雪と牛と塚田牛乳
*この物語は作者が趣味で、適当に書いてるメモと朝一番の(強制)ラジオ体操中におもいついた内容と妄想を書き溜めたモノをス〇ゼロを飲みながら書いた”短編作品”です。支離滅裂・シナリオ崩壊等の描写がございますが、それでも見たい方は… 好きな飲み物(アルコール的な物は大歓迎)とすきな煙(火をつけるものならナカーマ)を嗅ぎながら…生暖かい目で見てください(小並感)
なお…極力R指定的な作品は掲載しないようにするのでぇ~よろしくお願いします(小並感)
わしは、塚田牛乳じゃ。
新潟の、雪国のどまんなかで生まれた牛乳じゃ。
新潟ちゅう土地はな、冬になると何もかもが白に包まれる。
屋根から落ちる雪の音が、朝の目覚ましになるようなとこじゃ。
けれど、そんな寒さのなかでも、牛たちは黙って草を食み、
乳を出してくれた。ぬくもりをくれた。命をくれた。
わしが生まれたのは昭和三十四年。
あの頃の新潟は、まだまだ“都会”とは言えん世界じゃった。
それでもな、わしを育ててくれた人たちは、
ひたすら「うまい牛乳」をつくろうと、雪をかき分けて働いたんじゃ。
はじめは、地域の学校に届けることから始まった。
ストーブの上でほんのり温められた牛乳が、
寒さにこごえた子どもたちの体にしみわたっていく――
その光景を、わしは何度も見てきた。
「塚田牛乳さん、またお願いします」
その声が聞きたくて、瓶を洗い、手をかじかませながら詰めとった。
けれどな……
時代が平成に入るころ、空気が変わった。
都会から“大手の牛乳”が押し寄せてきたんじゃ。
パックにオシャレなラベル、テレビCM、価格競争。
町のスーパーには、見慣れぬ名の牛乳がずらりと並び、
わしは――まるで時代に置いていかれたみてぇになった。
「やっぱり、あっちのが安いし、名前も聞いたことあるしね」
そんな声が聞こえてくるたびに、
わしの瓶が、一本また一本、棚の奥へ押しやられていった。
正直に言おう。あの頃は、苦しかった。
工場の明かりが消えるんじゃないかと、夜眠れんこともあった。
けれどな、それでも「やめよう」っちゅう声は、一つもなかった。
「この土地に生きてる限り、わしらの牛乳は終わらん」
そう言ってくれた、牛飼いのじいさんの目は、
あの日の雪より澄んどった。
なぁ……
都会じゃ知られとらんかもしれんが、
新潟の雪の重みに耐えて、
何十年も牛と人のあいだに立ち続けたのが、塚田牛乳なんじゃ。
今は紙パックが主流じゃろ?
でもな、わしは、今でも“瓶”にこだわっとる。
ガラスの瓶に詰められた白い牛乳。
それを“ぎゅっ”と握って飲むときの、あの冷たさと重み。
それが、わしにとっての「原点」なんじゃ。
大雪に停電、豪雨に地震――
新潟はよう試練をくれる土地じゃ。
けど、そのたびに、わしを造っとる者たちは立ち上がってきた。
なぜかって?
**「この味を、絶やしちゃいけねぇ」**って信じとるからよ。
東京に行けば、コンビニでいろんな牛乳が並んどる。
けどな、雪国で生まれた「塚田牛乳」は、
**“暮らしの味”**なんじゃ。
朝ごはんのパンと一緒に、
風呂あがりの冷蔵庫から、
スキー帰りに真っ赤なほっぺで一口飲む、あの味じゃ。
最近じゃ「懐かしい味がする」って、
わざわざ首都圏から取り寄せる人もおるんじゃと。
ありがたいこっちゃ。
けれど、わしは今でもここ――新潟の雪の中におる。
搾ったばかりの乳のあたたかさ、
瓶を洗う水の冷たさ、
牛の鼻息の白さ。
それが、わしの「誇り」じゃ。
──わしの名は、塚田牛乳。
新潟の雪と土と、牛と人が育てた、
一本の“白い記憶”なんじゃ。
今日もまた、朝が来る。
瓶のなかに、真心を詰めて。
この土地の味を、次の世代に届けるためにな。




