兵があったものだから、彼は自分の命を捨てるつもりでいの一番にそれに応募した。

しかし、自分以外がこのような成人したての若者たちばかりとなると話は異なってくる。

皆が自分のように人生に希望が持てなくなり、死に場所を求めてレーウィ(同志)となったわけではない以上、孤児院で彼らの世話をしていた経験もあるアールンにとっては、かの哀れな三人をちゃんと生きて故郷に帰してやることは第一の任務であるように感じられたのだった。


(俺以外は後方任務で良いという話だが、そこだって戦場だ。危険が無いわけじゃない。)


もしも伏兵や背後からの奇襲に遭えば、戦闘要員の少ない後方は一転して戦場で最も危険な場所となってしまうだろう。


アールン自身は前線で戦うことになるだろうから、一緒にいてやることはできない。

心配は尽きないが、信じるしかない。彼らとて戦えないわけではないのだ。


「おーい、そろそろ出発するぞ。この分なら今日中にはペルオシーに着けるはずだ。」

「マジ?ようやっと到着かぁ、長かった〜!」

「ペルオシーって異国の珍しい物がいっぱいあるんでしょ?すごく楽しみ!」

「ちょっとミーカ、遊びに行くんじゃないんだよ?」


アールンの声掛けに、3人は口々に喜びの声を上げる。一見落ち着いてはいるが、その声色が不安を紛らわせるときのそれであることに、彼は気づいていた。

しかしそれには触れることなく、地図の紙切れを油紙袋の中に仕舞ってその口を固く縛り、彼は再び馬に乗った。



山々の斜面に沿うように造られた細い下り道を抜けると、道の両側の針葉樹の森の下草や低木が少なくなり、時折切り株なども目につくようになってきた。この辺りからは山々を覆う原生林ではなく材木用の植林場となる。遠方からカン...カン...とかすかな音が聞こえてきた。

植林場を越え、立派な丸太が何本も積み重ねられている材木置場へ差し掛かったとき、突然場の静寂を蹴り破るかのような甲高い悲鳴が聞こえてきた。


「!?」


声の主はどうやら、向かって右手奥の一際大きい丸太の山の陰に居るらしい。


「ここで待ってろ。」


アールンはコアル達にそう言い、クルキャスから降りて左腰の剣を抜き悲鳴のした方へ駆けた。

丸太の山の奥の森に伏兵の気配はない。弓持ちでも隠れていれば困ったが、幸いにしてそのような危険はないようだ。


(盗賊か、まさか魔物か?)


剣を構えて飛び出すと、そこには二足歩行だが山羊頭の異形の怪物が二頭と、その向こうにへたり込む小柄な少女がいた。


(魔物か...!ここはペルオシーの近所だってのに!)


二頭の魔物は背後に現れたアールンに気付いて振り向いたが、動作が一歩遅かった。

アールンは二頭の内の向かって右手側にいた方に、その左肩から袈裟懸けに斬りつけ、続けざまに横薙ぎを2、3度見舞い、とどめに肉薄してその腹部にざくりと剣を突きこんだ。


「おっとと、何してんだ逃げろ!!」


力を失い仰向け、少女がへたり込む場所に崩れ落ちようとする魔物を慌てて支えつつ、彼は名も知らぬお下げ髪の少女にそう叫ぶ。

少女は必死の形相でよろよろと立ち上がり、道の方へ逃げていった。


(さて、あと一匹だな。)


この間に体勢を立て直した魔物の片割れは、まるで何事もなかったかのように落ち着いて拳を握り構えをとる。

魔物の強さだ。先に行動を共にしていた仲間が目の前で殺されても、なんとも思っていないかのよう。ただ自らの為すべきことをする。


(あの角...ヴォーダール(山羊)か?)

双角の魔物が走り出す。その黄色い目は純粋なる殺意に燃え鈍く光っている。

魔物は拳を振りかぶり、ズンと脚を踏み切って前方に跳躍し、そのまま殴、、、。


「!!」


否、魔物は空中で驚異的な身体能力を見せつけ、体を大きく捻って脚を前に出し、強烈な蹴りを繰り出してきた。

予期せぬ行動に、アールンはただ剣で防ぐことしかできなかった。


「ぐうっ。」


ドスンという重い感覚を両手に感じ思わず呻くが、体勢はかろうじて崩れなかった。


(やってくれるじゃねえか、今度はこっちの番だ!)


彼は深く踏み込み、剣を振りかぶって着地したばかりの魔物を攻撃する。

ガアンという鈍い音を立てて、アールンの剣と魔物の腕がぶつかるが、魔物の腕は切断されることはなかった。

鍔迫り合いの間、魔物と目が合う。

その目がにやりと笑ったように、彼は感じた。

彼の刃は魔物の腕の剛毛と硬い皮膚とに阻まれて有効打を与えられていない。


(やはり胴体じゃないと駄目か、何か隙は...?)


ヴォーダールは高い機動力を誇る魔物だ。しなやかな動きを実現するために胴体や関節部の肉質は柔らかい一方、攻撃手段である腕や足先は硬い皮膚とゴワゴワした毛に覆われ、よく研がれた剣でもろくに刃が通らない。


であれば、どうするか。


意を決して魔物へ向かって走る。当然、魔物はまっすぐ正拳突きを繰り出してくる。

それを素早く跳んで回避し、魔物の懐に潜り込み、足の付け根に剣を突き刺す。

グオオと苦悶の声を上げる魔物、しかしそれを意に介さず剣を抜き放ち、のけぞる魔物の腹に剣を突き立て、その勢いのまま体ごと衝突して地面に押し倒した。

剣を抜くと傷口から大量の血が噴出し、アールンの全身は赤黒く染まった。


(これで、終わりだ!!)


最後に山羊頭の首に剣を突き立てると、魔物はついにピクリとも動かなくなった。


「はあ、よし...。」


血まみれの腕で額の汗を拭うと、彼はゆっくりと、勝利を噛みしめるように魔物の首に突き刺さった剣を抜いていった。

そしてバッと一払いしたうえで、腕で剣の血をできる限り拭う。


(戦どころかペルオシーに着く前に使っちまったな、街についたら兵営の砥石でも借りるか。どうせ遭遇報

告はしないとだろうし。)


ところどころ刃毀れした自らの得物を見て、彼はそう決めた。



「ちょっと、その血...大丈夫なの?」


ミーカが安堵と心配の入り混じったような声色でそう言う。

3人の元へ戻ると、彼らは魔物の血にまみれてあられもない姿となったアールンにぎょっとし、少し後ずさった。


「大丈夫だ、自分の血じゃない。でも、このまま街に入るのはちょーっと気が引けるよな...どうしようか。」

「植林場なら、木こりの詰め小屋か何かがあるんじゃない?そこの井戸の水を借りれば着物は洗えそうだけど。」

「それだ、流石だなコアル。」


アールンの褒め言葉に、そんな大したことじゃないよ、とコアルは照れて頭を掻いた。



コアルの予想通り、道を進んでいくと木こりの詰め所と思われる小屋があった。

間伐で出た細めで短く材木には向かない、木こりの言葉で言う所のチャルトーク(余り木)の丸太を三角形に組んだのを数組並べ、その上に枝と礫混じりの粗い土を敷いて屋根とした粗末な作りの小屋だった。


「すみませーん!我々はこれからペルオシーに向かう者なんですが、水が必要になってしまって、ここの井戸を貸してもらえることってできませんかー?」


小屋はどうやら竪穴式であったようで、入口から暗い室内を覗いたアールンがそう声をかけると、奥の方からのそのそと人影が這い出てきた。


「んあぁ、そりゃ別にいいんだが、ちょっと訳ありでなぁ。」


外に出て、人影の容貌が明らかになる。髭は濃く、髪はボサボサで見た目には気を使っていなさそうだが、筋肉質な腕や脚腰は、この男が自らの肉体を以て大木と格闘する者であることを明確に示していた。


「あんた、すごい格好だな。盗賊かなんかじゃねえだろうな。」


男はアールンの出で立ちに目を見開く。


「あ〜...実はここから少し山を登ったところの丸太置場で魔物と遭遇してしまって、それ自体は倒せたんだが、その返り血でね。それを洗いに来たんだ。」

「げっ魔物!?この辺りに?...いやぁ、そりゃ災難だったな。でもそれでここに来ちまったってのも、あんたら中々運がねえな。」

「というと...?」

「ここの井戸、やけに”良い”モン使っててな。20年以上前のもんなんだ...って言えばわかるか?」

「ああ、成程。」

「というわけで、ハンラーグ(配霊)が無い今じゃ裏の井戸から水は汲めねえけど、ちょっと行ったとこにきれいな小川が流れてるんだ。俺達がいつも使ってるとこだが、そこまで案内してやる。ついてきな。」


そう言って、男は歩き出した。

アールンたちもその後に続く。

小屋から暫く下り坂を行くと、確かにザーッという爽やかな音が聞こえてきた。


「もうすぐ着くぞ。」



苔むした岩の合間を、透明な水が勢いよく流れている。アールンはまず上の服を脱ぎ、水の流れの中でその汚れをこすって洗う。

それらを手近な低木の枝にかけて乾かしながら、彼はズボンの汚れも同じように洗った。

寒さに耐えながら乾くのを待っていると、木こりの男がテムフ(暖布)(北方伝統のカイロのようなもの)を渡してくれたのはありがたかった。


「しっかしなあ、この辺りは南から結構距離あるってのに、魔物が出るとはなぁ。やっぱり他の奴らみたいにペルオシーに集まった方が安全なのかねえ。」


アールンの隣で、男はそうぼんやりと話す。


「あんたは、ここに一人で居るのか。」

「おうよ、木こり仲間はみんな街から出てきてるが、一人ぐらいはあの小屋の留守を見張ってるやつがいねえとってことで、俺はいつも残ってるんだ。」

「一人で居るのは、危ないだろうな。でもあんたぐらいの男が2、3人、武器でも持ってりゃたとえ魔物でも恐るるに足らんだろ。ここを放棄したくないなら、逆に仲間を呼んで一緒に居とくってのも手だと思うぞ。」

「なるほどねえ...。ありがとよ、しかしあんた、ひょっとしてレーウィ(同志)の徴募に応じたクチか?」


アールンの方を向いて鋭く指摘した男に、彼は頷く。


「おお、そしたらよ、レーウィ・ナーム(同志の溜まり場)に入ったらカートって奴に『デインが落ち着いて、頑張ってこいよって言ってた。』って伝えといてくれ。」

「カートね、木こり仲間か?」

「ああ。奴も徴募に応じたんだ。俺の弟分みたいなもんでな。いい奴だが、ちょっと抜けてるところもあるんでな。」

「分かった。ところで、あんたデインって言うんだな。」


アールンは伸びをしつつそう言った。


「ああ、デイン=クーレンってんだ。まあ、クーレン(鉄打ち)って言う割に今の本職は鉄じゃなくて木を打つ仕事だがな。そういうあんたは?」

「アールンだ。姓は知らない。なんでか親も教えてくれなかったもんでね。」

「へえ、そういうこともあるんだな。じゃあ、アールン、あんたも元気で帰ってくるんだぞ。」

「ああ。帰るときは、またここにあいつらと...あとはそのカートさんとも一緒に顔出すぜ。」


アールンは少し離れたところで話しているコアルたち3人を見ながらそう言った。

その様子を見て、デインもふっとその髭の生えた口元を緩ませた。


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