銀の縁、記憶の皿
*この物語は作者が趣味で、適当に書いてるメモと朝一番の(強制)ラジオ体操中におもいついた内容と妄想を書き溜めたモノをス〇ゼロを飲みながら書いた”短編作品”です。支離滅裂・シナリオ崩壊等の描写がございますが、それでも見たい方は… 好きな飲み物(アルコール的な物は大歓迎)とすきな煙(火をつけるものならナカーマ)を嗅ぎながら…生暖かい目で見てください(小並感)
なお…極力R指定的な作品は掲載しないようにするのでぇ~よろしくお願いします(小並感)
……ようこそ、お客様。
このような埃まみれの棚の奥に目を留めていただき、まことに光栄にございます。
わたくし――洋食器と申します。
ほんの少々、年季の入った身でございますが、何卒、今宵はひとつ、お耳をお貸しくださいませ。
わたくしの最初のご主人は、遥か16世紀――イタリア・フィレンツェにて。
まだ人々が手で食していた時代、
フォークとナイフが初めて「文明の証」として食卓に招かれた頃でございました。
当時のわたくしは、銀のティースプーンの一員として、貴族の午後にそっと寄り添っておりました。
時を重ね、17世紀――
フランス・ヴェルサイユ宮殿では、わたくしどもは「格式の象徴」として重用されておりました。
ご主人様の指先の繊細な動きと共に、
わたくしも静かに舞うように用いられたものです。
銀器のひと振りが、礼節を、そして教養を物語る――
なんと誇らしい時代でございました。
その後、産業革命を経て、
わたくしはイギリスの名だたる磁器工房にて再び生を受けました。
淡い花模様、金彩の縁取り、そして手に持ったときのあの重み。
それは、量産の世にあってもなお「美」を忘れぬ職人の魂そのものでございました。
しかしながら――
時代の流れというものは、誠に速きものでございます。
紙の皿、プラスチックのカップ、簡便さと引き換えに、礼節と記憶が薄れてゆくこの世の中。
気づけばわたくしも、こうして骨董屋の隅で静かに眠っておりました。
けれども、ございます。
ある雨の日のこと、一人のご婦人が、ふとわたくしを手に取ってくださいました。
「これ……祖母の家にあったのと、そっくり」
……ああ、思い出というのは、何よりも尊い調味料にございますな。
たとえ忘れられても、誰かの記憶の皿には、
確かにわたくしの存在がある――そう感じたのでございます。
わたくしどもは、ただ食を支える道具ではございません。
祝宴の笑み、涙の晩餐、静かな夜の紅茶――
すべてに寄り添い、黙してそれを見守ってまいりました。
それが、わたくしの誇りにございます。
……おや、お客様。
手袋はお持ちでしょうか? できれば白がよろしゅうございます。
どうぞ、わたくしをその手でお運びくださいませ。
次なる物語は、きっと、あなたの食卓から始まるに違いございません。
――では、準備が整い次第、いつでもお呼びつけください。
わたくし、変わらず磨いてお待ちしておりますので。




